ベティ(クララ)ウェイ
惠英紅
英語名:Kara Hui
広東語名:Wai Ying Hung
北京語名:Hui Ying Hong
日本での名前表記は以前はベティ・ウェイだったが、洗礼を受けてからクリスチャン・ネームを名乗るようになったため、最近ではクララ・ウェイと表記されるようになったが、古くからのアクション・ファンにはベティの方がなじみ深いので、ここではベティで通す。ただ、気になるのは英語表記ではKaraとなっており、これはカラかカーラと読むのが普通で、クララとは発音しないのではなかろうか。不思議だ。
1960年、ベティは中国の山東省で生まれたが、6才のとき家族は香港に移住する。生活が苦しかったので、子供の頃から湾仔にある映画館の前で、チューインガムを売って家計を助けていたという。14才のとき、ミラマー・ホテル(無名時代のチョウ・ユンファもこのホテルでボーイをしていたことがある)の歌舞班に入り、古典舞踊を踊り始める。ショーの海外公演に同行し、オーストラリアやデンマークにも行ったという。
そんな彼女の人生に大きな転機が訪れる。1977年、大物監督であるチャン・チェ(張徹)が新作『射「周鳥」英雄傳』(1977)に登場させる女優を捜していたとき、たまたま同ホテルを訪れてベティが目に留まったのだ。これがきっかけとなり、彼女はショウ・ブラザースの専属女優となる。といっても、最初の数年間は殆どの出演作品が端役で、日本でいう大部屋女優扱いだった。理由は、チャン・チェが若い男性を好む監督だった【彼のホモ説については「閑話休題」のコラム欄を参照のこと】ためともいわれる。
大部屋でくすぶり続ける彼女の前に第2の転機が待ち構えていた。ラウ・カーリョン(劉家良)監督との出会いである【この件については、浦川くめ編著の力作「香港アクション風雲録」(キネマ旬報社)に収められたラウ・カーリョンへのロング・インタビューで詳しく触れられているので、そちらを読んで欲しい】。
ラウ監督に才能を認められたベティは『爛頭何』(1979)に抜擢される。その際、功夫良≠ニ呼称されるほどのクンフーの達人であるラウ監督によって、徹底的にクンフー・アクションの基礎を叩き込まれた。監督の期待に応えるために、彼女はワン・シーンで50回もリテイクしたという。
そんなベティに輝かしいときが訪れる。ラウ監督の『長輩』(1981)に初主演することになったのだ。当時は、男性主体のクンフー映画が大勢を占めていたので、これは2人にとって大きな冒険だったが、彼女は男勝りのクンフー・ファイトを繰り広げて映画を成功に導いた。
そして、この作品での熱演が評価されて、ベティは1982年に創設されたばかりの記念すべき第1回香港電影金像奨≠ノおいて、晴れの最優秀主演女優賞を受賞する。
その後も、『十八般武藝』(1982)・『掌門人』(1983)などのクンフー映画への出演が続いたが、受賞後に高額ギャラを要求してショウ・ブラザースと揉めたり、エロティック映画への出演を拒絶して騒動になるなどのトラブルに次々と見舞われ、次第に出演本数を減らしていくことになる。1984年の『城市之光』では初の現代劇でライト・コメディに挑戦し、芸域を広げた。
1986年にショウ・ブラザースがTVBに吸収されて映画製作を中止したので、ベティはゴールデン・ハーベストに移籍し、現代劇を中心に出演し始める。残念なことに彼女の出演作の殆どが日本未公開だが、この時期の作品は幸運にも何本か日本でも公開されている。
「香港極楽コップス」(1986)・「クラッシュ・エンジェルス/失われたダイヤモンド」(1986)・「ルージュ」(1988)・「レディ・スクワッド/淑女は拳銃がお好き」(1988)・「レディ・スクワッドU」(1989)などが、それらだ。いずれもジャッキー・チェンがプロデュースした作品なので、日本でも公開されたのだろう。ただし、彼女は助演である。
90年代に入ると、ベティも他のアクション女優と同じく低予算映画への出演を余儀なくされていく。その中の1本『越』(1990)の撮影風景がNHKドキュメント「香港女星図鑑」(1991年7月放映)でちょっとだけ紹介されていた【この番組の詳細は「閑話休題」のコラム欄をお読み下さい】。
その他、「Bart」という今は亡き雑誌(1992年10月26日号)のグラビアにも登場していて、インタビューの中で取材スタッフに結婚相手の日本人を紹介してと、ちゃっかり売り込むしたたかな面も見せている。もっとも、年齢を27才と(5才も!)詐称しているところはご愛敬だが。
その後は、TV界に移ったのか『神鳳苗翠花』(1994)では主役を張り、後に方世玉の母となる苗翠花の若き日を演じたり(アクション・シーンが殆どなくて期待はずれであった)、『創世紀』(1999)にも脇役で出演したりしている。映画の方はここ数年出演作品がなくて引退したのかと思っていたら、ティ・ロン主演の『街女』(2000)のキャストに久々に彼女の名前を見つけて嬉しかったが、これまた脇役のようでちょっとがっかりである。
なお、「香港近未来バイオレンス/爆烈戦士」(1986)の主人公役や「ブレード/刀」(1995)での刀鍛冶の親方役で知られるワイ・ティンチー(惠天賜)は彼女の実兄で(2才年上)、故ラム・チェンインやジョン・ローン等も学んだ京劇専門学校「春秋劇團學院」の卒業生でもある。
2006年3月追記:
近年は、ますます脇役出演が増えているベティ・ウェイだが、「インファナル・アフェアU/無間序曲」(2003)では黒社会のボスであるン・ジャンユーの姉、「ベルベット・レイン」(2004)ではショーン・ユーの母親に扮し、それぞれ少ない登場シーンながらも存在感のある演技を見せていた。
もはやクンフー女優の面影はないが、これからも渋みを増したベテラン女優として香港映画に出演して欲しいものだと、「ベルベット・レイン」を見た後に思った。
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