第七話
地の底へ(後編)

 ヘッドライトに浮かびあがった廃坑は、まさに地獄への入口といった有様だった。


 草が生い茂り虫たちが飛びまわる荒れ地に、ところどころボタの瓦礫が見え隠れしている。まるで傷痕のケロイドのようだぜ。


 そのケロイドの敷地のあちこちに、使われなくなったまま放置された道具や機材が転がっている。さすがに建物は、犯罪や非行の温床になるからっていうんで取り壊されているが、コンクリの竪坑のやぐらはさすがにそのまま残されていた。


 しめた、トロッコの台車があるじゃねえか。見た目は錆び付いているが、棺桶のひとつやふたつくらい乗っけられそうだ。ゆっくり乗っかってみた。うん、大丈夫。


 動くかな。ちょっとキツイな。よし、油挿してやれ。いい具合に、廃油缶が転がってら。その辺にあった鉄パイプで缶をブッ叩く。夜目にもテラテラとどす黒い油がぬったりとこぼれ落ちて瓦礫の上にシミを広げる。


 面倒なんで、廃油缶を抱えてトロッコの車輪の上からぶっかける。力を入れて前後に揺らす。もう一回。ぶっかける、揺らす。車軸のあたりに丹念に垂らす。揺らす。


 動いた。瀕死の家畜が鳴くような音出しやがって。何メーターか転がしていくうちに、油が回ったらしく、キーキーかすれた音を出すだけで、ちゃんと使える程度にはなった。


 霊柩車をバックでトロッコの前につけた。オジキの眠った棺桶をトロッコに乗せ換える。ここまではリフトが付いてるから楽だ。


 二十年ぶりくらいで新しい積荷を乗せたトロッコを、必死に押す。動かねえ。どうしてだ。レールが瓦礫や砂に埋もれてら。


 鉄パイプでレールの周りの瓦礫を掘るしかないのか。坑口までたかだか十五メートルくらいだってのに。


 今、何時だ。午前四時か。もうじき空が白んでくる。こうしちゃおれない。


 俺は霊柩車でトロッコを押して行こうと思いついた。邪魔になりそうな大きめの瓦礫だけレールからどかして、さあ、ロウでゆっくりと。


 一瞬トロッコは屠殺された豚のような音をたてて、前へ進み始めた。ようし、そのままそのまま。


 さあ、坑口だ。鉄柵と鎖と南京錠で固定されているが、こんなもんはそれこそ朝飯前だ。ほれみろ、一発で開いちまった。


 坑道は入口から数メートル進むと、いきなり斜めに下っていく。レールはさすがに赤錆てはいるが、坑内にもちゃんと残っていた。よし、行けるとこまで行ってやれ。


 俺と棺桶を積んだトロッコがゆっくりと坑道を下っていく。車軸が錆びてたおかげで、ちょうどブレーキ代わりになって、あまり加速もつかない。


 一坑を過ぎた。懐かしいな、ガキの頃よく遊んだ場所だ。さあ、そろそろ平坦になって、トロッコも停まるはずだ…。


 あれ、変だぞ。


 一旦スピードが落ちて停まるかのように思えたトロッコが、なぜだか再び速度を上げて、一坑を突っ切っていく。


 おい、そのまま真直ぐ行くと切羽にぶつかるぞ。


 と思ったら俺の目の前でポイントが切り替わり、二坑への引込線に乗っかっちまった。なぜだ、誰が切り替えた。


 車軸の錆が取れてきたのか、トロッコは次第に加速していく。二坑目もぶっ飛ばし、三坑、四坑と降りていく。もう、俺も死んだじいさんの話でしか聞いたことのない地の底だ。


 やがてトロッコはなにかにぶつかるようにして停まり、俺と棺桶は勢い余って投げ出されてしまった。どうやらレール止めに引っ掛かったらしい。


 暗闇の中で俺はあちこちさわりながら起き上がった。なんにも見えねえ。イテテ、どうやら右足を挫いたらしい。


 ポケットの中をさぐるとライターがあった。火を点ける。こんなときジッポは便利だ。ガスライターだとこうはいかない。ヤクザ者だってみんながみんなカルティエやダンヒルの金無垢持ちたがるわけじゃないんだ。俺みたいな趣味のいいヤツも、たまにはいるのさ。


