−産業組合と消費組合を中心に−
山梨学院大学 堀 越 芳 昭
本稿は、協同組合総合研究所『山梨地域の構造変容と協同組合』
平成12年3月、所収論文である。
《 目 次 》
はじめに
1 戦前山梨の社会経済構造の特質
2 山梨における産業組合の展開
(1)山梨産業組合の推移
(2)山梨産業組合の信用事業
(3)山梨産業組合の購買事業
(4)山梨産業組合の販売事業
(5)山梨産業組合の組合製糸
4 山梨における消費組合の展開
(1)山梨の市街地購買組合
(2)山梨の農村購買組合
(3)山梨の小作人組合・協調組合および報徳社
(4)山梨の非産業組合法系消費組合
(5)戦後直後山梨の生活協同組合
むすび
《注》
【参考文献一覧】
山梨において協同組合が発展する条件は何に求められるであろうか。今日の農協運動、生協運動その他労金・全労済など山梨における協同組合は全国に比して発展しているとはいえないが、それはなぜであろうか。
この点に関して、山梨県師範学校・山梨県女子師範学校編著『総合郷土研究』(山梨県、昭和11年)は次のようにのべている。すなわち、山梨においては各種協同団体の多種多様な発展が認められるが、その団体の機能が十分発揮されず、「本県の協同団体の発達は、当局の助成政策の下に起これるもの多く、自然発生的若くは自主的発達に基けるもの極めて少ないことが見出される。」と結論づけ、その要因について「県当局の意見によれば本県に於ける協同団体の機能不振の一因は、県民性としての団体的協同性の希薄なることにあると言われている。」(同書550頁)と指摘している。また、甲府労政事務所『山梨労働運動史』(昭和27年)によれば、山梨において戦前の消費組合運動が小規模であったことは、その必要性がなかったのではなく、それへの「協同的関心の欠除」によるものであったとしている(同書351頁)。
これに対して、山梨県信連『山梨県信連三十年史』(昭和53年)は、山梨において養蚕・生糸という近代的協同組合の発展の条件を有しながらその機会を失っていたのは何故かと問い、正当にも、「意識が低いからという説」に疑問を呈し、「山梨独特の風土・気質」にあるのかどうか、これは「協同活動の本質」にかかわる重要問題であるとしている(同書5頁)。 このように山梨における協同組合の発展に関して、消極的評価が大勢を占めているようである。しかし、山梨では協同組合が発展してこなかったという指摘だけでことは解決しない。またその要因を「協同意識に乏しい」といった県民性一般に帰着させるような見方でもって問題は処理されない。発展しなかったとはいえ、実際に各種の協同組合が多く設立され、いくつかの組合はそれなりに大きな役割を果たしてきた。そうした具体的な展開過程こそ解明されなければならない。また「協同意識に乏しい」という県民性も再検討を要するであろう。仮にそうであるとしても、その要因を探ることが重要であるし、そこにいう「協同意識」が果たしてどのような「協同意識」なのかが問われなければならない。
いずれにしても、いま求められるのは、さまざまな協同組合の展開を具体的に検討することを通じて、具体的に問題点を把握することにあると思われる。山梨における協同組合に関する調査・研究が郷土史研究においてもほとんど取り上げられていない状況において、山梨における協同組合に関する資料発掘や調査研究がまずなされなければならない(1)。その場合次のような問題が検討されるべきである。
第1に:山梨の社会経済的特質や産業構造の特質と協同組合の発展との関係。
第2に:山梨における協同組合の具体的な展開過程。
第3に:全国的展開あるいは長野・静岡等隣接県との比較における山梨の特徴。
このような観点から、以下では山梨における産業組合と消費組合の展開を考察していく。
山梨の自然的条件は厳しい。山岳地帯が多く、気候は冬寒く夏暑い内陸性気候で、土地は痩せ、水害等の災害が多発してきた。こうした厳しい気候風土の下で、人々はより多く労働に従事することでことにあたってきた。気性が激しく、勤勉であるという県民性はこのようにして形成されていったとされている。山梨は1998年現在、林野面積が79%を占め、耕地面積率は6%(全国13%)にしかすぎず、田面積はその総耕地の34%(全国55%)と少なく、米をはじめ多くの食料品は他県からの移入に依存大きくしている。総耕地の66%の畑ではブドウ、モモなどの果樹を中心とした樹園地率が69%を占めている(『山梨県統計書』平成11年)。そして山梨の県食料自給率は、カロリーベースで21%(全国41%)に過ぎない状況に現在あるのである(1999年7月28日付農水省ミニレター179号)。
山梨のこうした農業構造は形を変えて戦前にも当てはまり、畑作面積では桑園が67%(昭和4年)を占めていた。山梨は典型的な養蚕地帯であった。しかし、大正・昭和初期までは、米・大麦・小麦・大豆・養蚕・ブドウ・モモなど多様な農産物の生産が行われていたが、昭和初期以降養蚕に特化していった(加用信文監修『都道府県 農業基礎統計』農林統計協会、昭和58年)。米作は不振で、米穀はじめ食料品の移入県であった。農業県であった山梨において、基本食料が外部に依存していたということは、この県に特有の社会経済構造を刻印することになり、それが山梨の産業組合(協同組合)にも影響を与えることになった。戦前の養蚕は戦後には果樹に取って代わったが、山梨の社会経済構造の特質は引き継がれていった。
横浜の開港、明治維新・地租改正以降の貨幣経済の浸透や市場経済の発展とともに山梨の多くの人々は深刻な現金不足に悩まされた。それまで入会地として利用してきた林野の多くが官有地として没収され、多くの農民は没落し、土地を手放し、小作人に転落していった。明治17年小作地率はすでに48%(全国4位)を超えて、明治41年には56%(全国4位)に達し、大正10年の郡別小作地率では、中巨摩郡73%、西山梨郡70%にも及び、じつに中巨摩郡の落合村では92%、五明村では93%という具合に耕地のほとんどが小作地に化していた。これらの地域が小作争議多発地域になったのはいうまでもない。大正13〜15年の3カ年で131件の小作争議が起こり、昭和10〜12年の3カ年では実に1,576件が発生した。小作人組合も多いときで395組合を数え、組合員は最高時3万人を超えた。山梨県は全国一の新潟県に匹敵する小作争議多発県となった。労働争議も明治の初期より製糸工場の女工たちを中心に多発していった。こうした争議は山梨の大きな特徴をなした。
いわゆる甲州財閥は、横浜開港とともに生糸の取引で蓄財をなし、それでもって小作地を拡大し、さらに銀行類似会社・私立銀行を次々と設立していった。山梨は静岡・長野とともに金融会社や銀行が多く設立された県として特筆されている。いわゆる「甲州財閥」は生糸取引と小作料収入で豊富な資金を蓄積し、それでもって主として電力・鉄道への外部投資をはかった。例えば、明治29年に東京電燈株の買い占めを図り甲州財閥の支配下に入るが、大正4年の甲州財閥による東京電燈株の所有株式は額面1,800万円にも及んでいた。同年末の山梨県内62銀行の預金総額2,034万円、貸出金1,465万円に比べると、東京電燈一社の額面価格のみで、県内総預金に匹敵し、貸し出し総額を大幅に上回っていた(山梨中央銀行『創業百年史』昭和56年)。山梨における総資金量の半分が一社の株式投資に当てられていたのだから、他の鉄道会社や電力会社を含めれば、これに数倍する資金が外部投資として流出していったものと思われる。県内に留保された資金はわずか数分の1でしかなかったといえよう。甲州財閥による資金流出、それによる地域資金の不足、これが戦前山梨経済の根本問題であった。
こうした慢性的な資金不足が山梨の地域経済を困難に陥れた。地域内投資は行われず、地域内の産業発展はこうした甲州財閥の外部投資によって阻害されてきたといっても過言ではない。かくして資金不足に悩まされた多くの県民は、なお一層土地を手放して危急の現金を手に入れ、頼母子講や無尽講で少額な資金をからくも入手する以外になかったのであろう(2)。山梨が小作地率が高く、無尽講が発達し、現金収入を得るための商業的農業(戦前:養蚕、戦後:果樹)に特化していったのには、このような事情が背景にあったのである。現金志向が強いといった山梨県人の県民性はこのようにして形成されていったのではないか。
