改訂:2007/09/15
2006/09 南紀白浜(娘一家と二家族で)
久しぶりに旅行らしい旅行をしてきました。 娘家族と我が家族合同で9月始めに、南紀白浜に一泊旅行に行ってきました。 今回は、人数も多いし、車はやめてJRで往復し、現地では2日フリーパスを購入してバスで移動しました。
一日目の朝、天王寺で娘家族と合流して、南紀特急「くろしお」で白浜に向かいます。 下の写真は、白浜駅のショットですが、既に「回送」になっていたヘッドマークを、わざわざ、代えてくれた親切な車掌さんで、最近のJRにしては好印象のスタートでした。

こちらは、白浜駅前で、まずは腹ごしらえと、食べた食事です。 左が「まぐろ丼」、右が「梅ざるそば」です。 「鉄火丼」と言わずに、「まぐろ丼」と言うところが、いかにも、それらしき雰囲気です。 一方の「梅ざるそば」は目にしたのも食べたのも初めてです。 まあ、梅干しの産地ですから、分からんでも無いですが、良く作りましたねぇ。 味の方はまずまずでした。

こちらは、白良浜(しららはま)の海水浴場です。 海水浴場に来たのは、子供たちが小さな頃に連れて来て以来、何十年ぶりでしょうか。 まだ、日差しはきついですが、9月に入って居ますので、そんなに混んでいることもなく、そうかと言って、ガラガラでもなく、適当な混み様と言った感じでした。 名前の通り、綺麗な白浜でしたが、実は、最近は、この白い砂が流されて、下の方の黒い砂が出てきたので、外国より白い砂を大量に輸入して入れ替えたというニュースが流れていましたが、まあ、見た感じは綺麗な白い砂浜でした。

こちらは、「千畳敷」です。 30年ほど前に、長女が生まれてしばらくした頃に来たことが有りますが、今回はその長女家族と一緒です。 いまは、孫がせわしく動き回るのを見ているだけで疲れてしまいますが、当時は、よくも、まあ、小さな子を連れて遊びに来た物だと思い返しています。 若かったんですねぇ。

こちらは、「千畳敷」からの景色です。 まだ、夕暮れには早いのですが、雲がかかっていて、ちょっと、夕暮れの感じです。

こちらは、「千畳敷」から、南側の断崖を見たところです。 この断崖の裏側が「三段壁」みたいです。

こちらは「三段壁」の展望台からの景色です。 左側の下に洞窟が有るみたいですが、時間が遅かったので見に行けませんでした。 時間が早ければ、エレベーターで下りて行けるみたいです。 右側は、先ほどの「千畳敷」から見えていた断崖です。

白浜のホテルに一泊して、翌日は、アドベンチャーワールドに行きました。 こちらはエントランスに居た動物たちです。

おなじみのイルカショーです。 スタッフの方がイルカの上に立って居ますがすごいですね。 右の写真は、二頭のイルカに乗って居ます。 さすがですね。

イルカのジャンプも、相当な高さまで飛びますね。

呼び物の双子のパンダです。 これは親と子供です。 猫可愛がりという感じですね。 もう一匹の子供は木の上に登って遊んでいました。

こちらは、サファリゾーンです。 猛獣たちと草食動物が同じ領域に放し飼いされています。

暑いので、チータもトラもぐったりして、サボっています。

ホワイトタイガーもぐったりですね。 サイは頑張って居ました。

こんな機関車(自動車ですが)で客車を引っ張ってサファリゾーンの中を見て回ります。 ガラスと太いパイプで守れれているので、中は安全そうです。 所々で、スタッフの人が餌を与えています。 餌がある時は起き上がって来ていますね。

ちょっと日が傾いてくると、少し元気になったみたいです。 こうして頭を上げていると迫力が有りますね。

チータもトラも少し元気になったみたいです。 ちょっと、日が傾き始めてから回った方が、元気な動物をみれるみたいです。

そんなこんなで、二家族合同の白浜旅行は終わりました。
2006/04 桜公園(女房と)
天気が良いので、花見の締めくくりに、近くの「桜公園」に行ってきました。 暖かくて、気持ちよいので、歩いて行ってきました。 公園のため池の堤の上の桜は壮観です。

こちらは、その堤の上の「桜のトンネル」です。 もう、満開を過ぎて散り始めています。 風が吹くと「桜吹雪」状態です。

堤を抜けて奥の広場まで行くと、こんな感じです。 こちらも満開すぎです。

平日で満開も過ぎているためか、花見客はチラホラです。 先週の土日は大変な喧噪だったのでしょう。 「桜吹雪」を撮るのは難しいですが、こんな感じで花びらが散ってきています。 右下は、こんな公園には珍しい緑色の花の桜です。 造幣局にはいっぱいありましたが、ここで見るとは思いませんでした。

行き帰りの道沿いも花でいっぱいでした。 このおうちはどちらも、丹精込めて育てられているのでしょうね。 すばらしい咲き具合です。 ここまで咲くと、人に見てもらいたくなるのでしょうか。 道側に飾ってありました。

2006/04 造幣局通り抜け(女房と)
造幣局の通り抜けに行ってきました。 平日でしたが、結構な人出でした。 警備の方がすごい人数でした。 アナウンスも中国人と思われる方が、ちょっとアクセントの狂った日本語と、(おそらく)正しいアクセントの中国語で、「直接、花にさわらないでください」「途中で立ち止まらずに、お進みください」「写真を撮る方は端に寄って撮ってください」などとアナウンスしていました。
下は、入り口前の出店の列と、造幣局の中に入ったところの人出の様子です。

