プログラム(カッコ内は担当者) 1. 主旨説明(小橋康章) 2. 支援基礎論研究会の紹介(飯島淳一) 3. 制約論の要旨(橋田浩一) 4. 問題解決における支援と制約 ・支援状況を形式化する手段としての制約(難波和明) ・制約としての企業文化と支援(村田潔) ・「制約」と「支援」−意思決定支援システムの観点から(飯島淳一) 5. 発想における支援と制約 ・デザイン発想支援における制約と支援の問題(野口尚孝) ・ケーススタディ:発想法としての決定支援(小橋康章) 6. 目的がない世界における支援と制約 ・目的のない世界と支援(山本匡) ・脱管理と支援(今田高俊) 7. 全体討論(菊池光昭) 8. コメント/感想(橋田浩一) 小橋 それでは,橋田さんの方から制約論の要旨ということで、チュートリア ルをお願いします。 橋田 電総研の橋田です。支援と制約の接点についてワークショップをやろう というお話だったんですけれども、実はそこでどういう接点があるのかよくわ からなかったんですが、とりあえず制約論とは何かということをかいつまんで お話ししまして、その後の議論を通じてお互いに学ぶところがあったらうれし いなと思っております。 制約というときに、いろいろな見方があって、おそらく要点は3つぐらいあ ると思います。 ひとつは、制約という言葉自身に物事を制限する、せばめるという意味合い がありますけども、せばめようということがポイントなのではなくて、「制約 しかない」ということがポイントだということなんです。どういうことかとい うと、アルゴリズムというのは、具体的な問題があって、その問題を解くため の一定の手順を指すわけですけども、その手順を具体的なタスクに依存する具 体的な形では与えない。そういうタスクに依存するアルゴリズムを排除すると いうのが、「制約しかない」ということです。だから、どんどん制約を加えて いこうということを言っているのではなくて、具体的なドメインの知識を制約 として宣言的な形で与えれば、あとは一般的な制約処理アルゴリズムによって 問題が解けるという非常に虫のいい話です。 それから2番目に、生体が世の中で物理的な行為をするというのは、入出力 を行うということなんですが、入出力というのは、情報の流れの向きを含む概 念ですから、そういう概念は制約というかたちの設計の中に表れないというこ とになります。したがって、ある制約のどの部分が生体の内部のメカニズムに 負っている部分で、どの部分が環境において生ずる出来事に負っている部分か ということは、一概には言えない。そういうことは制約には現われない。そう いう意味で、自己と外部環境の間の境界というのは相対的だということがもう 1つの重要な点です。 3番目は複雑性の話です。そもそもどうして制約なんか考えるのか。つまり 具体的なレベルのアルゴリズを排除しようと思ったかということですね。それ は、そういうことをやろうとすると複雑になるからです。具体的なアルゴリズ ムによって、生体の行為とか認知過程を説明なり設計しようとすると、非常に 複雑になって、人間の理論家あるいはプログラマの手には負えない、というこ とです。そればかりか、おそらく生体の神経系あるいは生理的メカニズムによ ってそういうプログラムをコーディングするのは不可能です。たとえば自然言 語の文を解釈しようとすると、その解釈の過程はいろんな情報に依存するわけ ですね。いろんな情報というのは一般に文脈といわれているわけですけども、 文脈を構成するのは、いろいろな命題の真理値、つまり世の中のあらゆる命題 の組み合わせが文脈を構成する。そのあるゆる情報がひょっとしたら、今、行 なおうとしている行為の決定に関与してるかもしれない。 たとえば「水ちょうだい」という文を聞いたときに、その文の理解は、話者 が台所にいるという命題の真偽に依存しますね。つまり台所にいて「水ちょう だい」と言ってれば、おそらく飲料水を欲しているのであろうというふうな解 釈になるわけですけども、もし話者が花瓶を手にもってそういうことを言って いるという命題が真であるとするならば、彼あるいは彼女が言う水は別に飲料 水じゃなくて、ちょっと汚なめの水でもいいという具合になるわけです。そう いうふうにいろんな文脈によって「水ちょうだい」というリクエストをうけた 人が行なう行為は違ってくるわけですけれども、その文脈を構成するのは、発 話者が台所にいるかどうか、あるいは、花瓶をもっているかどうか、というよ うな、あらゆる命題があって、その命題がもしもn個あったとすると、この 「水ちょうだい」という発話を解釈するときに、関係の解釈すべき文脈の多様 性というのは、オーダーで2のn乗以上ということになるわけです。このnと いうのが、どれぐらいの数にのぼるかというと、すくなくとも我々の概念の個 数ぐらいにはなる。国語辞典のエントリーの数にはなるわけです。 こういうふうに、いろんな命題の真理値に関する情報が得られているかどう かということの組みあわせが文脈を構成するわけで、それが、文の解釈のみな らず、我々の行為の決定に関与するわけです。で、そういうふうにして決定さ れるべき行為をですね、その文脈をいろいろ分類することによって、入出力関 係として規定するのがアルゴリズムであります。そのアルゴリズムの中味を、 文脈の種類に応じて真面目に書きつくすのは不可能です。 自然言語処理の話をもうひとつしますと、音声が与えられて、それを音声認 識という手続きにかけて、その手続きの出力に対して次はいわゆる統語解析を しまして、意味の解釈をして、一般的な推論をやって、それに基づいて文章を 組み立てて、答えを出力をするというふうなのが、ごくありきたりの自然言語 処理システムのアーキテクチャだったわけですが、これだと非常にまずい。ど こがまずいかというと、こういうふうな一定の処理の流れにコミットしてしま っているという点がまずいわけです。