真名板高山古墳 さいたまの歴史散歩

真名板高山古墳のプロフィール
真名板高山古墳全景
形状
前方後円墳
全長 90.5m  高さ 前方部5.4m 後円部7.3m
築造時期
6世紀後半
埋葬施設出土品
不明 
所在地
行田市真名板 (真名板薬師堂境内)
交通
秩父鉄道行田市駅より市内循環バスで約40分
※バスは少ないのでご注意下さい

さきたま古墳群の東約4km、旧忍川の沖積地に向かう微高地に位置する全長90.5mの前方後円墳・真名板高山古墳は、真名板薬師堂の境内の傍らに横たわっています。
薬師堂の本堂の脇に建てられている、建治元年(1275年)と刻まれた板石塔婆の裏手より古墳の前方部へ登ることが出来ます。古墳上には巨木が生い茂り、またかなりの量の封土が除かれて痩せ細っていますが、後円部まで歩いていく事が出来ます。
ある調査では、河川の氾濫で3m程埋没しているとの結果が出ているようで、築造時にはもう少し大きかったのかもしれません。
この古墳からは、現在のところ埋葬施設や副葬品などの出土品は発見されてなく、謎を残したまま、さきたま古墳群の東方で何も語らず横たわっています。

さきたま古墳群との関係
真名板高山古墳前方部 6世紀の後半、さきたま古墳群において、鉄砲山古墳・将軍山古墳が築造されていた頃、この真名板高山古墳がやはり同規模で築造されていた事になります。

武蔵国造・笠原氏のさきたま古墳群からの距離を考えれば、同族、宗家に対して分家といった関係だったのかもしれません。
利根川の対岸・上毛野国と対峙して、小見真観寺古墳・天王山塚古墳、そして現在は残っていない若王子古墳を築造した分家達と共に宗家を補佐していたという事も考えられます。

いや、それぞれの古墳の規模からすると、必ずしも宗家を立てていたとは限りません。それぞれの家の間で主導権争いなども繰り広げられていたことも考えられるのです。


天王山塚古墳
天王山塚古墳
真名板高山古墳
真名板高山古墳
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