今年は暖冬で1週間ほど早めの開催で、開催したとたんに気温が低めになって、花の咲き具合はもう一つです。 入り口付近は3分咲きと言ったところでしょうか。 出口近くになって少しは咲いていました。
右下の看板「松月(しょうげつ)」は今年の花だそうですが、3つほどある木はいずれもまだ咲いていなくて、つぼみのままでした。 残念ながら、ちょっと開花の予測が狂ったか? このままだと会期中に開かずに終わってしまうのでは無いでしょうか? もう1週間ほど伸ばした方が良いのではという感じでした。 結局、昨年よりも咲き方が遅いのではと思えるほどです。

それでは、以下に咲いていた花を中心に撮ってきた写真を紹介します。 これを見ていると、すごく咲いている様に見えますが、実際はチラホラでした。 でも、チラホラ咲いているものだけでも、これだけあるというのは、やはり造幣局の桜はすごいですね。






造幣局を通り抜けて、戻りの大川沿いの道には沢山の出店が出ていましたが、こちらの桜はソメイヨシノでしょうか、完全に満開状態で、こちらの桜の方が時期的にはぴったりでした。 夜にはこの通りはすごい人出になるのでしょう。
右下は、なぜか、こんなところでこんなものをやっていました。

こちらは大川越しに見る対岸の桜とOBPの高層ビル街です。 川には「観楼船」が頻繁に走り回り、やはり桜が咲くと日本人は「春」を感じるのでしょう。 右下は対岸の京阪シティーモールから見た桜です。

2006/04 嵐山に花見(女房・娘一家と)
娘の家に孫を見に行ったついでに、季節も良いので嵐山に桜を見に行ってきました。 「寒の戻り」も去り、川の水も温(ぬる)み、いよいよ春爛漫の様相でした。
平日でしたが結構な人出でした。 アジア系の外国人の方も多く、1/3ぐらいは外国人ではないかと思えるほどでした。 最近の産業界での台頭と同じく中国系の方が多かった様に思います。 渡月橋の上は渋滞していて、車はノロノロ運転で全然動いていませんでした。 車で行かずに、電車で行って良かったです。
下の桜は、嵐山ではありませんが、電車に乗った駅の周りに咲いていた桜です。 ほぼ満開ですね。 こんな桜を見ながら電車に乗るのも日本の春ならではでしょうか。

阪急の嵐山の駅につく頃には、もう、桜がいっぱいで花見気分も盛り上がってきます。 駅を降りて駐車場を抜けるあたりはこんな感じで、桜の花はほぼ満開でした。 風が吹くと、花びらを散らし始めているものもありました。 「梅」はチラホラと咲くのが似合っていますが、「桜」はこぼれんばかりに咲き誇っているのが似合っているようです。

桂川の河原に出たところに枝垂れ桜が有りました。 木によってはまだつぼみのものもある枝垂れ桜でしたが、この木はほぼ満開でした。 右下の桜は、かなり古そうな幹で、横に広く枝を伸ばしていました。 このあたりは、金曜日でしたので、夕方に備えてか、場所取りをしている青いシートがたくさんひかれていて、夕方までやることが無いのか、寝込んでしまっている「場所取り担当者」もいました。 そばには、飲み干された一升瓶が転がっていました。 夜は飲んで騒いで大変な喧噪になるのでしょうか。

こちらは、駅から川岸に抜けるところにある橋の上からのショットですが、皆さん橋の上から撮っていたので、つられて撮りましたが、良いアングルなのでしょうかねぇ。 右下は桂川の河原から上流の渡月橋方面を見たところです、まさに「春うらら」と言ったところでしょうか。 このあたりに座ってお弁当を食べました。

こちらは、渡月橋から右岸の遊歩道を少し上流に行ったところから、さらに上流(保津峡?)を見たところです。 アベックの乗っているボートもなぜか「のどか」ですね。 右下は逆に、下流方向を見たところで、渡月橋がきれいに見えていました。 こちらも「のどか」な風景ですね。

こちらは、遊歩道を10分ほど上っていったところにある嵐山温泉の旅館と保津峡です。向かい側の崖の中腹には、旧山陰線のレールを利用した観光用のトロッコ列車が走っています。 現在の山陰線は、もっと川岸から離れた奥の方を走っています。
右下は、ちょうど下ってきた「保津峡下り」の船です。 孫が手を振っていたので、乗客の方々が皆さんこちらを向いて手を振っています。 「保津峡下り」の船の向こう側の横にくっついている屋根のある船は「物売り」の船で、横にくっついて食べ物や飲み物を売る代わりに、流れの緩やかになったこのあたりをエンジンで船を押してやっています。 まあ、「共存共栄」と言うところでしょうか。 ちなみに、このあたりは結構急な流れで、下ってきた船はトラックに積んで、出発点の亀岡まで運ぶんだそうです。

2006/03 近隣の見所(石清水八幡宮方面-1)
近くも大体歩きつくしたので、石清水八幡宮まで行ってみる事にしました。 そうしたら、意外と近くでした。 往復で7,000歩強の距離です。 以前は竹藪の中の道を歩いて行ったのですが、最近は住宅開発が八幡さんの近くまで進んでいて、住宅地の中をほぼまっすぐに八幡さんまで歩いていくことが出来るようになりました。 ただ、行きは登り一方でちょっとしんどいですし、帰りは下り一方で、足が痛くならないように注意が必要です。
左下は参道の大鳥居、右下は境内に入る門の所です。

平成の大改修とやらで、本殿は工事用の幕で覆われていました。 20億円を掛けて、平成17〜21年で改修を行うそうです。 現在の本殿は徳川家光の造営によるものだそうで、その後、何度か改修が行われ、最近では昭和42年に行われたそうです。 それから、もう、40年ほど建っているようで、結構痛んでいるようです。
手前の舞台は四月になって桜祭りの時期にお神楽等が行われる様です。

この日は、たまたま、夕方からお神楽が行われるようで、こんなものが置いてありました。
右下は、以前は、正面の戸が開いていて、真っ白な「神馬」を見ることが出来たのですが、この日は戸が閉まっていました。 お馬さんはどうしたのでしょうか?

