彼の誕生は由井正雪の乱の前年,1650年の11月14日(わたしよりちょうど300年前に生まれてる.当方は12日だけど).落馬がもとで亡くなったのは元禄繚乱四十七士が討ち入った1702年.
連合東インド会社などを通じてオランダの黄金の世紀をリードしたホーラント州の門閥貴族(レヘンテン, regenten)にとって,軍事力と大衆の人気を独占するオラニエ家の総督は所詮目の上のたんこぶ的「必要悪」なので,ウェストファリア条約で連合共和国が国際的に承認されると,さっさとクビにしてしまいます.総督(スタットハウダー, stadhouder)とは共和国時代にあっては大統領のようなもの.その後1650年から1747年まで無総督時代があって「真の自由の世紀」(Eeuw van de ware vrijheid)と呼ばれていますが,その時代の真中で例外的に,といっても1672年から30年にわたって,総督を勤めたのがこのウィレム3世です(後醍醐天皇の建武の中興みたい).
それというのも例のフランスの太陽王,歩く絶対王政のようなルイ14世がオランダに侵入し,2度の英蘭戦争を経て対蘭感情があまりよくないイギリスもこれに同調し,ことのついでにドイツのカトリック勢力であるケルンとミュンスターまで加わって,連合共和国が四面楚歌の状態になったため.こうしてホーラントが自ら国土を水浸しにして籠城に入ったのが,後に「厄災の年」(ランプヤール,rampjaar)と人の呼ぶ1672年.
この90年ほど前の1584年に彼の曾祖父ウィレム沈黙公がスペイン王の刺客に暗殺された後も,現代のロシアとアメリカを合わせたみたいな超軍事大国スペインを向こうに回して,低地諸国はもちろん世界の七つの海を舞台に戦ったちっぽけな反乱軍,といえばもうスターウォーズの世界.デ・リーフデが日本に漂着したのもこんな闘争の中のひとこまだし,いまとなっては信じられないことながらオランダ人は降伏より死を選ぶと恐れられていた.沈黙公の息子でそのネーデルラント反乱軍の頭領だった戦上手の兄弟マウリッツ公とフレデリック・ヘンドリック公.彼らを大伯父と祖父にもつウィレム3世も合戦が上手な遺伝子をもっていたらしく,レヘンテン支配のもと無役だったものの民衆の圧倒的支持を受け,総督に推戴されます.かくて立ち上がったウィレム,22才.
彼の活躍で無敵ルイ14世のフランス軍もついに挫折.まずイギリス,ケルン,ミュンスターが連合共和国と講和を結び,数年後フランスもこれに続きます.
ちょうどこの100年前の1588年,ヨーロッパ最強をうたわれたスペインのフランドル派遣軍をエリザベス女王のイギリスに渡海上陸させようとした無敵艦隊アルマダ130隻の墓場と化し,またこのときから100年少々を経てナポレオンが果たせず,ヒトラーのドイツも失敗したイギリス上陸作戦.しかしこのときウィレム3世率いるオランダ軍の前に立ちはだかるものはいませんでした.
かつてマーストリヒトが落ち,ナイメーヘンが落ち,ユトレヒトが落ち,北部諸州も占領されるという亡国の危機に,22の年で太陽王ルイ14世のオランダ侵攻を挫折させたウィレム3世は,このとき38才.大陸の覇権をスペインから奪い取ったフランスを押さえ込もうとする欧州諸国の合従連衡の中心人物に成長しています.カトリック教徒のため英国王としては議会と国民の評判がいまいちのジェームズ2世がヨーク公だった時代に,その娘メアリと結婚していたウィレムが気にしていたのは,カトリックのフランスと結
びそうになるジェームズ2世の外交政策.イギリスを予防占領して味方につけてしまうのがはやみちと決断し,二週間で動員を完了させました.
国王軍との衝突を避け,ゆるゆるとロンドンに近づくうちに王も軍もさっさと逃走してしまい,オランダ軍はロンドンを無血占領します.
「英国議会がジェームズ2世の娘婿ウィレム3世を招いてイギリス国王になってもらった」という触れ込みで,のちに名誉革命というプロパガンダで知られるようになるこの事件.オランダがイギリスを反フランス同盟にしっかりとつなぎ止めると同時に,ホーラントのレヘンテンにしてみれば近くに居てくれると煙たい無冠の王,総督ウィレムに海の彼方に出張してもらい,イギリス議会もプロテスタントの国王を前王の身内からリクルートでき,あとは関係者みんなの顔が立つようなプレス向けのストーリーをでっち上げるだけだったのですが,馬鹿を見たのは王座を追われたジェームズ2世と,美味しそうな餌を目の前にしながら手が出せないフランスと,強敵が隣に引っ越してきたアイルランドのカトリック教徒たち.今でもニュースでオレンジ党が北アイルランドの街頭を示威行進しているのを見ることがあるのはご存じのとおり.
[長谷川輝夫ほか著,「ヨーロッパ近世の開花(世界の歴史17)」などに基づいて記述しました]
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