また、森林王国の山梨は、旧時代からの入会地であった50%に及ぶ林野が、官有林→御料地→恩賜林(県有林)へと所有主体が変遷していき、この入会地をめぐる争闘はこれまた山梨の大きな特徴をなした(3)。森林問題は山梨の深部における大問題とされる所以である。まさに、山梨における県行政の強さの経済的根拠はここにあったのである。
こうした社会経済構造の下で、山梨の協同組合(産業組合や消費組合)はどのように対応していったのであろうか。どのような影響を蒙ってきたのだろうか。そして、上記の社会経済構造に対し、地域を中心とした「循環型経済」(4)の構築という代案を提起することができたのであろうか。山梨の産業組合と消費組合の展開からそれをみていきたい。
わが国の産業組合は、農業、中小企業、消費生活における、今日の農業協同組合、生活協同組合、信用組合、信用金庫等それぞれの淵源である。産業組合は、明治33(1900)年に制定された「産業組合法」によって、全国ほとんどの市町村に設立された日本の協同組合である。この産業組合法はドイツ産業経済組合法を母法として、「日本的信用組合」である報徳社を基盤として成立したのであるが、その発展は農商務省(農林省)および地方庁の内務部・農政課あるいは経済部の監督奨励指導によって大正末期昭和初期に大きく発展していった。その後、昭和18年「農業団体法」の制定とともに、農村産業組合は統制団体としての農業会に改組され、一部を除いて協同組合としての産業組合の歴史は終焉した。以下では、明治期〜大正期〜昭和前期(戦前期)における山梨産業組合の展開過程をみていく。
最初に山梨産業組合の推移(組合数及び組合員数)をみておきたい(【第1表】)。
組合数は、産業組合法発効の明治33年に2組合が設立されたのをはじめ、昭和13年にはほとんどの市町村に普及し261組合を数えるに至った。
明治33年〜明治37年の5年間には、43組合設立(年平均9組合)、2組合解散、41組合存在したが、草創期のことでもあり、いまだ全県に普及するには至らなかった。種類別では41組合中35組合が信用組合であったように信用組合中心であった。明治38年以降組合数は漸増していくが、大正4年から大正8年の5年間には、138組合(年平均28組合)が新設され、純増94組合に及び、大正8年現在数232組合となった。それ以降は昭和13年まで組合数は減少・停滞傾向を辿る。大正10から14年の5年間は、11組合(年平均2組合)が新設されたものの、解散が39組合にも及び純減28組合、大正14年現在数204組合に減少した。この時期の産業組合は今日のような合併は急激に行われていなかったから、組合数の減少は産業組合の後退であるということができる。昭和8年から14年の8年間は、差し引き33組合純増となったが、これは経済更生運動によるものである。
種類別産業組合数の推移をみると、購買組合の比重が信用組合と並んで極めて高かった。信用組合の設立に次いで購買組合が増大し、大正期には信用購買組合の設立が著しかったことが窺える。昭和8年以降、組合数としては販売組合が伸長するが、購買組合は信用組合を越え、購買組合の根強さを看取することができる。総じて種類別組合数は〔信用組合〕→〔購買組合〕→〔販売組合〕の発展傾向をみることができるが、しかし実際の事業内容では後述するように購買組合の地位が高かった。
【第1表】産業組合数の推移(山梨)
組合種類:兼営含む/※印:詳細検討年次
総 組 合 数 組合員数 種 類 別 組 合 数 備 考
現在 増減 新設 解散 信用 販売 購買 生産・のち生産→利用
明治33年 2 + 2 2 - 2 -
34 16 +14 14 - 15 3 -
35 28 +14 12 - 769 23 1 5 -
36 37 + 9 10 1 1,380 31 3 5 -
37 41 + 4 6 2 1,864 35 3 5 -
38 46 + 5 2,347 39 3 5 1
39 58 +12 2,707 42 5 14 2 ・信組兼営認む
|
40 59 + 1 3,488 |
42 |
6 18 2 |
|||||||
|
41 72 +13 3,168 |
54 |
8 24 3 |
|||||||
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42 81 + 9 3,554 |
64 |
8 27 5 ・連合会/中央会 |
|||||||
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|
|
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||||||
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43 83 + 2 3,960 |
70 |
10 |
26 |
5 の法認 |
|||||
|
44 99 +16 4,739 |
80 |
11 |
39 |
5 |
|||||
|
大正元 105 + 6 (明38〜大2:) 5,623 |
83 |
15 |
52 |
9 |
|||||
|
2 130 |
+25 |
( |
125) |
(36) 6,717 |
100 |
21 |
71 |
13 |
|
|
※3 134 |
+ 4 |
|
7 |
3 7,322 |
106 |
23 |
78 |
14 |
|
|
4 150 |
+16 |
|
23 |
7 9,288 |
121 |
29 |
94 |
17 |
|
|
5 173 |
+23 |
|
29 |
6 12,729 |
155 |
37 |
113 |
21 |
|
|
6 204 |
+27 |
|
36 |
5 21,466 |
189 |
50 |
133 |
29 |
|
|
7 213 |
+ 9 |
2 |
7 |
18 27,497 203 |
47 |
|
152 |
31 ・市街地信用組含 |
|
|
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||||||
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※8 232 +19 23 4 31,619 219 55 |
169 |
36 ・《第1ピーク》 |
|||||||
9 232 0 4 4 34,326 217 55 173 37
10 231 - 1 2 3 33,769 218 64 180 42 ・名称変更:
11 226 - 5 2 7 34,896 215 62 178 43 生産→利用
12 221 - 5 4 9 31,574 202 64 170 45 ・全購連/中金の
※13 218 - 3 2 5 30,948 207 59 166 42 設立
14 204 -14 1 15 30,809 195 64 156 45 ・振興刷新運動
昭和元 204 0 3 3 30,749 196 65 154 46
2 207 + 3 4 1 32,191 198 65 153 45 ・全国生糸連設立
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|
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||
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3 215 + 8 15 7 36,089 |
204 |
68 |
150 49 |
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|
||
|
※4 220 + 5 12 7 38,968 |
205 |
74 |
151 52 |
|
|
||
|
5 219 - 1 4 5 39,917 |
203 |
70 |
145 52 |
|
|
||
|
6 218 |
- 1 |
8 9 40,375 |
201 |
76 |
169 56 |
|
|
|
7 216 |
- 2 |
2 4 43,487 |
199 |
76 |
168 57 |
・産法第7次改正 |