こちらは、奥にある宝物殿(だと思う)です。 正倉院に似ていますね。 また、左下の塀の造りがすごいですね。 瓦を積み重ねて漆喰でくっつけてあります。 幅も1m近くあるのではないでしょうか。 まるで、お城の塀みたいですね。 これなら、将軍家がお参りに来ても守りは大丈夫ですね。 まあ、ちょっとした山城ですね。

こちらは、参道の途中にある、でっかい「破魔矢」です。 この八幡の竹林で取れたでっかい孟宗竹で作ったのでしょうか? 右下はおなじみの「奉納御献酒」です。 八幡の地酒でしょうか。

こちらは、第二室戸台風で倒れた旧大鳥居の残骸をモニュメント風に並べたものです。 先般の能登地震でも、大きな鳥居が倒れていましたが、こんなものが落ちてきたら大変ですね。

こちらは八幡さんの駐車場近くにある、エジソン記念碑です。 エジソンが発明した白熱電球の最初のフィラメントに八幡の竹が使われたことは有名ですね。

こちらは、八幡さんのピークから少し離れたところの別のピークにある三角点の表示です。 八幡で一番高いところだそうで、143m弱あるそうです。 昔、山歩きしていた頃はよく見た三角点ですが、久しぶりに見ました。 ここは民有地だそうです。

このピークは鳩ヶ峰と言うようです。 祠もありました。

やはり、高いところにはプロのアンテナが建っていますね。 立派なタワーに沢山のアンテナが上がっていました。 すごく太い同軸でフィードしていました。 右下は、接地の試験装置と書いてありました。

八幡の竹藪はこんな感じですね。 竹藪の中を道が通っています。 右下は、途中の住宅の庭に咲いていた花です。 何という花でしょうか?

こちらは木瓜(ぼけ)でしょう。 右下はプラムと言う札が付いていました。 プラムってスモモですけど、この場合は日本の梅でしょうね。

こちらも途中の住宅に咲いていたものです。 枝垂れの具合が綺麗ですね。

2006/03 日展(女房と)
女房と一緒に日展を見に行ってきました。 久しぶりの天王寺と大阪市立美術館でした。 平日ながら結構な人が見に来られていました。 と言っても、そこは平日、土日のような混み方ではなく、ゆっくりと見て回る事ができました。
入場する時に小冊子をいただきましたが、日展も今年で展示会自体は100年目だそうです。 その間には、政治的な影響などで色々な変遷を経ているようで、現在の開催母体になってからは38回目だそうです。 日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の分野に分けて、大阪市美術館の1階の全展示室および2階の半分の展示室を使って展示されていました。
美術にそんなに薀蓄があるわけではありませんので、まあ、素人目にはやはり日本画、洋画が見ていて楽しいものでした。 展示してあるのは、いずれも大判の絵で、さすが日展に展示されるような絵は「とても上手」でした。 ただ、素人がこんな事を言っては何なんですが、絵画と言うか美術の評価と言うのは「水物」と言うのでしょうか、良い例がピカソの絵が評価されたのも、描かれてからずいぶん時間がたってからのようでしたし、難しいものなんでしょう。 卑近な例が、女房が「これは良い」と言っているものが、私には「そうでもないがなぁ」であったり。 私が「これはすばらしい」と言っているのに、女房は「大したこと無い」と断じていました。
ここのところ、取り組んでいた、無線機の周波数ドリフトのように、誰が見ても、これは駄目だとか、これは良いと言ったはっきりした基準があるわけではないところが、工業製品とは違った人間臭さというものが頭を持ち出すところでしょうか。 まあ、日ごろ、無線機など機械類ばかりを扱っていると、たまには、こういった感覚の世界に身を沈めて置く時間を持つというのも宜しいのではないでしょうか。
「書」は更に分かりませんでしたが、絵画よりも、制作が「一発勝負」で大変そうだななどと思ってみました。 やはり、ちょっとでも書く時に失敗したら、それでそれは終わりなのでしょう。 気を引き締めて、一気に書くのでしょうね。
外国の美術館もいくつか見て回りましたが、だいたいは、スケッチや写真もOK、日本の美術館はなぜ、駄目なんでしょうかね? でも、係の人は親切でした。
2006/03 近隣の見所(あらかし公園方面-1)
風邪を引いて、しばらく休んでいた Walking を復活しました。 病み上がりですから、まずは、近くをぶらぶらと短時間で足慣らしをして見ました。
まずはいつも行く、あらかし公園の展望台まで行って見ます。 左下の写真は、展望台のある岩の塊を下から見たところです。 何度見ても、本当にロッククライミングができるような絶壁です。 右下は、展望台まで上がる階段道です。 この階段の登りはいつもきついです。 上まで行くとひと汗かきます。

展望台からの眺めをパノラマ風に並べてみました。 ちょっと逆光で目で見たよりも暗く写っています。 左下から右下の写真へ、西のほうから南までの展望です。遠くには生駒山が、近くには樟葉タワーシティーが見えています。

