第五話
夢の中の街
誰でも夢はみる。
俺は夢なんかみないよと言ってる人も、実はしっかり夢をみていて、ただそれを、朝起きたときには忘れてしまっているのだ。
昔から夢占いや正夢、逆夢の話はよくきくし、精神分析でも夢は研究の対象になった。 まあ、ジグムント先生みたく、すべてを性的欲求にからめて考えるのもどうかと思うけどね。
たいていの夢は、自分が今抱えている問題や悩みが反映されていたり、なにか印象的なできごと、ショッキングなできごとを再体験するような形だったりする。
たぶん、そのことを自分の深層心理でより深くとらえたり、あるいはショックを和らげるためにみるのだろう。
でも、なかにはいつも同じ夢をみたり、連続ドラマのように、ストーリーが続いてたりする夢をみることもある。ぜんぜん自分の実生活に関係のないような。
今回は、そんな夢の話をしてみようか。
ボクがその街に初めて行ったのは、いったいいくつのときだったろうか。高校生、いや。中学生くらいのときだったかもしれない。
季節がいつだったかも、もう定かじゃない。うっすらと記憶にあるのは、真夏でも真冬でもない、なんだか中途半端な季節、街全体に、ぼんやりと影のような靄がかかっているときだった。
ふと気づくと、ボクはその街にいた。
どうやら列車でその街の駅に降り立ったようだ。
線路は単線で、駅の近くでだけ複線になっていて、上りと下りのすれ違いができるようになっていた。でも、上りの方向も下りの方向も、ホームに立って目をこらしても、四、五百メートルから先は靄に消えてしまって見えない。
列車の便は、朝夕の時間帯を除けば、上下線とも一時間に一本くらい。嘱託らしい駅員がひとりいるきりだ。
駅前にはロータリー広場があって、バスやタクシーの乗り場がある。広場の真ん中には花壇と噴水、そして煤けたブロンズ像にハトが数羽とまっていた。
広場からはまっすぐ道路が伸びていて、左右にちょっとした店が並んでいる。
たぶん、この道をまっすぐ行ったところに、ボクの家があるはずなのだ。
第二回目の訪問は、おそらく一年以上の間があったはずだ。
ボクは駅前のメインストリートを歩いていた。
メインストリートといっても、片側1車線ずつの道幅。2メートルくらいの歩道があって、商店が軒を連ねている。
アーケードもなにもないので、陽射しが買い物客を直に照らしつける。雨風をしのぐこともできないが、申し訳程度に葦簀で日除けしたり、日焼けたパラソルで店頭の商品に日陰を作っていた。
つまり、季節は、夏。
半袖の制服姿のボクは、きっと高校生。駅前のフルーツパーラーの店先で買ったアイスキャンデーを舐めながら、歩道を歩く。二本目の横丁の角にあるパン屋で、頼まれていた食パンを1斤買った。
その通りをさらにまっすぐ行くと、バスセンターがあった。バスセンターからは、周辺の団地や郊外の集落への路線バスが発着している。
ボクは、バスセンターで、どこか行きのバスを待つことにした。
三度目は秋の終りか。
厚いダッフルコートに長髪、マディソンスクエアガーデンのスポーツバッグのボクは、おそらく予備校生。生意気に、ディーゼル列車から降りると、ジッポのライターで煙草に火を点ける。
駅前商店街は改装中で、道路も歩道もカラー舗装にするんだといって、あちこち掘りかえされている。今朝がたの雨でできた水たまりに、プラタナスの落ち葉がへばりついていた。
ボクは吸いさしの煙草を水たまりに投げ捨てた。水銀灯に照らされたちっちゃな水面に、一瞬波紋が広がり、また静かになる。
ボクはヤニ臭い息を両の手に吹きかけ、何かを探すように、コートのポケットに手をつっこんだ。
最後は春の陽射しがあったかな日だった。
いつも夢の中でボクは、駅から街のどこかに帰っていっているのに、その日は違った。
穏やかな春の昼下がり、ボクは駅に向かう道を歩いていた。
せっかくカラー舗装されて小奇麗になった駅前商店街は、悲しいことに、何店舗かの空き店舗が出てきていた。
この街の郊外にある、大きな会社だか工場だかが倒産したらしい。そのあおりをくらったんだとかいう話だった。
旅立ちには、やっぱり酒だ。
そう思い込んだボクは、いつも通る側と反対側の歩道を歩き、ちょっと奥まったところにある酒屋で、ウイスキーの小瓶を買った。
荷物は大きめの旅行鞄ひとつ。駅の待合室で一服する。
やがて上り列車がホームに入ってきた。ボクは改札を抜け、ほんの数歩歩き、列車に乗り込んだ。
今日でこの街ともお別れだ。
発車のベルが鳴る。ディーゼルエンジンは、黒煙を吐きながらガタガタッと身震いして、ゆっくりと動きだす。
四人掛けの席にひとりで陣取ったボクは、鞄を横に置いたまま、窓を開ける。窓から首を出して進行方向を見れば、行く先の線路は陽炎の中で揺れていた。
やがて、ボクは列車のリズミカルな振動にあやされたみたいに、ゆっくりと眠りに落ちていった。
あれからあの街を夢にみることはない。
不思議だったのは、街で誰にも会わなかったことだ。もちろん、駅員や列車の乗降客、商店の店員、買い物客の姿はあったが、今思い出してみても、みんな灰色の影のような存在だった。
夢の中で、ボクはまだ列車に乗っているのかもしれない。目的地はどこだったか、ちゃんと乗換えたのか、次の住むべき街に着いたのか、もはや夢はなにも語ってはくれない。
ふと、あの時の自分がまだ列車に乗っていて、どこにもたどり着けず、もちろんもとの街にも帰れず、堂々めぐりで暗闇の中を疾走している姿を想像して、やりきれない気分になってしまう。
そう、霧が立ちこめて夜汽車の汽笛がよく響いて聞こえる、こんな晩にはなおさら。