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兜町風雲録

波瀾万丈【兜町】の武将達   証券業界人交歓図
          業界の恥部裏面史
兜町生活50周年記作品    喜怒哀楽の歴史証言




       武 将 達 の 名 言 録

 
●アリース大沢  ●足立真一  ●浅井涌二朗   ●青木重和    ●井阪健一  ●伊沢敏雄  
●飯田 智    ●伊藤顕一  ●石井 久 ●稲葉圭亮    

●ウラジーミル・セマーゴ      ●ウイリアム・シャープ       ●ウイリアム・ギルバート・ギヤン  
 ●エドウィン・マーナー       ●大沢鶴三郎   ●岡田春雄    ●小田部博通  ●折原典雄      ●大木信男
●神田 望   ●加賀山知秀   ●川畑晶資  ●金森泰次    ●川島一徹    ●河部淳市    
●加藤精一  ●金子太郎    ●木本一馬  ●丘永漢  ●窪田新一    ●河本国雄  ●小林一郎   ●是川銀三    
●児玉富士夫   ●小島常一  ●小島専一    ●近藤信男 

 ●坂口忠一  ●酒井洋三    ●島地 保  ●ジヨージ・ソロス  ●孫子      ●城之内利雄   
●関口陽一 ●勢メ新寿    ●巽 悟郎   

●田中将介 ●田口吉三郎   ●椿  昭  ●鶴岡康雄 ●橋本修三郎   

●橋本康一  ●林 正久   ●土方邦彦    ●人見清一  ●古本右二郎 ●古市惣一郎

●マイケル・マーカス     ●三上晴久    ●水野善四郎  ●村井雪也  ●森村市左衛門  

●山田元明  ●山本章雄   



● アリース大沢
『キャパシティー(容量〜能力〜限度)』 『星は何でも知っている』                
   『リスクの多い世の中にお役に立ちたい』

富士銀行グラフィックデザイナーを経て占星術の研究を始め、 特に株式相場
の動向予測的中率は兜町証券マンに大旋風を巻き起こし、 マスコ
ミ各社から注目を浴び、雑誌・新聞・企業広報誌の執筆や講演活
動は人気絶頂。 日本占星術協会理事。 米国アストロジャー連盟会員。 
日本テクニカルアナリスト協会役員。 東証ペンクラブ会員。 米国占星術研究家連
盟会員。アリース大沢女史のサクセス占星術(大和証券提供)・アリ
ース大沢の商品先物予測(大起産業提供)・星は何でも知っている
(日本証券新聞社提供)等のホームページは随時切替え発表。
相場の予測は武将達の指針として評判を得る不思議な占星術の女
武将。



● 足立真一
『相場をみるうえで大切なことは自分自身の考え方を持つという
ことだ。 相場の世界ではオールマイティとか絶対ということは
ありえない。 現実にどのように当てはまっていくかを分析し修
正してゆくことが大切だ』  『相場を見るうえで大切な事は自分
自身の考えを持ち現実にどう当てはめ分析し、 修正してゆく事
が大切だ』 『仮説に基づいて相場観測をし相場を見る』 『都合よ
く相場を渡り歩くと云う器用な事は出来るものではない』

昭和10年奈良県生まれ。 33年同志社大学文学部卒。日本経済新
聞社入社し証券記者。  37年大井証券入社。 法人営業から国際
部。 52年株式部長。 53年取締役。 56年常務・・・。



● 浅井涌二朗 
『相場は中期で見る』(二年で再検討する) 『流れを掴め』
 『株の倫理を知り基礎的知識を持てば大損はしない』

ダイヤモンド編集長。 山種証券調査センター所長。 立花証券専務取締
役。 日本証券経済倶楽部会員。 日本証券アナリスト協会会員。 日本テ
クニカルアナリスト協会特別会員。 経済評論家。  戦時中は特攻隊がハワ
イ攻撃遂行中横須賀航空隊の司令部にいた。大正九年東京生ま
れ。 