パノラマの続きです。 南から西への展望です。 淀川の流れ、摂津の山並みなどの眺めです。 こちら側は逆光にならずに、まずまずの写りです。

左下は、ズームアップしたところです。 目で見た感じはこれぐらいに見えます。 一番高いところが生駒山のテレビ送信所群があるところです。 手前の低い山並みは飯盛山から交野山に続く生駒山脈です。 右下は、他人の家の庭に咲いている紅梅ですが、余りにきれいだったので、パチリと「盗撮」させていただきました。 写真で見るとそれほどでも無いですね。 目で見たように写すというのは難しいものです。 ここがプロの写真との違いでしょうね。

あらかし公園から、新興住宅街を抜けて正法寺山のほうに向かう途中に昔ながらの竹林が残っていました。 これで、自動車が通るれっきとした道です。 この辺りは、ちょっと前までは、こういった感じの道ばかりでしたが、住宅開発の拡大でだんだん少なくなってきました。 右下は、アスファルトの道まで蔓延っている竹の根っこです。 竹はこれだから、庭に植えたら大変な事になります。

こちらは、正法寺山の南端から見た奈良方面の眺めです。 こちらもパノラマ風に並べてみました。 左下から右下の写真へ、東から南までの眺めです。 こちらは逆光にならずに、まずまずの写りです。

同じくパノラマ風に、南から西への眺めです。 右のほうに見えているのは男山の団地です。 こちら側は、逆光で駄目ですね。

2006/02 近隣の見所(松花堂方面-2)
松花堂方面-1 では、古い神社・仏閣の新しい発見が数多くあったので、あちこちと寄り道をしてしまい、距離が稼げませんでしたので、再度、東から南方面の探索です。
我が家から、西山廃寺(足立寺)史跡公園脇を抜けて、まっすぐに東へ向かいますと、松花堂方面-1 で紹介した、正法寺の寺領のうち東端の一番高い正法寺山の東側に出ます。 海抜で75mぐらいはあるようです。 すぐ北側にあるNTTの中継塔のある小山の95m、 橋本方面-1 で紹介した、あらかし公園の展望台の120mには及びませんが、東側が急激に落ちているため、見晴らしはすばらしいです。 奈良盆地方面が、冬とは思えない暖かな霞の中に見えています。 遠く見えるのは木津・奈良あたりです。 正法寺山には、囲いがしてあって、登れないようです。
ここから、南東方向に急な階段を下りていくと、福壽寺があります。 それほど大きくないお寺ですが、立派な門構えです。

福壽寺へ降りていく急な階段の脇にあった、綺麗な竹林です、正法寺の寺領の様で、鬱蒼と繁っています。 右下は、住宅街の中に咲いていた紅梅です。

福壽寺から、車が通れないぐらいの昔風の曲がりくねった細い道を更に降りていくと、松花堂方面-1 で通った、旧東高野街道に出ます。 先日は通り過ぎていたのですが、この旧東高野街道を横切って、脇に入っていくと、極楽寺と言うのがあります。 こちらもそれほど大きなお寺ではないのですが、その割には鐘楼がすごく立派です。 このあたり、たくさんお寺がありますが、昔の集落ごとにあるのでしょうか? 欧米で言えば、村ごとに教会があると言った感じなのでしょうか?

極楽寺からまた旧東高野街道へ戻ると、肉屋さん前の道標の所に出ます。 そこから、民家の塀の中に取り込まれていた、橋本への近道の道標に従って、また、昔風の細い道に入って西向きに行きます。 途中で南向きに曲がって、ちょうど旧東高野街道の一本西側の古い道を南に下っていきますと、西車塚のこんもりした小山が見えてきます。 田圃のあぜ道を渡って近付くと、この古墳の上に、八角堂が建っています。
左下は入り口の階段下にある碑です。
【正面】西車塚跡 国寶乾漆阿弥陀像 同元横川元三大師像 八角院
【背面】昭和二年建立 京都三宅安兵衛遺志
やはり、この碑も三宅安兵衛さんの遺碑なのですね。
右下は、説明の立て札です。
この、西車塚跡は、八角院境内の土木工事を行った際、偶然に石室が掘り当てられたそうです。 石室は、長さ9尺、幅2尺、高さ3尺と書いてありましたので、2m、60cm、1mの大きさでしょうか。 副葬品は、舶載・彷製鏡5面、碧玉製腕飾など256点があり、大部分は東京国立博物館で所蔵されているそうです。

階段を上っていくと、脇に古びた地蔵さんがいくつかあり、登り切ったところに八角堂があります。 堂内には重要文化財の金色に光る一光千仏丈六阿弥陀仏が安置されているそうですが、扉が閉まっていて見ることは出来ませんでした。 八角堂は正八角形ではなく、右下のように、四角の角を切り落とした形の八角形になっています。 これが、また、珍しいんだそうです。

こちらは、八角堂の脇にある建物です。 この方が同元横川元三大師なのでしょうか?

こちらは、八角堂脇にある碑です。 こちらも三宅安兵衛さんの遺碑です。 右下の碑は立派な碑ですが、説明が読めません。

八角堂を降りて、先ほどの古い道を南に下っていき、幹線道を横切ったところに、万称寺山の碑があります。
【正面】万稱寺跡 右 正平塚半丁 左 中の山一丁
【背面】昭和二年十月 京都三宅安兵衛依遺志建之
こちらも三宅安兵衛さんの遺碑ですね。 万称寺の西の万称山(中ノ山)は古くから墓地として利用されていた様で、現在も墓地になっています。