実際にはですね、音声認識とか統語的な 解析をやるときにすでに、意味的な情報とか、社会的な上下関係とかいうふう なことを考えないといけないはずなんですけども、それは、このアーキテクチ ャでは考慮されていない。ロボットに関しても同じ様な議論ができるわけです が、クラシカルなロボットは、センサーリーディングがあって、それをパター ン認識にかけて、それから外界のモデルを作って、プランを行って、タスクを 構成して、実際に動作制御の命令を出してモーターを動かすということをやっ てるわけで、これに関しても同じ様な問題が起こります。 昔はどういうことを考えていたかというと、システムというのはコンピュー タシステムでもいいですし、生体でもいいですけど、システムのなかに、知識 表現形式というのがあって、その表現形式が外側にある世界を表現している。 この形式をいろいろいじってこの上で推論することによって、予測を行ない、 それに従って自分の行為を決めていく、というストーリー。それに対して、制 約というのは入出力の概念がないですから、システムの内部ではなくて、シス テムを含む世界の一部分において制約が成り立っているということになります。 これだとあまりにも何のことかわからないので、もう少しこれをインプリメン テーションレベルに近づけるようにすると、おそらくこうなるんです。さきほ どある文脈では制約のこの部分がシステムの内部での出来事に相当していて、 別の文脈では制約の別の部分がシステム内部に相当するいうふうに、制約にお けるその認知主体の内部と外部が流動的であるという話をしましたけれども、 そこまで一般的にインプリメントしようとすると、制約の一部をシステムの内 部の電子回路として、コンパイルして固定してしまうとかいうわけには行かな い。 環境というものを、単なる外部環境ではなくて、他者の認知も含むというふ うに考えると、ある認知主体と別の認知主体の間の協調関係、協力関係という のが理解できるんではないかということで、おそらくこのあたりから支援とい うことにむすびつくような気もするんですが、それはこの後を聞いてみないと わかりません。こういうことが、どの程度フィージブルであるのかということ に関しては、まったく経験科学上の問題なのでこれから確かめていくしかない わけでありますけれども、まず制約という考え方がそもそもフィージブルなの かどうか、つまり具体的なタスクに依存しない一般的なアルゴリズムだけで、 いろんな具体的なタスクを効率的に実行できるのかというと、それはやってみ ないとわかりません。今のところいえるのは、これに対する明らかな反証が知 られていないということであります。 実際に工学的にそういうふうな一般的な制約処理アルゴリズムが可能である かということに関しては、いろいろ事例をしらべてみると、そうまんざら無理 そうでもないなと思っています。情報処理の制御をするときには、問題空間を ばっさり切って探索空間を効率よく狭めるような処理を優先的にやるというの がいいわけですね。いろんな効率のいいアルゴリズムを見てみるとそうなって いるわけです。だから、一般的なアルゴリズムというのは、おそらく考えられ るのではないかというふうに思っています。そういうわけで、制約論なるもの を私は有望視しているのですが、この話と支援の話とどう結び付いていくのか ということについては全く未知数ですので、よろしく御願いします。これで、 私のイントロダクションを終わらせていただきたいと思います。 小橋 どうもありがとうございました。ひきつづきまして、特に司会というの は設定してませんけども、だいたい予定に書いてある通りに、あとは自己組織 的にやっていただきたい。難波さん、どこでもいごこちのいいところでやって いただければと思います。 難波 東京理科大学の難波です。支援というのは、人がいて、人がある目的を 達成しようとしている。それに対してもう一人別の人がいて、その人は、達成 しようとしている行為自体を手助けしようとしている。僕は、支援というもの をそういうふうに考える。一人の人が自分の目的を達成しようとしている、そ れに対して別の人がその達成しようとしている行為を手助けするのが支援じゃ ないかという考え方なんです。目的自体はあくまで支援される人の目的が問題 なんですね。支援する人が、この人の目的をいじくっちゃうと非常に変なこと になる。というように、支援する人が支援される人の達成しようとしている目 的を設定するとしたら、それはまさしく管理になっちゃうんじゃないかという ことなんです。ですからそもそもこの支援のことを考えるなら管理から支援へ ということで考えなければならない。 それから、例えば石を動かそうと思って一緒になって石を動かしていたら、 それは支援にならないんじゃないか。それはもう共同作業になっちゃうんじゃ ないかと思うんです。援助という場合、共同作業にどこまで援助が含まれるの かということなんだけど、支援というのは、やることが違うんじゃないかなと いう気がするんですね。同じ方法でやるんだったら、それは支援じゃなくなっ ちゃうんじゃないかなということですね。 支援ということを考えるときに、当然、意思決定ということが入ってくると 思うんですけども、意思決定を考えると状況というのが非常に問題になります。 とりまいてるある状況のもとである一人の人が目的を達成しようとし、それを もう一人の人が支援するわけですから、状況というのは支援という行為に影響 すると思うんですね。支援ということを形式化しようと思ったら、その状況と いうものをどうやって形式化するかというのがものすごく大きな問題になると 思うんです。いろんなことがあると状況依存性とか、状況のせいにするしかな いことがたくさんあるんですけど、状況そのものはどうかというと全然わかん ないんですね。何をもって状況といっているのか、よくわかんないんです。そ の時に、制約という考え方で、状況を形式化できるとしたら、それはもう正し く希望の星じゃないか。