● 青木重和
『どちらかというとバスが満員になりかかった頃にみんなは元
気をだして株を買うのだけれども満員になって飛び乗ると振
り落とされる。バスが空いているときに一番乗り心地のいい
場所に座って振動を少なくするのが株式投資で成功するコツ
だ』『以前は日本だけの時代感覚でものを見ていけばよかっ
たけれど今やまさに国際化時代ですから国際的に需要家層の
ニーズが何処にあるかキチッと読まないといかん。基本的に
はやはり技術革新をベースにして利益成長の伴う、しかも市
場性のある銘柄を人よりいかに早く発掘するかがポイントじ
ゃないですかね』『我々みたいな商売をしていたらエラーは
当然ある。ノープレイノーエラーでは仕様がないんでエラー
をしてもそれを明日の糧として福に転じればいいわけです』

昭和4年千葉県生まれ。 24年早稲田大学専門部卒後大和証券
入社。 45年株式部長。 47年取締役。 52年常務(株式本部長)。
56年専務。 59年副社長。  61年大和投資顧問社長。
東京証券信用組合理事長。  



● 井阪健一
『株式畑が長かったせいか付いた相場は正しいんだといぅことを前
提にしてその相場からみて景気がどうだとか経済がどうだと判断
するクセがついていますね。いわば株価至上主義とでも云いますか』
 
昭和6年三重県伊勢崎市生まれ。 28年大阪大学経済学部卒後野村証
券入社。 42年丸の内支店長。 44年本店営業部長。 46年株式部長。 47
年取締役。 51年常務。 54年専務。
58年副社長。 58年野村投信社長。平成二年六月取締役会長。 野村の
実力者でありながら地位を鼻にかけずきさくで腰の低い謙虚な人で
営業の神様と云われた人。 東京証券取引所副理事長(平成五年七月)。
平和不動産社長(平成十一年六月)。 東証ペンクラブ会長として益々
人望を高めている。



● 伊沢敏雄
      『不安に挑戦』

昭和5年韓国ソウル生まれ。(父親が朝鮮鉄道勤務で関東州大連南
町から満鉄の子会社の専務)終戦で引揚者として乃木大将の直属の
部下で名誉の負傷で隠居していた東京杉並の叔父の家に移り向島に
転居。都立西高一回生。昭和24年18歳で兜町東短証券入社。 小柳証
券に移動し市場部員(場立ち)。 株式次長。 部長。 昭和54年太平洋証
券本店営業  部長。 株式部長。 常務取締役。 昭和63年太平洋投資顧
問社長。  太平洋ファイナンス監  査役。嘱託。  



● 飯田智      
『私はいい株はいいと云う言葉が好き、 腐っても鯛とか・・・・・』

昭和13年大阪生まれ。 大阪大学の経済学部卒後大阪屋証券入社。
大阪屋リサーチセンター取締役を経てコスモ投資顧問常務・・・・・。



● 伊藤顕一      
『培った知恵と経験を投資家の皆様の目線に立って活かす』

昭和17年山形県生まれ。 36年山一証券入社。 平成4年渋谷支店長。
6年東部統括部長。  9年本店営業部長。 12年オリエント証券代
表取締役社長就任一年で目的を遂げて後任の日向信康にバトンタ
ッチ。



● 石井久
『桐一葉落ちて天下の秋を知る』 スターリン暴落直前の高騰相場に
警鐘を鳴らした名言は  有名。『小さな成功なら誰でも出来る。 
大きな成功は幸運という味方がいないと不可能』 『幸運とは心掛け。
心掛けの悪い人や、 貪欲の人には幸運は寄り付かない』 『成功は意
地を捨て、流れの変化を掴み、君子は豹変する事。 判断違いは見切り
千両』