万称寺山の碑から、更に古い道沿いに南下していくと、紅葉寺があります。 こちらも小さなお寺です。 お寺というよりか、庵(いおり)と言う感じでしょうか。 ここにも三宅安兵衛さんの遺碑があります。 生け垣の枝に隠れてはっきり読めませんが、
【正面】紅葉寺宝青庵
【背面】昭和二年 京都三宅安兵衛依遺志建立
【右面】向て右 涙川一丁半
【左面】左り 八角院一丁
この先、少し行ったところで、旧東高野街道と合流します。 車も多いし、結構、疲れたので、このあたりで引き返すことにしました。 帰りは、丘陵地を登り切って、尾根沿いの男山団地内を歩いて帰ったので、見るべきものはなく、ただ、スタコラサッサと歩いたのみです。

2006/02 近隣の見所(松花堂方面-1)
橋本方面-1、橋本方面-2、牧野方面-1に続き、今度は東方向に進路をとり、歩いてみました。 こちらは、男山の丘陵を登った後、急激に木津川周辺の平地まで下りていきます。 標高差100mほどはあるでしょうか、帰りが登りの連続で大変そうです。
最初は、すぐ近くの、山手幹線と樟葉北循環線が交差する「ひかり交差点」のすぐ近くの南東の高台にある、西山廃寺(足立寺)です。 現在は史跡公園になっており、きれいに整備されています。 左下は、道路側から見た、史跡公園のこんもりした森です。 右下は、三重塔跡の説明看板です。 橋本から石清水八幡宮や志水に抜ける道にあったのでしょう。

この史跡公園は、ちょうど梅が開いていました。 曇天で天気はいまいちでしたが、白梅と紅梅が並んで咲いていました。 梅ですから、これで満開近いのでしょうか。

史跡公園内にある、奈良時代の瓦窯跡です。 この足立寺には全体で数万枚が使われたようで、この窯で一度に400枚の瓦を1週間かけて焼き、そのうち20%は不良だったそうです。 天井は、焼きあがった瓦を取り出すときに壊したままになっていたそうです。

同じく、史跡公園内にある、八幡宮社僧の豊蔵坊信海(覚華洞信海)と伝えられる墓です。 もともと画が得意で、晩年の昭乗門人として書を学び、また狂歌に堪能で、昭乗の交友小堀遠州について茶道をよく知る者として世間に名声を博したそうです。 元禄元年9月13日没し、54歳だったそうで、右の古そうなのがお墓だと思います。 左の碑は、三宅清治郎さんが、父、安兵衛さんの遺志をうけて建てた一連の碑の内のひとつです。
同じく、史跡公園内にある、和気神社の鳥居と三宅安兵衛さんの遺碑です。 和気神社とは和気清麿を祀った神社だそうです。
和気神社を出て東に行くと、男山の丘陵を超えたところから急激な下りになります。 左下の写真は新しく整備された道路と、右に分岐する古い道路です。 どれぐらい急かと言うと、遠方から撮った右下の写真で見ていただければ分かると思います。 奥の方のこんもりした山が、石清水八幡宮の山で、その手前の窪んだ所を左下の写真の道路が通っています。

上の分岐を、古い道の方にとって、下っていくと、正法寺と言うお寺があります。 三宅安兵衛さんの遺碑と、「唐門」です。 三宅安兵衛さんの遺碑は本当にどこにでもありますね。
ところで、この正法寺と言うのは、ものすごく大きな寺領を持ったお寺です。 こんなに近くに、こんなに大きなお寺があるとは知りませんでした。 しかも、結構、由緒正しいお寺みたいです。
石清水八幡宮の社家志水氏一族の菩提寺として、建久2年(1191年)に開創されたそうで、それで、この辺りを「志水」と言うのでしょう。 鎌倉時代にすでに多くの堂舎仏閣が建っていたようです。 天文15年(1546年)には、時の天皇の帰依を受けて勅願寺となり、後に、娘亀女が徳川家康の側室となり、尾張徳川家の祖、義直を生んだそうです。 これが縁で、志水氏は尾張徳川家の国家老となったそうで、正法寺は尾張徳川藩の庇護を受ける事になり、この辺り一帯は検地免除の地になったそうです。
三宅安兵衛さんの遺碑には「尾張大納言義直候 母堂相應院殿墓所 正法寺」とあります。
こちらは扉が閉まっているので、塀越しに見た「本堂」とその庭です。 きれいな白砂が敷き詰められています。 ここの松は樹齢400年で京都の名木のひとつになっているそうです。 公開でもあれば、すばらしい眺めなのでしょうが、塀越しなのが残念です。 右下は「鐘楼」で、こちらは建て替えられたのでしょうか、新しい感じがします。

正法寺の説明立札と七堂伽藍の地図です。 たいした規模ですね。 20年近くこの地に住んでいて、こんなところがあるとは知りませんでした。

正法寺の正面入り口と、広大な寺領を囲う長大な塀です。 後方に見えるところが男山の丘陵で、一番高いところは正法寺山とも言うそうです。 この上あたりまでが寺領だそうです。

正法寺を出たところで、旧東高野道沿いにある古い建物と街並み、それに安心院です。 旧東高野道沿いは旧京街道沿いと同じように古い街並みが残っています。

同じく、旧高野道沿いにある古い建物と街並みです。 右の建物は、新しそうですが、作りを古風に作っていますね。

旧東高野道沿いには、古い道標もたくさんあります。 これは、結構、立派な道標です。
【正面】左 東在所道 戸津八丁 内里十五丁 岩田渡船場廿五丁 寺田一里半 下奈良渡船場廿二丁 宇治二里
【背面】昭和二年十月 京都三宅安兵衛遺志建之
【右面】左 京街道 御幸橋廿丁 鳥羽三里 淀一里半 伏見二里半 東寺四里廿丁
肉屋さんの前にあります、やはり、三宅安兵衛さんの遺碑です。 京街道と言うのは間違いだと思います。 あまりにたくさん作りすぎて、間違えたのでしょうか?

