閑話休題
コラム22 トンデモ海燈法師伝説
〜現代における英雄神話の作り方〜

■仰天!海燈法師の絶技
先ず、下記の動画を見て欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=m7w49cN_tq8
ここで《一指禅》【一本指での倒立】の絶技を披露している人物こそ、今回の主人公・海燈法師である。
このとき、すでに75才だったという。驚くべき神技である・・・・・。
■海燈法師伝説
発端
私が海燈法師のことを知ったのは、「近代武侠英雄傳」の底本である《中國武林傳奇》である。この本の掉尾を飾っている武術家が海燈法師だったのだが、私の知らない武術家だったので、「近代武侠英雄傳」の第1部では取り扱わなかった。
今度それを再開するに当たり、彼の物語も取り上げてみようと思った。そこで、翻訳する前に、事前情報として彼の略歴や画像が欲しかったので、ネットで検索してみた。そこで見つけたのが、上記の驚くべき動画や数々の逸話だった。
以下で、海燈法師にまつわる様々な伝説と、それらがいかに欺瞞に満ちていたか紹介してみたいと思う。
伝説の誕生
海燈法師伝説の始まりは、1979年に香港長城影業公司と峨眉電影製片廠が共同で製作した《四川奇趣録》というドキュメンタリー映画である。この映画で、海燈法師が《二指禅》【二本指での逆立ち】の絶技を披露して大評判となる。
その後、1982年にリー・リンチェ主演の「少林寺」が劇場公開されると、たちまち大陸全土を「少林寺ブーム」(武術ブーム)が席巻する。
同年の11月、海燈法師の弟子・蕭定沛が「海燈法師の武術は正宗少林寺の武功で、彼の師傳は汝峰上人という少林寺の和尚である」との文章を新聞に発表した。
続いて同月、四川日報記者の敬永祥が蕭定沛と合作で《海燈法師話少林》という一文を掲載し、その中で「海燈法師は著名な少林派の武術家で、かつては河南嵩山少林寺の武術教師だった」と紹介した。
これ以後、俄に沸き上がった「少林寺ブーム」に乗って、海燈法師も時の人となり、新聞や映画・TVで数多く扱われることになる。
たとえば、1983年の「北京晩報」に『海燈法師傳』」と題した長編小説が連載された。また、1987年には四川電視台が全20回のTVドラマ『海燈法師』を放映した。そして、その過程で様々な伝説が生まれていく。
いわく「海燈法師は少林武術の正宗代表である」、いわく「《二指禅》の他、《童子功》《梅花椿》《鐵布衫》《達摩氣功》《少林氣功》《六通氣功》などにも堪能」、いわく「一息で人を百歩吹き飛ばす」、果ては「海燈法師は、かつて反軍閥で、惡霸の日本人の小野やアメリカ人の史密斯【スミス?】を打ち破った民族の英雄である」、「海燈法師は人民解放軍の武術總教練である」といった逸話が次々と紹介された。
そして、彼の身分もそれまで少林寺和尚だったのが、やがて少林寺住持となり、ついには「少林活仏」【少林寺の生き仏】にまで持ち上げられてしまう。さらに、1985年には第六屆全國政協委員にも推薦されたという。
同年、海燈法師は故郷の四川省江油縣に60万元を投資し、自身の記念館である「海燈法師武術館」を建設した。
■海燈法師伝説の暴露
しかし、1988年、この海燈法師伝説に異議を申し立てる人物が現れて、伝説の虚偽が次々と暴かれていく。異議を唱えたのは、前述の四川日報記者の敬永祥である。
彼は自分が書いた海燈法師の記事は真実を欠いたものだと認め、インタビューで以下のように述べている。
「この記事は、あまりにも過分な宣伝になっていて、私が取材したときの現状とまったく異なっている。この宣伝記事の90%は真実ではない」
また、「《四川奇趣録》で海燈法師が表演した二指禅は偽りである。なおかつ、汝峰上人も少林寺の弟子ではない」とも答えている。
次に、《四川奇趣録》のカメラマン・李震寰も次のように述べている。
「海燈法師は確かに二指禅が出来た。しかし、この映画の撮影当時には、上半身が不自由で、歩くのにも人の支えが必要で、手足の震えもひどかった。だから、撮影のときは、縄を使って彼の足を吊した。これなら、彼の指には何の負担もかからない」
さらに、1970年に海燈法師の弟子となった高弟の周傳●【表記不能】も「《四川奇趣録》の撮影のとき、私も現場にいたが、師傳(海燈法師のこと)は高齢で病気だったので、二指禅はやらなかった。撮影したときは、補助的手段──つまり、縄で彼の足を吊して力を分散したのだ」と答えた。「縄がなければ、彼はやらなかったよ」ともいっている。
そして、崇山少林寺の第30代の住持である素喜によれば、海燈法師が師事したという汝峰上人は少林寺の弟子ではないという。
「少林寺に汝峰という人物が出現したことはない」と述べ、その理由として「少林寺の和尚には輩分【訳注1】という厳格な名前の順番があり、汝というのは67番目だ。しかし、いま現在、輩分は34代で止まっている【訳注2】。もし、汝峰が出現するのであれば、それは300年後のことだ」と説明している。
ということは、汝峰上人が少林寺の和尚では絶対にあり得ないし、その弟子だと名乗った海燈法師も当然ながら少林寺の和尚ではないことになる。
■海燈法師の武功
それでは、海燈法師の武術の腕前は、実際にはどれほどのものだったのだろうか?
