第13日目 木曾福島宿から野尻宿まで
木曾福島宿〜上松宿〜須原宿〜野尻宿
(2002年9月6日)
朝は快調にスタート!
木曾福島宿で一泊した「むらちや」さんは、旧中山道沿いに面した場所にある、比較的間口の狭い古い趣のある民宿。しかし、奥行きがかなりあって驚いた・・・。
このむらちやさん、チェックインした時におかみさんがいなかったみたいで、夕食がなかったのもそのせいだったようなんだけど、部屋に通されただけでほとんど何も説明もなかったんだ。
部屋に案内される途中に「お風呂はここです。」って言われただけでね。。。それで「もう、入れるんですか?」って聞いたら「今他の人が入ってますから・・・」との返事。。。これで説明はお仕舞い。
あと、探せばわかるんだけどトイレの場所の案内もなく、翌日の朝食の時間、場所の案内もない・・・。後から説明があると思っていたら、そのまんま、、、風呂が空いたら教えてくれると思ってたら、そのまんま。で、19時過ぎ頃、風呂の様子を見に行ったら空いてたんで、急いで部屋に戻って用意をして風呂に入ったんだ。。。途中の廊下に「朝食は7時からです」って言う張り紙がしてあって、、、む〜、、、昔の民宿みたいな民宿だなぁ〜、、、ほとんどセルフだ・・・って思ったね。ま、民宿だからね。しょうがない・・・高くを望まず、多くを望まず・・・部屋にエアコンが用意されていたけど、何やら100円を入れないと作動しないようになってたんだ。む〜、、、使わなかったけどね。

朝、7時近くになったら隣の部屋の客が部屋を出て行く音がしたんで、食後すぐに出発できるように荷物一式を持って、食事が準備されていた場所に行ったんだ。場所もわからずにね・・・
写真では「お宿 むらちや」と書かれている入り口の戸と「五平餅」と書かれている幟の間、その裏側が食事のスペースで、昼間はそこが喫茶のコーナーになっているようだったね。
食事の間におかみさんに「今日はどちらまで?」と聞かれて、「野尻の宿まで予定してます」と応えたら、「そうですねぇ〜、ここらからだと皆さん大体須原か野尻まで行かれるみたいですねぇ〜、、、途中19号、車に気を付けてくださいねぇ。歩道がないところがあるし、飛ばしてますから・・・」と言われて、「やはりそうか・・・」と思ったね。 今日は少々厳しい行程になるかなぁ〜?
よし、朝食もしっかりと摂って、いざ、出発!! 時刻は7:20。
福島宿の街を少々探索
前日到着した時間が夕暮れ近くだったこともあり宿場内をほとんど見てなかったんで、少々逆戻りになるけど、宿場を探索して行くことにしたんだ。
「むらちや」さんのところからそのまま道を戻って中八沢橋を渡って短い坂を登ると、古い町並みの道に出たんだ。右手には水場のある古い家が見えたけど、この水場の水は「飲用できず」。川の水をそのまま引いているってことでね。


そして、その先を進んで降って行くと、正面に屋根に石を載せた古い家が見えたんだ。上の左の写真の道の突き当たりに小さく見える家ね。
木曽の昔からの家の造りは、皆こうだったらしいね。
この家の右手が坂をぐぐっと降るようになってたんだけど、そこには、「高札場跡」があって、高札場が復元されていたんだ。昔はここにいろんなお触書が書かれてたんだね。


高札場のところの先で前日通った大通りに出るんだけど、通りに出た右手に「七笑」の看板が掛かってるお店があったんだ。
お酒を飲む人なら知ってるね? 木曾のお酒「七笑」の醸造所なんだって。
朝7時半過ぎだって言うのに、もうお店開けて準備をしてたよ。ほんとならここでお酒を買って行きたかったけど、水物は荷物になるんでねぇ〜、、、残念だったなぁ〜〜、、、