これも、旧東高野道沿いにある三宅安兵衛さんの遺碑です。
【正面】水月菴
【背面】昭和二年建立 京都三宅安兵衛遺志
【右面】向て右 北 八幡宮本社十丁 京阪八幡停留所廿丁 西幣原水月庵八丁 招提十八丁 枚方二里
【左面】向て左 美濃山八丁 長尾停車場一里 四條畷三里
古い道標を見ていると、面白いですね。

これも、旧東高野道沿いの道標です。 最近作られた非常に新しい道標と、民家の塀の中に取り込まれた橋本への近道を示す古い道標、それに、松花堂庭園旧門前にある車塚古墳址の碑です。 旧東高野街道を挟んで東側に東車塚古墳、西側に西車塚古墳があり、合わせて車の両輪になるそうです。 松花堂庭園はこの東車塚古墳を築山に利用しているそうです。

これは、松花堂庭園の旧門と、広大な松花堂庭園を取り囲む長い塀です。

これも、松花堂庭園の旧門前にある説明の立て札と大きな碑です。

こちらは、綺麗に整備された、現在の松花堂庭園の正門横にある大きな碑と、外から覗き見た松花堂庭園の一部です。 十数年前に訪れたときは、古い建物で、駐車場も竹藪を切り開いただけの様な土埃のたつ駐車場でしたが、あまりに綺麗に整備されて、見違えました。

こちらは、旧東高野道が現在の幹線道路と交差するところにある、結構、立派な岡の稲荷社の碑です。 これも三宅安兵衛さんの遺碑です。
【正面】正平七年役 神器奉安所 岡の稲荷社
【背面】文学博士西田直二郎書 昭和二年七月 京都三宅安兵衛依遺志建之
【右面】右 高野街道峠十五丁 野崎四里 津田二里 柏原六里 従是高野山至ル
【左面】左 奈良街道 美の山十丁 大住一里 松井廿 薪一休寺
八幡宮門前の人家をようやく離れ、八幡出口の目印ともいうべき東西両車塚を越えると、いよいよ本格的に高野への道と言うところでしょうか。

松花堂庭園をあとにして、旧東高野道を離れ、現在の幹線沿いに、西向きに男山方面へ登り切ったところに、「さくら公園」があります。 桜の季節には、公園全体が桜で覆われて、それはすばらしい眺めです。 ここには、何度も桜を見に来ています。

2006/02 近隣の見所(牧野方面-1)
橋本方面のWalkingも逆方向に行ったりもしましたが、さすがに飽きてきましたので、方向を南向きにとって、旧京街道に沿って牧野方面に歩いてみる事にしました。
まずは、すぐ近くにある交野天神社ですが、何度も来ている割には詳しく見たことはありませんでした。 これは入り口にある碑ですが、樟葉宮なんとかと書いてあります。 道標もたくさん立っています。

大きな鳥居をくぐって突き当たりを左に曲がると本殿があります。 正月には、この道にたくさんの出店が出ますが、今の時期はひっそりとしています。

本当はこれが本殿ですね。 先ほどのは、前の間と言うか、神楽殿と言うのでしょうか。 この本殿は、国の重要文化財だそうです。

本殿の右脇に入ると、鬱蒼とした森に入ります。 ここを進んでいくと、継体天皇の樟葉宮跡に立てられた貴船神社に行き着きます。 今、枚方市では、継体天皇即位1500年のイベントが行われていて、この辺りも、急にクローズアップされています。

貴船神社と継体天皇樟葉宮跡伝承地を説明する立て札です。

これも、継体天皇樟葉宮跡伝承地を伝える碑です。 右下の碑は「大阪みどりの百選・樟葉交野天神社の森」と記述されています。 住宅開発が進んだ今となっては、この森は貴重な緑となっています。

さて、交野天神社を後にして、淀川のほうに下りていくと、延壽寺があります。 古い家並みの中にある小さなお寺です。 更に進んで旧京街道に突き当たった辺りに、4階建てのアパートと背比べするぐらいの大きな楠木があります。 楠葉というだけあって、結構あちこちに、大きな楠木が残っています。

こちらは、旧京街道から少し淀川沿いに離れた壽辨財天ですが、ここにも樟葉宮址の碑があります。 右下は、京阪の線路下まで食い込んでいる、木の切り株です。 「宮跡」と書いてありますので、昔は、この線路に食い込む形で、お宮があったのでしょうか? そのお宮の大きな木の切り株で、京阪電車の線路の盛り土もこの部分だけ避けて造られています。 萱島駅のホームを貫く大木も有名ですが、京阪と言う会社は意外に信心深いのですね。

こちらは、旧京街道の町楠葉辺りの曲がり角です。 右下の写真で、北のほうから来た旧京街道が、この真ん中の京街道の碑のところで、西に曲がり、淀川の堤防に上がっていきます。 左下の突き当たりの京阪電車が走っているところは、昔の樟葉駅の跡です。 ちょうど旧京街道の突き当たりに駅があったのでしょう。 当時は、電車が着いても乗り降りする人はゴルフ場に来る数人程度と言う小さな駅だったようです。 大阪万博の年に、樟葉ニュータウン計画と共に、南300mほどの現在の位置に近代的な駅ができ、住民の増加と共に現在のような乗降客の多い駅になったようです。

その新しい樟葉駅から淀川方面に出たところにある樟葉パブリックゴルフ場です。 バブルの時代には、予約を取るのに、学生アルバイトを使った予約屋が徹夜で並んで、大きな問題になった事もありましたが、今ではそんな事もなく予約が取れるようです。 右下は、樟葉駅前の高層マンション群と、移転してきた、時計台のある大阪歯科大学です。 旧京街道は先ほどのところから、この堤防上に出て、南下します。