ただ、問題をあげるとするとですね、制約ということ で状況が全部示されるのか、制約以外の状況っていうのはありえないのか、文 脈は全部制約なのか、制約以外の文脈はありえないのか、ということはひとつ、 考えなくちゃいけないかなという気がします。おそらく、かなりの部分ってい うのは制約に置きかえられるんじゃないかと思うんです。 世の中に制約はそもそも存在してるものじゃないと僕は思うんです。何か行 動をおこす、ある目的があってある目的のために行動おこそうと思うと、それ に従って制約がしゃしゃり出てくる。関係ある制約が初めて機能するわけです ね。何もしなきゃ何も制約がないわけですから、この行動し始めて、初めて制 約というのは出てくるわけですから、このへんのとこは、状況を定式化すると きに制約ということを考えると、なんか関係してくるかもしれないということ は感じています。以上です。 (支援、管理、援助、共同作業という分類をし、支援を強調する意味があるの かという質問に関して議論) 小橋 じゃ交代しましょうか。村田さん、お願いします。 村田 明治大学の村田です。制約と支援というテーマでどのような話をしよう かと考えたんですが、私が興味を持っております企業における意思決定という ことに関して、あるいは、組織設計にからめて、話をさせていただくことにし たいと思います。 現在の企業というのは、環境の絶え間ない変化、そして複雑で不透明な環境 に直面しているといわれています。そうした話の流れから、企業において組織 メンバーが創造性を発揮するいうことが望まれているといわれています。この 創造性を発揮するということによって環境への適応を図る、あるいは環境を自 ら変革するというような議論がされているんですけれども、創造性、創造性と いうことを強調し過ぎますと組織内のメンバーの行動そのものが野放し状態に なる。これは、許されないことなんですね。創造活動そのものは結果を見てみ ないとどうこう言えないという側面がかなりありまして、創造性を縦横無尽に 発揮しろというほど余裕のある企業はまず存在しない。そこでは、当然、その 企業の目標であるとか、あるいは企業ミッションということが課せられていて、 その範囲内で創造性を発揮するということが期待されています。ただ、この企 業目標、企業ミッションということを逆に強調いたしますと、完全にその組織 メンバーの行動をこと細かにマニュアル的にコントロールするということにも なってしまうわけです。 もともと人間のコントロール能力というものに限界があるのと同時に過剰な コントロールが創造性になじまないという面がありまして、こうした自由を前 提とした創造活動と、企業の目的というものとどううまく折り合いを付けるの かということ、これはかなり大きな問題であると考えられます。この問題を実 際にどのように解決していくかということを考察するに当たって、現在高い成 長性が認められ、また高業績を上げ続けている日本企業というものを題材とし て取り上げてみると、そこには濃い企業文化が存在しているということが報告 されています。この濃いというのは企業の上から下に至るまで、経営理念で示 されている価値観が共有されているということです。そうした経営理念によっ て示された価値観を、組織構造を調整したり、あるいは、人事制度を調整する ことによって組織メンバー間に浸透させているんです。 企業文化は、これこれの企業のメンバーであるからには、このように考えよ う、このように行動しようというような形での制約だというふうに私は考えて おります。ですから、こうした、企業文化というのは、企業のメンバーである 個人と、その個人が外に対して代表する企業、それと、環境との関係を定めた ものというふうに定義することができる。特に日本の企業においては、組織メ ンバーが企業文化の許容範囲内で自由に、しかも適切に行動することが期待さ れています。日本企業の規則が欧米の企業に比べて少ないという特徴がこうし たことを良く表していると思いますが、文化の中で個人がある程度自由度をも ってふるまう、これがちょうど制約にもとづいた設計という考え方に合致して いるのではないかと思われます。そして、企業内で定められているさまざまな 手続きというものは、文化という制約に基づいた設計に整合するように形成さ れるわけです。 私が面白いと思うのは、この制約として解釈できる企業文化が同時に支援と しての役割を果たしているということです。それは、どういうことかといいま すと、企業組織のメンバーとして、どのように考え、行動すればいいのか、と いうことをメンバー一人一人がいつも考えなければならないとすると、それは もう大変な負担になるわけです。特に新しく企業のメンバーとして参加した人 間にとっては苦痛以外の何物でもないでしょう。その時に企業全体の雰囲気、 物事をどのように考えるべきかというような、いわば、企業の空気というもの があって、それが、どう行動すればその企業組織の一員として認められるか、 どのように考えれば組織のメンバーとして恥ずかしくのかというような指針を 与えるという意味で、企業文化は意思決定、行動への支援を与えると同時に、 組織へ帰属するための支援を与えているということになるわけです。 さらに、環境が変化しますと、当然、企業文化と環境のずれが生じます。そ れから、ある企業文化の中で生成されたさまざまな手続きというものが制度化 ・定着化いたしますと、組織が官僚化してくるという問題をはらんでいます。 ですから、企業文化というのは、変革の対象になるべきものなんです。ところ が、企業文化のうちでも最上位の文化であります経営理念は、普通、非常に短 い期間しか通用しないようには設定されない。ある程度長い先まで見通して経 営理念は設定されるものなんです。そこから、成功体験をもとにして文化が定 着してくる。したがいまして、企業文化自体は安定性を持ってくる。