七笑のお店の前を通り過ぎて、左手に曲がって進むと、木曽川に掛かる橋を渡るんだけど、その先の交差点のところに建ってたのが「山村代官屋敷跡」。
山村氏と言うのは、「初代良候から明治維新の良醇まで尾張藩木曾代官として13代続いた家」なんだって。元々は、木曾氏に仕えていたんだけど、豊臣秀吉の命で木曾義昌が下総国網戸に移封されてから浪人していたらしいね。ところが、関が原の合戦の際に家康の命を受けて秀忠の先陣となって木曾を取り戻した功績によって幕府領となった木曾の代官を命じられたってことなんだ。
写真で見ると、かなり立派な門で、代官屋敷とは斯くありき、、、と思える造りなんだろうけど、実際に近くで見たら、意外と小さかったね。
中は見学できるようになってるんだけど、開館が8:30〜、、、とほほ。まだ時間前。
やむを得ず、そこから引き返したんだ。

山村代官屋敷跡のすぐ右側が「福島小学校」になってるようで、登校してくるたくさんの小学生とすれ違ったんだけど、早いねぇ〜、、、8時前だって言うのにね。
それにすれ違った何人かの子供が、元気に「おはようございます!」って挨拶して行くんだよね。
朝から気持ちがいいねぇ〜〜。
いきなり道を間違える・・・
再び「むらちや」さんの前を通って、先を目指す・・・
中山道を進むと、緩やかな長い坂を登った先から、大勢の高校生が降りてきたんだ。登校の時間だね。
坂を登りきったところには「JR木曾福島駅」があったんだ。木曾街道沿いの駅の中では一番大きいようだね。
中山道はその先線路の近くを通って1キロほど県道と離れて進むんだけど、うっかりしてそのまま広い道を進んでしまったんだ。
坂道を降りてきて県道に合流した辺りで気が付いたけど、しょうがない、このまま進むことにしよう。

今度は間違いなく県道と分かれて
本来進むべき道が県道に合流した地点まで来ると、その道を見返して「あ〜、ほんとはこっちからくるはずだったんだなぁ〜」と後悔しつつ、今度は間違えないように地図をしっかりと見て。
そこから100メートル程先で、再び道は県道から左手に分かれて登り坂になって行ったんだ。
今度は大丈夫ね。

この先は比較的広い舗装道路に出て登って行くんだけど、ほとんど車が通らない道。
そこを過ぎると左手の上の方に国道が見えてくるんだ。その国道の橋桁の下をくぐって、反対側に周ったんだけど、本来はこの先橋の手前を右の方に回って国道と県道の間辺りを行ってたらしいんだ。しかし、道は途中で崩れているらしく危険だってことで、国道の橋の下を周ってその先の藪の中に続く道を進んだんだ。
トンネルを抜けると・・・
そうしたら、その先に何だか、寂しいトンネルが現れてね。
中を覗いたら、出口が見えないんだよね。そこそこ距離があるみたい。
しかも、トンネルの中は照明が古いんだか、予算の関係で少ないんだか、とにかく暗い。
こんなところを歩いていて、車でもきたらかなり危険。そ〜思ったけど、ここは進むしかないんで、さくさくと歩いたね。。。で向こうに小さな明かりが見えてきて、それが段々と大きくなってきて、出口になったんだ。。。その間、車は一台もこなかったよ。
後で調べたら、何でもこのトンネルは旧鉄道で使ってたものらしいんだよね。

そして、トンネルを抜けると、右下に国道が見えていて、道はその先で国道と合流して進んだんだ。
御嶽山が見えない、「御岳山遥拝所」
その先をしばらく進むと、目の前に鬱蒼とした杉林が見えてきてね。
その中を進むと、ありました! 「御岳山遥拝所」。
石段を上がっていくと鳥居があって、その先に御嶽山が見える、、、?
今は、杉の木がたくさん伸びていて、そのせいかどうか何も見えないんだねぇ〜、、、
江戸時代はここからよく見えたんだろうね。。。