大正12年福井県筑波郡大野村13人兄弟の5男坊生まれ。 学歴は定か
でせないが多分年齢 からして見ると高等小学校卒。  昭和13年福岡
郊外の鉄工所勤務。 戦後はドラ焼きを自 転車の荷台に積んで博多
駅周辺で売り歩き資金を作り上京。  警視庁巡査。 反物のカツ ギ屋。
23年自由証券に歩合外交として入社。 25年大東証券に転社。 この頃
「独眼竜」 のペンネームで株式新聞に執筆し一躍有名人になる。 28
年石井研究所設立し従業員 13 名の江戸屋証券を設立(30歳)。 
32年立花証券を買収し江戸屋証券を吸収合併させ以来 抜群の資産
内容は業界屈指の会社にした。     



● 稲葉圭亮   『 誠 』

昭和12年北海道釧路生まれ。 35年慶応大学卒。 大和証券入社。 ★外
国部7年(内アメリカ大和証券3年)。メリル・リンチ東京支店創立とともに法人
部長。 49年キダー・ピーボデイ証券の東京事務所開設と同時に所長。
57年ファースト・ボストン証券東京支店代表取締役支店長。



● ウラジーミル・セマーゴ
『貧乏人はロシアでは政治は出来ない。誘惑が多すぎ
るから。金が無い政治家は地位を利用し汚職に走る。
だが富を築いた者は利潤に関心が無い。だから私の
ようなリッチマンが求められているのだ』

セマーゴが大統領の椅子を狙って出馬宣言をした時の言葉ではれっ
きとした共産党の現職下院議員だったのだ。同時にロンドン市場で
株の売買をやり稼ぎ幕っている相場師でもある。
キャデラックを乗り回し、腕には一万ドルの時計をはめてピエール
カルダンのスーツを着て、女優のような髪の毛の長い美人秘書をは
べらかせ旅行会社・銀行・高級レストラン等々を経営しオランダ銀
行に儲けた金を溜め込み、資産は数千万ドルとも数億万ドルとも云
われ、ヤマーゴ自身「世界一かどうかは分からないが金持ちである
事は間違いない」と豪語し、変幻自在に相場の動きを捕らえ相場を
張っている相場師。



● ウイリアム・シャープ 
『自分が耐えられる程度まで正しい量のリスクをとり、 そ
の条件でリターンを極大化してください。そして
一度投資をしたら何もせずそのままにしておくので
す。新聞の見出しに何が出たからと云って、証券会
社や投資信託にすぐ電話をして慌てて売ったり買っ
たりすべきでは有りません。コストが余分にかかる
だけです。その時あなたが正しいと思っても結局単
に間違えているだけだったりする。そのままにして
おきなさい』

  平成二年ノーベル経済学賞を受賞。市場平均以上の投資成績を
あげるためには理論上、市場平均以上のリスクをとらざるを得な
い事を論証した。昭和二六年カリフォルニア大学に進学し、当初
の科学・医学の勉強を志ざしロサンゼルス校に転学し経済と金融
の専攻科目の履修学生となり金融経済学に入る。投資の三原則
「一に分散。二に分散。  三に分散」と注意を喚起し、陥りやす
い誤りは「少数の馬にしかお金を賭けないこと」  「個人投資家
がブローカーや金融マネージャー、ファイナンシャル・プランナ
ーに手数料や取引コストといった形で余計なお金をかけすぎるこ
と」「小さなリスクしかとらないこと」の三点を諌め、用心の必
要性と過度の用心はかえって将来を危険にさらす事になるといっ
ている。



● ウイリアム・ギルバート・ギャン
『歴史は繰り返す』『株の世界を支配している基本原理は自然の
法則に基づいている』『曾てあった事は此れからも起こり、曾て
起こった事は此れからも起こる』『其の時々の対応は其の時々に
よって異なり変化し、対応する為の調査研究を怠るな』『株取引
に不可欠な資質は“忍耐・勇気・知識そして健康と休息が必要』

  明治十一年(1878) テキサス衆綿花農業を営む家に生まれ。
稼業を嫌って16歳で家  を飛び出し相場の世界を知る。二四歳
で商品先物取引に手を出し金儲けの味を知り二  六歳で証券会社
に就職し外務員になる。図書館で本を読みあさり調査研究の結論
は“  歴史は繰り返す”だった。三十歳で四五〇ドルを三万七千
ドルにしたのをスタートとして昭和三十年に死んだときは五千万
ドルを超す資産を築いていた。遊びは激しく短く、学ぶ事は深く
興味をもって長期で取り組んだ男。相場の勝利者だ。株式必勝法
の  実践理論書二十四のルール発刊。  



