062. The fool worries, thinking, "I have
sons, I have wealth." Indeed,
when he
himself is not his own, whence are
sons,
whence is wealth? 【062】 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。 お釈迦様は、正しいことを言っていますから、時にとてもキツイことを言うことがありますね。 「自分の子が自分のものではない」「自分の財が自分のものではない」ということは、言われれば、「そうだった。忘れていた。つい、自分のものと思ってしまっていた。たしかにお釈迦様が言うとおりだ」と分かります。納得できます。 自分のものだと思って、あれこれしようと思っていたから苦しかったのだ。自分のものでないのなら、これに過剰に執着するのは間違っている。そうだ、それは分かってはいたんだが、つい忘れていた。そのことを思い出させてくれて、まことにありがたい言葉だとわかります。 と、一旦は分かっても、また、すぐに、自分の子どもを支配しようとしたり、お金に執着してしまいますね。ですから、お釈迦様は、もう一段キツイ言葉で釘をさしています。 「自分の子どもだとか、自分の財産だとか、馬鹿じゃないの。自分自身も自分のものでないのに、何を言ってるの、まったく。あはははは」 とお釈迦様は、言ったのかもしれませんね。それくらい、ぶっ飛んでます。 で、弟子は思ったでしょうね。 「えっ、自分自身も自分のものでない? 子どもは自分の物でないことは分かる。独立した人間だ。お金も自分のものじゃないことは分かる。自由にならないし、天下の回りものだ。でも、自分自身も自分のものじゃない? 分からない。いったいどういうことなのでしょう」 「あはははは、じゃあ説明しよう」 「お願いします。お釈迦様」 ということなので、一緒にお釈迦様の説明をしばらく聞いてみましょう。 「いいかい」とお釈迦様は話始めました。 「自分のものというのは、自分でコントロールできるものだ。自分の思い通りにできるものだ」 「そうですね。自分が支配している。コントロールしている」 「そうだ。だけど、思わず、怒ってしまったり、思わず、嫉妬しまったりしていては、自分をちゃんとコントロールしているとは、言えないだろう?」 「まぁ、そうですね」 「同じように、無意識で思わず何かしたり、感じたり、考えていては、とても自分をコントロールしているとはいえないよね。そうじゃないかい」 「えへへへへ、そりゃまぁ、まだ修行が、いま少し足りませんから、そういわれても仕方ないですが、しかし、修行が進めばある程度、コントロールできるんですから、やっぱり、自分自身は自分のコントロールの下にあると言えるんじゃないですか。」 「ふむふむ、そうだね。しっかり、修行が進めば、自分の心はある程度コントロールできるようになる。思わず何かをするのではなくて、意識して何かをするようになれるからね。無意識でしている部分は少なくなってくるわけだから、たしかに、自分をコントロールしていると言えるようになってくる」 「そうでしょ。だったら、お釈迦様、自分自身が自分のものでないというのは、修行が足りない場合ってことじゃないですか。だから修行して自分を取り戻せってことでしょ」 「ああ、まぁ、そうだね。修行は大切だ。しっかり修行するように。でも、修行が進んでも、やはり、自分自身は自分のものではないのだよ」 「ええ、よく分かりませんが・・・・」 「自分の物というのは、自分で自由にできるってことだが、修行が進んでも、自分の肝心なことが、何一つ自由ではないのだ」 「肝心なこととは?」 「生老病死だな。生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと。何一つ、自由にならない」 「はぁ」 「お金持ちの家に生まれて来たいと思っても、自分で決められない」 「そうですね」 「年は取りたくないと思っても、そうはいかない」 「そうですね」 「病気もしかり、死もしかり、自分の思っているようにはならない。そのほかにも、多くのことが自分の自由にならない。まるで、ほとんど、大河に浮かんでいる小さな葉っぱのようなものだ。どこにどのように流れていくのか、風任せ、水任せ、とても自分の自由にはならない」 「まぁ、そうですね」 「そのような、肉体を授かっているということだ。その肉体は、まぁ、いわば借りているようなものだ。決して自分自身のものではない。神様から、返してくださいといわれれば、有無をいわず、返さなければならない」 「ももも、もう、ちょっと待ってくださいとも、言えないのですか?」 「いや、言ってもいいよ。言ってもいいけど、聞いてくれるかどうかはわからない」 「まぁ、そうですね」 「オーナーは神様だからね。借り物だ。自分のものでないってことだ」 「ああ、なるほど、自分のものでないってことですね」 「だから、余談だが、粗末に扱っていると、すぐに返してくれってお迎えが来る」 「ああ、なるほど。