 幸い、足を挫いたくらいで、あとはたいした怪我はなかった。棺桶も無事だ。よかった。考えても見ろ、こんな地底で腐敗し始めたオジキとサシのご対面なんて、ゾッとしないぜ。


 どうやらここは、旧四坑からまた枝分かれして掘り進めながら途中でやめた五坑への引込坑道らしい。ちょうどいいや、ここをオジキの墓場にしてやれ。


 俺は懐からオジキの戒名が書かれた小さな卒塔婆を取りだして、棺桶に立て掛けてやった。


 あばよ、オジキ。この地の底でゆっくりと眠りな。


 ちゃんと手を合わせてから、俺は右足を引きずりながら歩きだした。もう、外では夜が明けかけてるだろう。俺も、とりあえずどこかで飯食って、風呂に入って、ボロ雑巾のように眠りたいもんだ。


 四坑へ上る道を探した。ジッポを点けてあたりをうかがう。おかしいな、上に昇っていく道が見当たらない。


 まあいい、レールをたどっていけば戻れるはずさ。しかし、四坑半も潜ったんなら小一時間、足を痛めたから二時間くらいはかかるかな、地上に出るまで。


 ザッ、ズザッ、ザッ…歩く。暗闇の中を、時々ジッポの火を点けて、レールを確かめながら歩く。どこまで行っても坑道は上へ上がらない。おい、それどころかなんだか下に降りていってないか。


 立ち止まり、考えた。どう見ても変だ。それとも、別の坑道に迷い込んでしまったか、馬鹿な。


 その時どこからか風が吹いてきた。空気が動いてるってことは、出口があるってことじゃないか。ジッポの火も揺れてるぜ。こっちだ、間違いない。


 俺は痛む足のことも忘れて、思わず急いだ。あれ、さっきこんなとこに坑道あったっけか。焦ってたから気がつかなかったんだろうな。


 ふと気づくと坑道はまた下へ向かっている。気のせいか、使われてる坑木が新しいような、そういえば岩盤を削った跡も風化してないような…。


 風はまだ進行方向からそよいでくる。おい、空耳か。今、人の声がしたろう。


 恐怖心ってのは、人の心に見えないものや聞こえない音を作り出すもんだ。俺はまだ半分は残っていた理性的な思考能力で、そう自分に言い聞かせた。そうとも、そうでなきゃ、いったい誰がこの目の前に広がる光景を納得させてくれるんだ。


 いつの間にか俺は切羽にいた。ランプが煌々と輝く中、上半身裸の坑夫たちがツルハシをふるっている。掘り出した石炭を満載した台車を、筋肉を盛り上がらせて押していく。坑夫たちはみな無言だ。ただ黙々と掘り進む。やがて岩壁の中から交替の坑夫たちが現れる。仕事を終えた坑夫たちは溶け込むようにして岩壁の中へと消えていく。


 俺は走った。右足を引きずりながら懸命に走った。どこをどう走ったのかもわからない。気がつくと俺は坑木にもたれて大きく息をしていた。


 どうやら俺はとんでもない所に迷い込んでしまったらしい。だって、だってだぜ、さっきの坑夫の中には、死んだ俺のじいさんも混じってって、俺の顔を見るなり暗い表情で、あっちへいけとばかり手をふったんだぜ。


 時計を見た。ジッポのオイルも残り少なそうだ。二時。昼のか、それとも夜なのか。


 背中で水滴の落ちる音がした。


 すぐ後ろになにかいるような気がして、思わず振り返った。


 もちろん、誰もいるわけじゃない。今の音も、どこか遠くの水溜まりに水滴が落ちたんだろう。だんだん、雨が降りだしたみたいに水滴の音がひどくなっているけど、これもきっと気のせいなんだ。 今は二時。外は昼か夜かわからないけど、この地の底はずうっと真夜中の二時なんだろう。足下に水が流れてきた。さっきから轟々と地鳴りがしているぜ。馬鹿野郎、火を消せ、生ガスだ、火を消すんだ。

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