近藤勇別れの地

さいたまの歴史散歩



近藤勇 幕末の京都を駆抜けた若者達・新選組。
今も彼等の行動に共感を覚える人は少なくありません。それは武士の世の終末を武士らしく生きてそして散ったからだと思います。

「さいたまの歴史散歩」では埼玉県を少し外れますが、近藤勇が最期に選んだ場所、千葉県流山での官軍への投降から越谷宿を経て板橋で斬首となる近藤勇の足どりを追ってみました。


新選組年表
文久3年 1863 2月4日 江戸小石川の伝通院で浪士隊が結成され、試衛館道場から近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助、永倉新八、原田左之助が参加する。
2月8日 浪士隊、京都に向かって出発する。
2月23日 浪士隊、京都洛外壬生村に到着し、近藤一党は芹沢鴨等と共に八木源之丞宅を宿舎とする。
3月13日 浪士組(新選組)が近藤一党と芹沢鴨らで結成され、会津藩預かりとなる。
9月 新見錦、切腹させられる。
9月18日 芹沢鴨一派、斬殺される。
元治元年 1864 6月5日 新選組、池田屋で密会していた長州、土佐の志士達を襲う。(池田屋事件)
10月 近藤勇、江戸に向かい将軍に上洛を直訴する。
近藤勇、江戸で伊藤甲子太郎に入隊を要請する。
12月 伊藤甲子太郎、入隊し参謀となる。
慶応元年 1865 2月23日 山南敬助、脱走の罪で切腹。
4月 屯所を西本願寺集会所に移す。
11月 近藤勇、伊藤甲子太郎、武田観柳斎、幕府訊問使永井主水正に従い、長州探索に向かう。
慶応3年 1867 3月 伊藤甲子太郎一派、新選組を脱退し、御陵衛士となり、高台寺党を名のる。
6月 隊士全員旗本となり、近藤勇、大御番組頭取となる。
10月14日 将軍徳川慶喜、大政奉還の上表を朝廷に提出する。
11月15日 坂本龍馬、近江屋で中岡慎太郎と会談中に暗殺される。
11月18日 油小路で伊藤甲子太郎一派を暗殺する。
12月7日 海援隊、龍馬の復讐に、新選組が警護する紀州の三浦久太郎を天満屋に襲撃する。(天満屋事件)
12月12日 伏見奉行所に陣を置く。
12月18日 近藤勇、墨染で高台寺党の残党に撃たれる。
明治元年 1868 1月3日 鳥羽・伏見の戦い始る。新選組死傷者を多数出す。
1月6日 千本松に陣をしくが退却する。井上源三郎討死、山崎丞重症で江戸へ向かう船中で死亡する。
1月12日 富士山丸で江戸へ引揚げる。
3月1日 甲陽鎮撫隊として甲州へ向かう。
3月6日 勝沼・柏尾山大善寺に布陣、西軍先鋒隊と交戦し惨敗する。
3月11日 永倉新八、原田左之助ら脱退し、靖兵隊を結成する。
3月13日 勝海舟、西郷隆盛、品川の薩摩藩邸で会談する。(翌日も)
新選組、先発隊が五兵衛新田の金子健十郎邸に移動する。
4月1日 新選組227名が松戸へ進発し、一部先遣隊が流山に入る。
4月2日 近藤勇ら本隊が流山に入り、長岡屋を本陣とする。
4月3日 西軍先遣隊が包囲する中、大久保大和守剛と改名した近藤勇が投降する。
4月4日 越谷宿、富田屋伊左衛門邸にて、伊藤甲子太郎一派の生残り・加納道之助に近藤勇であると見破られる。
近藤勇、板橋の西軍先鋒隊本営に移送される。
4月8日 近藤勇の審問が始る。
4月11日 江戸城無血開城。
4月25日 板橋で近藤勇斬首される。
5月15日 彰義隊、上野で新政府軍と激突し死傷者多数。原田左之助負傷し、翌々日死亡する。
5月30日 沖田総司、病死する。
明治2年 1869 5月11日 土方歳三、函館一本木で被弾し死亡する。

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