御岳山遥拝所を出て先に進むと、線路を右手に越えて進むのが旧中山道らしいんだけど、今はそこは金網が張られて進めない。。。やむなくそのまま線路に沿って左側の道を進むと、目の前に山並みが拡がってる場所に出たんだ。
どうやら、ここから見えてるのが御嶽山らしいんだけど、どれが御嶽山なのかよくわからないなぁ〜。
右手下側には線路が走り、誰も歩いていない道を進む。。。左手の山側からは、水の流れている音がひっきりなしに聞こえる、、、気持ちがいいねぇ〜、、、

沓掛観音で小休止
中山道は再び国道と分かれて、左手に少し入って進むんだ。
その先道は右折してるんだけど、舗装さてれない、そのまま先に進む道が中山道らしいね。
その道は線路際を進む草道ね。幅も狭いねぇ〜、、、中山道、こんなになっちゃって・・・

そのまま数十メートル進むと、ぼうぼうの草むらの先の正面に小さな祠が見えたんだよね。これが「沓掛観音」ね。木曾では有名な馬の神様なんだって。。。
何でも、木曾義仲が自分の不注意で亡くしてしまった彼の名馬を祀ったものらしく、始めは金の観音様だったんだって。ところがそれがある時盗まれてしまいその観音像が京都にあることがわかったんだけど、返してもらうことができず、やむ無く木造の観音様を彫ってここに祀ってあるんだって。


ここの祠の前がちょうどいい日陰になってたもんで失礼して、ここで小休止させてもらったんだ。
いやぁ〜、、、ありがたいねぇ〜。。。
さて、沓掛観音を出て国道と合流すると左手に一里塚があったんだ。
京へ六十六里、、、沓掛一里塚ね。

ここが「木曾の桟(かけはし)」ね。
沓掛観音から数百メートルほど先に、木曾の難所「木曾の桟」があったんだ。
*長野県史跡 木曾の桟橋跡 昭和41年3月31日指定
桟は、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、木曾桟は歌枕にもなっていると共に、県歌「信濃の国」に歌いこまれており、寝覚の床とともに、木曽路の旅情をあたためたことでその名が高い。
昔はけわしい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、天保4年(1647)にこれが通行人の松明で焼失した。そこで尾張藩は翌慶安元年(1648)に長さ56間(102メートル)中央に8間(14.5メートル)の木橋をかけた石積みを完成した。
このことが今も大岩壁と石垣に銘記されている。寛保元年(1741)の大改修と明治13年(1880)の改修と2度にわたる改修、木橋下の空間はすべて石積みとなり、残されていた木橋も、明治44年(1911)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまった。現在石垣積みの部分は、国道19号線の下になっているが、ほぼその全ぼうが完全な姿で残されていることが判かる。
この史跡は、慶安年間に築造された石垣を根幹とし、その後いく度か改修された道橋をほぼ完全な姿で留め、往時の木曽路の桟を偲ばせる貴重なものである。
長野県教育委員会

左手が木曽福島方向ね。
今普通に車で走ってると、ほとんど気が付かずに通り過ぎちゃうと思うけど、ちょうどここのところに橋が掛かってて、桟の反対側から桟の様子を見ることができるんだ。
反対側から見て初めて、すごいところだと思ったね。
昔ここは、丸太に板を渡しただけの桟が掛かってたって言うことだからね。。。やはり、難所だったんだねぇ〜。。。
国道沿いの道は、辛いねぇ〜・・・
桟から約1キロ先で新茶屋の集落辺りに入り、旧道はそこから左折して進むらしいんだけど、その先は不明な場所が多いらしいため、ここは安全策をとって、国道を進むことにしたんだ。
道はこのまま2キロ弱、ず〜っとこのままね。
先を見ると気が遠くなるんで、なるべく気にしないように歩いたんだ・・・

ようやく、上松宿へ・・・
時刻は9:45。木曾福島宿を出て2時間25分ね。。。ようやく上松宿の入り口、十王橋のところまで来たよ。
ここで道を左に外れて、この十王橋を渡って2本はためいている幟の間を通って左手に進んだ先が上松宿ね。

上松宿は度々大火に遭って現在は新しい町になってるってことなんだけど、十王橋の先のこの上町の辺りだけは昔の面影を残してるんだって。
橋の先が短い登り坂になってて、突き当たって大きく右に回りこんだ先が、この写真の街並みね。

