特務士官出身者の著作と士官名簿類について

海軍の特務士官について若干触れさせていただきます。資料として特務士官出身者が戦後書いた自伝的戦記と手持ちの士官名簿類をここで、あらかじめ整理させていただきたいと思います。いずれも私の所有のもののみです。若干の解題も付けたいと思います。自伝の欠点は著者の思い違いその他で内容は他資料による検証が必要なことです。

特務士官制度は日本海軍独特の制度のようで模倣先の英国海軍にもみられない制度です。
職掌で分隊長(特務中大尉)であるにもかかわらず、軍令承行令の順位では上位の海兵出身少尉
が軍隊指揮権を継承することも理論的には可能です。特務士官が分隊長の分隊では分隊士には特准士官のみが補職され、海兵出の分隊士は特務士官の分隊長の部下にはならないという不文律があったようですが、明文の軍令承行令と艦船職員服務規定とは矛盾するわけです。
海兵の教育もノンキャリアの特務士官を劣位に置き単なる尉官代行者としか見なさないようにする組織的教育を行っていたのでしょう。年功と、兵より士官まで昇進出来たという優秀なセンスを評価することは無かったのでしょうか。
給料は年功からいっても特務士官の方が高かったようですが、恩給は仮定棒給といって一階級1本立てのようで年功は評価されない制度になっていたようです。
職掌上の判断基準としては航海中の軍艦の当直将校に勤務できるか出来ないか、すなわち航海術の知識があるかということのみしかなく、人にもよりますが軍事指揮も含む仕事の面では経験の深い特務士官の方が上だったとおもいます。


(1)自伝的回想録的戦記


文献[1]「『海軍特務士官の記録 4等水兵から大尉までの17年間』 近藤太 監修者宇井和雄(ターミナルレポート社取締役)昭和47年。

特務士官出身者の自伝的戦記としては最初に書かれたもののようで古典である。どのような過程を経て兵・下士官より准士官、特務士官に昇進するのかを知るのには最適である。たんたんと客観的に書かれている。私が興味をひかれたのは、兵科、各科の少尉候補生の遠洋航海に下士官として乗組していた部分である。准士官以上と下士官以下では外国に行った時でも外出制限の差が厳然としていたようである。筆者の准士官に昇進したときの軍装一式(私服としての背広なども含む)にかかる費用総額なども興味深かった。

  昭和3年12月1日に徴兵で横須賀海兵団入団(4等水兵)
  昭和15年3月25日兵曹長
  昭和15年5月29日海兵選修学生(19期)卒業
  昭和18年6月1日海軍少尉
  最終階級はポツダム大尉

文献[2]『秘話!海兵選修学生』佐藤宗次 MBC21(東京経済)昭和61年。
文献[3]『海軍パイロットの証言 選修学生から中支・南方戦線へ』佐藤宗次 MBC21 平成7年。

2]、[3]は内容が重複する部分が多い。海軍の3バカなど獰猛で横暴な海兵出の将校に対する憤懣が両著出版の動機と思われる。筆者自身が海兵出以上に経験のある優秀な士官であったことが解る。[2]には正装(仁丹服)を着た著者自身の写真が掲載されている。昭和20年5月以降の撮影と思われ著者がなにを示そうとしていたのか興味深い。[3]の巻末には不完全(2期が欠で、先任順でなくあいうえお順、氏名の誤植が多すぎる)な初期(1〜12期)の操縦練習生の名簿が載っており便利である。

   大正14年6月1日横須賀海兵団舞鶴練習部志願入団(4等機関兵)
   昭和3年5月29日第12期操縦練習生課程卒業(1等航空兵)
   昭和11年11月頃 航空兵曹長
   昭和13年3月16日海兵選修学生(17期)卒業
   昭和17
年3月16日海軍飛行特務少尉
   昭和18年6月1日海軍中尉
   昭和20年5月1日海軍大尉
   昭和20年5月より航空神経症の為自宅療養、終戦にいたる