そうした 安定性ゆえに、実は企業文化自体の変化が望まれるという事情があるにもかか わらず、なかなかそれは変わらないというのが現状なわけです。企業文化を変 革するためには、通常、外からのショック、たとえば経営陣の交代のようなシ ョックが必要になります。この点で、企業文化の変革には外的な支援を与える ことが有効なのではないかと考えられるわけです。ですから、制約としての企 業文化は、支援としての役割を果たしつつ、支援の対象となってる、こう特徴 づけることができるんじゃないかと思います。 こうした考えからしますと、社会においてさまざまな制約がありますが、制 約が積極的に受け入れられている状況の中ではそれは同時に支援として機能す る場合が非常に多いのではないかと思います。つまり、制約と支援は、合目的 的な行動の中では、同じコインの表裏にあるんだというようなことがいえるの ではないかと思います。以上です。 (企業文化とは一体何なのか、企業文化を長期的に作り上げていくための方策 はあるのかという点に関して質疑応答) 小橋 どうもありがとうございました。次は飯島さんですね。お願いします。 飯島 東京工業大学の飯島です。私は意思決定支援システムの観点から、橋田 さんがいったような制約と支援の関係を考えてみたいと思います。 1950年代にはいってからコンピュータが企業のいろんな情報処理に使わ れているわけですけども、60年代にはいってMISという概念が生まれて、 管理者に意思決定する情報を提供するというシステムができあがったわけです が、そこで、問題点があってうまくいかなかった。問題点は何かというと実際 にその意思決定する人と、情報を処理をする人が別のところにいて自分で情報 処理することはなかなか難しかった。そういう反省からDSSというのが、出 来上がったとされています。DSSとは、利用者が、つまり意思決定する人が 対話を通じて、問題状況を明確にしたり、理解を深め、さらに、問題解決がで きるようにコンピュータによって支援するシステムです。実際には、さまざま なタイプのDSSがありまして、定義にしても人によっていろいろちがいます が、例えば表計算ソフトを人によっては、DSSだという人もいます。表計算 ソフトにプラスアルファですね、シミュレーションとか最適化とか、あるいは 推定とかのルーチンを付けたものをイメージしていただくとよろしいかと思い ます。では、DSSに関して制約というのをどう考えられるかということです が、ここでは3つの観点から考えてみたい。 1つはですね、さきほど申し上げたようにDSSではモデルを作ってそれを 使ってシミュレーションをして、例えばあるパラメータの値を10倍にすると どうなるかというような分析をしたりするわけですが、その時のシミュレーシ ョンプログラムは、もちろん式の形で書かれているわけですが、この式という ものを制約の観点から考えて、計算する、この式にしたがって、計算するとい うことがまず考えられる。2番目の問題はシミュレーションモデルをはじめ、 最適化モデルとか時系列分析モデルとかを合成して、1つのモデルをつくって、 処理をするということが、最近研究上の焦点となっているわけですけども、モ デルの自動合成ということを制約の観点から考えるということであります。3 番目の問題は、もう少し話を大きくしてDSS自身を設計する。その作るとき に制約という観点からそれを設計するということを考えられるのではないかと いうことであります。 最初の、式を制約の観点から計算するという話ですが、非常に単純な式、売 上高に関する式ですけども、通常DSSのシミュレーションでは、この等式は、 左辺をもとめるために右辺に値を代入するという、代入式だと思って計算しま す。それに対して、この式自身を制約だと考えて売上高を計算するということ ももちろんありうるわけで、通常はなかなかこういうことは難しいわけですけ ども、こんなことが出来るようになったらいいだろう。 2番目の問題ですけれども、これは今申し上げたシミュレーションモデルと か、一般最適化モデルとかを組み合わせて1つのモデルを作るときに、そのモ デルの自動合成を考えたい。仕様を与えられたときに、それをあるドメインの 上で満足するモデルをつくるという問題は制約充足問題と考えられるのではな いか。例えば昇順にリストを並べ替えるオペレーションと、リストの一番後を 取り出すオペレーションをシリアルでつなぐか、あるいは逆に降順に並べるオ ペレーションと、先頭を取り出すオペレーションをシリアルにつなげればリス トの最大値を取り出すという仕様を満足できるようなシステムをつくってみる。 このような問題というのは基本モジュールとか基本形というような割とニュー トラルな言葉で、全体を構成することができる。各々をスペシファイすること によって原理的には色々な問題ができる。あるいは、8パズルをですね、その 初期状態から目標状態に変換しようと考えて、直列結合を基本結合だと思って、 基本モジュールを上下左右への移動だと思うと、よく知られているヒューリス ティクスを入れて考えると、同じ枠組みで解ける、というようなことが考えら れます。今言ったような話は、仕様というのが制約になっていて、それを満足 するようなものを求めるという意味で、制約のひとつの側面になっていると考 えられるだろうということです。 3番目の話はDSSそのものを制約の観点から設計するということです。ブ ルックスのロボットとかローゼンシャインのロボットの話とかが、橋田さんの 本にありましたので、そこからヒントを得たんですけれども、ロボットにおけ る外界とかロボットの行為が満たすべき仕様とか、ロボットの内部構造という のは単純にアナロジカルに考えると、DSSというのは外界がユーザにあたっ ていて、ロボットがDSSで、DSSの行動が満たすべき仕様というのがあっ て、というような対応で考えられる。