ある渓流でのこと

 その日、僕はカミさんを渓流に連れてきていた。
彼女にもフライの楽しさを教えてあげよう(僕の押し付けがましい悪い癖なんだけど)と思ったからだ。
でもその日、僕達が釣り場に着くとあいにく雨が降り出し、結局僕は彼女を車に残して独りで川へ…。
その様子を近くで見ていた一人のフライフィッシャーが声をかけてきてた。
 「この雨でもいきますかぁ。頑張りますねー」と。
なかなか感じの良い方で、僕らは初対面だったけれど少しの間世間話をした。
「いつも何処そこに釣行している」とか「この辺りだと、どこそこがいいですよ」とかそんな他愛もない話だ。
ほどなく彼が 「一緒に釣りあがってもいいですか」と聞いてきたので「勿論いいですよ」と僕らは二人で川へ下りた。
暫く一緒につりあがったけれど川は増水気味で全く反応なし。先日チビアマゴを釣った堰堤まで来たところで「ここで前つれたんですよ」なんて二人でキャストするもどうやら釣果は望めそうもなかった。
うーむ。雨も次第に強くなり、車に残したカミさんも心配になってきたので、僕は先に岸に上がることにした。
「もう僕はあがりますね」彼に声をかけた時、彼は一心にフライを結びなおしていた。
「どうぞ、どうぞ」

「それじゃあ、お先に…」僕がそう言って彼の傍らを通った時、「バキッ」といういやーな音が!!
「あっ」…。
慌てて足元を見ると彼のロッドが真っ二つに!!
「あーー」と声を上げる彼。青ざめる僕。
や、やってしまった……
誰かと一緒につりあがるのは初めてだったし、誰かのロッドを踏むことなんて気にも留めていなかったのだ。

「も、申し訳ありません。僕のミスです。」と僕は雨の中謝った。
楽しいはずの渓でこんなことになるなんて…。
彼にとっても、きっと大切なロッドだったのだろう。
彼は暫く雨の落ちてくる曇天を怒りを押し殺すようにしばらくじっと見上げていた。
重苦しく長い沈黙の後、彼が口を開いた…

「…いや、ロッドを無造作においた僕も無頓着だった。それにそもそも僕が無理を
いってあなたに同行させてもらったんです。これは事故です。誰も悪くありません。
とりあえず、岸にあがりましょう」
「い、いや、僕が不注意だったから…」しどろもどろになりながらも、僕は彼の言葉を聞いて胸が熱くなっていた。

僕ならなんて言っただろう。お気に入りのロッドが折られて平静でいられるだろうか。

 いずれにせよ、彼のロッドを折ったのは僕なのだから、岸に上がった後、もう一度謝罪して弁償させてもらうと申し入れたが、彼は頑として聞かなかった。そればかりか車の中で僕らのやり取りを心配そうに見ていた僕のカミさんを見つけ「せっかくの休日にお二人にいやな思いをさせて申し訳なかった」とカミさんにも声をかけてくれたのだ。
 最後は、こちらから無理やり当方の連絡先を教えて、ロッド代を連絡してもらうよう頼んで別れた。
 そして自宅に着く頃、彼から電話が…。「ショップで補償がきいたので新しいロッドに無料でかえることができましたよ。かえって良かったです。心配なさらないでください」と。

 彼の話が本当かどうかわからないし、無理にでも弁償すべきだったのかもしれない。けれど、僕は彼にとても大切なことを教えられた気がするのだ。

 先行する釣り人を声もかけずに追い越したり、ひとつのポイントをずっと占領したり、自分が釣ることだけしか考えない釣り人のなんと多いことか。
みんな、ただ魚を釣るためにきているのだろうか、確かにそんな人もいるのかもしれないけれど、「釣りそのもの」を楽しみにきている人の方がずっと多いと思うのだけれど。
 この出来事は決して良いことじゃなかったし、もうこんなこと経験したくないけれど、彼からの電話を頂いた後、僕とカミさんはなんだかすがすがしい気持ちになっていた。
 あの時の方がもしこのHPをご覧になられていれば改めて感謝いたします。
そしてできればまたいつかご一緒させていただきたいと思います。僕は相変わらず下手ですけど。

 彼からの電話が切れた時、ふと気づくと雨が上がり、空には青空が覗いていた。

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