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8 224 + 8 10 2 45,968 |
206 |
127 |
182 112 |
・第1次拡充運動 |
|||
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※9 227 + 3 47,584 |
208 154 194 143 |
4種兼営組合へ |
|||||
10 232 + 5 48,451 211 171 200 160
11 230 - 2 51,636 210 189 205 178
12 201 -29 51,085 186 192 184 186
13 261 +50 62,880 246 252 245 246 ・第2次拡充運動
※14 259 - 2 67,967 243 251 249 251 《第2ピーク》
15 251 - 8 78,168 241 248 244 246
16 242 - 9 232 239 236 238
【備考】本表および以下の第2表〜第5表は、農商務省・農林省『産業組合要覧』
(明治37〜昭和16年)各年より作成。
次に産業組合の職業別組合員構成をみよう(農林省各年『産業組合要覧』)。一般に産業組合の組合員構成では、農業者のみならず、工業者・商業者・その他が2〜3割を占め、農業組合的要素が強かったものの、地域の全住民を対象とする地域組合であったことが日本産業組合の大きな特質であった。全国の動向では、農業者の構成割合は82%(大正3年)→69%(昭和14年)へとかなり低下させており、31%が商工業者・給与所得者等(13%)であった。
長野県では、同じ時期に農業者が91%→80%と一貫して80%以上を占め、農業者中心であるが、山梨と比べるとややその比重を低下させていた。静岡県は、同じ時期に83%→69%へと農業者の比重をかなり低下させており、農業者以外で31%を占め、商業者(13.8)、その他(給与所得者等7.7)の比重がやや高かった。静岡は全国的傾向に近い値を示している。山梨県は、同じ時期に農業者が89%→85%へと一貫して80数%を占め、長野に比しても農業者の比重が高かった。それでも10数%の非農業者が組合員であり、これら非農業者は市街地信用組合(商工業者)と市街地購買組合(給与所得者)を設立したのである。
産業組合の信用事業について、山梨・長野・静岡・全国の貯金・貸付金残高及び貯貸率(貯金に対する貸付金の割合)をみてみよう(【第2表】)。
【第2表】産業組合の貯金・貸付金残高(山梨/長野/静岡/全国)
(単位:千円)/( ):貯貸率
山 梨 県 長 野 県 静 岡 県 全 国
貯 金 貸付金 貯 金 貸付金 貯 金 貸付金 貯 金 貸付金
大正3 87 302 542 1,691 722 1,505 24,749 45,762
(347.0) (312.0) (208.4) (184.9)
大正8 1,303 1.848 3,938 4,119 4,570 4,860 152,990 130,366
(141.8) (104.6) (106.3) (85.2)
大正13 2,631 3,881 18,677 13,514 20,855 18,739 525,283 452,842
(147.5) (72.4) (89.9) (86.2)
昭和4 4,898 6,880 50,372 47,252 47,478 38,102 1,108,366 910,560
(140.5) (93.8) (80.3) (82.1)
昭和9 4,366 7,665 33,970 45,960 55,177 39,398 1,268,021 1,021,407
(175.6) (135.3) (71.4) (80.6)
昭和14 10,538 5,990 72,225 36,217 125,051 39,198 3,059,919 1,100,960
(56.8) (50.1) (31.3) (36.0)
貯貸率は通常70%前後が正常とされ、100を上回るのは貸付超過であり、30%前後であるのは貸付が消極的で貯蓄機関に化しているということができる。産業組合の貯貸率は全国で大正6年以降100%を割り、以降80%前後で推移し、戦時期には30%代となる。大正6年に「貸付組合」から「貯金組合」に転換したのである。長野は大正7年に100を割るも、大正8〜12年に再び100を越え、大正13年にまた100を割る。昭和9〜11年にみたび100を越え、12年以降は100を割る。きわめて変動が激しかった。静岡は大正7年に100を割るも、大正8〜12年まで再び100を越え、大正13年に100を割って、それ以降安定的に100を下回り、戦時下には30%代になる。全国的傾向に近い動きをしている。
山梨は昭和14年にはじめて100を割るが、それまで、140〜180をずっと維持していた。山梨の産業組合は貸付超過の「貸付組合」的性格を強くしていたのである。全国に比べ長い間貸付が貯金を上回っていた。長野もやや同様の傾向を有していたが、貯貸率の著しい高さは山梨の大きな特徴であった。こうした貯貸率が高かった要因は、山梨県民が慢性的に資金欠乏状況にあり、生産資金および消費資金に対する資金需要が高かったことに求められるであろう。それは既述の山梨の社会経済構造の反映である。
なお、山梨の市街地信用組合に「有限責任甲府信用組合」(大正7年5月4日設立、戦後、甲府信用金庫に改組し現在に至る)および「有限責任共立信用組合」(大正15年11月16日設立、のち信用組合共立金庫→商工信用組合→甲府商工信用組合と改称し、戦後甲府商工信用金庫に改組、現在に至る)の2組合が甲府市内で大きな役割を演じていた(5)。
さて、山梨における金融の全般的状況について別資料(前掲山梨県師範学校・山梨県女子師範学校編著『総合郷土研究』)でみると、昭和9年末の農山漁家の借入先別負債額は、総額7,979万円、銀行3,794万円(48%)、個人2,275万円(29%)、産業組合772万円(10%)、頼母子講631万円(8%)、質屋・公益質屋46万円(0.6%)、その他460万円(6%)であった。さらに商工業者の負債も相当あったと思われるが、上記の産業組合の10%に及ぶ比重の高さとともに、頼母子講・無尽講の高さに注目しておきたい。
産業組合の購買事業は、購入総額のうち経済用品(生活用品)の購入が半分近くを占めていた。産業用品(生産用品)では肥料がそのほとんどであった。経済用品のうちでは各県で比率は異なるが、いずれも米が第1位を占めていた。この点で産業組合は肥料・米の共同購入組合の様相を呈していた。いずれにしても、産業組合は「農村消費組合」としての特質を半分はもっていたのである。
全国の動向では、経済用品が40数%を占め、そのうち米が第1位の30%前後であった。戦時期では米は経済用品の12.6%へとその比重を大きく低下させるものの、第1位のままであった。経済用品のその他は酒、織物、砂糖、その他食料品であり、産業組合はいわば消費組合的傾向を4割はもっていたことになる。長野では、経済用品の占める割合は50%前後であるが、昭和初期には52〜54.9%を占めていた。経済用品のうち、米(第1位)、他の食料、酒、魚、砂糖など食品が多かった。長野県は「農村消費組合」という性格を強く帯びていたといえよう。静岡では、全国・長野に比べて、産業用品の比重が高く6〜7割を占めるが、経済用品は3割と長野に比べてかなり低かった。経済用品のうち、米が1位で全国・長野と同様であるがその割合は40〜61%と極めて高かった。
山梨では、戦時期を除いて経済用品の購入が半数を越えていた。大正13年は実に62%にも及んでいた。その中身は米が第1位であるが、米購入は大正末昭和初年には経済用品の半分近くを占め、昭和9年には56%を占めるに至った。経済用品のその他は、他県に比して織物が上位にあることが目立つが、雑穀、酒、乾物、他の食料など食料品が多くを占めていた。山梨は米・食料品購入の「農村消費組合」としての特質が全国・静岡・長野よりも一層強いということができる。特に米・食料品の購入が著しく高いのは、山梨の産業経済構造の特質に由来していることに留意したい(【第3表】)。
【第3表】産業組合購買事業の推移(山梨)