文献[4]『戦争と人間の記録 一海軍特務士官の記録』二藤忠 現代史出版会徳間書店 1978年。

特務士官だった著者自身の惨めな境遇から特務士官制度と横暴なエリート士官、横暴ではないにしてもそれをかばったエリート士官に対する怒りと憤懣からのみ本書は書かれている。[2]、[3]や後述する坂井三郎氏の著作にも登場する海軍3バカの筆頭岩城大尉など実名で登場させている。イニシャルで登場させる無能で臆病なエリート士官も数多く、リアリテイに富んでいる。反面、高橋東吾少佐など特務士官の先輩に対する敬愛の念はきわめて深いものがある。著者の戦後の人生の大部分は特務士官制度と横暴なエリート士官に対する怨念で占められていた。この本の出版で著者自身の戦後がやっと終わったと自ら書いている。
著者は旧制の普通科中学を卒業してから海軍を志願している。海兵出と学歴は同等なわけであり、海軍志願後のあまりに違う処遇が憤懣の根源だったようである。海軍の制度自体が高学歴化しつつあった当時の実社会とかなり乖離があったことを、この著作から読み取らなければならない。[2]、[3]の著者佐藤大尉とは戦後かなりの親交があったようである。

  昭和2年6月1日横須賀海兵団志願入団(4等機関兵)
  昭和10年8月16日第23期高等科整備術練習生卒業(3等整備兵曹)
  昭和15年5月1日整備兵曹長
  昭和18年4月1日海軍少尉
  最終階級はポツダム大尉


文献[5]『波涛のしぶき 海軍船匠兵の記録』 元海軍特務大尉松本春雄著 光和堂 1982年。

名誉兵曹長(1等兵曹より1日だけ兵曹長になり翌日予備役編入)を目標として下士官勤務をしていたが戦争苛烈化のために兵曹長昇進予備役編入即日召集され予備役のままポツダム大尉まで昇進した著者の軌跡は面白い。[4]のような怨念による気負ったところがなく淡々と予定外の召集された予備役兵曹長、予備役特務士官の昇進過程を描いていて興味深い。海兵出の息子はいなかったようであるが東宝映画「連合艦隊」の小田切武一予備役兵曹長(財津一郎)のモデルかもしれない。
   大正13年6月1日呉海兵団志願入団(4等船匠兵)
   大正15年11月6日船匠術練習生教程卒業(高等科待遇)
   昭和13年12月1日高等科工作術練習生教程ヲ卒業シタモノトミナス(1等工作兵曹)
   昭和14年1月25日海軍工作兵曹長
   昭和14年1月26日充員召集
   昭和18年6月1日海軍少尉(予備役)
   最終階級はポツダム大尉(予備役)

文献[6]『空と海よもやま物語』本田寿男 光人社 昭和61年。

著者は特務士官だったのだが[2]、[3]、[4]に見られる特務士官の憤懣、怒りなど全く見られない。海軍生活全般をユーモアも含めたエピソードで極めて詳細に描かれている。憤懣、怒りは全く述べられていないので必然的に一人称で書かれておらず客観的である。したがって、著者自身の昇進歴は解らない。

   大正13年佐世保海兵団志願入団
   最終階級は大尉(ポツダム大尉ではないように思われる)

文献[7]「どっこい特准は生きている」元海軍中尉・戦闘機搭乗員 坂井三郎 『月刊「丸」 特集ああ 海軍特務士官』昭和55年7月号、102頁-111頁。

坂井三郎中尉の自伝的回想録的戦記の著作は大量多数であるが、ここでは特務士官制度、エリート士官への怒りと憤懣のみを取り上げて書いている。同氏の大量の著作の中で特務士官制度についての憤懣と怒りに割かれている部分はかなりある。
   昭和8年5月1日佐世保海兵団志願入団(4等水兵)
   昭和12年11月末第38期操縦練習生課程の全てを終え(首席)卒業
   昭和17年10月31日飛行兵曹長
   昭和19年8月1日海軍少尉
   最終階級はポツダム中尉