そこから1キロ弱ほど進むと、「尾張藩上松材木役所御陣屋跡」があったんだけど、今は学校になってたみたいだね。
さて、上松といえば「寝覚ノ床」。この辺り、所々に「寝覚ノ床」へ行く道標があって、それを目印に進めたんで助かったねぇ〜。

更に1キロほど進むと、道の右に「たせや」と「越前屋」を発見!
それぞれ昔は茶屋を営んでいたってことで、越前屋は「続・膝栗毛」の中で野次さん喜多さんが蕎麦切りを食べたところとして描かれてるんだって。歴史があるねぇ〜。
現在は両方とも民宿になってるらしいんだ。
さて、ここまで来たら、「寝覚ノ床」をひと目だけも見て行きたいね。

名勝、寝覚ノ床!
たせやと越前屋の間の急な坂を降って行くと国道に出て、信号を渡った正面に「臨川寺」って言うお寺があるんだ。
その信号を渡る前右手20〜30メートルのところに、先ほどの越前屋が現在は場所を移して蕎麦屋を営業してるんだって。
さて寝覚ノ床に行くには、この臨川寺を通って行かなければならないらしい。
寝覚ノ床自体は「川」だから無料なんだろうけど、このお寺に入るのに拝観料がかかるんだ。
入り口のところに行くと、係りの人がいない。何やら書いてある。「ただ今清掃中のため、拝観料は境内でいただきます」とか言う内容だったんだ。
それでそこはそのまま通り過ぎると、すぐ正面に展望台があって、そこから下を覗き込んだら、お〜!! これが寝覚ノ床だ!! 懐かしいなぁ〜、、、学生時代に一度来てるんだよねぇ〜。その時は下まで降りて行ったんだけど、、、
「故障中」の表示がしてある有料双眼鏡の台の前にベンチがあったんで、ここで小休止。
一息ついていたら、向こうのお堂の前で掃除をしていた女性が近寄ってきて「拝観料、いただいてませんね?」。。。

説明によると、浦島太郎が竜宮城から帰ってきて、目を覚ましたのがここだったんだってね。だから「寝覚め・・・」、?
それで、このお寺、浦島太郎所縁のものがいろいろとあるんだって。
寝覚ノ床までは、ここから降りて行って30分ほどで往復できるってことだった。
せっかくここまで来てるんだから、下まで降りて目の前で見てみようとも思ったけど、一度訪れてるし、30分と言う時間、それと下からここまで登ってくることを考えて、ここからの景色を眺めることで今回はよしとしたんだ。 ここから先ほどの中山道まで戻るのにも、かなりの登り坂になってるんでね。
とは言ってもせっかく来た臨川寺。境内は見て行こう、、、
ここは弁天堂。

弁天堂のそばにあったのが小さな池。これが「浦島太郎姿見の池」って書いてあったよ。
玉手箱を開けて一気に老人になった自分の姿でも写したのかな?池と言うより水溜りだね。

再び中山道へ戻る
臨川寺を後にして、再び降りてきた道を戻ったんだ。
いやぁ、急な坂だねぇ〜、、、写真の真ん中辺りに見えている建物が先ほどの越前屋。
あの越前屋のところまで戻って、右折して再び中山道を進むんだ。。。

滑川(なめりかわ)を越えて
寝覚ノ床を後にして先を進むと、越後屋のところから数百メートル先に滑川が流れてるんだ。
現在は水量がかなり少なくなってるけど、この川はこの先で木曽川に合流してるみたいね。
JRの線路や国道は、こっちの方向、川の流れていくかなり先を走ってるはず。。。随分と離れてるんで見えないけどね。
この川に掛かってる滑川橋を渡って右手の方向、川が流れていく方向に沿う形で7〜800メートル進むと線路が見えてくるんだ。
そして、その後は線路に沿うように進み右に回って線路をくぐって国道に合流ね。