(単位:千円)/():それに占める%/〇数字:順位
組合数 調査数 売却額 産業 経済 産業 経済 経済
用品 用品 肥料 米 その他
大正3年 78 74 161 75 86 63@ 20@ 雑穀12、酒10、石油
(46.5) (53.4) (84.0) (23.3) 3、織物3、塩3、麦2
8 169 165 2,201 905 1,295 633@ 401@ 雑穀185、酒91
(41.1) (58.8) (69.9) (31.0) 乾物76、織物72、塩
13 166 158 1,136 410 702 381@ 295@ 酒94、他食料54
(36.1) (61.8) (93.0) (42.1) 織物27、魚23、雑穀
昭和4 151 150 877 426 441 341@ 196@ 酒53、他食料36
(48.6) (50.3) (80.1) (44.5) 砂糖14、雑穀13、魚
9 194 191 1,016 534 465 462@ 262@ 酒27、砂糖24、
(52.6) (45.8) (86.5) (56.3) 履物18、乾物15
14 - 241 5,334 3,552 1,729 3,205@ 641@ 織物190、メリヤス146
(66.6) (32.4) (90.2) (37.1) 酒93、他食92、乾物
いま一例をみよう。「有限責任岩崎葡萄信用購買販売利用組合」は大正4年8月東八代郡祝村下岩崎に設立され、順調に業績を延ばしていき、昭和7年産業組合中央会より優良組合として表彰された。同組合は果樹の産業組合として全国的に注目された組合であった。昭和4年の同組合の葡萄販売額は6万4千円で、全村葡萄販売総額の22%を占めていた。葡萄の取り扱いに一定のシェアを占めており、その販売先は、東京、北海道、九州、名古屋、京都等の遠隔地販売を中心としていた。同組合は当時を代表する山梨葡萄販売の産業組合として特筆できよう。しかし同組合の特徴は、購買事業において顕著であった。すなわち同じ年、購買額は18万8千円と販売額の3倍に及び、同区域内消費額に占める割合は、産業用品で92%、経済用品で55%を占めていたのである。しかも穀類の購入高シェアは79%にも達していた。こうした販売に対する購買の比重の高さ、穀類購入の高さなどという特徴は、山梨ではこうした優良組合、しかも特産品である葡萄の販売組合においても同様であったのである(産業組合中央会『産業組合』誌各号および各種報告書より)。
(4)山梨産業組合の販売事業
産業組合の販売事業は、一般的に、米販売が中心であると思われがちであるが、それは必ずしも正確ではない。米が販売の比重を高め販売総額で第1位になるのは昭和9年以降のことであった。府県によっては販売は必ずしも米中心ではなかったし、昭和9年以前の明治・大正・昭和初期は全国的にも米ではなく首位の座は長い間、生糸や繭などであったということに留意したい。
全国の動向は、昭和初年まで生糸が第1位を占め、織物・繭も上位に位置していた。米は2〜3位であったが、昭和9年以降は米が第1位となった。かくて生糸の地位は低下するが、繭は昭和14年に相当増大している。長野は、蚕糸王国にふさわしく長く生糸が1位を占め、ついで繭、林産物、米、畜産等が上位に位置していた。昭和期に米の比重は高まるが、1位には至らない。昭和14年に繭が1位になるのは注目される。この段階では疏菜果実は生糸・繭・米等に次ぐ地位にすぎなかった。静岡は、ミカン等の疏菜果実が常に1位か2位にあった。次いで特産物(茶)、藺(リン)製品、織物、魚類が上位につけ、米は昭和14年に1位になった。全国・長野と異なって、生糸や繭は下位に位置していた。
【第4表】産業組合販売事業の推移(山梨)
(単位:千円)/〇数字:当県内の品目別順位
組合数 調査数 販売額 米 疏菜果実 繭 生糸 林産物 その他
大正3 23 20 657 − 3D − 637@ 0.3G 織物 4A
− (0.5) − (97.0) (0.04) 陶器 4B
8 55 53 1,912 0.2G 45C − 1,389@ 49B 織物419A
(0.0) (2.4) − (72.6) (2.6) 牛乳 3D
13 59 59 631 11C 142A 5E 318@ 43B 水産 6D
(1.7) (22.6) (0.9) (50.5) (6.8) 織物 4F
昭和4 74 72 1,291 15E 193B 424@ 407A 29D 織物110C
(1.2) (15.0) (32.8) (31.6) (2.7) 雑穀 2F
9 154 150 1,128 93D 194B 250@ 235A 19F 織物111C
(8.2) (17.2) (22.1) (20.8) (1.7) 麦 68E
14 − 243 6,550 413E 422D 2,769@ 1,277A 458C 麦 706B
(6.3) (6.4) (42.2) (19.5) (7.0) 織物145F
山梨は、米は一貫して下位にあり、増産した昭和14年においてもその地位は低かった。生糸は1〜2位であるが、しかしその絶対額は全国の1.7%、長野の6.6%に過ぎない。また、繭が昭和14年に1位になるが、その絶対額は全国の1.6%、長野の13.8%に過ぎない。蚕糸王国の一つである山梨でのこうした状況は組合製糸の立ち遅れとして、山梨の特質を探るうえで特別な検討を要するであろう(後述)。なお、この繭販売が昭和14年には42%にも及んでいることは異常であり、危険でもある。単品化傾向として注意したい。疏菜果実は上位にあるものの、絶対額は高くない。それは全国のO.9%、静岡の5.8%である。当時は蚕糸の方が疏菜果実より比重が高かったのである。織物や麦などが上位にあることにも注意したい。総じて絶対額は低いが、蚕糸、疏菜果実、織物その他の比重が一貫して高く、米は一貫して低かったというように、山梨は全国・静岡・長野と大きく異なっている。(ところで全国比較は、人口数でみることが妥当かもしれない。そうであれば、全国の0.7%で平均となり、1%以上であれば平均以上ということができる。ちなみに林産物は全国の1.2%であった。)(【第4表】)。
ところで別資料(産業組合中央会山梨支会『昭和14年度 産業組合要覧』昭和16年)によれば、昭和14年の山梨産業組合の販売総額は全体で655万円であったが、その内訳は生繭の北都留乾繭組合(136万円)、生糸の模範社(96万円)と甲西社(41万円)の3組合だけで273万円(42%)に達し、その他114組合で382万円(58.3%)を占めていた。他方同じ時期の購買総額は535万円であったから、販売金額が購買金額を越えていたというこの時期においても、上記3組合を除いた多くの産業組合は販売事業よりも購買事業が中心であったということができる。
さて、山梨産業組合の特質をより鮮明に示すのは、米の売買差率(〔米販売額−米購買額〕の比率)である(【第5表】)。
【第5表】産業組合の米売買差率(山梨/長野/静岡/全国)
(販売額−購買額)÷購買額×100/(単位:千円)
山 梨 県 長 野 県 静 岡 県 全 国
販売 購買 率 販売 購買 率 販売 購買 率 販売 購買 率
大3 − 20 -100.0 − − − 4 111 -96.4 2,524 2,407 4.9
8 0.2 401 - 99.9 20 432 -95.3 49 755 -93.5 15,516 14,707 5.5
13 11 295 - 96.3 93 610 -84.8 110 670 -83.6 34,496 17,969 92.0
昭4 15 196 - 92.3 247 1,010 -75.5 75 611 -87.7 60,552 17,996 236.5
9 93 262 - 64.5 2,564 1,488 72.5 2,257 1,662 35.8 141,488 34,510 310.0
14 413 641 - 35.6 8,107 3,242 150.1 8,424 4,751 77.3 446,843 82,077 444.4
これによれば、全国では、米に関しては、大正初期に販売額が購買額を越え、戦時期には4倍強になる。この頃から米販売組合としての特徴を帯びていく。長野は、昭和9年以降米の販売額が越えるが、戦時期においても1.5倍と全国平均には及ばない。米販売組合的性格はやや弱いといえよう。静岡は、長野と同じだが、その比率はさらに低い。
