黄飛鴻映画の初歩研究(上)
余慕雲
 香港では、1949年から現在まで30年にも渡って黄飛鴻を主人公にして、彼が遭遇する事件を素材にした85本もの黄飛鴻映画を製作してきた。この他に、黄飛鴻のTVシリーズも13集作られている。

 黄飛鴻映画シリーズは数量において世界記録であるばかりか、多くの中国人たちにずっと絶えることなく支持されてきた。それは香港に留まらず、シンガポール・マレーシア・アメリカなどに住んでいる中国人たちの間でも同様である。

《黄飛鴻虎穴救梁寛》(1958)より 黄飛鴻映画や黄飛鴻個人は香港の人々に深く浸透していて、婦人や子供にまで知られている。彼に勝る知名度の映画人を探すことは不可能である。黄飛鴻シリーズは映画で歓迎されただけでなく、TVシリーズにおいても視聴率トップ10の第1位を占めたことがある。

 一体、黄飛鴻映画にはどんな特長があるのだろうか?どこが優れているのだろうか?どうして、こんなにも多くの観衆にかくも長きに渡って歓迎されたのだろうか?また、黄飛鴻映画にはどんな欠点があるだろうか?どんな不足があるだろうか?これらは、深く探求するに値する問題である。

 黄飛鴻映画を研究するために、私は出来る限りの文字資料を探し集めた。それらの大部分は、黄飛鴻映画の特集号(胡鵬監督から借りた)や映画の物語・映画批評などである。

 さらに、私は何度も黄飛鴻映画の主要な製作者を訪問した。たとえば、黄飛鴻映画の生みの親であり主要監督でもある胡鵬、主要脚本と監督も担当した王風、殆どの黄飛鴻映画で黄師傳を演じた關徳興、黄飛鴻のTVシリーズを監督した蔡繼光と主要脚本を書いた呉昊、その他香港廣播電台で黄飛鴻物語を朗読した鍾偉明らの先生、黄飛鴻の夫人だった莫桂蘭女史などである。

 長年に渡って、私は黄飛鴻映画の大半を見てきたが、最近また香港國際電影節の企画人の一人として、劉成漢先生の協力を得ながら代表的な黄飛鴻映画を選出して鑑賞する機会に恵まれた。

 ただ残念なことに、最も重要で胡鵬監督も推薦してくれた《義貫彩虹橋》や、劉家良監督が勧めてくれた《花地槍炮》・《怒呑十二獅》などは見つからず、プリントすることができなかった。
 その他、黄飛鴻映画を研究する期間が2ヶ月足らずだったので、十分な時間をとることが出来なかった。そのため、黄飛鴻映画については極めて浅い探求になってしまった。もし、誤謬があれば、みなさんに指摘していただきたい。



 黄飛鴻映画とは、廣東の名拳師である黄飛鴻を描いたものである。そして、黄飛鴻は実在した人物である。
彼の略歴は下記のようなものである:

 黄飛鴻は廣東省南海縣の西樵郷人で、1847年に生まれ、1924年に逝去した。享年77才だった。黄飛鴻の父親は、「廣東十虎」と称された十大名拳師の一人である黄麒英である。黄飛鴻は「廣東十虎」ではない。

 若いとき、黄飛鴻は父親とともに大道芸をして各地を回った。中年時には廣東の軍隊である李福林の第五軍で技撃教練に当たった。また、廣州の民間自衛組織──民團で国術【中国武術】教練に当たった。晩年にいたって、彼は父親が開いた「寶芝林」医局を営んだが、まもなく病死した。

 黄飛鴻は廣東武林において獅子舞の技芸に卓越し、廣州では獅王と称された。彼が得意とした拳術は「鐵線拳」・「五形拳」・「工字伏虎拳」・「拐子無影脚」などである。彼の拳術は少林派洪拳の系統に属する。彼が良くこなした武器は「飛鉈」である。

 黄飛鴻の生前の事跡で、真正の流伝はあまり多くない。彼の夫人だった莫桂蘭女史によれば、黄飛鴻の生涯の事跡については彼女も良く知らないという。というのも、2人が結婚したとき、黄飛鴻はすでに年老いていたし、一方莫桂蘭は十代だったからである。

