【牛山なんでも事典】

牛山町内の地名 
堀之内 ほりのうち 排水用の堀があったという説がある。
神供 しんぐ 神に供える米を作っていた所で、上神供と下神供に分かれていた。
大日 だいにち 大日如来の仏像が出土した。外山の人がかついで麟慶寺のところまで運んでくると急に軽くなってきたという。そこで、麟慶寺の御本尊として祀られることになった。大日塚がある。
間内 まない 外山と内山の間であるという説と、池田川と大山川の間であるという説の二つがある。
常光寺 じょうこうじ 常光寺が常光寺城の南にあったとも、白山宮の南にあったともいわれている。
寺前 てらまえ 常光寺の前。
皿屋敷 さらやしき 古い皿などが出土したからともいわれている。あるいは、更屋敷も同様であるが新屋敷の意ではないかという見解もある。
最中 もうち 牛山のほぼまん中の意味。
中道 なかみち 郷中と皿屋敷の中の道。
天神前 てんじんまえ 天神社(片山神社)の前。
実殿渕 みどのふち 謂れは分からないが、大山川のよどみのあった辺りか。水はけが悪く水溜まりができたところだと思われる。
弥次郎塚 やじろうづか 弥次郎という人の塚だという。2畳ほどの塚が残っていた。
川脇 かわき 大山川の脇にあるところ。
五反田 ごたんだ 5反ほどの田があった。 
上荒井 かみあらい 川原で石がたくさんあり、田畑として役立たないところ。荒井の上。
下荒井 しもあらい 荒井の下。
石塚 いしづか 開墾するときにでてきた石を集めたところ。
寺田 てらだ 麟慶寺の寺田。
土株 つちかぶ 低湿地で長めに稲を刈った。残った切り株のことで、その場所。
上田最中 かみともなか 広々とした水田の中にある田という意味。田最中の上。
下田最中 しもともなか 上田最中に対しての下田最中。
本苗田 もとなえだ 郷中の苗田があったところ。共同苗田として使われていた。
郷中 ごうなか 民家の集まった村の中心。郷中寺があったところ。
郷前 ごうまえ 郷中の前。
八反田 はったんだ 8反ほどの田があった。瓦山とよばれ石ころの多い松山が連なっていた。
殿田 とのだ 不詳
寄セ下 よせした 不詳
三本竹 さんぼんだけ 文字どおり竹が生えていたところだと思われる。
市塚 いちづか 不詳。このあたり塚や松山があった。
柳坪 やなぎつぼ 柳という字がついているが、この地に柳があったとは聞いていないとの伝え。
名土 なづち 不詳。
がま 湿地帯で、蒲がはえていた所。
溝端 みぞばた がまいぼれの水路の上の方。
気正田 きしょうでん お宮の所有田。
東脇 ひがしわき 郷中の東側の意味。
神明前 しんめいまえ 神明社の前にあったところ。
中島 なかじま 牛山八島(集落)の中ほどにある島の意。
池之上 いけのうえ 田楽分の同字名の土地と関連。文字通り。
一番割 いちばんわり 区画の順序でつけた名前。
二番割 にばんわり 上に同じ。
田違 たちがい 不詳。
上蓮原 かみはすはら もと湿地帯で、蓮の花がたくさん咲いていたといわれる。蓮原の上。
下蓮原 しもはすはら 蓮原の下。
平田渕 ひらたぶち 不詳。土地の低い田で、出水すると水がよどむところだと思われる。
西山方 にしやまがた 西の山の意で、小高い雑木林があったところ。
十三塚 じゅうさんづか 死者の冥福を祈る為死後13年忌まで13度塚に経文を納めて法事を営む俗信仰がある。そうした塚のあったところと思われる。
新田 しんでん 新しく開かれた田畑。
助作山 すけさくやま 助作という人が持っていた小さい山という。
中之山 なかのやま 西の山と東にある山との間にある小高い土地。西行堂川沿いに瓦山とよばれる松山が点在していた。
新外 しんがい 新開地であるがかなり古くから開かれていた。
神明土 しんめいど 神明社があったという。
平渕 ひらぶち 土地の低いところで、水はけの悪い低いところであったと思われる。現在の県立西高校のあたり。
南平渕 みなみひらぶち 平渕の南
流レ ながれ よく浸水したところ。
大手前 おおでまえ 大手のすぐ前にあたるところ。
薮鼻 やぶはな 不詳。牛山のはずれにある薮続きのところであったのではないか。
沖仲 おきなか 出水時に水が一番集まりやすい所の中央意と思われる。


1999/08/01
Revised 1999/08/30