山梨は、いつの時期においても米の購買額が販売額を越えていた。戦時下に米の販売額が増大したもののその構成は変わらない。米購買組合的性格が山梨産業組合の大きな特徴であった。なお別資料(前掲産業組合中央会山梨支会『昭和14年度
産業組合要覧』)によれば、昭和14年度の山梨県産業組合の販売事業および購買事業で、米販売取り扱い組合数は米12組合、玄米18組合のべ30組合であったが、米購買を扱う組合数はその3倍の93組合に及んでいた。これによってみても、山梨産業組合の「米購買組合的性格」は明瞭である。山梨の産業経済構造・社会経済構造の特質の反映である。
群馬、長野に並ぶ蚕糸王国山梨は養蚕・生糸が発達したが、しかし産業組合製糸は群馬・長野ほどには発展しなかった。長野は組合製糸の発達が顕著であったが、山梨は全国シェアは中上位にあるものの、相対的に劣位であった。製糸組合も長野の場合には100組合にも及んだが、山梨は記録に残されているもので延べ9組合が存在していたにすぎない(【第6表】)。
もちろん、養蚕農民を構成員とする製糸組合が少なからず設立されていったということは、山梨産業組合の発展を意味していたし、発展の兆しを窺うことができた。しかし、昭和恐慌の勃発、組合製糸の経営上の諸問題、昭和4年に生じた山梨信用組合連合会の不正事件等によって、「生糸販売利用組合模範社」のみが長期にわたって存続したものの、多くの製糸組合は早期に解散においこまれていった。組合製糸は、多くの固定資本を必要とするばかりでなく、山梨では特に早期から営業製糸が強固な基盤を築いていたのであるから、産業組合製糸の発展のためには相当の政策的・経営的基盤を必要としていたのであるが、こうした主体的条件に欠けるところがあったのではなかろうか。
いずれにしても、山梨の養蚕業・製糸業の特質、営業製糸と組合製糸の関係など、加工・生産部門の産業組合として今後の調査研究に待たなければならないことは多い。
【第6表】製糸組合一覧(山梨)
名 称 設 立 備 考
@基道社蚕業購買販売組合 大正8年1月21日 昭和9年解散か、信連小林重平(大
東山梨郡加納岩村 正12年11月専任書記任用)の背任事
件昭和4年組合製糸基道社に32万円
の不当貸付、昭和4年12月22日賃金
未払いのままの休業に対して争議
A在家塚生糸販売利用組合 大正12年4月27日 昭和13年までに解散
中巨摩郡在家塚村
B生糸販売利用組合隆基社 昭和3年6月 昭9休業中/(昭和13年までに解散)
東八代郡相興村 昭4・2・13 旧労農系三枝一保派のスト
C安都玉村糸販売利用組合 昭和4年2月 昭和14年解散
北巨摩郡安都玉村
D生糸販売利用組合早水社 昭和4年5月6日 昭和9休業中・昭和13/14名称のみあり
南巨摩郡下山村
E生糸販売利用組合模範社 昭和6年4月28日 戦後まで存続
中巨摩郡敷島村
F落合村生糸販売利用組合 昭和6年11月 昭和14解散
中巨摩郡落合村
G春日居村生糸販売組合 設立不明 昭和9年解散か
東山梨郡春日居村
H生糸販売組合連合会甲西社 昭和12年11月17日 昭和13/14記載記録あり
中巨摩郡飯野村
【備考】産業組合中央会『産業組合現勢調査』(大正14年)、産業組合中央会山梨支会『昭和14年度
産業組合要覧』(昭和16
年)、山梨県蚕糸業概史刊行会『山梨県蚕糸業概史』(昭和34年)より作成。
山梨における市街地購買組合は、@保証責任甲府共済購買組合(明治33年10月設立)、A有限責任砂糖購買組合(明治33年12月19日設立)、B有限責任甲府共済信用購買組合(大正2年12月18日設立)、C有限責任甲府購買組合(大正2年12月18日設立)、D有限責任山梨購買組合(大正8年11月14日設立−昭和10年有限責任甲府家庭購買組合に改組)、E有限責任鰍澤購買組合(大正9年5月19日設立)が記録に残されている(【第7表】)。 このうち、@の甲府共済購買組合とAの砂糖購買組合は設立後まもなく解散したものと思われる。Bの甲府共済信用購買組合は大正10年の実績が記録されているものの、その後1〜2年で解散したようである。同組合は名称からして@の甲府共済購買組合の再組織されたものの可能性があるが確かではない。Cの甲府購買組合は一般住民でもって組織された。同組合の記録は、大正10〜14年までであり、その後解散した。Dの山梨購買組合は、官吏・教員を中心に組織され、昭和10年に有限責任甲府家庭購買組合に改組して昭和14年現在存続していた。Eの鰍澤購買組合は一般住民によるものであるが、大正10年の記録しかなく、その後解散したようである。
【第7表】市街地購買組合一覧(山梨)
所在地 設 立 特 徴
@保・甲府共済購買組合 甲府市 明33・10 生産・生計上の物資の廉価販売
明36年以前に解散
A有・砂糖購買組合 東山梨郡七里村 明33・12・19 内外砂糖の共同購入
山梨委託株式会社内、すぐ解散
B有・甲府共済 甲府市百石町 明44・9・7 (大正10年)71人、売却高6,443円
信用購買組合 組合長:斎藤啓治郎、その後解散
C有・甲府購買組合 甲府市桜町 大2・12・18 組合員:一般住民
大10、13、14の調査あり。以降解散
D有・山梨購買組合 甲府市錦町県庁大8・11・14 組合員:官吏・教員、
大10、13、14、昭2、4、6、8、10調査。
昭10年甲府家庭購買組合に改称。
有・甲府家庭購買組合 (昭14年)674人、売却高117,810円
組合長:三井知三
E有・鰍澤購買組合 南巨摩郡鰍澤町 大9・5・19 (大正10年)61人、売却高4,730円
組合長:井上慈郎、その後解散
【備考】山梨県内務部『山梨県産業組合要覧』(大正4年)、産業組合中央会『産業組合現勢調査』(大正14年)、産業組合中央会
山梨支会『昭和14年度
産業組合要覧』(昭和16年)、産業組合中央会・各年『市街地購買組合調査』(大正15年〜昭和
11年)等より作成。
このように産業組合制度における市街地購買組合の試みがなされてきたものの、それらは広く一般に普及することはなかった。とくに一般住民(市民)による購買組合は特筆するところがなかったようである。こうしたことは山梨県民の協同意識の欠如を意味するのであろうか。その検証のためにはもっと詳細な検討が必要と思われる。
山梨においては農村産業組合としての購買組合が一定の発展をしてきた。一般に農村購買組合は肥料・農具・材料などの農業生産上の購買が中心となるのであるが、前述したように、山梨においては米穀・薪炭類・衣服などの消費生活上の購買が重要な位置を占めていた。とくに大正昭和初期においてそうした傾向は顕著であった。すなわち、山梨の農村購買組合は、実質上かなり消費組合的要素を有していたということができよう。そうであるならば、農村地域において、産業組合である購買組合とは別に消費組合が発展する余地は乏しかったともいえるのである。
山梨において小作人組合や協調組合による購買事業を見落とすことはできない。小作人組合のそれは、日本農民組合関東同盟山梨県連合会が大正14年12月に設けた代理部がそれである。取り扱い商品は農蚕具、種苗、日用品などで、所属の単位組合で主任を置いて、各組合の注文を集めて代理部から受け取り配給していた。代理部は当初官庁内に置いていた。この購買事業の実態は分からないが、同日本農民組合関東同盟山梨県連合会は大正13年2月21日、鈴木文治、賀川豊彦、平野力三出席の下、理事長に古屋貞雄を選出して創立された、山梨県下最初の小作人組合の統一組織であり、当時71の小作人組合が加盟していたから、相当影響力はあったと思われる。いくつかの単位の小作人組合において、共同購入などが行われていたことも記録に残されている。なお山梨における小作争議は昭和11年に613件を数え、わが国で府県別争議件数の年間最高を記録した。山梨における小作人組合は組合数昭和7年の390組合、組合員数昭和8年の27,699人を最高としたが、これは新潟(昭和2年606組合、49,432人)に次いで全国2位の数値を示す。