レンタ象でも粗末に扱っていると、貸し出し期限前に、強制返却になるようなものですね」 「あはははは、まぁそうだね。とにかく、自分自身ですら、自分のものでない」 「でも、お釈迦様、それって、苦しいですね。残念ですね。どうやってその苦しみから逃れられるのですか。その方法はあるんですか」 「方法は、ちゃんとある。いいかい、簡単だ。自分自身と、本当の自分は違うのだとしっかり分かれば良いのだ。 子どもが自分のものでないとしっかり分かれば、子どもに対する執着はなくなる。つまり、子供についての苦しみから解放される。 お金が自分のものでないと分かると、お金に対する執着から解放される。するとお金に対する苦しみから解き放たれる。 自分自身が自分のものでないとわかると、自分に対する執着は消える。すると、自分についての一切の苦しみから解放される。 同じ仕組みだ。」 「ほう、自分自身に対する執着を解き放てば、苦しみからも解放されるということですね。」 「そうだね。」 「お釈迦様、つまり、いつもの結論ですね。執着を捨てる」 「あはははは、当たり前だ。私はいつも同じことしか言っていない」 というのが、お釈迦様の説明でした。つまり、自分自身に対する執着から、開放されるためには、「本当の自分は、マインドが考えている自分ではない」ということに気付かなければならないということです。 そのためには、マインドが何をどのように考えているのか、それは自分とは別であるということが、分からなければなりません。実感されなければなりません。 その手始めは、まず、マインドの観照ですね。マインドと同一化している自分をマインドを観照することによって、そこから離れなければなりません。修行です。そして修行は、瞑想の行程図の順に次第に奥に進むということです。 「笑雲先生」 「なんだい、小松茸」 「自分が自分のものでないと分かったら、自分のものでないのですから、扱いが粗末になりませんか。レンタカーでもなんでも、借りている物をワックスをかけて磨く人はいませんよ。自分のものでないと分かることが大切だといっても、もしそう分かったら、そしたら、自分を大切にしようと思わなくなるんじゃないですか?」 「あはははは、そうだね。人のものだと思ったら、ぞんざいに扱いそうだね」 「そうですよ。頑張って磨きを掛けようなんて考えなくなりますよ。薄汚れていてもいい、汚くてもいいって気持ちになりますよ」 「で、そうしているとどうなるんだ」 「さぁ」 「オーナーは神様だからね」 「粗末にしていたら、返してくれって言われるんですね」 「そうだね。それでのいいかい?」 「いやー、それは困る」 「自分は自分のものではない。借り物だ。返せといわれるまで借りているだけだ。そして粗末にしているとすぐに返せと言われる」 「ということは、借り物の方が、しっかりメンテナンスしなければならないってことですね。でも、レンタカーだと汚れたままでいいのだけど、いったいどこが違うのかしら」 「違いは、借り換えが出来ないことだろうね。世界に一台しかないし、代替車はないってことだ。良くも悪くも、気に入っていても、気に入らなくても、自分の借りているのは、この自分自身だということだ。だったら、それを大切にしなければね」 「そうですね。そういうことですね。そうであるなら、いままでより、大切にしようと思います。たしかに。なるべく長く借りたいですからね」 「あはははは、手入れをしっかりするということだね」 「はい」 「自分のものでなくても、借り物でも、大切にします。いや、借り物だから大切にする。でも、結局同じような結論だなぁ」 「なにが?」 「だって、自分に執着しているのと、同じような行動になりますよ」 「それはそうだね。自分の身体を健康に清潔に保っていこうとするのは同じかもしれないね。でも、決定的に違うのは、『欲』でそうしているのではなくて、神様から貸して頂いている、ありがたいことだ、だから大切にしようと思っている点だね。感謝しながら、生活しているか、不満と心配の中で生活しているのかの違いだね。ありがたいって感謝して生活している方が断然得だ。幸せ度が全然違うからね」 「感謝している方が幸せ」 「そうだね」 「笑雲先生」 「なんだい、小松茸」 「大切にしようという『愛』だとか、『感謝』だとか、神様に任せる『大肯定』だとか、それらの言葉はいつも並ん出てきますね。結局みんな一緒に出てくる」 「そうだね。あはははは、あと、『笑い』もね」 「あはははは、それ、忘れ易いですけど、あはははは」 ------------------------------------------ 今回出てきた、ダンマパダのセンテンス 【062】「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。 --------------------------------- ------------------------------------------ 宝彩有菜 宝彩有菜のダンマパダ講話 (home)/(index)/(back) (c) All Copy Rights Reserved by Alina Hosai 2005 |