具体的にローゼンシャインの設計論に関 してはよくわからないんでこれから調べなければならないんですけれども、そ れから、障害物を認識したら止るというのを障害物とロボットの距離がある程 度以上であるというふうな制約的に考えて、制約モジュールの集合としてロボ ットを考えるという話がブルックスの話として出てきましたが、それと同様に、 DSSも制約の集合として設計できるのではないかということです。 結局、DSSというのは、あまり構造化されていない問題を解くときに意思 決定者を支援するというふうなことが言われおりまして、一番重要なのは柔軟 性だということになります。問題解決をするときに、構造化されていなければ いないほど、ユーザは何をやっていいのか分からないわけですから、いろんな ことをやりたがるんですね。いろんなことをやりたがるというのを前もって予 測することは出来ないので、そういう観点からいうと、スローガン的に「あら かじめ設計しない」というような制約の考え方というのは非常に有効なのでは ないかという気がしています。具体的にロボットの場合だと、こういうのも制 約だというのも分かりますけども、DSSにおける制約の表現というのはどう やったらいいのかというのは今のところよく分かりません。 (経営情報における情報とは何を意味するのか、という質問を軸に、活発な討 論) 小橋 ありがとうございました。それでは一旦休憩に致します。 (休憩) 小橋 では、野口先生、お願いします。 野口 千葉大学の野口です。ここに集まられている方々と、たぶん基本的に違 うのは、我々はハードウェアを作るという立場が基本的にある。そういう世界 の中で制約と支援というのをどういうふうに考えたらいいか、色々と御意見を うかがいたいと思います。 まず、デザインというのは何かといいますと、ここで言っているのは、人工 物の設計において、その設計対象がユーザの心理的な部分に与える機能を決定 する行為ということを指しています。さきほどまでのセッションというのは、 問題解決ということだったんですけども、発想の支援というのは、目的が漠然 としていてよくわからないという世界での問題なんです。その場合にもの作り における目的と手段の関係というのは、一応はおさえておかなければならない。 何が言いたいのかいいますと、人間のものをつくる行為というのは、やっぱり、 主体的な目的意識というものが、最初になければいけないわけです。目的意識 の生成というのは非常に背後に深いものを持っていて、それこそ人類の歴史の 全知識が蓄積されていて、そこから目的意識というものが生まれてくるだろう といわれているんですけれども。そこで、人間の技術的な行為というのはなん だろうかというと、人間がものを作る場合にものの素材となる対象自体がもつ 法則性に従わなければならない。つまり人間がものを作る行為というのは、外 的環境あるいは物質的存在を含む、そういうものの持つ法則性を手段化するこ とによって自分の内部の目的を実現させる行為であるというふうにいえると思 います。ですから、目的意識という内的で、あまり客観的でないものを、客観 的な法則性をいわば手段として使っていくことによって、対象となるものを作 りだしてゆくという行為である。そんなふうに考えたときに、人間とシステム の関係というのはどういうふうに考えたらいいかということなんですが、本質 的に人間にとってある目的に必要な手段以上のものではないとかんがえていい んじゃないかと考えています。そうであれば結局、制約というのは、あくまで 人間の目的意識にとっての制約として登場することになると思っております。 支援する側と支援される側の関係をというのを私なりに考えてみますと、例 えば、デザインの発想支援システムというのは、支援する側が道具でありまし て、される側が人間という、そういう関係のケースである。それから、人工物 の設計あるいは、デザインにおける発想支援の問題ということですが、その発 想の構造というのはいったいどうなっているんだろうかということが一つある。 それで、これに関しましては、ものを作るときの目的と手段の関係というもの に立ち返ってみますと、いったん目的と手段の連関をですね、抽象的なレベル にたち戻って、そこで設計解の探索空間を拡大することによって、適切な解を 求めるということをするのが発想であるのではないかと考えられます。 そういう中でですね、収束的な局面というのはどちらかというと最適化問題 というような形でサポートすることができると思うんですけれども、発散的な 局面というのが、非常に問題になってくるわけです。デザインの場合には、特 に発散的思考というのを強調するということは、工業デザイナーの既成概念と いうものが大きな問題になってくるわけです。どうしても既成概念にとらわれ てしまって、そこから抜け出せなくなっているということがありまして、それ をどういうふうにはずしてやるかというのが発想支援システムの大きな課題に なるわけです。その時にどのような目標表現を与えれば発想を支援する力にな って、同時に発想者を既成概念から開放するかというのが問題になる。適切な 目標表現というのは、混沌とした思考にひとつの手掛かりを与えるという意味 では支援であるんですけども、同時に思考をある方向に限定するという意味か らは制約であるということです。言い換えれば、思考を限定する制約として、 与えられたものが発想者にとっては支援であるような目標表現でなければなら ないということなんです。 それから2番目として、既成概念からの解放という観点に立てば、既成概念 は、発想者の内部で陽に意識されえない制約であるというふうに考えます。つ まり、発想者自身は、自分がどういう既成概念をもっているかということは、 わからないといっていいと思います。抽象化された目標表現へと一時的に逆行 するのは、先ほどの発想のモデルで言いますと、この意識下の制約から脱出す る方法として行う、ひとつの戦略的な方法なんだろうというふうに考えます。 