エニックスって知ってますか?
これを読んでおられる皆様なら必ずご存じであると思います。知らなきゃ、モグリっすよ。
そりゃ、昔初めて聞いたとき、エスニック? 辛いの? とかおふざけを言っていましたが、今や株式上場までして、ゲームをあまり知らないオヂサンまでにその名を轟かせていますから、大したものです。
今でこそ、「ドラゴンクエスト」のエニックスとして広く国民に愛されていますが(当社比)、昔からソフトひと筋のメーカーだったわけではありません。
任天堂だって、今ではファミコン売って儲けてますが、昔は花札屋だったわけですから、別におかしいことではありません。
でも、エニックスはちょっと変。変というか、意外なんです。
それは、昔エニックスはゲームとはおおよそ関係なさそうな、「(株)営団社募集サービスセンター」という会社名だったからです。
これが、現在のエニックスを築く基礎となっているのです。なんか堅苦しそうな会社ですね。
さて、この会社の創立者は、今のエニックスの社長である福嶋康博(ふくしまやすひろ)氏。創立は1975年だそうです。なんと、私の生まれた年ではありませんか。 ちなみに社長、出身が私と同じ北海道ではありませんか。まあ私は札幌で、社長は旭川なんで、シティボーイ度は私の方が遥かに高いですね。私の勝ち。こういうことでしか、勝てないよ(;_;)。
それはさておき、この会社の営業内容は何かといいますと、公団・公社の空き家情報を提供する会員制の月刊雑誌を発行する、簡単にいえば住宅情報誌を発行する会社でした。 本当にゲームとは無関係の会社だったのであります。しかも、この住宅情報誌事業は大成功したのです。今風に言うとブレイクしたってやつですね、はい。
そこでこの社長、次に何をしたかというと、これで稼いだ資金のうちの3000万円を新しい事業に回しました。この事業が何かというと、寿司のチェーン店なのでありました。 それも、米国製の「自動寿司握り機」を使ったチェーン店だというんだから、なんともまあ・・・
結果は、大失敗。今は機械が寿司を握るのはごく当たり前のことなのですが、この当時、今から10数年前の機械が握った寿司というのはすごくまずかったらしく、 東京に出した第1号店は数カ月で店じまいとなりました。野望はここで朽ち果てたのですね。
この時社長は、「自分の肌でニーズを感じ取れない事業は絶対にうまくいかない。勝負をするのはやはり自分の得意な情報ビジネスしかない」という教訓を得たそうです。
いやあ、社長。3000万円の授業料は高かったですね。
そして、1980年から1988年にかけて、パソコンソフト開発の「エニックス(1982年)」、小西六(こにしろく)写真工業(今のコニカだよ)他、数社共同出資による「小西六エニックス(1983年)」 など数社を設立し、現在は営団社募集サービスセンターに全ての子会社を吸収し、社名を「エニックス」に改名したのです。 なんと、エニックスはもともと子会社だったのですね。ドラクエのヒットで子会社が1番売り上げを出すようになったので、面目を保つ意味で合併し、社名を変更したのでしょうか。うーん、大人の世界ですね。
ところで、エニックスの社名の由来は結構有名な話で、世界初のコンピュータENIACと不死鳥Phoenixの2つを組み合わせた造語です。自分なりにその意味を考えてみよう。 結構深いと思うのですが・・・ こういうのを邪推っていうんですよね。よくわかんないですけど(嘘ばっかり)。
今でこそ(なんかこの書き出しが多いような気がする)、活動の場をコンシューマに移したエニックスでありますが、昔はパソコンゲームを多く作っていました。 エッチなゲームも作っており、今の健全な感じのするエニックスからではちょっと考えつきませんね。
さて、エニックスといって忘れてはならないのが「エニックス・ゲームホビープログラムコンテスト」でありましょう。
どうも社長さん、自社開発でソフトを作る気はなかったらしく、コンテストでも開いて、ゲームをかき集めちゃえ〜、みたいな発想があったものと思われるのですが、どうなんでしょう?