四川の著名な武術家・鄒コ發は、かつて海燈法師の二指禅を見たことがあるという。
「1962年、私は自分の眼で海燈の二指禅を見た。そのとき、まさに壮年だった海燈は二指禅を表演したよ。でも、それは体を横にしての二指禅だった」これは、つまり体を横にして両足を地面につけたまま、二本指で体を支える姿勢のことである。
また、彼はいう。「根本的に、これは《四川奇趣録》の二指禅のような難度の高いものじゃない。当時は私もとても若かったので、海燈の表演を見て自分も学んだが、まさか友達も出来るとは考えもしなかった」
さらに、(体を横にしての)二指禅は練武している人が手を鍛えれば基本的に誰でも出来る、とも述べている。「二指禅は練功の一種だが、あまり実用的な価値はないよ」
そして、海燈法師の武術の腕前については「柔軟性は比較的良かった。でも、柔軟性は練武している人にとっては、基本的素養の一つに過ぎない。彼の拳法の套路は凄く遅い。太極拳より遅いくらいだ。だから、海燈の武芸はあまり高くないね」と述べている。
■海燈法師の生涯
どこまで信用できるか分からないが、海燈法師は1904年に四川省江油縣重華鎮で生まれたという。海燈法師の本名は范無病で、家はとても貧しく、5歳のときに母親を病気で亡くしたという。7才のときから、母方の叔父に武術を学んだ。
青年になったとき、江油縣(あるいは成都)の某寺で出家して海燈という法名をもらった。その後、各地を回って仏教活動と武術活動を行った。そして、60年代に故郷の重華縣へ戻って居を構えると、武芸を教えたり法事を行ったりして生活していたという。
また、12才のとき、父親を地元の悪覇に殺されて復讐を誓い、出家後に各地の名師を訪ねて武芸を苦練したともいう。1930年前後、少林寺の二人の和尚が四川を雲遊したとき海燈法師と出会い、二人は彼に少林の武芸を熱心に指導した。その結果、海燈法師は《二指禅》《童子功》《梅花椿》などの絶技を会得したのだという。
有名になった後の1985年、彼は中国映画の代表団とともにアメリカを訪問し、当地において演武を披露し、また弟子の一人がアメリカの青年と戦って勝ったという。
1989年1月、海燈法師は成都で円寂した。享年85才だった。
■結論
結論をいえば、トリックの絶技で有名になったホラ吹きじいさんが、運良く当時の「少林寺ブーム」に乗っかって荒稼ぎした、というのが真相だろう。
マスコミもあることないことを書き立てて部数を伸ばし、弟子たちもインチキ武術家と知りながら、海燈法師という御輿を担いで、儲けのオコボレに預かったという図式である。
いやあ、それにしても、海燈法師の物語を翻訳する前にネット検索して良かったなあ。お陰で翻訳する手間も省けたし、うっかり信じて物語をUPでもしていたら、とんでもない恥を掻くところだった(苦笑)。
ところで、海燈法師自身にすれば、インチキとはいえ、人生の最後に見事な打ち上げ花火を上げることが出来たので、幸せだったのではなかろうか。
ただ、その余波は今も残り、大陸のみならず日本にも彼を盲信している武術オタクがいるようである。私の一文が彼らの眼を覚ますきっかけになれば嬉しいのだが・・・・・誰も読まないよなあ(苦笑)。
しかし、大陸の人は素朴というか、信じやすいんですね。こんなのインチキだって直ぐに気がつかないのでしょうか?いくら4000年の歴史があるといったって、出来ないものはどうやったって出来ないのだから。
それとも、大陸の人間なら出来ると過信したのでしょうか。だったら、そっちの方が怖いなあ(笑)。もしかして、《一指禅》をホントにやって指を骨折した人がいっぱいいたりして・・・・・う〜む、ありえるぞ(爆)。
【訳注1】輩分は、笠尾恭二氏の「少林拳血闘録」では字輩と訳されていて、全70字からなる訣歌から一代につき1文字を使って命名される少林和尚の名前だという。これを始めたのは、少林寺中興の祖といわれる元代の福裕禅師で、字輩では彼が初代に当たる。ちなみに、訣歌の全文は以下の通り。
福慧智子覚 了本圓可悟
周洪普広宗 道慶同玄祖
清浄真如海 湛寂淳貞素
徳行永延恒 妙体常堅固
心朗照幽深 性明鑒崇祚
衷正善禧祥 謹愨原済度
雪庭為導師 引汝帰鉉路
上記の第30代住持の名は素喜なので、これに当てはまる。また、近代にコ揚・行正という名僧もいて、現在の住持は永信だというが、それらもこの字輩に合致している。
【訳注2】「少林拳血闘録」」によれば、1920年代に恒林と妙興という武僧がいたという。とすれば、現在のところ第36代まで来たことになる。
余談ながら、海燈法師の海は確かに字輩の25番目にあるが、資料の《少林拳術秘訣附考證》を見ると、この海という字輩を使った和尚が登場したのは、今から250年以上も前の乾隆年間であり、その中に海燈という名前は見あたらない。
万が一、海燈という和尚を書き漏らしたのだとしても、まさか海燈法師が18世紀に生まれたわけではないと思うのだが(笑)。
[オマケ1]こんな漫画まであります。
http://comic.sinchew-i.com/html/haideng.html
[オマケ2]80年代に作られた海燈法師の伝記TVドラマ『海燈法師』(↑)は、今でも売っているようです。興味があったら、探してみて下さい。
| 「閑話休題」の目次に戻る |