さらに、支援には、もともと意識下の制約としての既成概念を持たないコンピ ュータというのは非常に有効に使える、つまり、発散的な支援というものは有 効に使えるというふうに考えています。それから、これは一般的な問題なんで すけども、デザインの世界において特有の問題として、いかにして言語的目標 表現を人工物の形態イメージの実体の属性表現に変換しうるかということが問 題になるわけです。言い替えれば、いかにして言語的制約として与えらえた目 標から、それに対応するデザイン解としての実体の属性表現を導きだしていく かということがデザインにおける特有の発想支援の問題として考えることがで きるわけです。デザイン過程では、目標表現が言語で表現されている限り不完 全である。実体のイメージが示されることによって初めて陽な表現になるとい えるわけです。そういうな過程では、言語と実体イメージの関係づけというい ものが思考の展開を促す手掛かりになるわけです。実体そのもの、言語そのも のではなくてですね、その両方の移行関係というものが、非常に重要になって くるわけです。これを陽な制約として考えることが発想者の内的制約である既 成概念からの解放を促して、発想支援につながるのではないかというふうに考 えます。しかし、デザイナーの主体の内側の目的意識にとっての陰な制約、つ まり既成概念といっていいと思うんですけども、は客観的に表現できないもの が多く、外部刺激によって解放可能なものばがりではないと思います。それは、 むしろ発想者の個性としてとらえるべきなんではないかと考えられます。 最後に、次の3点を指摘しておきます。制約にはさざまなレベルがあって、 目的意識を持った主体にとっての意識下の制約、意識にのぼった束縛としての 制約、さらには物理法則のような普遍的なルールとしての制約というのはそれ ぞれ同じ制約でも区別して、取り扱わなければいけないんだろうということ。 2つめは、制約は発想者あるいは思考主体の目的意識との関係において初めて 制約として位置づけられるという考えなんですが、基本的にそれはネガティヴ な意味をもっているだろうと思います。このような制約というのは、陽に制約 として意識される場合もあるけれども、陰に意識下における制約となっている 場合、例えば、既成概念のような、場合の方が問題は大きいのではないか、そ ういうふうに思います。それから、最後に発想支援の場合のように、思考の方 向づけをあたえるという意味での支援、つまりポジティヴな制約というのは、 むしろ制約ではなく、限定というべきなんではないかと思われます。以上です。 (橋田氏より制約による設計についてのコメント、および質問) 小橋 ありがとうございました。次は私ですね。 小橋 私はハイウエイ開発の小橋でございます。私は今回、具体的な話をしよ うと思うんですけども、デシジョンエイドというものがあります。これは意思 決定のルールをなるべく使いやすくするようなインターフェースを与えてやる、 そういう目的のソフトウェアなんですが、通常、多属性的なものの決め方とい うのは、こういう手順(図1参照)で起きるべきだと教科書に書いてあるんで すね。実際そういう順番で仕事ができるようなソフトウェアもあります。あり ますが、それをちょん切ってばらばらにしてやる。そうすると案外にですね、 なにもフローチャートの最初からスタートして最後の完了にたどりつくことが 目的になっているんじゃなくてね、途中で起きてくることがみんな結構役に立 っているんだろうと思います。人によっては選択肢の順位付けはどうでもいい んで、むしろ自分にとっての目標が何かということが明らかになるのが非常に ありがたい、そういう話もあります。ですからどれが目的になってもいいよう なシステムの作り方を本当はしておかなくちゃいけないんだろうと。昔あった MAUDというプログラムでは、先ほどの教科書的なルールにしたがって順々 にいろんな情報をユーザーから引き出していって、最終的に属性値表という表 を作って、この表の上でもって選択肢を順位を付けることによって「あなたは どれを選ぶべきですよ」というアドバイスをする。 この同じことがですね、表言語ソフトを利用すると時系列的なシークエンス を使うことなく一発でもって「表」表現することができるわけです。例えば、 何人かの候補者の中から一人の人を選びたい。そのときにそれぞれの人が、成 績がいいとか悪いとか、仕事の量が多いとか少ないとか、色々な次元でもって 評価された。それに、理想的にはどういう値をとっていたらいいのかというこ とを勘定にいれ、さらにどの属性に重みをかけるかということを勘定にいれた ときに、理想からのずれの重み付けの合計が一番小さいやつが望ましい。ユー ザ=意思決定者から抽出された情報というのはそうやって表に入っていく。た だ、選択肢の総合点だとか、そういうものは実は制約であるルールがあって、 計算される。どこが目的になってもいいんだという話からすると、こういうア プローチのほうが直観的にわかりやすいし、すべての情報がいっぺんに見えて いる。また、何をどういうふうに変えても、あとから変えてもよろしいという ことで便利なんですが、ただこうしてしまうと今度は全く欠落してしまうのが、 あたりまえなんですけども、時系列なんですね。初心者の場合にはこの順序が 入っていたほうが絶対に使いやすいものですから、そうすると明示的に系列の 基準というものをもうちょっとやさしい格好で、やさしいというのは厳密な順 序ではなくて、いわばゆるい制約として入れてやって、「あなたがいま何をし たらいいかわからないんだったら、こういうふうにしたらいいですよ」という ふうに話をもっていったほうが、多分いいはずなんですね。 支援と制約の接点の所在の可能性をちょっと考えてみたので、それをお話し します。人工知能研究(その最先端のアイデアが制約論なんだということで)、 それから支援研究、その両者の接点というのは理論研究のレベルと応用研究の レベルとがそれぞれにありまして、2かける2の4つの象限といいますかセル に、それぞれさまざまな接点が考えられるだろうと思います(図2参照)。