堤防に上がって、旧国道1号に沿って、旧京街道を南下していくと、樋之上町辺りで、旧国道と別れて古い道に入りますが、すぐに船橋川に突き当たります。 橋が無いので、旧国道まで戻って橋を渡ります。 そして、また旧京街道に戻ったところに、この地蔵さんと道標があります。 もう、結構な距離を来て疲れたので、東に折れて戻る事にします。 京阪をくぐる直前に右下の成雲寺があります。これも小さなお寺です。
ここから、樟葉に向かう新しい道路に沿って戻っていきますが、さすがに、新しく開発された住宅地ばかりで、見るべきものはありません。 北部支所、樟葉中央を抜けて、南楠葉に入ったところに、こんなものが残されていました。
水屋(みずや)と言うのだと思うのですが、淀川の洪水から穀物を守る倉庫とした使われ、洪水の時には生活の場としても使われたものだと思います。 淀川が氾濫するとこの高さまで濁流が押し寄せたのですね。 ただ、これだけのものを作るのですから、相当裕福な農家だったのでしょう。 現在は、マンションの敷地の中に、この水屋とその周りの石垣だけが残されているようです。

更に戻って行くと、交野天神社の少し手前に、昔の鏡伝池を整備した「市民の森」公園があります。 右下の通路みたいなところには、夏になると水が流され、多くの子供たちが水遊びに来ます。

園内には季節の花が植えられており、花ショウブは特にきれいです。 平安時代には、この鏡伝池付近に貴族たちが遊猟に訪れたそうで、そのときに読まれた詩がたくさん残っているようです。
くもらしな真澄の鏡影そふる
楠葉の宮の春の夜の月 関白左大臣 藤原実経
(続古今和歌集)

2006/02 近隣の見所(橋本方面-2)
数日前から、Walking を始めているのですが、さすがに、毎日、同じコースを歩いていたら、飽きてきました。 何事も、「行き詰ったら、色々な角度から検討しなおしてみよう。」 とは、よく言われますが、「しからば」 と、コースを逆に歩いてみました。 更に、ちょっと、あっちに寄り、こっちに寄りと、いつものコースから外れて寄り道しながら歩いてみました。 おかげで、お寺や神社も更に色々と発見できました。 やはり、物事、色々な角度から見てみるものですね。
最初は、ほんの近くにあるのに、車ではなかなか近づけない入り組んだ細い道だったので、行ったことはなかったのですが、講田寺と言うお寺です。 入り口の階段脇にある碑銘がすごいですね。
室町時代に、淀川の治水工事で沿岸の人々が人柱となり、多くの犠牲者が出たそうです。 この犠牲者の家族が尼となって長柄と言う橋の古材で地蔵尊を彫って供養をしたと伝えられているそうです。 講田寺内に、小さなお堂があり、その中に古木の微笑をたたえた地蔵尊が安置されているそうです。 この地蔵尊は笑地蔵尊と呼び、水難除け、交通安全、安産などの御利益があると伝えられているそうです。
全て、説明書きの受け売りですが、昔は「人柱」が犠牲になることによって、多くの人が救われると信じられていたようですね。 危険を伴う大工事には結構犠牲になった人がいたようです。
更に、少し先に行ったところに「猿田彦神社」がありました。 手前の建物は閉まっていましたが、奥にまわってみますと本殿がありました。

この本殿を挟むように両側に岩がありました。 「夫婦岩」と言うそうです。 「南岩倉」と言う立派な道標も建っています。 元々、この二つの岩があって、その真ん中に本殿を建てて祀ったのでしょう。 表から見ると、奥にこんな岩があるとは思いませんでした。

更に進むと、鬱蒼とした竹林がありました。 もう少し経つと筍の収穫時期になるのでしょうか? それとも、この竹林の持ち主がまじめなのでしょうか? 竹林の地面が綺麗に手入れされています。
この梅も咲き始めています。 梅を見ると何時も思うのですが、まだまだ寒いとは言え、春は確実に近付いているのだなあと思います。 冬の寒さの中に、こうした「春」を見つけると、心がワクワクしますね。

2006/02 近隣の見所(橋本方面-1)
久しぶりの「旅先通信」です。 しばらく出掛けていません。 出掛けると言えば、孫を見に娘の家に行くか、セミナーを聞きに大阪市内に行くかぐらいです。 ところで、数日前から、Walkingを始めているのですが、1時間から1時間半のWalkingですので、全行程5〜6km程ですが、近くに意外といろいろなものがあります。 以下に、ここ数日で発見した近隣の、神社、仏閣、道標、季節の花、展望台からの景色などをまとめてみました。
まずは、楠葉の自宅から、橋本の高台のほうに歩いていき、あらかし公園(超ローカル地名!ここの展望台からは淀川から大阪方面が一望できます)を超えて給水タンクのあるところまで行くと、ほぼ、標高差90mほどあります。 結構きつい登りです、この冬の寒いときでも、暑くなって、薄っすらと汗ばんできます。
左下の写真は、あらかし公園の展望台からの眺めです。 淀川のむこうに摂津の山並みが見えています。 右下の写真は、この展望台まわりの岩の塊の様子です。 一部ではロッククライミングが出来そうな岩壁になっています。

同じく、展望台からの眺めです。 生駒山は霞んでいます。 その左は交野山から北へ延びる生駒山脈です。 右下は、ゆったりとした淀川の流れです。

同じく、展望台側からの眺めですが、摂津から北へ、対岸の山崎にあるS社のウイスキー工場です。 二つ屋根の建物は有名ですね。 右下の写真は天王山辺りの山並みです。 ここから右に下ったところが大山崎です。