協調組合とは、小作争議防止のために地主主導によって設立された地主・小作の協調組合であって、大正9年以降50組合以上設立され、昭和8年には、東山梨9組合、西山梨2組合、中巨摩25組合、北巨摩3組合、南都留1組合、北都留1組合、計57組合が存在した。これらは共済組合、農事改良組合、互助組合などの名称の下に、農事改良や共同作業のみならず、共済事業、共同購入、資金融通などの事業を行い、1組合200数十名〜30名程の組合員を擁していた(この項は竹川義徳『山梨農民運動史』大和屋書店、昭和9年)。
また山梨においては、神奈川の小田原報徳社や静岡の大日本報徳社の影響の下に、報徳社が各地で設立されていった。報徳社は一面では教化団体であったが、「日本的信用組合」とも称され、貯蓄・貸付の信用事業をはじめ農事改良や共同購入、造林・開墾等事実上協同組合的事業を行っていた。山梨では、「成田報徳社」(1846年設立)が東八代郡英村成田に設立され、その後同村周辺の計10報徳社が糾合して「山梨報徳本社」(明治28年設立)を創立した。その他山梨には、現存の中巨摩郡南湖村西南湖所在・「南湖報徳社」(明治29年創立)、栗原信近が設立した北巨摩郡穴山村所在・「孔丘報徳社」(明治38年創立)等50社程の報徳社が設立された。筆者にはそれらのうち40社の記録を確認することができる(内藤安時『成田報徳社』明治36年、飯田栄太郎『成田報徳社の起源と業跡』大日本報徳社、昭和12年、山梨県教育委員会『山梨県教育百年史・明治編』昭和51年、各郡誌)。
このように、小作人組合や協調組合、さらに報徳社において、協同組合的事業が行われ、購買事業や信用事業等が広範に展開していたのである。
産業組合の市街地購買組合や農村購買組合と異にして、昭和期に入って、各地に消費組合が設立されていく。その嚆矢は、昭和3年8月に設立された「二ノ宮消費組合」(東八代郡錦村二ノ宮)であるとされている。同組合は、大鷹貴祐(山梨農民組合同盟常任執行委員、県議)によって設立されたが、その実態は緊縮生活運動にほかならなかったという(前掲甲府労政事務所『山梨労働運動史』)。この大鷹貴祐は、山梨における農民運動家であったが、昭和14年現在、錦信用販売購買利用組合(東八代郡錦村)(旧二ノ宮信用購買生産販売組合:大正4年4月10日設立)の組合長も務めていた。
【第8表】関消連系の消費組合一覧(山梨)
設 立 組 合 名 所 在 地 設立者・組合長
1 昭2・7 吉田共働社 南都留郡吉田町 (組合長)前田豊
2 昭3 北都留消費組合 北都留郡広里村大月 菊田一雄(清)
3 昭和3 峡東消費組合 東山梨郡加納岩村下石森 (組合長)三枝一保
4 昭3・10・27 浅尾消費組合 北巨摩郡朝神村浅尾 篠原駒雄
5 昭3・12・8 八幡配給所 東山梨郡八幡村江曽原 窪田教一
6 昭3・12・8 市川配給所 東山梨郡八幡村市川 市川泉
7 昭4・4・1 北野呂消費組合 東八代郡相興村北野呂) 吉原求馬
8 昭4・8・10 忍野農民消費組合 南都留郡忍野村 渡邊行隆
9 昭4・11・17 岡部消費組合 東山梨郡岡部村 今澤正胤
10 昭4・11・25 境川甲南消費組合 東八代郡境川村寺尾 桑原住茂
11 昭4・12・7 市川消費組合 東八代郡豊富村 福田勵
12 昭5・1・20 西部消費組合 中巨摩郡落合村 中澤卯七
13 昭5・3・1 甲府消費組合 甲府市北大路町 窪田英一、
(組合長)深澤義守
14 昭5・4・4 東部聯盟生産 東八代郡石和町 秋山要・岩間八十平
消費物配給組合
15 昭5・4・23 新屋消費組合 南都留郡福地村新屋 堀内健一
16 昭5・4・23 大明見消費組合 南都留郡明見町 柏木俊芳
17 昭5・7・20 大工配給所 東山梨郡八幡村大工 有賀今朝吉
18 昭5・12・20 勝沼消費組合 東山梨郡勝沼町 小林行雄
19 湖畔消費組合 南都留郡小立村
20 北巨摩消費組合 北巨摩郡日野春駅前 守屋氏
21 落合消費組合 中巨摩郡落合村 高石氏
22 相興消費組合 東八代郡相興村北野呂
23 朝神消費組合 北巨摩郡朝神村浅尾
24 大嵐消費組合 南都留郡大嵐村
25 全農会議派八幡支部 東山梨郡八幡村
26 河口
27 郡内
28 市川大門
【備考】産業組合中央会・各年『市街地購買組合調査』、竹川義徳『山梨農民運動史
(大和屋書店、昭和9年)、甲府労政事務所
『山梨労働運動史』(昭和27年)、奥谷松治『改定増補 日本生活協同組合史』(民衆社、1973年)、山本秋『日本生活協
同組合運動史』(日本評論社、1982年)、楠井藤美雄『ある人間像−菊田一雄と日本の協同組合運動−』生活ジャーナル
社、1988年)等より作成。
それより以前、すでに昭和2年の7月には南都留郡吉田町において、「吉田共働社」が設立された。その名称が「共働社」とされているように、岡本利吉、戸沢仁三郎らの「共働社」(大正9年10月29日創立)運動、「関東消費組合聯盟(関消聯)」(大正15年11月7日創立−昭和13年2月2日解散)運動の流れにある消費組合運動である(【第8表】)。 この「吉田共働社」は、前田豊(絹織物工場の経営者)、田辺太郎(富士講教師)、堀内健一(富士山麓電気鉄道会社−のちの富士急行−創設者、県議、代議士堀内良平の子息)らによって設立されたものであり、関消連から菊田一雄がその専任として着任した(昭和3年5月)。同組合は電灯争議の指導、「岳麓無産診療所」の開設(昭和6年6月1日開業)など、労働者、農民の無産者運動の一環として活動し、周辺に影響力を及ぼしていった。「吉田共働社」は、日用品を市価よりも1〜2割の安さで供給し、組合員も200名に達し、最盛期には一カ月の売上が千数百円にも及んだという。鈴木甲辰、宮下軍蔵、渡邊孝基、三澤伯雄、田邊理治、渡邊廣、前田豊治、稲葉正夫らがこれに参加していた。菊田一雄は大月駅前に職工・西政雄らと住民30人を集め「北都留消費組合」を起こし、農民組合とも連携して山梨県下の消費組合づくりに努め、上掲の【第8表】のとおり合計28の消費組合が設立されたのである。「吉田共働社」と並んで、農民運動家・三枝一保による「峡東消費組合」、同じく無産者運動家・深澤義守の「甲府消費組合」が著名であった。かくして、昭和5年3月菊田らにより、南都留郡の消費組合を中心として「岳北消費組合協議会」が設立され、山梨においても消費組合の連合会運動が始まりつつあった。しかしながら昭和4年3月6日の左派弾圧、昭和5年春菊田一雄の朝鮮行き、昭和7年3月27日の全国農民組合弾圧によって、左翼無産運動は壊滅状態になり、こうした流れの消費組合運動は山梨から消滅していった。
このようにみてくると、山梨においては、産業組合の市街地購買組合や無産者運動としての消費組合がある程度設立されてきたものの、「市民型」消費組合がほとんど発展しなかった。農民運動や労働運動の一環としての消費組合のみならず、一般住民による消費組合が発展しなかったことの問題点があるのではなかろうか。これは市民運動の問題であるかもしれない。地主小作関係や労資関係といった階級的関係の運動は一時は激しく高揚したのであるが、永続的・持続的な住民運動・市民運動が形成されてきたのかどうかが問われなければならない。また、これまでの山梨における社会運動には村落・地域の形成といった志向の弱さも看取されるのではなかろうか。産業的、経済的発展を志向する方向は、ある意味で強く推し進められてきたが、それが、どのような地域社会を形成するのかといった方向性はなかったのではないか。
戦後直後山梨の生協運動はどのように推移してきたのであろうか。山梨における生協数の年次別推移は以下のとおりである。生協法成立前の昭和22年におけるその数値は、全国的には2,631組合に対し山梨は26組合(1%)であった。同年9月には全国の生協は5,939に及び、山梨は10前後で推移し、昭和31年には全国1,125に対して10組合(0.9%)を数えた(『日本協同組合新聞』第51号、昭和23年1月20日、第96号、昭和24年9月15日、『生活協同組合便覧』昭和24年2月、『全国生活協同組合一覧』日本生協連、昭和31年)。
【第9表】生協法施行以前の生活協同組合一覧(山梨)
(昭和23年10月1日)
組 合 名 所 在 地 組 合 名 所 在 地
@賑岡購買利用組合 北都留郡賑岡村 G甲府購買利用組合 甲府市柳町
A上野原消費協同組合 北都留郡上野原町 H久那土村生活 西八代郡
B吉田消費組合 南都留郡富士町上吉田 協同組合 久那土村
C英生活協同購買 東八代郡英村 I和戸消費更正組合 西山梨郡甲運村