「丸」同特集号には坂井氏の記事のほかに、主計科特務士官出身で少佐に昇進した方、エリート士官が特務士官制度について述べたもの、中佐まで昇進した特務士官出身者など、特務士官についてのもり沢山な記事が掲載されており、面白い。


(2)特務士官准士官の名簿類

文献[8]『昭和7年6月1日調 昭和7年度水交社員名簿』(財)東京水交社 昭和7年7月。
文献[9]『昭和14年3月1日調 昭和14年度水交社員名簿』(財)東京水交社 昭和14年4月。

昭和7年および昭和14年水交社員名簿は水交社を利用できる資格のある全ての海軍士官、すなわち学校(海軍兵学校、機関学校、経理学校。軍医、技術士官などはは大学、高等専門学校)出身の正規士官のみならず特務士官、奏任官待遇以上の軍属文官、その予後備役、退役までも先任順に網羅した士官名簿である。正規士官は海軍省、特務士官は各鎮守府と人事の管掌が違うのでで士官名簿も別である。それが現役、予後備役、退役まで合冊になっているのは極めて便利であり、私的戦記などは別として現在まで殆んどアプローチが無かった海軍の特務士官・准士官を制度・人事史などから検討するうえで貴重な資料と言える。
昭和7年と昭和14年を比較してみると厚さでは14年の方が倍以上ある。14年は活字も小さく記載人数は7年の3倍くらいある。サイズも一回り小さくなっている。紙質も悪い。日中戦争開始以後の海軍の規模拡大と物資の欠乏が窺われる。入手してないが昭和19
年度までの存在は確認されており、より新しい年度のものを見てみたい。当時の住所、電話がある人は電話番号ものっている。
   
文献[10]『昭和17・12・15「現役海軍特務士官准士官名簿』上巻(横・呉)、中表紙、索引の1部、437頁、482頁。
文献[11]『昭和?「海軍特務士官准士官名簿』(佐世保鎮守府在籍者)海軍省、表紙、索引の1部、489頁、530頁。
文献[12]『昭和19年6月1日調「現役海軍特務士官准士官名簿』(横鎮)
横須賀海軍人事部、中表紙、索引の1部、389頁、431頁。

防衛研究所図書館より上記[10]、[11]、[12]の計12枚のコピーを取り寄せ所持している。特准士官の任官履歴、所属、専修別、生年月日、電報符(先任順位)などがわかるようになっている。未だ全貌には接していないが特務士官制度研究の基礎的データとなるべきものであろう。
増員のための手書きする空欄がほとんど埋められており、戦死など線を引かれたものも多数ある。戦争末期のすさまじさを彷彿とさせられる資料である。


文献[23]『昭和19年5月1日調 昭和19年度水交社員名簿』(財)東京水交社 昭和19年6月。
このHPを見た方より昭和19年度水交社員名簿の特務士官の部分のみのコピーを寄贈された。これにより19年度までの同名簿の発行と所在を確認でき感謝の念にたえない。多分、20年度の発行はないであろうから、最後の水交社員名簿であろう。特務士官の部は3鎮守府毎にまとめられ約700名以上の膨大な数に達している。横書きである。

文献[29]『昭和19、6、1調 現役海軍特務士官及准士官名簿』横鎮  横須賀海軍人事部
文献[12]の全貌に接することが出来た。これで、戦争末期(19,6,1調)の横須賀鎮守府在籍特准士官の任官履歴、所属、専修別、生年月日、電報符(先任順位)の全てがわかることになる。以降の当HP作成に活用したい。マイクロフルムからのコピーは高額であるが、遠隔地居住者である私自身としては防衛研究所図書館が手紙での連絡で全冊コピーをしてくれたことに意義を見出したい。