赤山陣屋

さいたまの歴史散歩

空掘


*所在地
埼玉県川口市赤山

*交通

JR京浜東北線西川口駅よりバス
曲輪下車

東京外環自動車道川口東I.C前

←北堀の一部
この堀の右側(南側)が本丸、北側が出丸にあたります。


江戸時代、関東郡代を勤めた伊奈氏が三代忠治から十代にわたり163年間、館を構えたところがこの赤山陣屋(赤山城とも呼ばれます)です。
伊奈氏は初代忠次が徳川家康の入国とともに伊奈陣屋(伊奈町)をかまえ、関東郡代として、河川の改修や新田開発などにあたりました。
三代忠治の時、ここ赤山に陣屋を遷し、以後寛政年間に伊奈家が断絶するまで、関東郡代の役所として使われました。
赤山陣屋は微高台地に、本丸、二の丸、出丸が設けられ、有事に備え、城郭のように堀や土塁で防御されていました。
現在、陣屋跡は苗木畑となっていますが、本丸を囲む堀の一部を見ることが出来ます。また、一部が公園になっていて、ところどころに説明板が設置され、遺構がわかりやすくなっています。


<伊奈忠治の造成した「見沼溜井」>

三代忠治の行った土木工事に、「見沼溜井」の造成があります。川口市、浦和市、大宮市にまたがっていた広大な見沼に八丁堤を設け見沼を溜井とし、農業用水の確保を行いました。
伊奈氏によるこの「溜井方式」の灌漑は伊奈流とか関東流といわれ、既存の河川や湖沼を利用した工事で、江戸中期の井澤為永による「紀州流」と対比されています。


赤山陣屋は家臣の屋敷地などを含めると77万平米になるといわれます。伊奈氏の数々の事業を行うための拠点として相応しいりっぱな館の跡です。
お散歩気分で訪れてみてください。

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