堀兼の井

さいたまの歴史散歩

枕草子

井は、 ほりかねの井 。玉の井。走り井は逢坂がをかしきなり。
山の井など、さしも浅きためしになりはじめけん。
飛鳥井は「御水も寒し」とほめたるこそ、をかしけれ。
千貫の井。少将の井。桜井。后町の井。

清少納言が武蔵国に思いをはせた 堀兼の井
その後も武蔵野のシンボルとして有名な歌人の歌に読み込まれています。
その所在ははっきりしていませんが、狭山市にある堀兼の井であると伝わる井戸を2ヶ所散歩しました。

堀兼の井

堀兼神社の堀兼の井

井桁

七曲りの井

旅人のために掘られた井戸

七曲りの井 鎌倉街道上道 (かまくらかいどうかみつみち) の本道沿い、そして 堀兼の井 は、その枝道 堀兼道 沿いにあります。
この中世の主要街道である鎌倉街道はそれ以前の古代から使われていた古道をもとに成立したようです。
古代、武蔵国は
東山道 に属していました。中央からの官道である東山道は、美濃・信濃・上野を経て陸奥・出羽へ伸びていました。そして、武蔵の国府 府中 と上野を結ぶ準官道的な街道がいくつか整えられていたと考えられています。
そして、これらの街道には、国衙
(国の役所) によって、往還の人のための休息所や井戸が設けられた事が文書として残っています。
堀兼の井 七曲りの井 の周辺に集落の遺跡が認められない事などからも、これらの井戸が古代の街道を行き来する人々のために掘られた井戸であることが言えると思います。

「ほりかね」とは「掘り難ねる
(ほりかねる) 」のことで、井戸を掘るのに困難を極めたのでしょう。そんな噂が街道伝いに都へも伝わったのでしょうね。

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