Author: Yasuaki Kobashi, All Rights Reserved
Date : 2003/02/22 (created)

書評 「鹿児島異国ロマンの旅」(宮澤眞一著・高城書房出版)

1993年に鹿児島で出たいわゆる地方出版のこの本を貸して下さる人がいて,地下鉄の中で読み終わりました.鹿児島の医師石神良策の妻はシーボルトの娘(注)だとアーネスト・サトウが「一英国外交官が見た明治維新」に書いているとか.

注)シーボルトの娘とくればイネさんでしょう.余談ながらイネは稲なんでしょうが,オランダにも イネ,イネケ(Inneke)という女性の名前はある

出島からせいぜい江戸まで旅したオランダ人には薩摩は方向違いだったのかも知れないし,この本に出てくる「異国ロマン」も薩英戦争なんかを通じて縁が深かったイギリスとの関係が主なのですが,それでもポンペやカッテンディーケは勝海舟の案内で島津斉彬公に会いに行ったというし,大隅海峡は明治初年までヴァン・ヂーメン海峡(van Diemen Strait)として西欧では知られていたらしい.連合東インド会社のファンディーメン総督は,1639年に徳川幕府が鎖国を完成させようとしたとき,バタフィアから幕府に抗議の書簡を送り,「オランダ人の渡航目的がポルトガル人のような布教にあらず,平和的な交易だけである」と説いて,出島によるオランダ人の対日貿易独占に貢献した(pp.71-72).何だこの人がその,という感じ.アムステルダム中央駅から北西の方向に探検家や航海者の名前をつけた通りが集まった一角があります.バーレンツ街とか.そこにファンディーメン街(van Diemenstraat)もある.

「それから志布志湾にタズマン湾(Tasman Bay)という地名を付けた英国製地図も見かけます。タズマンとは誰のことかわかりません(p.73)。」

ファンディーメン街をてくてく西に向かって歩き,ウェスター運河を過ぎると名前がタスマン街(Tasmanstraat)に変わります.アーベル・ヤンスゾーン・タスマンは17世紀最大の探検航海者とも評されるオランダ人.1642年から43年にかけての航海では,ファンディーメンに新交易地開拓と南アメリカへの安全ではやい航路の発見を命じられ,現在のタスマニア島を「発見」,ファンディーメンスラントと名付けた.このときついでにニュージーランド南島,トンガ諸島,フィジー諸島なども「発見」しています.

鹿児島の知覧町上別府にはオランダ踊りという観光名物があるそうで,明治23年(1890年)の第一回衆議院総選挙の時に客寄せとして発明されたものだとか.選挙運動の一種.山高帽に黒縁眼鏡,白いあごひげ,黒の背広にワイシャツ,ネクタイ,白手袋とくれば気分はすっかりオランダ人.仕上げに革のブーツに見立てた黒いゴム長靴を履いて踊り狂うらしい(pp.87-88,p.92に写真).

オランダとは関係ありませんが,薩英戦争の時にイギリス艦隊が鹿児島の町を焼いたことについてイギリス本国でも抗議活動があった,など普通の歴史書には出ていないことがいろいろわかるのも,こういう地方出版書の魅力です. (小橋康章, 2000, 2003)


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