金剛寺と経塚

さいたまの歴史散歩
経塚
金剛寺の経塚(川口市安行吉岡)
川口市安行吉岡にある曹洞宗の寺院「金剛寺」。
樹木に囲まれた参道を歩いていくと、お椀を伏せたような盛り土をした経塚があります。

経塚を造ったのは中田安斎入道安行という室町時代中頃のこの地方の豪族。植木屋で知られる当地安行(あんぎょう)は、彼の名に由来すると云われています。

戦乱の世に生きた安斎入道は殺傷の罪業から逃れるために金剛経に縋りました。

安斎入道が仏教に帰依して、経塚を造り、金剛寺を創建するに至った経緯を探ってみると、戦国時代の渦の中に巻き込まれていた安斎入道の姿が見えてきました。
■目次
1.経塚 2.経塚の発掘 3.戦国時代の関東 4.金剛般若経

■金剛寺の見どころ
■山門
金剛寺は入間郡越生町にある龍隠寺の末寺で、明応5年(1496年)に当時この地を支配していた豪族中田安斎入道安行により開創されました。
寛永19年(1642年)には、徳川三代将軍家光より御朱印十石を賜わり、門派は十数ヶ寺に及びました。

約200年前に、十九世海牛禅師によって始められた灸施療が有名になり、現在では『お灸の金剛寺』の名で広く知られています。

山門は約400年前に構築されたもので、桃山期の様式を取り入れた六足門であり、川口市内最古の棟門です。
山門
山門
■吉田権之丞の墓
吉田権之丞の墓
吉田権之丞の墓
広く名が知られている安行の植木は、江戸時代の初期に吉田権之丞によって始められたといわれています。
権之丞は、安行村の名主役で村治を務めるかたわら、若い時から草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めては栽培していたといいます。

明暦年間(1655〜57年)の江戸大火の後、苗木や草花等を江戸に送ったところ人々に喜ばれたことから、付近の者もこれを見習い苗木づくりを始め、今日の苗木産地としての隆盛をみるに至りました。
いつしか権之丞は、世間から「花屋」と尊称されるようになり、今でも子孫の吉田家は「花屋」の屋号を代々継いでいます。
権之丞の墓は、小松石でつくられた船形で、棹石の高さは67.5cm、中央に観音立像が浮き彫りされ、向かって左側に「元禄十六癸未年七月朔日」、右側に法名の「蔭清禅定門」と刻まれています。

そんな安行にふさわしく、境内には季節になると梅が綺麗な花を咲かせています。
梅
それでは、本題「経塚」についてお話しましょう⇒

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