線路の下に見える滝
国道に合流してすぐに、左手に滝を発見!!
この滝は「小野の滝」と言って、木曾八景にも数えられた有名な滝なんだって。。。
ガイドブックによれば、「明治43年に中央本線敷設工事で滝の真ん前に鉄橋が架けられてから景観が著しく変貌し、昔の壮観は失われてしまった」ってことだよ。。。
まぁ〜、見ようによってはこれはこれでいいのかもしれない、って思ったりして・・・
木曾に入ってから、あちこちで水の流れる音を耳にしてるんだけど、滝を見たのはここが初めてかもしれない・・・
しかし、滝っていいねぇ〜。

滝の先1キロほどのところで中山道は国道と分かれて左手に入るんだけど、そこに一里塚跡があったんだ。普通に歩いていたらほとんど気が付かないね。
この先荻原の集落を通って、再び国道と合流するんだね。

☆丸、諦める・・・
その先で道は再び左折して線路の下をくぐり、急坂を登って国道に沿う形で進むんだけど、道は段々と細くなり、腰の高さくらいまである草むらの中に何とか道と見分けられるくらいの道を進ん行くうちに、いよいよ辺りは草ばかりとなって、どっちにどう行っていいのかわからなくなったんだ。
万事休す・・・どこかで間違えたのかもしれない・・・
こうなってくると、今進んでいる道が正しい道なのかどうかも不安になってきて、万一間違ってた時のダメージも大きいため、いろいろ考えてそのまま進むことを諦め、今来た道を戻ることにしたんだ。
これぞ、勇気ある撤退、ってやつね・・・とほほ、、、
さて再び国道のところまで戻って、国道を進む。。。
駅まで行けば・・・
気が付くと、ペットボトルの中身がほとんど空になっていたんだ。
む〜、、、どこかで水分を補給したいね。
しかし、国道沿いにお店らしいものは全く見当たらない・・・
そんな状態で国道に合流してから2キロ半ほど進むと、JR倉本駅があることを示す標識が見えてきたんだ。
「駅まで行けば、お店はないにしても自販機くらいはあるだろう・・・」と言う思いで進むと、見えてきました。駅は道の左上に見えるけど、、、しかし小さい駅だなぁ〜、、、
駅の前をそのまま進んで左手の線路の下のトンネルをくぐるとその先の左手に階段があり、それを上がった先にJR倉本駅のホームがあるんだ。。。無人駅ね。。。嫌な予感がした・・・
予感的中!! 何もない・・・お〜〜!! 勘弁してよぉ〜!!
トイレもないみたいだなぁ〜、、、
待合室にて、しばしの休憩
反対側のホームの隣りに、駅舎と続きの建物があって、タオルみたいなものが干してあるし人影が見えるから、向こう側に行けばトイレとか水場もあるかもしれないけど、時刻は12:10。寝覚ノ床の臨川寺で休憩してから約2時間、宿を出てから5時間弱。正直、かなり足が痛くなってきててね。
駅の反対側のホームに行くには、またぐるっと回って行かなければならないことを考えると、それよりもここで休憩をしたかったんだ。
そ〜と決まれば休憩ね。まぁ、休憩をとるには都合のいい駅ね。
何せ、人っ子ひとりいない・・・写真右手に見える待合室に入ると時刻表があって、それを見ると次の松本方面に向かう電車が来る時間は12:44。それまでは、恐らく誰も来ないだろうね。
ってことで、早速待合室の中の椅子に腰を下ろして、残っていた最後の水を飲み干して、まずは靴を脱いで、靴下も脱いで、汗で蒸れた足をしばし空気にさらしてね。。。気持ちがいいねぇ〜、、、

さて、待合室にてしばしの休憩をとった後、新しい靴下を履いて、出発!!
ようやく水場にありついて・・・
倉本駅の先は、倉本の集落に入るんだけど、道の左手に庚申塔群があったんだ。
昔の旅人も、同じように眺めながら先を急いだんだろうか・・・