利用組合 J三恵村加賀美消費組合 中巨摩郡三恵村
D八代生産購買販売 東八代郡八代村 K玉幡生活協同組合 中巨摩郡玉幡村
利用組合 L田富消費生活協同組合 中巨摩郡田富村
E富里村購買利用組合 東八代郡富里村 M中田生活協同組合 北巨摩郡中田村
F祝村生活協同組合 東八代郡祝村 N武川村生活協同組合 北巨摩郡武川村
【備考】『生活協同組合便覧』(昭和24年2月)より。
生協法施行以前の山梨の生協は名称が分かっているものが上に示したように15組合存在していた(【第9表】)。主として農村部において設立されており、かつての関消連系消費組合が存在していたところであったり、農民運動の発展地域であったり、これらとの関連が想定されるものの、いまのところ確証がない。今後の調査研究に委ねたい。
生協法施行後、昭和31年までに存在した生協は20に及び、甲府市内で9組合占めていることが注目される(【第10表】)。
【第10表】生協法施行直後の生活協同組合一覧(山梨)
(昭和25・26〜31年)
設 立 組 合 名 所 在 地 組合員数 備 考
1 昭24・2・3 甲運生活協同組合 西山梨郡甲運村 185人
2 昭24・2・22 韮崎消費生活協同組合 北巨摩郡韮崎町 567
3 昭24・3・12 武川消費生活協同組合 北巨摩郡武川村 247
4 昭24・3・23 久那土村生活協同組合 西八代郡久那土村 327 昭31現在
5 昭24・6・23 今諏訪生活協同組合 中巨摩郡今諏訪村 86
6 昭24・6・23 東光新生生活協同組合 甲府市東光寺町 142 昭31現在
7 昭24・8・17 勝沼町生活協同組合 東山梨郡勝沼町 303 昭31現在
8 昭24・9・12 山梨文化生活協同組合 甲府市百石町 315
9 昭24・10・10 国鉄甲信生活協同組合 甲府市橘町 4,721 昭31現在
10 昭24・12・27 山梨県医師生活協同組合 甲府市百石町 311 昭31現在
11 昭25・2・14 甲府消費生活協同組合 甲府市柳町 820
12 昭25・2・17 日川消費生活協同組合 東山梨郡日川村 234
13 住吉消費生活協同組合 甲府市住吉本町 296
14 甲府西部消費生活協同組合 甲府市穴切町 193
15 昭26・2・12 西島生活協同組合 南巨摩郡西島村 381
16 昭29・4・1 山梨大学 甲府市元柳町 50 昭31現在
17 昭29 初狩生活協同組合 大月市初狩町 昭31現在
18 昭30・6・24 山梨生協牛乳普及会 甲府市泉町 412 昭31現在
19 昭30・11・1 大月生活協同組合 大月市駒橋 昭31現在
20 昭31・2・15 初狩町相互生活協同組合 大月市初狩町 昭31現在
【備考】『全国生活協同組合一覧』(日本生協連、昭和31年)より。
このうち、昭和24年度に「久那土村生活協同組合」、昭和25年度に「東光新生生活協同組合」が優良組合として厚生省によって表彰された。また上記「勝沼町生活協同組合」の組合長・三枝明は青年期に賀川豊彦に師事したクリスチャンで、山梨における農民運動や平和運動に貢献するところ大であったという。ようやく生協の発展の兆しが見えてきたのであろうか。残念ながら、この20組合のうち、半数の10組合は昭和31年までに解散しており、他の組合も昭和54年には「山梨大学生協」を除いて解散している。いまだ発展の基礎は形成されていないのであろうか。この時期以降(昭和50年代以降)に市民型生協運動が新たに登場して現在に至るのであるが、山梨における協同組合の特質が解決されていくかどうかは、別の検討を要するであろう。
むすび
以上のように山梨は、産業組合、市街地購買組合、小作人組合や協調組合および報徳社の各種経済事業、消費組合等、協同組合や協同組合類似事業がそれなりに広範に展開していた。山梨の協同組合を評して「協同性の欠如」とは単純にいうことはできない。むしろ、これらの各種協同組合の成功事例・優良事例からくみ取るべきことは決して少なくないのであり、山梨においてこうした事例が多数発掘され、この分野における調査研究が進展することに期待したい。
さて、山梨産業組合の特質について整理しておきたい。山梨の産業組合は、貸付超過の「貸付組合」的性格と米・食料品の「消費組合」的性格を基本的特質としていた。慢性的資金不足による現金需要と基本食料の不足・その移入といった、山梨の産業経済構造の影響を蒙っていたのである。販売事業では繭・生糸のウエイトが比較的高く、優良事例では葡萄など果樹といった商業的生産物が比較的重要な役割を演じていたが、生糸はアメリカ市場、果樹は東京・大阪など遠隔地市場を目指したものであった。こうした生産構造・市場構造は外部市場に大きく左右され、不安定なものとなりがちであった。
他方、全国・長野・静岡などと比較して、山梨の産業組合・消費組合など協同組合の発展は必ずしも強力であったとはいえない。とくに産業組合製糸は発展の兆しがあったものの、群馬・長野に匹敵する蚕糸王国にもかかわらず、外部市場や営業製糸などの客観的条件および産業組合経営上の主体的条件が抱える諸問題から、その発展は阻まれた。
総じて、産業組合を中心とした山梨協同組合の展開過程を次のようにまとめることができるであろう。すなわち、その広範に展開していった背景には、無尽・頼母子や庶民金融機関(質屋)など、また村落の伝統的な相互扶助が広範に展開していたことが基盤となっていたが、しかしそれら伝統的協同組織に代わるものとして十分な産業組合や消費組合の発展には至らなかったのである。そして、山梨産業組合の「農村消費組合的性格」に注目されなければならない。それは戦後の農業協同組合にも継承されている特徴であり(6)、消費組合の発展にも関わってくるからである。
ともあれ産業組合や消費組合は、上記した伝統的な相互扶助組織の解体・崩壊、あるいはそうした危機の進展とともに、過去にあった人々の協同性を新しい時代に適合した形で復活させるものとして形成する。産業組合や消費組合などの協同組合は、さまざまな協同的営為を基盤としながら、しかしそれのみならず目的意識的な機能組織として組織化される。協同組合の発展にはこうした基盤と機能という二つの要素が不可欠であるのである。そして、山梨ではその基盤は広範に存在していたが、目的意識的な機能組織の追求が必ずしも十全でなかったために強力な発展の条件を欠いたのではなかろうか。すなわち協同組合の主体的条件が検討されなければならない。
ここにいう目的意識的追求=主体的条件とは、協同組合の政策、運動・理念・教育、経営等の追求であり、山梨はこれらが十分でなかったし、人々もそれを受け入れる用意に欠けていたのではないか。具体的には次のような問題点があったのではないか。
〔政策〕・県や町村の産業組合政策が妥当であったのかどうか。
・農民運動や労働運動の産業組合政策・消費組合政策がどうであったのか。
・産業組合や消費組合が長期的政策をもっていたかどうか、とくに地域社会づくりをどのように構想し
ていたか、いなかったか。
・資金・物資・人材の地域内循環をどのように図ってきたか。
・産業組合・協同組合をどうのように理解(自己認識)していたか。
〔教育〕・協同組合の教育的課題・文化的課題をどのように位置付けていたか。
・人材の問題、リーダーの問題、この点が重視されたのかどうか。
・こうした教育活動がどのように行われたのか。
〔経営〕・組合製糸では経営問題が最大の問題であったのではないか。
・郡レベルの、下からの地域的な連合会運動が弱かったのではないか。
・産業組合の不正事件や内部抗争が悪影響を及ぼしたのではないか。政治的対立、私的利益の追
求や部落エゴが強すぎたのではないか。
最後に結論をのべて本稿をむすびたい。協同組合は、私的個別利益を共同利益の追求として行われる。自立的個人の共同的行動として現れる。ここには私的利益の追求といった次元のみならず、共同性・社会性が不可欠になり、この二つの要素、その結び付きに協同組合の目的における特質がある。後者の特性を備えない場合、協同組合の長期的発展は困難であり、人々の信頼はえられにくい。また協同組合は、農業者や消費者自らが構成員となって事業を営む、すなわち参加型組織であるところにその組織としての特質を有する。これら構成員の参加や意思の反映が欠如した場合、構成員は協同組合から離反することになるであろう。さらに協同組合はその構成員が存在する地域を離れて存在できないという地域的特質を有する。そうであるならば、自己の存在する地域をどのように構想するかという課題が不可欠となる。これを欠いた場合、協同組合の持続的発展はないであろう。こうした目的の特質、組織的特質および地域的特質といった3つの特質を生かすことが協同組合の主体的条件をつくりあげるであろう。
