第四話
まわる、まわる
やあ、ひょんなところでお会いしましたね。えっ、私とは初対面だって。ああ、そうか、俺のほうでは、いつもあなたがブリーフケース抱えて、このドアを通るのを見てたからねえ。ついつい、他人のような気がしなくて。いや、失敬しました。
そうか、今は夏の終わりなんですね。通りを行く女性たちの格好も、なんだか少し、秋めいてきたじゃありませんか。う〜ん、いきなり半年も季節をジャンプして、大丈夫かなあ。
なるほど、どうしてこんなところにいるのかってね。いやあ、話せばちょっと長くなりますがね、まあ、あなたにとってもまんざら関係ない話でもないことだし、いいでしょう、お聞かせしましょう。
そのビルは、今はもう寂れてしまったかつての繁華街の一角に立っていた。なんの変哲もないビルだ。どこにでもある、コンクリートの灰色の、1階と2階に雑貨屋や飲食店が入り、3階以上はオフィスが入った5階建てのビル。はじめてそのビルを見たのは、去年の冬だったか。
俺はその日の午後、風邪で休んだ同僚のピンチヒッターで、自分の担当地区とは隣の、そいつの担当地区の得意先を回っていた。俺の勤める会社は事務機の販売とリースが主な営業科目で、おれも同僚もそのセールスマン。とはいっても、飛び込み営業のチャンスなんて、この地方都市じゃ滅多にない。たいていはいわゆるルートセールスで、昔からの得意先を回って、コピー機やファクシミリの調子をみたり、用紙やトナーインクの補充をしたり、メーカーがプッシュしてくる新機種のカタログを総務課の担当者のところに置いてきたりの毎日だ。
4、5軒小さなオフィスを回り、時計を見ると、すでに定時に15分前だった。うちの課長は余計な残業にはうるさいし、直帰できるものならそうしようと、車を停める場所を探した。しめた、あのビルの横から入る路地なら、人の出入りもなさそうだし、駐禁の取締りもうるさくないだろう。俺はハンドルを左に切って、車をそのビルの横に停めた。
携帯電話で会社に連絡を入れ、得意先からの急ぎの電話や伝票処理がないのを確認して、俺は直帰するからと、留守番の事務の子に伝えた。さあて、どうしようか。俺の担当地区のすぐ近くとはいえ、この辺は全然知らない街だし、ちょっとぶらぶらしてみるかと、車を降りた。
すると、そのビルの裏手の、人通りもまるでなさそうな路地に面して、どういうわけか回転ドアがあるじゃないか。そんなに大きなものじゃなくて、一度に2人が精一杯くらいの。
動いてんのかな。
なんだかちょっと気になって、俺はドアの前まで行ってみた。どうやらセンサーで人を感知して作動するような現行のタイプではなくて、自分で押して動かさなくてはならない型のようだ。俺は思わず、そのドアを押してみた。
回転ドアは、する〜っと、ほとんど抵抗もなく緩やかに回りだした。1回、2回、3回と半分、そしてまたゆっくりと停止する。もう一度、次は逆方向に押してみる。多分逆回転防止のためのハブが付けられているのだろう、今度はピクリとも動かない。俺は何度か押してみた。回転は左回りで、軽く押そうが強く押そうが、速度は変わらずゆっくりと3回半。何度やっても同じだった。
俺はふと、我に返って、あたりをキョロキョロ見渡した。こんなところ、誰か知合いにでも見られたら恥ずかしいものな。ところが知合いはおろか、平日の午後6時過ぎだというのに、ひとっ子ひとり通っちゃいないのだ。
そういえばこのビルも、雑貨屋や喫茶店、レストランなどが入居してるわりには、さっきから人の出入りがまったくない。店の照明は点いているから、無人ビルというわけでもなさそうなのに。
俺は、なぜか好奇心にかられて、回転ドアの中に入り、そっと押した。ドアはゆっくりと回り、それにつれて俺もゆっくりと足を動かす。そういや、回転ドアってタイミングをつかむのがけっこう難しいよな。遅いと後ろから背中を押されるし、速いと前の扉にぶつかるし。いやそれ以前に、まわる回転ドアの間合いをつかんで、その中に入るのが大変だ。まるで子供の頃の遊びの、大なわとびで「大波小波」をする時に、縄に足を引っ掛けて転んでしまうんじゃないかってドキドキした時みたいだぞ。
そんなことを考えていたら、つい出そびれてもう一回余計に回ってしまった。俺はひとりで照れ笑いを浮かべて、ドアから出ようとした。
その時、ドアの反対側に男がいるのに気づいた。ガラス越しに見える男は、背格好は俺と同じくらい、少々くたびれたスーツ姿で、歳も俺よりは十以上年上だろう。白髪まじりの中堅サラリーマンといったところだ。
男は、社用の事務封筒を小わきに抱え、俺のほうを見て、ニヤリと笑い、軽く頭を下げてビルを出ていった。
