![]() 隠れたつもりで様子をうかがう ![]() |
ロンは目が覚めると、ぼくたちに相手をしてほしくて、午前四時でも五時でも起こそうとします。おでこを引っかいたり、眼をなめたり。時にはおなかの上を歩いたり。 「まだ早い! ねんねしてなさい。」 ロンはしぶしぶうつぶせになって、こっちを上目づかいで見ていたものでした。 何かの気配で目が覚めると、薄桃色の炎のようなものが目の前に。 ? ロンの手のひらです。 ぼくの枕元に来て、おでこを引っ掻こうとして、寸前で止めているのです。 起コスト、シカラレルシナア……。 薄目でロンの様子を観察。 ぼくのオデコ前10センチほどの、そのテノヒラがなかなか動きません。 何時だろう。 枕元の目覚まし時計は見られません。 ロンのガマンはいつまで続くのだろう。 ……。 起きてやろう。という思いを抑えていると、 ひゅっと額をひっかいて一目散に逃走。 隣の部屋のテーブルの下に隠れてこっちの様子をうかがっています。 ぼくが起きあがると、ロンは身体を低くして身構えます。怒られる、と思ったのでしょう。 「ロン、おはよう」 ロンは喜びの爆発。ぴょんぴょんぴょんぴょん飛びついてきます。 「おはよう」に「散歩」、それに「ごはん」が、ロンの大好きなことばです。 |
![]() 真剣な表情 |
朝食後、新聞を読んでいると、ぶくぶく泡立つ音。水もれ? 音源を探しますが、台所でも風呂場でもない。 ロンが自分の飲み水の中に鼻を入れて、息を吐き、ぶくぶくいわせていました。遊んでいると言うより、不思議だなあという表情。 鼻を水の中に入れてブクブクぶくぶく。 水から出すと、じっと水面を見つめている。そこに反射する光も興味を引いているようでした。 しばらくすると、また、鼻を水の中にそっと入れて、ブクブクぶくぶく。 カメラを取ってきましたが、もう二度としてくれませんでした。こういうものなんだと納得してしまったようです。 水が鼻の奥にまで入ったのかもしれません。カメラを取りに行っている間に。もうこりごりと思ったのかも。 |
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初めてロンと渓流に行った時のことです。 川原に降りると、耳を横にとがらせて、流れを見つめていました。 「ゆくものはかくのごときか、昼夜をおかず」? 表情がけわしい。 はげしく吠え始めると流れの中に入り、咬みついた。 魚に? 魚もカワウソも見あたりません。それと見間違える木ぎれのような物もありません。 水を咬んでいます。 うなりながら咬んでいるのは流れる水。 ? 身体をかがめ、前足は蜘蛛のように折り曲げ、お尻は上げて、川の中でうなっていました。 たぶん、こういうことだったのでしょう。 流れる水を、何かエタイの知れない生き物と思った。 子どもに、「車って生き物? 電車は生き物?」ときかれたことがあります。「生き物」=「動くもの」と、とらえていたからでしょう。 ロンも、水が動いているから、生き物と見て(巨大なあやしい生き物)、立ち向かったのでしょう。 古代人が、川を大蛇とみたのと同じように。出雲のヤマタノオロチ神話のように。 巨大な敵に臆することなく闘いを挑んだ勇者ロンは、甲斐のない闘争に疲れたのでしょう、ずぶぬれのロバのようにとぼとぼ戻ってきて、ぼくの足下に座り込みました。見上げる顔は、悪さをして叱られた時みたい。 その後、川に連れて行っても、もう咬みに行きません。吠えもしません。 一度で、学習したようです。これは生き物ではないと。 知人は「犬は動く物には跳びかかろうとする、単純にそれだけのことだよ。」 たしかに走り去る自転車を追いかけようとします。 川は違います。二度目以降は、もう流れる水には何の関心もないという様で川原を走りころげるだけです。 知人の言うように、動く物に反射的に反応するだけなら、二度目以後も、動く水に跳びかかっていくはずだと思うのですが。 自転車はいつまでたっても追いかけようとしました。 |
![]() ![]() ![]() ベランダで外を眺めているのが好き ![]() ロンの片思いの相手サトー君 ロンがク〜ンと甘え声で近づいても、いつもこの感じ キオツケの姿勢で ワウワウとイカクするばかり |