 黄飛鴻の一生について、たとえば早くから黄飛鴻に関する武侠小説を書いた我是山人は、
黄飛鴻のことを「生前、僅かに知られていただけで、あまり有名ではなかった」と述べている。

 黄飛鴻を描いた武侠小説は、最盛時においては毎日のように夕刊に連載されたが、
記載された黄飛鴻の事跡の大部分は小説家の創作である。つまり、想像と誇張であり、真正の事跡はそれほど多くない。
 黄飛鴻映画の主要脚本家である王風が筆者に語ったことによれば、
物語の題材の少しは黄飛鴻を描いた武侠小説を参考にし、残りの大部分は創作によるものだという。


黄飛鴻映画の由来

『黄飛鴻醒獅會金龍』(1956)より 1949年の秋、映画監督の胡鵬は友人の呉一嘯(粤曲の名作曲家)と九龍から香港島に向かうフェリーに乗船していた。偶然、胡鵬は工商日報に連載されていた齋公(本名を朱愚齋といい、黄飛鴻の孫弟子である)の黄飛鴻小説を読み、呉一嘯が黄飛鴻に師事したという記述を見つけた。
 しかし、呉一嘯は、それは朱愚齋の創作であり、自分は黄飛鴻の弟子ではないし功夫を習ったこともないと胡鵬に話した。ただ、これによって、胡鵬は黄飛鴻の映画を作ることを思いついた。

 それに対して、真っ先に呉一嘯が賛同し、胡鵬に代わって脚本を書くことを希望した。その結果、最初の4集は呉一嘯が書くことになった。さらに、シンガポールの映画人である温伯陵の協力もあって永耀電影公司が成立し、黄飛鴻映画を撮り始めた。第1部は《黄飛鴻傳・上集》、またの名を《鞭風滅燭》といい、それは1949年の冬のことだった。

 黄飛鴻映画は全部で82本作られたことになっている。本来であれば、それ以外に胡鵬が監督した《梁寛傳・上下集》や王風が監督した《獅王之王》もあるが、製作会社と公開日が不明のためリストには含めなかった。また、《鬼屋鬥疆屍》という作品も撮られたが、完成しなかった。

 別な資料によれば、この他にも《妙計雪沈冤》と《虎穴救梁寛》もあるというが、監督や製作会社・公開日などの資料がないので、やはりリストに含めていない。


3期に分かれる黄飛鴻映画

 黄飛鴻映画は、おおざっぱに3期に分けることが出来る。

 第1期は50年代で、合計62本作られていて、黄飛鴻映画の黄金時代である。この時期の映画は脚本が王風、監督が胡鵬、主演が關徳興、その他の出演が曹達華・劉湛・石堅・西瓜[包リ]、女性の主役が任燕だった。
 黄飛鴻映画における様式の特徴と風格は、この時期に確立された。この時期の突出した作品としては、《花地搶炮》《義貫彩虹橋》《龍舟奪錦》《醒獅會麒麟》《二龍争珠》《長堤殲覇》《擂台比武》《怒呑十二獅》《戲棚伏虎》《鐵鶏鬥蜈蚣》などがある。

 第2期は60年代である。合計13本作られている。この時期の映画は主に脚本が司徒安、監督が王風、主演が關徳興、他の出演が曾江・張英才・石堅・西瓜[包リ]で、女性の主役は李紅だった。この時期のストーリー様式や風格は、基本的には50年代と同じである。優れた作品として、《肉搏K覇王》《威震五羊城》《巧奪鯊魚》らがある。

 第3期は70年代。合わせて10本製作されて、国語片【北京語映画】と粤語片【広東語映画】が半分ずつで、監督や主演(黄飛鴻役者のこと)も一定しない。映画の物語や風格は5,60年代の黄飛鴻映画と大同小異だが、黄飛鴻映画シリーズの続編ではない。
 この時期の突出した作品として、《陸阿采與黄飛鴻》《醉拳【ドランクモンキー酔拳】》《林世榮【燃えよデブゴン7】》などがある。黄飛鴻のTVシリーズもこの時期に作られた。


黄飛鴻映画の特徴

(1)濃厚な地方色:

 香港人の大部分は廣東人であり、話す言葉は廣東語で、生活習慣や娯楽方法も廣東の伝統に倣っている。
黄飛鴻映画もすべて廣東地方を反映している。物語が発生する地方が廣東(たとえば、廣州・佛山ら)であるように。また、生活習慣(たとえば、茶樓──廣東人は毎日の飲茶が欠かせない)や民間風俗(たとえば、小鳥の飼育・コオロギ相撲・ドラゴンボート競争・爆竹など)、娯楽方法(たとえば、広東オペラを演じる・粤曲を歌う・獅子を舞う・龍を舞うなど)も同様である。映画の冒頭に流れるテーマ曲「将軍令」も廣東の音楽で、台詞も廣東人に良く分かるように生き生きとした廣東語が使われている。

 黄飛鴻映画の持つ廣東地方的特性は、中国大陸や台湾で作られる中国映画と明らかに異なることを香港の観客に思い起こさせている。香港映画史上、濃厚な地方色を出して成功した香港映画は多くない。
 しかし、この方面において、黄飛鴻映画は地方色を集中的に突出させた数少ない例である。黄飛鴻映画の地方色は、香港映画の代表といえるかも知れない。

(2)廣東における多種多彩な民間芸術の保存:

『黄飛鴻醒獅獨覇梅花椿』(1968)より 黄飛鴻映画の約4分の1に獅子舞の表演があり、南方の獅子や北方の獅子が登場するが、多いのは南方の獅子である。獅子の舞いには喜(食べ物を見たときの喜び)・怒(食べ物がなかなか取れないときの怒り)・哀(食べ物が取れなかったときの悲しみ)・楽(食べ物を撮ったときの楽しみ)があり、獅子の勇敢さと機知の巧みさが表現されていて、それぞれの獅子には様々な伝統と特殊な獅芸がある。

 その獅芸には、たとえば單足採・採高(四重になった人の腕に乗って野菜を取る)・採蟹・採七星・採石罅・採水蓮(水上での採)・飛鉈取などがある。これら高度な獅芸の多くも關徳興自ら表演している。もっとも多いときには13頭の獅子が一斉に舞い、大変な熱気があった。

 注目すべきは、黄飛鴻の女弟子であるケ秀瓊が獅子頭を黄飛鴻の夫人だった莫桂蘭が獅尾を受け持って「睡佛採靈芝」と「獅子過三山」を舞ったもので、女性による獅子舞といえども大変に素晴らしく、見る価値は十分にある。
 黄飛鴻映画での舞龍や舞麒麟は獅子舞ほど多彩ではないが、大変に生彩があり鑑賞や保存の価値がある。

 さらに、注目に値するのが舞蜈蚣(ムカデ舞い)である。元々、舞蜈蚣は廣東省中山縣小[木元]郷の独自な民間芸術・娯楽である。舞龍と同じように6,7人で地べたに蹲って舞う。監督の王風が黄飛鴻映画に取り入れ、観客を驚かせた。

 自ら弾いて歌う盲目の女芸人・「師娘」が歌う唄──ひとりで小鑼(小さな銅鑼)を叩いたり小太鼓を打つ──は民間物語の「唱龍舟」といい、今では伝える者がいなくなってしまったが、本来は廣東で長らく流行した民間の伝統芸術であり娯楽であった。これも黄飛鴻映画に保存されている。

 この他にも、当然のように多くの粤劇・粤曲・南音(南方の民族音楽)・鹹水歌(水上居民の民謡)などが描かれている。これら(民間の伝統芸術の表演や保存)は他の香港映画にも登場するが、黄飛鴻映画ほど数は多くない。やはり、これも黄飛鴻映画の特徴といえるだろう。

(3)廣東における各種伝統武術の保存:

 廣東武術には洪・劉・蔡・李・莫の五大名家があり、また龍・蛇・虎・豹・鶴・獅・象・馬・猴・彪【虎の別称】ら10種類の動物を模した拳術がある。その中には多くの拳套【拳術の型】・刀法・棍法・槍法と各派拳術や十八般兵器【武器】などが含まれている。
 これらの精緻な廣東武術が銀幕に保存されている例はあまり多くなく、大変に残念なことである。しかし、幸いにも黄飛鴻映画には、これらも多く記録・保存されている。

