Musica Antiqua

 
 
Lute

  - 起源 -

  リュートの名は、アラビア語で「木 」 を意味する言葉、「アル=ウード ( al'ud )」 に由来する。
  発生時期は紀元前1千年から2千年の間で、アッシリアに発祥したといわれる。
  楽器の形状により時期と発祥地には諸説があるが、現在でも民族楽器として残っている、
  ウードが直接の先祖であることは確かである。

  リュート属の波及は紀元前8世紀頃からイラン、紀元前3世紀から中国、紀元後インドに伝わった。
  日本の琵琶は中国からモンゴルを経由し伝わった。モンゴルではモンゴル語で「ピパ」という名で
  存在していた。さらに中近東、ペルシャ、そして10世紀から11世紀初頭、ヨーロッパに伝わった。



  − 形態 −

  ヨーロッパにみられる最初のリュート (10世紀の象牙彫刻から) は、共鳴胴がほぼ半球形であった
  が15世紀以後細長くなりはじめ、洋梨を半分に切ったような形になった。共鳴胴は「リブ」と呼ばれ、
  厚さは 2mm 以下である。表面板も部分的に厚さに違いがあるが2mm 程度である。表面板にある
  ロゼッタは共鳴胴で増幅された音が外へ抜けるためのものであるが、「薔薇模様の装飾を施した
  窓」という意味で基本的には六角形を組み合わせたものとそれに絡まる曲線の薔薇の蔓でなる
  アラベスク である。
  リュートの糸倉 (ペグボックス) は特色があるもので、急角度にうしろに倒れている理由は、
  まだ結論が出ていないが、弦の張力に耐えやすくするためではないかと考えられている。



  − 演奏法 −

  中世においてリュートはプレクトラム (ピック) を用いて演奏された。
  15世紀になりポリフォニーが盛んになると、そういった音楽的な要求に応えるために右手を直接
  弦に触れる奏法へと変化していった。いくつもの旋律線を同時に弾くというテクニックの進歩である。


  − 楽曲 −

  16世紀初頭、リュートのための楽曲集が現れた。主として世俗曲やミサ曲であり、
  声楽の伴奏楽器として使用されたものである。独奏曲はそれら声楽曲の編曲であった。
  しかし楽器の性能上の問題もあり、4声部、5声部の声楽曲をそのまま再現するのは
  限度があった。そこで楽器の性能にあった器楽曲が発達してくるのである。

  リュートのためにパヴァーナ、ガリアルド、ブランル、アルマンド等の舞曲が作られた。
  (あくまでも踊りの伴奏用である) しかし音価の持続できないこの楽器の欠点を
  補うべく行なわれてきた装飾 (装飾音) は複雑になり、伴奏には適さなくなってきた。
  そして独立したリュート作品が作られたのである。
  この頃から楽譜の出版もさかんに行なわれるようになった。



  − 変遷 −

  
リュートの役割は多様で歌曲の伴奏や独奏、アンサンブルのパートとして重要な
  位置を占めた。17世紀に入るとリュートは様々に改良されていく。
  低音弦の増大され、10コース19弦を持つまでに至った。また、16世紀後半から
  変種のリュートも現れはじめた。

  テオルボと呼ばれる番外弦を持ったリュートがそれである。
  これらの中で特に長い弦長をもつのがキタローネと呼ばれる金属弦が張られた楽器である。
  キタローネは通奏低音を受け持つほか、独奏用の作品がいくつか残っている。

  楽器の改良と共に調弦の改良もおこなわれた。
  ルネサンスリュートとバロックリュートは、それぞれの調弦法が違うがバロックリュートの調弦
  いわゆるニ短調調弦はリュート音楽家の名門であるゴーティエ一族により確立された。
  4度,5度を基本とするルネサンスリュートに比べ、3度、4度を基本とするバロックリュートは
  指の拡張が少なく、このことは楽器の弦長を長くして大型にすることを可能にしたのである。
  これは音の響きを豊かにして音量を上げる面で効果的であった。
  11コースのリュートは13コースにまで弦の数が増えていったのである。

  しかし、弦の増大による演奏の困難さや、技術的、音量的な部分でリュートの地位は次第に
  チェンバロに奪われていくことになるのである。

  かつて、楽器の王とたたえられ、音楽そのもののシンボルとさえ重んじられたリュートは
  18世紀後半、次第に人々から忘れ去られていったのである。



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