● エドウィン・マーナー
『アメリカ、ヨーロツパ、日本、シンガポール、香港などの株を
買いたいんですがシンガポールや香港は市場が小さいですからち
ょっと買いづらい。その点日本市場は大きいですから買いやすい
ですね』 『日本の会社は設備投資が大きく研究開発にも一生懸命
取り組んでおり将来性は明るい』 『外人投資家は日本を買うこと
は出来ませんから日本の株を買います』『日本の株はPER(株
価収益率)を考えると米国の株よりはるかに高いです。しかし日
本では法人企業同士で株の持ち合いを行っており市場に出回って
いるのは発行株式の五十%程度に過ぎません。となれば実質的発
行株式は二分の一として見る必要がある』

  昭和17年ニューヨーク生まれ。 カリフォルニア大学と上智大学
で学びメリル・リンチ   社に入社。 その後、英国の代表的なマーチ
ャントバンク(商業銀行)のシュローダー銀行の調査部長となり、
調査と運用も手掛け、シュローダー・インベストメント(銀行投資顧
問)の取締役で活躍。



● 大沢鶴三郎 
 『信念』 

  昭和七年東京都荏原生まれ。昭和26年大和証券入社。市場部。
田村町支店。雷門支店。  大和ツーリスト総務部長。  定年退職。



● 岡田春雄
『誠の心』 『座して松籟を聴く』  

  大正11年東京都南千住生まれ。 兜町商業卒。 昭和12年丸水証
券小僧で入社。徴兵で中国ウースン・上海に出兵し衛生兵として
活躍。 相撲大会で丸水証券の竹沢氏に出会う。昭和20年捕虜と
なり終戦で帰国。  東急系の運送会社の工場長。 26年結婚。 突然
小柳証券から大七証券に移っつていた渡辺常務から応援を頼むと
云われ大七証券に転社。 場立ち。 株式部長。 32年取締役。  専務。 
監査役。 関連企業の社長。 定年退職。   講道館柔道四段。 
士道館柔道顧問。  書道と水彩画の腕は師範クラス。



● 小田部博道   『状況に勝る材料なし』

  昭和六年東京都両国生まれ。26年大商証券入社。市場部。
 営業部。名古屋支店長。本店株式営業部。取手支店長。
 新日本投資顧問運用部長。



● 折原典雄  
  『開門見山』 『知足知音』  

  昭和三年東京都荒川区で生まれ第六日暮里小学校から水道橋
に移転。16歳志願兵として海軍航空隊入隊。 ポッダム一飛曹。
復員。終戦と同時に機雷掃海士として船乗。   昭和24年取引所
再開と同時に国際平和証券入社。 光亜証券。 江口証券。
市場部員(場立ち)。 昭和38年株式部長。 江口日東証券株式部長。
三洋証券外務員。 東京証券外務員協会理事。現在は引退し兜町
の行く先を見守っている。 



● 大木信男     『業態変貌株を物色せよ』

  昭和6年、東京都生まれ。 24年攻玉社高卒。 慶応外語終了。
 25年玉塚証券入社。 場たちを経て株式課長。投資信託運用部次
 長。 川崎支店次長。 48年一吉証券。 社団法人経済投資サロン講
 師。 株式ジャーナリスト。



● 神田望 
  『我々が買う株は彼ら(外人)も買うだろう・・・・・』

大正3年島根県生まれ。 雑誌「ダイヤモンド」の編集長から昭和46年
新和光投信に入社。 ファンドマネージャーとして活躍し 「知恵袋」
との評判は高い。



● 加賀山知秀    『座右の銘なんか考えた事ない』

  大正七年九月二十日東京都生まれ  昭和六年山中清兵衞商店見習
 い小僧になる。浅野吉六蔵商店。台湾に出兵。 昭和20年捕虜。
 終戦で帰国。丸杉証券入社。
  政証券入社。場立ち。 取引所地下にて写真屋を開業。 神栄石野証券
 歩合外務員。 定年退職後は古巣が無くなり寂しいと嘆いている。