(1)山梨郷土研究会編『山梨郷土史研究入門』(山梨日日新聞社、平成4年)において、島袋義弘氏により今
後の山梨農業の研究として農業団体に関する調査研究の必要が指摘されているが、その成果はまだ生
まれていない。
(2)大正初期、甲府市内には382組、加入者3600人の無尽講が存在していた。
(3)山梨の森林をめぐる問題を解明することは、山梨の社会経済構造を理解するにあたって決定的である。
当山梨地域研究会における1999年8月の筆者の報告「山梨の森林と森林組合」(レジュメおよび資料)を
参照されたい。なお北條浩『村と入会の百年史』(御茶の水書房、1978年)をはじめとした同氏の一連の山
梨研究に注目されたい。
(4)「循環型経済」について、国際連合と東京都の主催による「エコ・パートナーシップ東京会議」(1998年5月
26日〜29日)における文書「循環型社会の文明を創る」を参照されたい(『共済と保険』1998年9月)。
(5)甲府信用金庫『甲府信用金庫60年史』(昭和55年)、甲府商工信用金庫『60年の歩み』(昭和60年)参照。
(6)1996年度の山梨JAの購買総額43,105百万円のうち、生産資材は21,033百万円(49%)、生活物資は
22,072百万円(51%)であって、同時期の長野の生産物資64%、生活物資36%、全国の生産資材63%、
生活物資37%と比べて、山梨の生活物資の購買割合は著しく高い(1999年版『日本農業年鑑』家の光協
会)。
1997年度の山梨JAの購買総額44,108百万円のうち、生産資材は20,688百万円(47 %)、生活物資は
22,072百万円(53%)であって、生活物資の購買割合が一層高くなっ ている。山梨区域別生活物資割
合は、北都留86%、南都留73%、中巨摩西部67%、甲 府中巨摩東59%、峡南56%、北巨摩56%、東
山梨36%、東八代30%となっている(J A山梨中央会『山梨県のJAの現況』平成9年事業年度)。
また、1996年度における米の販売額と購買額の差額(〔米販売額〕−〔米購買額〕 の比率)は、山梨
72%、長野8%、全国7%というように、本文でみた戦前ほどでは ないが、山梨JAは米の購入割合は
著しく高い(前掲1999年版『日本農業年鑑』)。
〈山梨の社会経済〉
@ 山梨県師範学校・山梨県女子師範学校編著『総合郷土研究』(昭和11年)
A 山梨県『山梨県恩賜県有財産沿革史』(昭和11年)
B 竹川義徳『山梨農民運動史』(大和屋書店、昭和9年)
C 竹川義徳『山梨県下に於ける五人組制度の実証』(山梨県産業組合青年総連盟、昭和14年)
D 山梨県『山梨県恩賜県有財産50周年記念誌』(1961年)
E 北條 浩『村と入会の百年史−山梨県村民の入会闘争史−』(御茶の水書房、1978年)
F 山梨県『山梨県恩賜県有財産80周年記念誌』(平成3年)
G 大杉彦助『山梨思想運動史』(山梨思想問題研究所、昭和25年)
H 大杉彦助『山梨農民運動史』(文化山梨社、昭和26年)
I 甲府労政事務所『山梨労働運動史』(昭和27年)
J 永原慶二ら『日本地主制の構成と段階』(東京大学出版会、1972年)
K
石井寛治『日本蚕糸業史分析』(東京大学出版会、
L 山寺 勉『女性が主役 戦前山梨の労働運動史』(平成2年)
〈報徳社〉
@ 内藤安時『成田報徳社』(明治36年)
A 山梨教育会東八代支会『東八代郡誌』(大正3年)
B
山梨教育会北巨摩郡支会『北巨摩郡誌』(大正4年)
C
山梨教育会東山梨支会『東山梨郡誌』(大正5年)
D
山梨教育会南巨摩郡支会『南巨摩郡誌』(大正5年)
E 中巨摩郡連合教育会『中巨摩郡誌』(昭和3年)
F
飯田栄太郎『成田報徳社の起源と業跡』(大日本報徳社、昭和12年)
G 産業組合中央会山梨支会『昭和14年 産業組合要覧』
H
大日本報徳社『大日本報徳社紀要』(昭和17年)
I
御坂町役場『御坂町誌』(昭和44年)
J
御坂町役場『御坂町誌資料編』(昭和47年)
K
甲西町役場『甲西町誌』(昭和48年)
L
山梨県教育委員会『山梨県教育百年史・明治編』(昭和51年)
M
増穂町役場『増穂町誌・上巻』(ぎょうせい、昭和52年)
N 八木繁樹『報徳運動100年のあゆみ』(龍渓書舎、1980年)
O
弦間耕一「近世甲州に於ける報徳活動の一考察−八代郡成田報徳社の成立過程を中心に−」
(『甲府盆地−その歴史と地域性−』雄山閣、昭和59年)
P
財団法人山梨県みどりの基金『山梨緑の礎 森を育てた人々』(平成3年)
Q
弦間耕一「甲州の報徳活動」(山梨郷土研究会編『山梨郷土史研究入門』 山梨日日新聞社、平成4年)
〈産業組合全般〉
@ 農商務省農務局 各年『産業組合要覧』(明治37年〜昭和16年)
A 山梨県内務部『山梨県産業組合要覧』(大正4年)
B 産業組合中央会『産業組合現勢調査』(大正14年)
C 竹川義徳編著『山梨県産業組合史』(山梨県信用販売購買利用組合連合会、昭和15年)
D 産業組合中央会山梨支会『昭和14年度 産業組合要覧』(昭和16年)
E 保坂義照編著『山梨県産青連史』(富士山麓農村工業組合、昭和16年)
F 商業組合中央会『産業組合に関する調査書(第1輯)』(昭和14年)
G 『山梨県信連三十年史』(昭和53年)
H 『山梨県農業協同組合中央会史』(昭和55年)
I 『山梨県経済連三十年史』(昭和55年)
〈組合製糸〉
@ 産業組合中央会『産業組合の経営する製糸事業』(大正14年)
A 農林省蚕糸局『昭和2年度 生糸販売組合事業状況調査』(昭和5年)
B 早川直瀬『組合製糸の理論と実際』(明文堂、昭和5年)
C 大日本生糸販売組合連合会『全国産業組合製糸現勢』(昭和11年)
D 山梨県蚕糸業概史刊行会『山梨県蚕糸業概史』(昭和34年)
〈優良組合〉
@ 産業組合中央会『第2次表彰産業組合』(明治45年)
A 産業組合中央会『第3次表彰産業組合』(明治45年)
B 農商務省編『優良産業組合事例』(産業組合中央会、大正9年)
C 産業組合中央会『販売組合経営事例 園芸品の部』(昭和4年)
D 産業組合中央会『農村購買組合調査』(昭和6年)
E 産業組合中央会『産業組合』誌 各号
F 「無限責任上野信用組合の事業及其経過」(『中央農事報』第59号、明治38年2月)
G 「山梨県無限責任上野信用組合の事業及其経過」(『産業組合』第1号、明治38年11月)
H 農商務省農務局『産業組合好例』(明治41年)
I 清水威論文 山梨郷土研究会『甲斐路』第30、32、33号(昭和52年6月、53年6月、11月)
J 丹沢藤男編『山の千世遺徳顕彰碑建立記念誌』(昭和53年)
K 清水 威『山の先生・丹沢正作』(山梨ふるさと文庫、1985年)
L 高木正朗『近代日本農村自治論』(多賀出版、1989年)
〈消費組合〉
@ 産業組合中央会『市街地購買組合に関する調査』(大正14年)
A 産業組合中央会『市街地購買組合調査』(大正15年)
B 産業組合中央会『市街地購買組合調査』(第2回・昭和4年〜第8回・昭和11年)
C 奥谷松治『改定増補 日本生活協同組合史』(民衆社、1973年)
D 山本秋『日本生活協同組合運動史』(日本評論社、1982年)
E 日本協同組合同盟『日本協同組合新聞』
F 『生活協同組合便覧』(昭和24年2月)
G 『山梨県社会事業誌』(昭和26年)
H 『全国生活協同組合一覧』(日本生協連、昭和31年)
I 『山梨の社会福祉展望』(昭和36年)
J 『山梨の社会福祉二十年史』(昭和46年)
K 『消費生活協同組合実務必携』(昭和54年)
L 『山梨の社会福祉三十年史』(昭和57年)
〈その他〉
@ 甲府信用金庫『甲府信用金庫60年史』(昭和55年)
A 甲府商工信用金庫『60年の歩み』(昭和60年)
B 甲府信用金庫『甲府信用金庫70周年記念誌』(平成元年)
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