【階段を上る足音】
これもまたまた大学時代、京都での話。
演劇活動を通じて親しくなった友人達と、冬のある晩洛北のとある酒場で飲んでいた。話はいろいろと盛り上がり、とうとう私は終電を逃してしまった。すると飲んでいた仲間の中のひとり、H君が泊まっていけと言ってくれて、宴は深夜1時過ぎくらいまで続いたのだった。
H君の住んでいたのは、当時の京都にはよくある学生アパートで、木造モルタルの2階建て。玄関は引き戸になっていて、入るとすぐに上がり框と下駄箱があり廊下が伸びている。廊下の両脇に個室が数部屋ずつ並び、さらに突当りは階段になっていて、2階へと続いている。
私の他にも何名かが一緒に泊まり込むこととなり、持込みの安ウイスキーを舐めながら雑魚寝となった。話はだんだんと演劇や映画のことから色恋のこと、下ネタへと移っていき、その内に一人寝入り二人寝息をたててといった具合。
やがて誰もが寝静まった真夜中の何時ごろだったろうか、ふと喉の乾きを覚えて目が覚めた。周りの皆を起さぬようにそおっと台所へ立ち、コップに数杯の水を飲んで、再び戻って静かに横になり、寝直そうとした時である。
カラカラカラッと玄関の開く乾いた音がした。
こんな真夜中に誰だろう。Hは、もう後期試験も終わったのでアパートには自分以外誰もいないから夜中でも気兼ねせずに騒げると言っていたのだ。
京都独特の冷たくて湿った空気が外から廊下に吹き込んでくるのが、板戸一枚隔てたこの部屋にいても感じられる。
開けっ放しにしやがってと思っていたら、ミシリと音がした。
板張りの廊下をゆっくりと誰かが歩いている。吹き込んでくる風の音の他はなにもしない夜の中で、足音だけがミシリ、ミシリと廊下を進んでいくのだ。
そして足跡は、我々の寝ている部屋の前で停まった。
入ってくるのかと待っていると、中の様子をうかがう気配だけがして、また足音は廊下を進んでいく。次にギシリ、ギシリと音が変わり、ああ、階段を上っていってるのだと知れた。
それにしてもすごくゆっくりだ。きっと眠っている我々に気を使ってくれてるのだろうと思い、さらに聞き耳をたてていると、2階の部屋の扉を開ける音がギーッと鳴った。
なぜだかふわっとそれまでの緊張感が溶け、やっと眠りについたのだが…。
翌朝、Hにこの話をすると、顔色が変わった。彼の言うには、およそ1年前に2階の1室の住人が司法試験受験のノイローゼから首吊り自殺して、以来2室ある2階には誰も住んでいないのだと。