まあそれはさておき、このコンテストがきっかけとなり、中村光一、堀井雄二、森田和郎などといった、説明するまでもないメンバーが発掘されたのです。でもなんなんで、少し説明しましょうね。
このコンテストで入賞した作品は、エニックスから次々とパソコンソフトとして商品化さていき、売り上げは好調だったそうです。
- 中村光一
- 今でこそチュンソフトの社長さんで、トッププログラマーのイメージがあるこの人だが、当時まだ高校生で、このコンテストの結果次第でプログラマーとなるか大学に進学するか決めることにしていたが、 入賞したので前者の道を歩むこととなる。高校生の頃からいろんな雑誌に数多くのゲームプログラムを投稿し、数々の賞を受賞していることからこのコンテストがなくてもプロとして活躍ていたこと間違いない。
ちなみに、「スクランブル」というPC-8001用の4面構成の横シューティング(後にコナミから商品化された)を「I/O」という雑誌に投稿し、その原稿料でPC-8801を買って「ドアドア」を作った、というのが定説らしいのだが、 その辺は定かではない※。「ドアドア」はコンテストの優秀賞となった。
※編注(98.12.28):ろふぉんさんなどからの情報で、この記述は誤りという事が判明しました。実際はこの逆で、アーケードのスクランブルが先だそうです。どうもすいませんでした。
- 堀井雄二
- この当時はフリーのルポライターをしており、このコンテストの記事を書くためにエニックスに取材に来たときに、社長の福嶋氏が応募を勧めたという。 堀井氏自身もゲームには興味を持っており、前々からこのコンテストに応募するかどうか悩んでいたという。コンテストの応募作品は「ラブマッチテニス」で入選であった。しかし、他の作品と比べ影は薄かった。
ちなみに、さくまあきら氏と「OUT」という雑誌で連載を持っていたり、ペンネームで「ゴルゴ13」の原案を数回担当したことがあったらしいが、詳細不明。
- 森田和郎
- PC-8001全盛期の頃から、「アルゴリズムの森田」と呼ばれた人物。
自ら「天才森田」と名乗る。略して天森、通称モリタンだそうだ(苦笑)。コンテストでは「森田のバトルフィールド」というゲームで最優秀賞をとり、以後も「森田のオセロ」、「森田の将棋」、 「アルフォス」などを手がける。
必ず題名に「森田の〜」とつくのでその自信のほどを伺うことができる。彼は、将棋5段、囲碁5段、オセロ2段など、確かにすごい人物ではあるが、それは「のび太の〜」とセンスは 一緒である。ちなみに、彼の好きなものは「アニメ、少女マンガ、難しいパズル」だそうだ。たいそうな御趣味である。今この人何してるんだろう?
エニックスはこれ以降もコンテストを開催し、その度に入賞作品を続々と商品化していくのでした。
さて、ここからがエニックスの面白いところ。普通ならその才能を高く買い、入賞者を専属のプログラマーにしてしまいそうな気がしますよね。 ところがエニックスはそれをしなかったのです。なんででしょう?
それは、エニックスはプロデュースのみをする会社にしようと社長は考えていたからです。
わかりやすい例を挙げれば、自分は作詞作曲のみをし、歌はほかの人に歌わせる小室哲哉みたいなものと考えてもらっていいでしょう。 このような「小室システム(?)」をエニックスはいち早く採用したのでした。
同じような事をやった会社に、米国の「エレクトロニック・アーツ」というのがあります。
この会社もコンテストにより、野に下っている有能な人材を集め、今では世界でも有数のソフト会社としてその地位を築き上げました。 ちなみに、創業はエニックスと同じ1982年というから、深いですね。
ところで、当時のエニックスのゲームってどんなものがあったのでしょうか?