さ きほどの作業の順序の話というのは、制約論を応用したDSSで発想支援がで きるかという,理論的AI研究と応用的支援研究の接点に近いんでしょう。一 方で「理論」というのもそれ自体がある種の制約であるわけですから、橋田さ んが言うように我々は制約の中に生きているんですよね、そうするとどういう 制約を「理論」という形で与えたら我々の生活はより望ましいものになるか、 というようなことを考えるのは双方の理論研究のレベルでのインターフェース、 接点ではないんだろうかなと思いました。 (制約によるプログラミングから意思決定支援システムを作るときに、情報の 流れをユーザに対して特定、説明するようにできないのかという質問とそれに 関する議論) 小橋 つづけて、いよいよ今度は目的がないという、非常に野心的話に入りた いと思いますが、山本さんよろしくお願いします。 山本 電気通信大学の山本と申します。今回は生命形式、社会的偶発性と支援 の概念ということで、自己生成と無目的な世界の支援について簡単に話したい と思います。目的のない世界というと興味を持たれるかと思いますが、要する に2つの世界が存在して、一つは合目的的であるとか、合理性であるとか、あ るいは、客観的価値判断基準、設計、デザイン、制御、それから、操作可能と いった言葉で特徴づけられる世界。もう一つ、最近になっていわれる生命的な 世界、あるいは、社会的な世界というものがある。それは実は目的のない世界 であり、複雑で、あるいは、主観的な価値判断、自己生成、発生、支援といっ た言葉で特徴づけられる世界です。合理的世界はある種の限定された、人工世 界において成立して、その条件のもとで人工物が、合理性世界のなかの主役と して活躍出来る。一方で、本来、生命科学等が追及している生命体というもの、 あるいは、社会学、社会システム論が追及している社会的な複雑性、あるいは、 社会を複合体と見た時の社会体というものは人工物の世界とは異なる特徴をも っていて、制御したり、設計したり、操作したりというようなことは、本来、 不可能な世界であるわけです。 目的のない世界といった場合、かなり古くから研究されております。例えば サイモンは、人工物あるいは人工物の設計ということに関して目的がない場合 のデザインについて言及していまして、最終的な目標を持たない場合のデザイ ン活動として一般ケースを書いている。それを、簡単に分類しますと、存在し ない場合、存在する場合、生成できる場合、できない場合、それから全体目的 が見える場合、見えない場合、部分目的が見える場合、見えない場合、という かたちで目的というものが分類されると思います。支援にからんで例を上げて みると、どこかにゴールがあったり、ゴールの目安が分かったしても、それを 全体のAからBへというプロセスをぬけてくるわけじゃ本当はないんです。A からBというのは、後から分かってくるわけであって最初は分かっていない。 自己生成するような領域、自己生成の領域というものが、これが生命、社会の ものなんですが、これが本来拡大していって、全体のプロセスをうまく説明を する。そういうモデルが本来存在するはずだというふうに考えるわけです。こ ちらが実は支援の世界であって、設計の世界と対比するものであると考えてい ます。現在の生命科学の一つ理解の仕方として、非常に合目的的な世界であっ て、DNAを設計図だという考え方あるんですが、では、生命システムの目的 は何だろうかと考えると、究極的には生きることか増殖することとか、遺伝子 の継続とか、そのような話になってしまいます。実は、生命系というのは、ご 存じのように非常に無目的な反応の重なり合わせが、進化的な意味もふくめて 空間的、過程的に、非常に重層に積み重なって一つの生命体を形成しているに すぎないわけで、そこを我々が機能システムあるいは目的を抽出して、合目的 的な生命システムを見つけだしているだけなんですね。そういうふに考えた上 で設計だと話をしたがるんですが、これらはそれぞれ実は目的をもって形成さ れ、設計されたシステムではないわけです。これは、ひとつひとつのメカニズ ムを見ていけばわかる通り、いわゆる生体的な反応系が重ね合わさったもので あることは極めて明らかなことだと思うんです。そこからこういうような性質 ができてくるわけですね。生命システムを一つのモデルとして考えて、支援と いうことを考えたとすれば、このような2つの主体のうちの一方が他方を一方 的に支援するのではなくて、それぞれ独自の行動様式を持ちながら、双対的に 他方を支援するというようなことが、こういうことから、抽出できるのではな いかと思います。 これに関して社会的な世界観といいますか、社会的なモデルということなん ですが、例えば知的分散主体といったようなもので、人間をモデル化して、そ の中で情報共有が行われる、あるいは、ひとつの主体からその範囲内で情報の スコープというようなもので、相手を見る。見た相手を含むものが環境で主体 と環境が結合して、ひとつのものとなっているような、そういう社会結合のル ールというものを考えて仮想的な社会を作っていって、全体として自己生成す る社会体というものにと、ここでは、考えたモデルを定義してるんですね。 そこで、支援とはどういうことを言ってるかというと、制御、管理、支援と いう位置づけの中で、誘導というものがあって、おそらく、目的がわかってい る世界というのは、私に言わせると、実は誘導なんです。目的がわかっている から誘導するんであって、わかってないからこそ、支援であって、さらにいく とですね、傍観してたり、何もできなくなるという世界もあると思うんです。 話をまとめますと、支援概念の位置づけとして、自然科学と工学を一つのパラ ダイムで考えることになると思います。