倉本の集落を進むと道は再び国道に合流して、その先500メートルほどで今度は右手に分かれていくんだね。そこは池の尻の集落。
集落の中を進むと、あちこちから水の流れる音が聞こえてきたんだ。
庭の池に豊富に注ぎ込んでる水。洗い場のようなところに注ぎ込んでいる水。。。いいねぇ〜、水の流れる音は・・・それで肝心の飲み水は???
何件かの家の軒先にも水場があったんだけど、一応個人宅の敷地内にあるもんだから、それをもらっていいもんかどうか迷いながら道を歩いていたんだけど、どうにも背に腹は代えられず、一件の家の玄関横の水場のところで立ち止まって、ザックから空のペットボトルを取り出して、水を入れたんだ。
ちょうどその時、数メートル先で一台の車が道を塞ぐ形で車庫入れをしてたため、その前でもう一台、どこかの会社の営業車が先に進めず待っている間に、その営業車の運転手が窓越しにこちらをじっと見ててね。。。水を汲んでる水場のほんの1メートルほど先で、、、
彼は、何を思って見ていたんだろう・・・?
さて、池の尻の集落の道はその先、車は行き止まりで通り抜けができないみたいで、舗装された道もその先で終わり、その先は草むらの道を進み左手に上がって国道に戻るんだ。
歩きだと、どこへでも行けちゃうね。

須原宿に入る
約1時間ほど国道を進むと、国道と左手に分かれる道の間に「須原宿」の看板が見えてきたんだ。中山道はこの左手の道の先なんだけど、ここを左手に入る訳じゃあないらしい。ちょっと複雑ね。

中山道を行くには、この看板の右手国道の方を少し先に進んで、そこで国道を左手に分かれて少し登っていくんだ。そして、突き当たりを左手に曲がって進むと・・・

民家の間を進んで・・・

この先で、先ほどの「須原宿」の看板のところを左手の方に進んでいた道に出るんだね。
ということで、須原宿に入ったんだ。
須原宿は比較的長い宿場だね。
ここもまた、国道とは離れているせいか、宿場の風情がまだ少し残ってる街だね。。。

須原宿も水の宿
須原宿に入ると、あちこちに水場があるんだ。
この須原宿の水場は、「水舟」」というらしく、丸太をくり抜いてその中に水を貯めていたんだ。
宿場の中ほどには、石碑と水舟があったんだけど、これは、正岡子規の碑、らしいね。

宿場はここで大きく右手に曲がって進んでいるだね。む〜、、、これまた、昔の宿場らしいねぇ〜。

街を歩いて行くと、またまた水舟を発見。この水場が、すごく自然と街に合うんだよねぇ〜、、、
また、水の流れる音がいいねぇ〜、、、

木の下での小休止
時刻はほぼ14時。須原宿を後にして、線路を再び越えて線路の左手、山側に出てから少し進んだ辺りで、右手下の方に国道が見えたんだ。その手前には線路ね・・・。
道はこの先左手に曲がって進んでいたんだけど、この角のところに立ってる木の下に、座るのにちょうど手頃な椅子があってね。まるで、旅人のために用意されていたような椅子・・・
この前休んでから既に1時間半は経っているから、ここで一休みして行くことにしよう・・・

この椅子に座って、またまた靴下を脱いで、足を風にさらして休んでいると、近所の人でしょうか、60過ぎくらいの男性が通りすがりに「暑いねぇ〜」って声を掛けてくれたんだ。
ほっとするね。。。
あと少し・・・
小休止を終えて、再び出発。
すぐ先の道を左側に入った左手の山裾に、珍しい形のお寺があったんだ。
これは「岩出観音堂」で、その形から「木曾の清水寺」と呼ばれているらしいんだよね。

中山道はここからまた道を少し戻って、前を流れている伊奈川に掛かっている伊奈川橋を渡るんだ。
この伊奈川橋を渡って振り返ると、先ほどの岩出観音堂が遠くに見えるんだ。
現在は、周りに建物が建っていて、江戸時代当時の風情には劣るかもしれないけど、それでもなかなかいい感じだね。
この先は橋を渡って川に沿って右手に進んで行くんだ。。。

