第参話
道を行くもの

 (けっこう陽射しがきついな…)


 ボクは、身の回りのもの一切合切を詰め込んだ頭陀袋を肩に担いで、道を歩いていた。お日さまはいつの間にか後頭部を直射する角度にまで上がり、首すじが暑くて、ボクは野球帽のツバを後ろにまわした。汗がひとすじ、シャツの背中に滑り込んだ。


 街を出てから、もうどのくらい経ったろうか。あの街には2年半も暮らしていたことになる。いやなことも、いいことも、今振り返ってみればちょうどおんなじくらい。プラマイ・ゼロってとこだな。ちょっと心残りなのは、行きつけの店のサラっていうバイトの子に、別れのアイサツができなかったことくらいだ。サラはどっか南の方の国の留学生とかで、よく日焼けした肌にカラスの羽のような真っ黒な髪、クリクリッとよく動く大きな目が愛らしかった。


 (サラのヤツ、少しはボクに気が…)


「やあ若いの、ひとりでこんな道をどこへいくんだい」

 思いがけない声に顔を上げると、目の前には象が立っていた。灰色でシワシワ、ゴツゴツの皮膚。ゆっくりと、いつか観た映画の中のタイの王宮の召使いが使う大きなウチワみたいに、柔らかく風をおこす耳。まるでそこだけ違う生き物がはえているのかと勘違いしたくなる自在な鼻。


 つい見とれて、返事を忘れていると
「どこへいくのさ」
 と再び象が言う。体に似合わずツブラな瞳をのぞきこむと、どうやら悪意はなく純粋な好奇心で聞いているようだ。


「どこか、次の街にいくんだ。仕事しにね」
「ふうん、どんな仕事だい」
「なんでもやるのさ、橋や教会の現場だったり、鉄道や水道の工事だったり、ゴミ拾いから飯炊きまで、できることはなんでもね」
「そうかい、街は遠いよ、気をつけてな」
「ありがとよ、あんたも元気でな」


 象はのそりのそりと立ち去っていった。ボクはまた歩き始めた。


 やがてお日さまは頭の真上にきて、自分の影がほとんど見えなくなった。ボクのかぶっているミネソタ・ツインズの野球帽は、メッシュじゃないので、頭が蒸れてしょうがないのだ。


 大きな木が道のそばに立って、気持ちよさそうな木陰を作っていたので、そこでひと休みすることにした。木の根元に座り込んで、背中を幹にあずけ、靴を脱いで思いっきり足を伸ばすと、なんだかとても眠くなってきて、ボクは知らず知らずにウツラウツラ。


「シャーッ、なにか食べるものをもってないかい、シャーッ」
 生臭い息とざらざらした気配に目を覚ますと、アナコンダが木の枝からぶら下がり、赤い舌をチラチラと見え隠れさせていた。


「た、食べるものって」
「もうふた月も、なにも食べてないんだ。最後に食べたのは、小川で水を飲んでた仔山羊だったかなあ」


 そう言いながら、アナコンダはボクをギョロッと見た。こんなとこで大蛇の餌になるのだけは勘弁してほしい。ボクはあわてて、頭陀袋の中身をまさぐった。


「こ、これなんかどうだい。テキサス産のビーフ・ジャーキーさ、ちょっと古いかもしれないけどね、なに、まだまだいけるさ」
 アナコンダはボクの手からビーフ・ジャーキーをひったくるようにしてくわえて、袋ごと丸呑みしはじめた。


「おいおい、そんなにあわてんなよ、乾きものだから、のどに引っ掛かるぜ」
 アナコンダはシューシュー硫黄臭い息を吐きながら、食事に夢中だ。この隙にと、ボクは涼しい木陰から逃げ出した。


 道は次第に埃っぽい黄色のひび割れた土から、石ころ混じりのゴロゴロした灰色に変わってきていた。はるか彼方の山脈から雲が流れてきて、時折影を地面に落としながら飛び去っていく。そして三つ角に行き当たった。


 三つ角には大きな石碑が立っていた。なにやら大昔の言葉で書かれているらしく、まったく読めない。すると石碑の後ろから二頭の虎が姿を現わした。


「どこから来たんだい、兄さん」
「ずっと向こうの街からです、虎さん。お腹空いてるんですか」
 ボクはおそるおそる訊ねた。
「いいや、先ほどランチはすませたよ。気を使わなくって結構、結構」
「ボクら、ベジタリアンだからねえ」ともう片方の虎。
「肉を食べるだなんて、そんな野蛮なこと」
「イヤだよねえ、体にも良くないし」


 虎たちの健康談義に付き合ってると日が暮れそうなので、思い切って聞いてみた。
「次の街に行きたいんだけど、どっちに行ったらいいのかな」
 虎たちは思い思いに吠えた。
「そりゃあ右だよ」
「きまってるさ、左さあ」
「右だ」
「左だ」


 二頭の虎は質問者のボクをほったらかしでつかみ合いの口論を始め、やがて取っ組み合いのケンカに発展した。そのまま待ってても、バターになってしまいそうだから、仕方なく落ちていた木の枝をほうり投げて、その枝の指した方向に決めることにしよう。えいっ。


 左だ。


 グルグル廻る虎さんたち、さよなら。ボクは左の道を歩きだした。
 お日さまはゆっくりと右手の方に傾きだきた。もう夕方だ。長い影が前方からぬうと突き出てきた。


「ねえあんた」
「こんな夕暮れに」
「どこへ行こうっての」
 影は三頭の駱駝だった。
「いや、仕事探しに、次の街へね」
「次の街たって」
「ずいぶんあるわよ」
「もう舟ないんじゃない」
「えっ、舟って」


 ボクはなんのことだかわからずに聞き返した。


「渡し舟だよ」
「川があるのよ」
「この村の先でね」


 駱駝たちは草を食みながら口をモグモグ動かしつつ喋るので、聞き取るのに手間がかかったが、どうやらこの村のはずれで、道は大きな川に分断されているらしい。


「泊まっていけば」
 と誘う駱駝を振り切って、ボクは川のほとりまでやってきてみた。もうとっぷりと日は暮れた。夕闇のなかで、霧にかすんで向こう岸は見えない。ドウドウと音をたてて、黒い川は流れている。


 船着き場があった。一隻の木造船が舫ってあった。15人も乗れば満員だろう。船頭の姿はどこにも見えない。あたりはすっかり夜のとばりが降りて、家一軒の灯も見えない暗さだ。


(朝まで待つしかないな…)


 ボクは船着き場の石段に腰を下ろし、膝をかかえて一晩を明かすことにした。いつのまにかウトウトして夢を見たようだ。夢の中でボクは、船頭になっていて、旅人をこちらから向こうへ、向こうからこちらへと渡しているのだ。


(こんな仕事も悪くはないな…)


 すると朝の光が顔に当たり、ボクは目を覚まして大きくノビをした。ふと後ろを見ると、10代半ばの男の子が荷物を持って佇んでいる。


「坊や、向こうに渡るのかい」


 男の子は真っ直ぐな目でボクを見て、コクリとうなずいた。

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