それは先ほど申し上げましたような設 計論的な世界と、それから、自己生成する世界、この2つをうまく橋渡しする ような考え方があろうという気がしております。これと制約というものの関係 がどういう形でつながるのかということについてご教授願えればと思っていま す。以上です。 (目的がないというのは言い過ぎではないか、ナチュラルな目的を持っている と解釈すべきなのでは、という質問を発端に議論) 小橋 ありがとうございます。それでは今田先生お願いします。 今田 東京工業大学の今田です。私も支援ということに関しては、1987年 ぐらいから、これは大事であって、管理システムに代わる支援システムの構築 が21世紀の最大の課題であるということを自己組織性を研究するなかで、感 じてきました。それ以来ずっと折りに触れて、支援とは何かということを考え てきました。とくに社会システムにおける支援というのは難しい。なんだかん だ言っても、管理の枠のなかで考えられてしまう。例えば、中世のパトロネー ジュの発想がありますが、あれはメディチ家が莫大な財産をもっていろんな芸 術家を支援しましたが、今の企業メセナも同じで、支援しているけれど結局は 企業の役に立つ宣伝になるということであれば、それは本当の意味での支援で はない。そういうのは支援とは考えたくない、というふうに思ってきてまして、 支援というものをポジティブに定義するのは、特に社会科学では難しい。自然 科学における支援というのは、結構やさしいんじゃないかな。例えば、梃子の 原理を知ってて、梃子の原理とその使い方を書いてあれば、これは支援になる。 だから、情報とその情報の使い方のモデルがきちっとできていれば、ひとつの 支援装置というふうに考えればいいんですが、社会現象の場合なかなかそう単 純にいかない。 今考えていることは、問題は管理を主体にしたシステムが肥大化してきたこ となんだから、これの反対概念として支援を使うということです。管理を骨抜 きにするような方法を考えるのが支援ではないか。つまり、管理を前提としな いアンチコントロールのシステムが出来たら、いやその原理は何かということ を発見できれば、支援というものをポジティブに位置付けうるんじゃないかと いうふうな段階にあります。橋田さんの本を読んで、手順を捨象して関係だけ 記述するということを、コントロールをへらしていくという方向で考えれば、 これは支援のひとつの方向になると感じております。 今どんな形でアンチコントロールのシステムを考えようか、どうしたらアン チコントロールのシステムが出来るかを考えているんですが、特にリゾームに 関心を持っています。これはポスト構造主義の発想のなかにあるものなんです が、ツリーじゃなくて蓮根みたいな地下茎です。リゾームは太陽に向かっての びるのではない、ある方向を保ってのびているのでもない。要するに地下です から、地下の蓮根は、のびられればどこへでものびる。障害物があればやめて、 また他から枝を出す。そういう自在な動きをする。こういう動きは、いわゆる 目的が明示的にはないんですね。樹木の場合は、太陽に向かってのびる。目的 性がある。そういう違いがあって、リゾームのようなシステムを考えてみたら どうかというのが一つ。 もう一つは人間の神経網です。人間の神経網はいたるところにはりめぐらさ れてますけれども、これだけはりめぐらせるには、百億のオーダーのニューロ ンを結合させる必要があるんですが、これを遺伝子情報で全部指定するのは無 理です。遺伝子情報は、その他にいろんなことを指定しなければならず、神経 系の結合で全部使ってしまうわけにいかない。だから、ある大枠の方針だけ決 めて、あとは勝手に自在結合をやらせる。ただし、その時に一つの原則、制約 というのと同じことだと思いますが、どれとくっついてもいいけど、必ずどれ かとくっつかなければいけないという制約と、あとは大まかな構造を決める制 約ぐらいで全部はりめぐらされる。ということで自在結合という偶必然性の原 理みたいなものをとりこんでいくシステム構成原理が考えられる。 人間の世界でいえば、規制緩和とか管理を緩めるいうことに対応しているん ですが。それで、自在システムみたいなものをリゾームの観点から考えればお おいに支援ということに役立つ。 結論からいいますと支援というのは活動とか結合の自由度を高める、ないし は、選択肢を増やすというアクションを指す。これを制約する、規制する方は 管理ですが、それを広げるというふうに考えればいいんじゃないかと思います。 管理をしない、自在結合をゆるす、偶必然性を認める、それから、自生的な秩 序づくりができる、そのようなことを用意することがまさに支援に関係してく ると考えていけば、社会的な支援ということが、より明らかになっていくんじ ゃないか。それで、目的を達成する手段という言い方よりも、むしろプロセス にかかわるというふうに考える。目的は結果ですから、結果が前提になればい くらでも制御もできるし、管理もできる。しかし、結果がオープンであればプ ロセスに関与するしかない。そこで、自由度とか、選択肢をふやしてあげる。 それで実際にその人間が使うかどうかは、わからない。オープンですから。そ の人にとっては使えなきゃ支援にならないかもしれないけれど、他の人にとっ ては、支援になる可能性がある。これぐらいの考え方で支援を捉えた方がなん となく、特に社会科学の場合は展望が開けるんじゃないかなという気がしてお ります。これは、目的のない世界における支援と制約というよりは、終わりを 前提にしない、プロセスに焦点をあてた支援というふうに考えるのがいいんじ ゃないかなと思います。 小橋 ありがとうございました。 (自由度を与えるだけではなく、最低限の規制は必要なのではないか、あるい は、意思決定支援にはやはり目的が必要なのではないか、という質問から議論 白熱)
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