1 霧の中――ドクター・セワードの日記《蝋管録音による》ブラム・ストーカー作『吸血鬼ドラキュラ』で勝利を収めたのが、ヴァン・ヘルシングではなくドラキュラだったとしたら?
九月十七日
昨夜の救済は、これまでに比べるとさほど大変ではなかった。先週のものよりはかなり楽だった。おそらく何事も辛抱強く経験を積んでいけば楽になっていくものなのだろう。ほんとうの意味で容易になることは決してないだろうが。決して――ないだろうが。(冒頭)
キム・ニューマンは〈本歌取〉が大好きな人なのだろう。話の筋は割合単純明快なのだが、なにしろ設定と登場人物がとんでもないので、元ネタを知らないと面白さは半減する。〈切り裂きジャック〉事件について何も知らないという人はいないだろうが、『吸血鬼ドラキュラ』は「だいたいこんな話だろう」程度ではなく、ちゃんと読んでおいたほうが楽しめると思う。残念ながらわたしは未読。ヴィクトリア女王の治世が長かったこととか、シャーロック・ホームズの兄がマイクロフトという名前なのだとか、知っておいたほうがいいことはいろいろある。
わたしはイギリス史にもいろんな文学作品にも全然詳しくないが、詳しい人なら終始「うぉー!」とうなりながら読めることだろう。井上雅彦氏は『ドラキュラ戦記』の解説で、「前作『ドラキュラ紀元』のディオゲネス・クラブでサー・メッサビイの名を見かけ」て興奮したと書いている。
メサヴィ、マンドヴィル Messervy, Sir Mandeville 元陸軍提督。イアン・フレミングの〈ジェイムズ・ボンド〉シリーズに登場するボンドの上司M、サー・マイルズ・メサヴィの祖先(とニューマンは言っている)。登場人物事典
そう、巻末に登場人物事典がついているのだ。訳者の労作である。
出てくる人名、実に三百人。その九十五パーセントが、なんらかの小説の登場人物だったり、歴史上の人物だったりする。人物名だけではない。たとえばジュヌヴィエーヴとボウルガードがジキル博士の家を訪ねる場面では、邸の周辺の景色に関して、ほぼ『ジキル博士とハイド氏』そのままの描写が使われていたりする。そうした例は枚挙にいとまがない。
(中略)
もちろん、重箱の隅つつきに興味のない方はそんなものは無視すればいいのだし、そうした情報抜きにしても十分物語を楽しむことはできる。「本書を百倍楽しむ方法(訳者あとがき)」抜粋
| SUNNY SIDE |