わかる限りで年代ごとに順不同で羅列していきますが、今のエニックスからでは想像できないものも多くあり、驚きです。 ちなみに、解説できるものについては解説していますが、大したものではありません。
1983年
- ☆ドアドア
- ご存じ、中村氏のデビュー作。発売当時大人気で、日立のS1というようなマイナーな機種にもどんどんと移植されていった。もちろんファミコンにも移植されたが、こちらの方はあまり芳しくなかった。それでも30万本売ったらしいが。 ゲームの内容は、ドアの中にモンスターを全て閉じ込めるというもの。単純だが奥の深いアクションパズルゲームだ。ちなみに、主人公の「チュン君」というのは、もちろんモデルは中村氏本人である。
- ☆ラブマッチテニス
- 堀井氏の作品。テニスゲーム。これしかわからん(笑)
- ☆森田のバトルフィールド
- 11×11のマップで繰り広げられるこじんまりとしたシミュレーションゲーム。一目でマップ上の変化がわかり、作りは非常に親切。
- ☆アルフォス
- これも森田氏の作品。88でここまでのスピードが出せるのか、と絶賛を浴びたゼビウス型のシューティング。というか、ナムコから了解を得ている、原作がゼビウスのゼビウスもどきといった方がいいか。かなりの出来だったものの、どうしてもゼビウスと比較されてしまうところが悲しいゲームであった。ちなみに、3Dゼビウスといわれたものに、「ジェルダ」というものがあった。
- ☆マリちゃん危機一髪
- これも第1回コンテストの入賞作品。なんと脱衣野球拳である。あ、野球拳は脱衣して当たり前か。タイトルからもわかるように、マリちゃんを脱がしていくというもの。テープに女の子の肉声が入っていたのが斬新。今のエニックスでは考えられないゲーム。
- ☆女子寮パニック
- 女子寮という禁断の花園に潜り込む、アドベンチャーゲーム。ロムちゃん(某キャラクターのパクリか)という女の子を連れ出すのが目的。これもちょっとHなのでした。
- ☆ポートピア連続殺人事件
- 堀井雄二の第2弾がこれ。この時はまだ、コマンド入力方式といって、いちいちキーボードからコマンドを入力していた。「LOOK DOOR」とか、「GET KEY」とか。今のようなコマンド選択方式になったのは、同じく堀井氏の「オホーツクに消ゆ」からであるが、これはエニックスからではなくアスキーから発売されていた。あっと驚くラストとチープな絵は必見である。
- ☆ニュートロン
- 中村光一の第2弾がこれ。ドアドアと同じキャラクターもののアクションでした。
- ☆地底のモンスター
- ☆D.I.S.エアポート
- ☆バクテリアエスケープ
- ☆ピラニア君の一週間
- ☆暴走オリエント急行
- ☆星子のアドベンチャー
- ☆雷太のグローイングアップ
- ☆ライトフリッパー
- ☆限りなき戦い
- ☆コスモクラッシュ
- ☆ドクロンの館
- ☆ロリータ・シンドローム
1984年
- ☆ウイングマン
- この頃のエニックスというのは原作付きのゲームを多く発表しており、この「ウィングマン」はその代表作といっても良い。ウィングマンはその昔、桂正和が少年ジャンプで連載していた人気マンガ。主人公のあおいちゃんなどの、かわいい女の子はさすが桂正和といったところであろう。
ゲームの方は、非常に完成度が高いアドベンチャーゲーム。原作に忠実なグラフィックはファンならずとも必見。よく当時のパソコンでここまでできたと感心する。適度にはさまれた戦闘シーンは緊張感が増してよい。このゲームはスペシャルも含めて3作もの続編を生み出した。- ☆ザース
- 超アニメなアドベンチャーゲーム。美少女とメカがたくさん出てくるという、その手の王道をひた走っている作品。このゲームの作者はアニメとパソコンが大好きという高校生数人。これもなんか王道をいってる(笑)。かわいい広告の女の子につられて買った輩が多いらしいが、その子が出てくるのはそのシーンのみ。エニックスはこの頃から商売上手である。ちなみに左の写真の子がそうである。強引な展開で、一方的に話が進むと、雑誌の評価はわりときつかった。
- ☆No.1ゴルフ
- ☆FAN FUN
- ☆カラクリ忍法
- ☆ハイスクール・アドベンチャー
- ☆暗黒城
- ☆グッツン
- ☆フリップフロップ
- ☆スウォーム
- ☆アラレのジャンプアップ
- ☆Dr.スランプ バブル大作戦
1985年
- ☆ TOKYOナンパストーリー
- 「同級生」など数あるナンパ系ゲームの元祖がこれ。登場する女の子は総勢55人とまたゴージャス。その中には補導官やMr.レディなどのハズレが10人程度混じっているのがまたミソ。初心者は、声をかけたら簡単についてくる、この人たちしか口説くことができない。そして、登場する女の子それぞれみんな性格も異なるというのだから、同級生も真っ青である。強引に結婚を迫られたり、調子よくいってると思った矢先、門限で帰ったりとなんとも現実的ではあるが、間違えてもこのシミュレーションを元にナンパを行ってはならない。そんな事をされると、日本の未来が心配である。
ちなみにこれ、「3年B組、金八先生」の原作者が作ったゲームらしい。- ☆ エルドラド伝奇
- これまたちょっとHなアドベンチャー。さらわれたホシコを助けるためにアマゾンへ向かう。ちなみに、「女子寮パニック」や「マリちゃん危機一髪」と同じ人が作っているゲームで、名前は槙村ただし。漫画家だが、知ってる?
