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| 危険地帯 | ||
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1997年作品 No.1 めざせ毎日更新 1998年作品 No.29 1998年の祝賀 1999年作品 No.60 1999年の祝賀 2000年作品 No.76 2000年の祝賀 2001年作品 No.85 2001年の祝賀 2002年作品 2003年作品 |
91.でもここは高井戸 もしかしたら関東ローカルかもしれないが、三浦彩香から遠峯ありさ、そして華原朋美と改名を繰り返し、コムロに愛想を尽かされて落ち目になったところを電波少年に拾われて、多少息を吹き返した本名下河原朋美とかいう女が馬に乗って「幕の内390円は安いぞー、でもここは高井戸ー」とか言っている非常に寒いローソンのCMがある。私に寒いと言われるようなので、このCMの寒さは尋常ではあるまい。 「安いぞー、でもここは高井戸ー」というダジャレに関してのみ言及するのであれば、私はそれほど寒いとは思っていない。なぜならば、私はこの手のギャグが非常に好きな人種であり、周りの批判を浴びつつも日常茶飯事使っているからである。だが世間一般的には、このダジャレは十分に寒いと認知されているようであり、おかげで本CMは非常に寒いという評価になっているようである。しかし、私はこのCMがここまで寒いものになってしまった原因は、ダジャレうんぬんではなく、朋ちゃんがやっているからだと思っている。これがたとえば、オセロの中島辺りがやっていたのであればただ寒いだけで終わっていたのだが、朋ちゃんがやることで寒いだけではない、プラスαを伴なった異様な雰囲気を醸し出してしまったのだ。そう思った要因が、あの元気のよさだ。非常に元気よく「たかいどー」と言っているのだが、これはカラ元気なような気がしてならない。「何で私がこんなことやらなければならないのよっ」という心の叫びが奥底から聞こえてきそうな感じなのである。きっと朋ちゃんは過去の栄光を棒に振りダジャレを連発するという落ちぶれた状態にある自分を憂いているに違いない。仕事を選べばいいものの、それができない自分が悔しい。…哀れというかなんというか、朋ちゃんの悲痛な叫びがあのCMからビシビシ伝わってくる。それがまた実に哀切なのである。その悲壮な雰囲気が、寒いというか物寂しいと感じざるを得ない状況を作り出しているのだろう。 それに輪をかけたのが、乗馬である。確かCMがオンエアされた当時は高井戸駅のホームで普通に喋っていただけだったような記憶があるのだが、いつのまにか馬が登場し、ホームの上で乗馬して「ここはたかいどー」などと連発している始末。なぜ馬が出てくる必要があるのだろうか。馬鹿、とでも言いたいのだろうか。もう自分を捨てているとしか思えない。自暴自棄モードに突入してしまった。こうなったらもう誰にも止められない。 そして最近、この勢いに乗って第二弾が登場した。「シュウマイ弁当390円は安いぞ、でもここは行田(ぎょうだ)」である。朋ちゃん、わざわざ埼玉の奥地まで出張した挙句、くだらねーダジャレを発しているのだから絶句である。よほど気合が入っているのだろう。CMも終焉を迎えると、「シュウマイ行田シュウマイ行田シュウマイ行田…」と連発しており、ますます涙を誘うのである。別に「シュウマイ行田」を連呼しなくとも、本来のアーチストとして生き延びる道はあったと思われるのに… なにが彼女をそこまで追い詰めたのだろうか。 ところで、第一弾第二弾ともなると、「餃子」と「行田」のようなただ語感だけでウケを狙う駄洒落は物足りないと感じているのだが、いかがなものだろう。もう少し高度で知的な、昔懐かしのボキャブラ天国で言うところの「インパク知」のパラメーターが高いようなネタを切望したいのだが。 たとえば、「シュウマイ弁当390円、でもここは宇都宮」。これは、宇都宮は餃子が名物だという物産的背景と、餃子の街でシュウマイを売る妙を理解していないと全く面白くないシロモノなのだ。 しかし、最初は「すっげーこれって面白い! おれって天才じゃーん」などと思っていたのだが、ここまで文章を書いているうちになんだかそんなに騒ぐほど面白くないということが判明した。やはり、15秒とか30秒という短い時間で視聴者にメッセージを伝えるとすれば、あまり考えさせるようなものはダメなのかもしれぬ。よって、現在朋ちゃんがやっているようなタイプのものがいいのであろう。 ということで、このCMが朋ちゃんが降板することなく、第三弾第四弾と続くことを願って、今度登場しそうなネタを考えてみた。いちおう、地方出張を加味したものとなっているので、ローソンのCM担当者は遠慮なく使ってもよい。
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