久松祝人(ひさまつほきと)
これはペンネーム(芸名)であります。カタカナ表記でホキトと書くときもあります。この名はどこから来たかというと、「ほがいびと」→「ほぎひと」→「ほいと」→「ほきと」と転じさせていったわけです。70年代前半の高校時代、髪を肩まで伸ばして裾をフリンジさせたベルボトムのジーパンはいて、ギターを抱えて外出しようとしてたら、今は亡き祖母ちゃんに、「なんね、そん格好は!ホイトんごとしてから!」という褒め言葉をいただきまして、いつかその名を名乗っちゃると思ってたわけですたい。あだ名は「さんぞう」。これは高校の演劇部で、中学の坊主頭の髪がまだ伸び切らず坊さんみたいだったことから付けられた。だもんで、人によって呼び方が違うので、同一人物とは気づいてない人も、ごくたまにいるみたい(^^;)。
1957年5月15日、福岡県は筑豊のド田舎生まれ 血液型A型 動物占いはオオカミ
小学校中学年の頃に、紙粘土で指人形を作ることに熱中。5〜6体作って、「つくし座」という人形劇団(といっても一人で遣るのだが)を名乗って、家族の前で芝居をする。
中学に入り、父から買ってもらったガットギターが、悪の扉を開く鍵となってしまった。半年後には下手なオリジナルを作るようになり、人前で歌うように。
高校では、クラブ紹介で観た芝居に感動して、演劇部に入部。芝居にフォークソングにあけくれた三年間。
当然のごとく1年浪人して、京都の大学に。田舎者だったので、1年ほどあちこち芝居やライブを観まくり、2年の時に劇団酔汀舎を結成。4年になり、他のものが就職活動しているときに、プログレッシブロックバンド・猟奇王を結成。ベースを担当する。
やがて、福岡に帰り、2年近く今でいうフリーター生活の後、某タウン情報誌に勤務。また、劇団仮面工房に参加。オリジナル脚本を数本、上演する。
やがて情報誌退職後、フリーライターをしながら、脚本や短編小説を書いたり、曲を作ったり歌ったりの現在に至る。

◆発表済みの脚本
「霖雨母子鳥哀歌(そぼふるあめのははこどりあいか)」(1978年12月劇団酔汀舎旗揚公演脚本)
「みづのくにのアリス」(1979年12月劇団酔汀舎第2回公演脚本)
「おひさまでたぞ こわいぞ イッヒッヒ」(1982年12月劇団仮面工房旗揚公演脚本)
「だりだりでぃんどん」(1984年3月劇団仮面工房第2回公演脚本)
「ラジオのように」(1986年6月劇団仮面工房第4回公演脚本)
「子供の王国」(1989年12月劇団仮面工房第6回公演脚本)
「サンクチュアリ」(1993年6月劇団仮面工房第10回公演脚本)