なんだ今の男は。
俺は知合いや得意先に今の男の顔に該当するヤツがいるかどうか確かめながら、ビルの中に入っていった。
ビルの1階も2階も、どの店も灯は点いているのに、客の姿が見えない。いや、客だけならまだしも、従業員の姿すら見えないのはちょっとおかしいぞ。
1階と2階の間には、エスカレーターがあった。俺はもう一度1階に降り、正面玄関のほうへまわって、このビルに入居している店舗と事務所名を確かめた。
カフェ・ミラージュ、蕎麦処加賀美庵、雑貨ぎやまん、ミラー商事、ドゥープル工芸…。
俺は、エレベーターのボタンを押して、5階に昇った。
5階にはオフィスが3つ。どこもドアのガラスから中の光が漏れている。新機種のカタログが詰まった鞄を持ってきているのに気がついた。ちょうどいい。セールスのふりをして中をのぞいてやれ。
手近にあったドアを開ける。大声で挨拶をしてみるが、誰も出てこない。衝立から向こうを見ると、蛍光灯は煌々と灯っているのに、誰もいない。
あわてて、次のドアに飛び込んでみる。ここにも誰もいない。そのまた次のドアを開けても、階段を駆け降りて下の階のオフィスも、そのまた下のオフィスも。
どこも、鍵は開いていて照明も点いている。つい今しがたまで、誰かがそこで仕事をしていたような気配が残っているのに。どこかの応接室じゃ、淹れたてのお茶が湯飲みからまだ湯気をたてていたくらいだ。
俺は非常口の扉を開けようとした。ところが、ここだけはしっかり鍵が掛かっているじゃないか。しかたなく、ふたたび階段を1階まで駆け降りて、正面玄関へと走ったのだ。
ああ、なんてことだ。玄関が閉まっているじゃないか。店舗の照明も全部落ちて、表側にはシャッターが下りている。そうだ、裏の回転ドアだ。俺はワックスのきいたリノリウムの床の上を、滑りそうになりながら走った。
暗闇の中で、非常灯だけが頼りだ。時計をみる余裕もなかったが、どうやら日もとっぷり暮れてしまったらしい。
西口という表示灯が見えてきた。回転ドアのところまでたどりついたようだ。シャッターは。しめた、まだ下りていない。
俺は駆けてきた勢いのまま、体当たりするように回転ドアに体ごとぶつかっていった。あばら骨が折れるかと思わせる衝撃だった。
そうか、どんなに強く押そうとも、こいつは一定の速度でしか回転しないんだ、しまった…。
おそらく俺はドアのどこかに頭でもぶつけて、そのまま気を失っていたらしい。目が覚めたときには、あたりはもう明るかった。
どうしてここにいるのか、昨日のことを思い出すまで、数十秒かかった。いててて、頭も肩も腰も、体中がギシギシと痛む。
俺はドアを押して、朝の空気の流れる外へ出ようとした。
あれ。
手ごたえがない。
ガラスが割れて、なくなってしまったのかと思い、目をこすりながらようく回りを見直してみた。
変だぞ。
まるでプリズムを透かして見た時のように、回転ドアの扉一枚一枚に、初老の男や事務服のOL、買い物姿の若奥様、出入りの業者らしい作業服の男、今どきの茶髪の女の子が貼り付いているじゃないか。
待てよ。
1、2、3、4、5、5人か。この回転ドアは、全部で6枚扉だったはず。すると、もう1人は…。
その時光の加減が変わり、反射でもう1枚の扉に貼り付いたものの正体がわかった。
そう、もう賢明なあなたは気がついたでしょう。残る1枚に閉じ込められてしまったのは、ほかならぬこの俺だったんですよ。
理屈はわかりませんがね、なにかの拍子でここに閉じ込められてしまうと、次に誰かがこのドアに閉じ込められるまで、ずうっとここにいなくちゃならないんですよ。
ずいぶん待ちましたよ。ええ、もちろん出ていくのも入った順と同じに順送りですからね。今まで5人、見送りましたよ。
不思議なことに、この回転ドアを通る全ての人がこんな目に合うんじゃなくて、たまたま、なにかの条件がぴったり合った人だけが、ここにやってこれるというわけなんです。
あなた、運がいいよ。いや、運が悪いといったほうがいいのかな。ともかく、あと何年か何十年か知らないけども、いずれはちゃんとここを出れるんだから、その時はぜひ宝くじでもお買いなさい。きっと大当たりですよ。
じゃあ、お元気で。
えっ、食事ですか。心配ないです。ここは、時間も空間も我々が普段暮らしているところとは次元が違いますから、腹も減らなきゃトイレもいかなくていい。まあ、時間の流れ方が違うとはいっても、あまり長いこといると、少しは歳とっちゃうみたいだけどね。
そろそろいいですか、せっかく交替できるっていうのに、長居してたら、また別のドアに入んなきゃならなくなるもんで。
さよならっ。