プロローグ3


プロローグ3

私のクリニックで取り組んでいる『療養』の目的は、「治癒力」の活性化、つまり「わが内なる治癒の力」を高めることです。
『療養』とは、医療者は「診療」に全力を傾け、患者さんは日々の「養生」に励むことをいいます。日々の「養生」を積み重ねることによってしか、「内なる治癒の力」を高めることはできないのです。
そして、この「治癒力」が弱いままでは、いかなる妙薬も効き目を表さず、いかなる練達の外科医のメスをもってしても"病気"が治り、"病い"が癒えることはないでしょう。
患者さんが自分自身の生きる力を信じて、その力を高めようとすることを私たちは「養生」と呼んでいます。
私は、病気は医者や薬が"治す"ものでは決してなく、患者自身の力で"治る"ものだと確信しています。つまり、医療者にとって"治せるか、治せないか"はきわめて重大な問題ですが、病気が"治るか、治らないか"は完全に患者さん自身の問題だからです。
ですから、主治医から「もう手の施しようがありません」とか「絶対に治りません」、「余命1ヶ月」などと宣告されたとしても、絶望することは全くありません。
これらの宣告を正しく表現するとしたら、「私にはもう手の施しようがありません」であり、「西洋医学としては絶対に治せません」であり、「西洋医学的に診て余命1ヶ月」としなければならない筈です。
いま、日本の患者さんに欠けているものは、己れのなすべきことは己れで決めるという心構えと、いかに生き、いかに死すかという死生観ではないでしょうか。いかに闘病するかを考えることは、いかに生きるかを考えることに他ならないからです。
また一方、医療者に欠けているものは、医療の主体は医療者ではなく、患者であることをしっかり認識し、患者の応援団、サポート役に徹し切ろうという固い決意と、西洋医学の方法論の限界と問題点から既成の医学観・医療観を見直すことだと思います。

十三年前、私は総合病院の消化器病の専門医から都会の一開業医に転身しました。
私のクリニックは無床の小さな診療所にすぎませんから、総合病院の頃のように西洋医学的な「がんの標準的治療」をきちんとできる状況にはありません。
しかし、日々の診療の中で、多くの標準的治療から見放されたがん患者さんと関わりを持つうちに、がんの専門的な診療はできなくとも何か私にもできることはないかと考えるようになりました。
そして、十数年経った現在、私は「がんという疾患(病気)」の専門家にはとてもなれませんが、「がんという病い」を抱えて生きていかざるを得ない患者さんたちの応援団(サポーター)であったり、時にはコーチにぐらいにはなれるのではないかと思うようになりました。
したがって、この本はそんな町医者からの、がんという病いを抱えた方々への"応援歌"のようなものであり、決してがんという疾患の専門書ではないのです。
私は現代西洋医学のがん診療の限界と問題点が明らかになったいま、患者の主体性を重んじ、その尊厳を守る"医療と養生"のあり方を、さまざまな患者さんの"ホリスティックな生き様・死に様"の紹介という形で、提言してみたいのです。




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