- ☆ 軽井沢誘拐案内
- 堀井雄二作品。ちょっと陰に隠れた感じのあるこの作品ではるが、名作であること間違いなし。軽井沢の別荘に遊びに行っていた主人公の恋人久美子ちゃんから電話があり、主人公も軽井沢に遊びに行くが、そこには久美子ちゃんの妹のなぎさちゃんもいた。そして、なぎさちゃんが誘拐事件に巻き込まれ、なぎさちゃんを探していた久美子ちゃんまでもが行方不明になってしまう、というストーリー。ちょっとHなシーンや、戦闘シーンなんかもある、かわったアドベンチャーもの。これ以降、堀井雄二はパソコンから手を引いてしまった。
- ☆ ワールドゴルフ
- この当時では、最高峰のゴルフゲーム。リアル。
- ☆ 森田の将棋
- お天気キャスター森田さんの作品なわけがなく、あのモリタンの作品である。とにかく強い。最高レベルなんかでは、私ごときでは勝てない。さすが1年がかりで作ったと言われるだけのことはある。PC-88版だと、モリタンの顔を拝むことができる。夜中に突然こんなものを見た日にゃ、あんた…(まさか森田氏、読んでないよね)
- ☆ 地球戦士ライーザ
- これは、後に任天堂から「銀河の三人」としてファミコンに移植される。
- ☆ セイバー
- これもなんか、妙にマニア向けのアニメチックな作品。PC-98専用のアドベンチャーということで、画面全体がアニメーション(とはいってもたかが知れてるが)するというのがウリ。まだこの当時は8ビット機ユーザーが多かったので、その人たちにとって、このゲームは羨望の眼差しであった。ちなみに、主人公の名前は「シンジ」だ。
- ☆ アゲイン
- ☆ ガムボール
- ☆ ブルーフォックス
- ☆ ザクサス
- ☆ 走れ!せんべいさん
- ☆ パックランド
1986年
ということで、当時のエニックスのパソコンゲームを振り返ってみましたが、どうでした?
- ☆ ウィングマン キータクラーの復活
- あのウィングマンの続編である。ジャンプでの連載はとっくのとうに終了していたのだが、パソコンの世界ではまだまだ大人気だった。「1」と比べると、グラフィックがさらに綺麗になった。お色気シーンも少しあるが、ぜんぜんいやらしさは感じない。ファン感涙の1本である。
- ☆北斗の拳
- まさか、エニックスからこんなものが出ていたとは… 原作の内容は今さら書かないが、まあ色々と問題にもなったが、人気があったのも事実。なんか、アメコミのようなグラフィックは私はあまり感心しない。戦闘時のアニメ処理が魅力な、アドベンチャーゲームである。好きなら買いか。
- ☆MSX版ドラゴンクエスト
- 今さら語ることもない、超有名RPGの第1弾。ファミコン版は名作であったが、MSX版は駄作。同じストーリーで、同じマップで、同じ敵が出てくるのに、何でだろう。理由は簡単。スクロール処理が劣悪。酔い止めの薬でも飲まないとプレイできないであろう。色づかいも目に優しいとは言い難かった。これはファミコン版でのプレイを強烈に勧める。「2」もMSXに移植され、前作の反省の意味も込めてか、ファミコン版にはないちょっとしたオマケがあった。
知っているものはありましたか?