 たとえば、拳術方面では「蛇形手」・「撩陰手」・「十獨手」・「K虎爪」・「虎尾脚」・「無影脚」・「鐵線拳」・「虎鶴雙形拳」・「螳螂拳」・「鶴玩沙」ら、武器方面においては「子母刀」・「虎尾刀」・「滾螳刀」・「[才也]刀」・「斷魂槍」・「二郎八卦棍」・「二十八宿棍」・「五行棍」・「六點半棍」・「五點梅花棍」・「飛虎鞭」など、対打【1対1の戦い】方面では「虎爪対鶴爪」・「棍対棍」・「棍対單刀」・「棍対槍」・「單掃子(両節棍に似ている)対籐牌單刀」等々、その他の武器では「大關刀」・「長纓槍」・「山西大[才八]」・「鋼鞭」・「雙鈎」なども登場している。

『黄飛鴻醒獅會麒麟』(1956)より 特に注目に値するのは、武術名家・陳漢宗が表演している「虎鶴雙形拳」、黄飛鴻の夫人だった莫桂蘭の「子母刀」、梁永亨の「斷魂槍」、曾振華の「螳螂拳」などである。

 黄飛鴻映画が名家における正統派の廣東武術(ずさんな舞台化・雑技化・芝居化でなく)を保存していることも特徴の一つである。当然のことながら、これまた他の香港映画や中国映画でも正宗の廣東武術を保存しているが、黄飛鴻映画ほど多くはない。やはり、これも黄飛鴻映画の特徴といえるだろう。

(4)正統派の武侠映画:

 20年代の上海映画に似た、いわゆる武「侠」映画は今に至るまで大変に多く作られている。その大部分が神怪打鬥【神仙や妖怪が戦う】か門派同士の争いを描いたもので、武林秘伝や武林第一称号の争奪のため、互いに殺し合うか互いに報復し合う(主に私怨を晴らす)。彼らの行為は武であっても侠ではなく、伝統的な武徳とは異なる。

 伝統的な武徳において、練武の目的は主に体の鍛練と自衛のためである。彼らは、民族の大義や除暴安良【暴虐を取り除き善良な民を安んじる】のとき以外は不必要に人と争わない。

 黄飛鴻映画は一貫して伝統的な武徳を宣揚している。映画では、黄飛鴻の言葉を通して、練武の目的が体の鍛練であることを何度も強調し、武技に頼って人を圧することを強く戒めている。
 揉め事において、個人がどれだけひどい恥辱を受けようと問題ではない。しかし、除暴安良のためには身を挺してでも立ち向かわなければならない。反対に、暴力を乱用すれば己のためにならないので、人を傷つけてはいけないのだ。

 すなわち、人と対立したときは、相手のことを考えて善なる心へ戻るように強く勧めるべきである。この種(謙譲・忍耐・寛恕)の伝統的な美徳と武徳精神が大部分の黄飛鴻映画を貫いている。
 このような黄飛鴻映画こそ、まさに「侠」と呼ぶべきではないだろうか。香港で作られてきた廣東語の通俗映画においては、往々にして人を善に導く教化的な精神が提唱されてきた。黄飛鴻映画は基本的にアクション映画であるが、こういった表現が顕著で積極的に示されている。

 黄飛鴻映画は内容において真正の武侠映画というだけでなく、形式──打法においても真正の武侠映画である。映画で用いられているのは他の武「侠」映画と異なり、伝統的な硬橋硬馬で真の刀法・真の槍法・真の功夫である。

 他の武「侠」映画で使われている功夫はいい加減だったり、舞台向けの打法だったり、伝統武術に雑技的要素と芝居的要素を加えた打法だったりする。これにより、私は黄飛鴻映画こそ正宗の武侠映画であり、それが黄飛鴻映画の主要な特徴だと思う。
〜(下)に続く
───『香港功夫電影研究』(1980)の黄飛鴻電影的初歩研究≠謔
著者・余慕雲氏の略歴 著者の余慕雲
 著者の余慕雲は広東の台山人で、1930年生まれ。香港にある「中業學院」の新聞専業学科を卒業した。
 1965年から香港映画の研究を始めて現在に至る。著書に《香港電影史話1〜5》・《香港電影掌故》・《昨夜星光》(邦訳あり)などがある。
 「香港市政局」・「香港區域市政局」・「香港國際電影節」顧問などを歴任し、西灣河にある「香港電影資料館」では上映作品の編成と研究主任を兼任したが、現在は引退して自宅で香港映画史の研究を続けている。

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