当たり前のことをいうようですが、犬は一人あそびをします。ぼくには、それが驚きだったのです。 たとえば、掃除機を片づけずにいると、障害物競技をするようにそれを跳び越えて遊びます。通り道にあるからでなく、わざわざそこへ行くのです。Uターンしてまた跳び、方向転換してまた跳び越える。 犬は学習もします。好奇心旺盛で、未知のものに直面したとき、彼女なりの世界観で判断・行動し、失敗したら、その体験から学ぶようです。 ロンと一緒に暮らし始めて知りました。 子どもの頃から犬が好きで、近所の犬をかまってきましたが、犬が人間のこどもと同じように日用品で遊びを創ったり、失敗から学ぶとは気づきませんでした。 母は犬を飼うことを許してくれませんでした。 「死んだとき大変だからダメ。」 「これからは、かあちゃんの言うことは、何でも聞くから。」 「ダメ。」 「来月のコヅカイいらないから。」 「ダメ。」 「一生コヅカイもらわなくてもいいから。」 「いくら言ってもダメ。」 末っ子のぼくには甘かった母が、犬を飼うことは許してくれませんでした。 ロンがいなくなって、母のことばが再生しました。子どもの時は、母の言う「大変さ」が理解できませんでした。「死んだら、お墓を作って埋める。それがそんなに大変かなあ。それくらい、ぼくだってやれるのに……。」 母も、かわいがっていた犬を失った経験があったのでしょう。ぼくの知らない娘時代に。よほどつらかったんでしょう。 たしかに大変です。 ロンに会いたいよオ。 抱っこしたいよオ。 そしてぺろぺろ顔をなめられたい。 また散歩に行きたい。 いい年をした男がだだをこねます。 ロンと暮らすことがなかったら、ぼくは、こんな悲しみを知らずに終わったでしょう。ロンと遊んだ楽しみの大きさと、そして、悲しみ。大変ですが、よかったのでしょう。喜怒哀楽は大きければ大きいほど、心は深く、広くなる、と思うから。 ソウ言ウホド、アンタノ心ガ広イトハ思エナイケド! 確かに。 「悲しみが大きいほど心は広くなる」とか「人に優しくなれる」とか、そう思いたいし、そうなりたいけど、それは真実とは遠いのかもしれません。 大切な人を失って、逆に周囲の人に攻撃的になったという事例もしばしば聞きます。 神戸のサカキバラ少年も宮崎勤も、大切な人=理解者であった祖母・祖父が亡くなってから人が変わったと伝えられています。 改めて確かめると、ぼくの中にも、ロンがいなくなって、人生も世の中も、もうどうでもいいやというような気分もありました。 ロンの思い出に話を戻します。 ぼくは成人してふるさとを離れ、所帯をもち、30歳過ぎて、やっと願い叶ってロンと暮らし始めたのです。 面白い楽しい発見が続きました。そして得た結論。 食べ物の味付けなど、同じに考えてはいけないこともありますが、基本的には、 犬も人間と変わらない。と考えた方がいい。 同じ物ばかり食べさせられては飽きる。 「犬は味覚が発達していないから、同じ物を食べ続けても飽きない」という獣医(が書いている本)もありますが、ロンを見る限りそれは違います。同じドッグフードを食べ続けてくれるなら飼い主は楽ですが。 食物アレルギーが疑われて、ヒルズやユーカヌバの特別療法食以外は与えないで下さいと言われても、与えはじめは喜んで食べても、やがて食べなくなります。 「これ、おいしくないなあ」という感じで二、三粒口に入れては、吹き落とします。栄養もつけないといけないのに、どうしよう。 味覚が発達していないというのが本当なら、嗅覚で「味わっている」? ニオイを楽しんでいるのかも。 獣医殿、もっと広く飼い主からも意見を聞いて下さい。 獣医学・犬学は、まだまだ発展途上の学問なのでしょう。犬は色を識別できないとされていたのが識別出来るらしいという実験をTVでやっていました。 といっても、白黒が基本で、そこに淡く色がついている世界のようですが。 犬はビタミンを体内で作れるので、野菜果物は必要ないとされていたのも、キャベツやニンジンを食べさせると発ガン抑制効果が犬にも認められると発表され始めたり。 話を戻して、犬も人間と変わらない。と考えた方がいい。という話。 同じ物ばかり食べさせられては飽きる。 ひとりぼっちはさびしい。 でも、かまわれすぎると疲れる。 たまには一人でいたい。 空を見上げて物思いにふけることもある。 この発見もちょっと驚き。犬が空を眺めるなんて。 最初は、カラスか飛行機を見ているのだろうと、けど何十分もぼんやり眺めている。 うれしいときは走り回りたい。走らせて! それに異性にだって好みがある。どんな犬でもいいわけじゃない。 色好みの人間を、「犬猫じゃあるまいし」と非難したりしますが、犬に失礼だ。(猫のことはわかりません。) 節操をもった犬もいる。 ロンは好みが狭かった。若いときから老犬にしか恋しませんでした。 ロンが最初に好きになって、散歩から帰ってもすぐにまた会いに行きたくて、「散歩行こうよオ」とせがんだ、その相手シロは、その時10歳。ロンは0歳。シロはその翌年に亡くなりました。 ロンが好きだった犬たち、ゴンやサトー君たちも次々他界し、ロンもとうとう逝ってしまいました。 極楽浄土で彼らと遊んでいるでしょうか? 続き近日公開 |