さて、この展望台から一気に淀川脇の京阪橋本駅まで降りて行きます。 標高差120mほどはあるでしょうか? 結構、急斜面です。 ひざを痛めないようにゆっくり降りて行きます。
これは、途中にある、狩尾(とがのお)神社です。 周辺が開発されて、住宅で囲まれてしまって、残された孤島のように、ぽつんと絶壁の上にあります。鳥居の後ろにある階段はすごく急です。 35〜40度ぐらいの傾斜があるのではないでしょうか。 ちょうど中間に踊り場がありますが、右下の写真は、その踊り場から見た上側の残りの階段です。 両側に何もないので、登るときは良いとして、下るときは、真ん中の手すりを持たないと、ちょっと怖い感じです。

左下は、階段を上ったところにある神楽殿というのでしょうか?正式名は知りませんが、本殿の手前にある建物です。 そして、この建物の後ろに、右下写真の本殿があります。 結構手入れが行き届いていて綺麗でした。

こちらは、途中で見た花・実です。 左下は、何という名前でしょうか? 柊に似た葉っぱに大きな赤い実がたわわに実っています。(【補足】「季節の花300」で調べたら、柊黐(ひいらぎもち)みたいです。 そう言えば、クリスマス飾りにも使われているようです。) 右下の写真は、早咲きの梅です。 手前の葉っぱが邪魔ですが、きれいに咲いていました。 いずれも、他人の家の庭に咲いているものです。

こちらは、何でしょうか? これも、枝一杯に実が実っています。(【補足】「季節の花300」で調べても良くわかりません。 「がまずみ」と言うのが似ていますが、葉っぱが全然無いので良くわかりません。) 右下は、エジソン電球で有名な「八幡の竹藪」です。 住宅地のほんの近くまで竹藪があります。 と言うか、竹藪を切り開いて、住宅を造ったと言うのが正解でしょう。

さて、住宅地を下って、橋本駅まで降りると、駅の近くに感應寺と西遊寺がありました。 中を覗いてみましたが、いずれも玄関の庭までで、中には入れないようでした。

更に、橋本駅前にはこのような道標がありました。 この道標は、三宅清治郎さんと言う方が、父、安兵衛さんの遺志をうけ、京都市内から八幡市、宇治市、京田辺市、精華町、井手町、山城町、加茂町にわたる広範囲に建てた400を越える道標の内の一つだそうです。 昔の金持ちは、自分の金を地元の役に立つ立派なことに使われていたのですねぇ。
【正面】湯澤山茶久蓮寺跡「ゆたくさんちゃぐれんじ」
【裏面】昭和二年十月 京都三宅安兵衛遺志建之
【右面】(裏側で写せませんでした)京大坂街道 右 八幡御幸橋八丁 左 樟葉八丁 南 志水近道廿丁
【左面】橋本渡舟場三丁 山崎停留所十丁 柳谷観音一里廿丁 長岡一里 粟生一里半 善峯二里
秀吉にお茶を出したことから、このお寺の名前が付いたそうです。 現在の京阪の軌道上にあったそうですが、1813年に焼失したようです。 また、この道標の建立された昭和2年には、まだ淀川の対岸まで渡し船が有ったようで、「山崎停留所」と言うのは対岸のJR山崎駅のことだと思います。

西遊寺の前にある「八幡市観光案内図」の看板です。 右下は、京街道沿いの旧橋本遊郭跡の古い家並みです。 ここは戦争で焼けなかったようですね。 昔の建物がいくつか残っています。

左下は、ほぼ原型を留めている格子戸です。 右下も同じく、原型を留めている二階屋です。 旅籠だったのでしょうか? 時代劇に出てきそうな面影ですね。

橋本遊郭跡からは平坦になります。 田圃の中のあぜ道を楠葉方面に向かう途中に久修園院が有りました。 学校並の広い敷地を塀で囲った結構大きなお寺のようです。 看板を読むと、昔はもっと強大な勢力を持っていたお寺のようです。 別格本山となっていますが、総本山とどう違うのでしょうか?

田圃を抜けると、楠葉の住宅街に入ります。 最後に、我が家まで高低差約30mほど登って終わりですが、その途中にこんな道標が有りました。
右の道標
【正面】八まん (これより下は埋まっている)
【右面】寛政元 (これより下は埋まっている)
左の道標
【正面】右 志みづ(?)、 左 八まん宮 (これより下は埋まっている)
【左面】文久二 壬戌 年四月 再建 (これより下は埋まっている)
寛政元年を調べてみますと、1789年で、江戸幕府が始まってから186年目の江戸後期、将軍は徳川家斉の時代で、松平定信が「寛政の改革」を行った時代です。 一方、文久二年を調べてみますと、1862年で、明治維新の5年前で、右の道標が建立されてから73年後に再建されているようです。淀川の洪水で埋まったからなのでしょうか。 その再建した道標もかなり埋まっています。 再建後も淀川の洪水が絶えなかったのでしょう。 左の道標の「志みづ(?)」は橋本駅前の道標に出ていた「志水」だと思いますが、どこでしょう? 現在の地名でそんな地名は思いつきませんが。(【補足】現在の松花堂庭園旧門前に「志水月の岡前の碑」と言うのがあるのと、松花堂庭園の北側にある郵便局が「志水局」と言われているので、この辺りが「志水」の集落であったようです) 「八まん宮」は石清水八幡宮の事だと思います。 先ほどの京街道から500mほど離れたところにあるので、京街道からそれて、ここで道が分かれていたのでしょうか?