年表は1986年で止まっていますが、まだあと少し、エニックスはパソコンでゲームを作っています。 あえてここでやめたのは、エニックスがパソコンゲームで1番元気が良かったのは84〜85年だと思ったからです。
ドラゴンクエストのヒットにより、活動の場をパソコンからファミコンへと移す、ちょうどそれが86年頃で、ソフトの発売数も激減しているのがわかります。
光栄と共同出資で、「COMIX」なる変なゲームの製作会社を発足させていたのも、若気のいたりというやつでしょうか。今となっては良き(?)思い出ですね。
さて、中村光一氏がゲームプログラムの会社「チュンソフト」を設立したのが1983年のことであります。 単なる高校生だった彼が、「ドアドア」1本で大富豪になり、ついには社長にまでなってしまったのです。凄いですねえ。
ちなみに、この頃の彼が受け取った印税の額が雑誌に公開され、その金額のあまりの多さに「第2の中村」を目指すべく中高生が急増したというのは有名な話であります。
そして彼自身も、その膨大な金で浴びるほど酒を飲み、夜遊びもこなし、ソアラまで買ったそうではないですか。まったく、若いうちに大金を手に入れるとロクなもんではありませんね(もうジジーか、オレは)。 最近、アスキーの某コンテストで1000万円もの賞金を受け取った高校生の彼も心配でなりません。余計なお世話ですね。
話がずれました。元に戻しますね。さて、この頃で忘れてはならないのが「ファミコン」の存在です。飛ぶように売れているこの機械に目をつけないゲームメーカーなどありません。当然、エニックスもこれに目をつけ、ファミコンソフトの 開発にも力を入れるようになりました。
その第1弾はご存じ「ドアドア」。1985年7月18日に発売されました。しかし、先ほども書きましたが、パソコン版ほど話題性はなく、人の目に触れにくいものとなってしまいました。 それでも30万本出荷したというのだから、驚き桃の木20世紀ですね(意味不明)。
その後、同年11月には「ポートピア連続殺人事件」が、翌年5月にはあの「ドラゴンクエスト」が発売され、今に至っているわけです。ところで、ドラクエのスタッフといえば、紹介してきた中村光一氏と堀井雄二氏の他に、作曲家の「すぎやまこういち」氏、モンスターデザインの「鳥山明」氏も忘れてはなりません。 この4氏がドラクエと係わることになった経緯を少し書いて、このコーナーを閉めることにしましょう。
まず、中村氏と堀井氏から。この2人が初めて一緒に仕事をしたのは、ファミコン版ポートピアのときでした。この後、この2人はエニックスのお抱え作家(?)として活躍していくのは言うまでもありません。 当然、ドラクエにも関与することとなります。
次にすぎやま氏。この人は昔からゲームが大好きで、ファミコンやパソコンのゲームもよくやっていたそうです。こともあろうにモリタンこと森田和郎氏のファンだったらしく、 「森田の将棋」のアンケート葉書をエニックスに送ったことより、エニックスとの縁ができたというのが一般説です。
そして、鳥山氏。この人の場合は、堀井氏が少年ジャンプの編集者、マシリトこと鳥嶋和彦氏と付き合いがあったことがそもそもの始まり。 この当時、少年ジャンプでは「Dr.スランプ」という語るまでもない超有名マンガが連載されており、この作者が鳥山氏で、編集者が鳥嶋氏だったのです。もうおわかりですね。 そういうことです(どうゆうこと?)。ちなみに、鳥山氏もゲームが好きで、アップル版のウィザードリィをよくやったというから、筋金入りですね。この人、模型も趣味なんだよね。その腕は超1級だとか。ということで、エニックスの過去を振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか?
エニックスも、何年か前まではドラクエ以外は出さない、とか言っていましたが、最近は色々出してますし、ドラクエもなーんかマンネリ化してきており(当社比)、 そろそろどうにかした方がいいと思うのですが、こんなことここで愚痴っても仕方ありませんな。
まあ、古くからのパソコンユーザーの方には懐かしんでもらえたでしょうし、その頃を知らない人も、意外なエニックスの素顔を知ることができたでしょう。
そう感じてもらえれば、はにゃほにゃ帝国としても本望であります。本当だってば。
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エニックスとくれば、ここしかないでしょう。 |