その先で道は大きく左手の方向に回り込む、、、ちょうど前にある山の山裾を時計回りする形でね。
その目の前にある山には、その昔「大屋城」と言う城があったらしいんだけど、詳しくはわからないんだなぁ〜。
それと、「天長院」と言うお寺があって、こちらのお寺は有名みたいで、道標が道案内をしていてくれたんだ。中山道はこの辺りは、木曾川や国道、JRと離れて大きく南側を回っていたんで、道標とかがあると有難いんだよね。
地図によると、ぐぐっと山の南側を回り込んでいるんだけど、実際に歩いていると山裾を進むと言うより、小さな川に沿って少しずつ山奥に入って行くと言う感じで、こう言う時って少し不安になるんだよね。
そう思っている頃、右手に小さなスーパーが見えてきて、地元の人が何人か出入りしてるの見えたんだ。その先には、今そのスーパーで買い物をして出てきたって言う感じの70くらいの女性がショッピングカーを押しながら歩いてたんで、追い越しざまに「こんにちは」って声を掛けたんだ。
それで、天長院へはこの先でいいんですよね?と言うことを尋ねたら、親切に教えてくれたんだ。
道は間違ってなくてほっとしたね。。。
そのまま少し進むと、ようやく山裾を回り込む形になってきたんだ。
右手に山、、、しばらく進んでも右手に山、、、
天長院への標識も現れて、その天長院も過ぎると、次には「JR大桑駅」までの標識が現れたんだ。
大桑駅までくれば、本日の目的地「野尻宿」までは、もう目と鼻の先ね。
この辺りでも、道の両側からは水の流れる音があっちこっちから聞こえてきて、民家の庭先などにも湧き水が注がれてるの見かけたんだけど、この頃ちょうどペットボトルの残量も少なくなってきていて、この流れ出る水が正に、喉から手が出るほど欲しかったねぇ〜、、、

そうこうしているうちに間もなく大桑駅が右手に見えてきてその前を通り過ぎて、その先で踏み切りを渡って国道と合流したんだ。
国道と合流してから約1キロほど進むと、「道の駅 大桑」があったんだ。
時刻は15時。
考えて見れば、まだ昼食を摂ってなかったんで、少し遅くなったけど、休憩を兼ねてここで食事を摂ることにしたんだ。
食べたのは? 信州だから、、、蕎麦ね。。。

野尻宿に入る
道の駅を出て、道は一度国道と分かれて線路を越えて林の集落に入り、再び線路を越えて進むと、やっと来ました、野尻宿。
時刻はほぼ16時。
街の中を通っている中仙道では、道路工事中。後で宿で聞いたところによると、ガスの工事をしていたらしいね。
さて、本日お世話になる宿は「民宿菅田屋」さん。
予約の電話を入れた時に「場所は駅で聞いてきてください」って言われてたんで、まずは野尻駅に行ったんだけど、駅はいつもの「無人駅」。で、駅舎の左手に観光協会らしきものがあったので、そこで尋ねたらすぐに教えてくれたんだ。場所は駅から歩いて2〜3分。。。これでひと安心ね。
ならば、、、菅田屋さんは素泊まりなんで、今夜と明朝の食事を買い込んでから宿に入ることにしたんだ。一度宿に入ってからもう1回外に出る力が残ってなかったんでね・・・

民宿菅田屋さんに到着
時刻は14:20。
古い造りの玄関を入ると「ベルを鳴らしてください」って書いてあったんで、早速鳴らしたところ、何の反応もない・・・「こんにちはぁ〜」って声を掛けても、何にもない、、、
もう1回ベルを押してからザックを床に下ろし、腰も下ろして一息ついてると、奥から70過ぎくらいのおかみさんが出てきたんだ。
で、「☆丸さんですね」って声を掛けてくれて、、、早速2階に案内されてまず到着ね。
さて、、、もうおわかりでしょう、、、その日の客は他にいなかったんだ。いわゆる「貸切」状態ね。
それで、まずは早速荷物の中から先ほど買ってきた缶入りの梅酒ソーダをグビッと!!
む〜〜、、、身体に滲みわたるねぇ〜〜、、、
*おまけ:


*翌朝チェックアウトをした時に「昔、たくさん作ったのが残ってましてねぇ〜」って、このマッチをくれたんだ。
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