● 川畑晶資  『挑戦なくして未来なし』  『継続は力なり』

大正10年北海道生まれ。 両親と共にブラジルに向かう為に神戸に行
く途中で東京に移転。戦争激化で東京に止まり昭和九年東京商業小学
校卒業後二日目に川島商店に入社。 働きながら明大学夜学部卒。
昭和17年学徒出陣で軍隊に出兵し昭和24年帰国。 日興証券に復帰
(川島屋と日興の合併で日興証券) 戦後は場立ちの代理。 大阪支店長。
株式部長。 昭和40年遠山証券へ派遣され取締役常務。 55年退職。 東
京学園理事長として現在も活躍中。 


● 金森泰次    『 芸・既・魂 』

大正13年東京都中野区生まれ 根津に転居 昭和12年福山証券入社招
集令状で服役。航空隊に入隊し戦闘機を飛ばす。 昭和20年中国中シ
で捕虜。  蒋介石と面会 帰国。 福山証券の人形長の社宅に住み込み
社員。集団売買。 場立ちから株式部長。兜町人生は福山証券五十年一
本後定年退職。 琵琶の大家(叔父)の後を継ぎ、薩摩琵琶二代目として
目下活躍中。



● 川島一徹   『和して同じからず』

  大正14年父親が横浜ガス勤務で神奈川県生まれ。 尋常小学校高等
 科卒業。 昭和14年山二証券の石井先輩の口利きで玉塚商店入社。
 昭和18年肋膜を患い一年間療養。 昭和18年志願兵として藤沢海軍
 電測学校入校。 電波探知機で敵艦やB29を捕らえる研究任務。
 アメリカ軍の上陸に備えて見張り役。 千葉勝浦の海兵団に行き决
 戦上陸には最後の一戦に望む決意で血判を記す。 昭和21年金泉証
 券 (後の東一証券)に入社。  市場部員(場立ち)から株式部長。
 昭和38年38歳取締役重役。 昭和48年常務。 昭和55年顧問。



● 河部淳市  『正直に生きて来た事が最高の幸せ』

  大正八年東京都浅草區馬道生まれ浅草小学校。 日暮里に移転。
 昭和七年先輩の誘いで川北商店に入店伝票運びから兜町生活が
 始まった。 その後現物屋の丸竹商会転社したら川北の先輩が実
 栄会に移っていて来いとの誘いに実栄会に移動す。 徴用で海軍に
 入省し終戦を迎え再び実栄会にカンバックする。 第八実栄証券取
 締役社長。 引退。 目下、兜町調和道(丹田呼吸法)で活躍中。



● 加藤精一 
『四社に追いつけ追い越せ、 四社のやっている事には総て挑戦といっ     
  ていたが此れからは岡三証券がやったらいいもの得意としているも      
 のだけをやって行く』

昭和4年生まれの慶応ボーイ。 大正4年父親が三重県で岡三商店を
開業し、戦後岡三証 券に改名。 昭和36年父親の死亡に伴い社長に就
任(31歳)。 業界の重鎮として活躍中。



● 金子太郎
 『少々の不況にもたじろがないような基礎体力のしっかりした会社にし     
   たい。 私が社長をやっている間は会社の基礎体力を付ける事に全力を    
   注ぎます』  『お客さんに株の買いを勧めるだけでなく場合によっては
   売りを勧める事も必要』

大正14年、 中国青島(チンタオ)生まれの江戸ッ子。 昭和24年東京大学卒
後大蔵省。 39年宮内庁長官官房主計課長。42年大蔵大臣官房参事官。
43年主計局調査課長。47年証券局総務課長。48年東京税関長。49年大臣
官房審議官証券局担当兼東京証券取引所管理官。50年環境庁長官官房長
官。 55年事務次官、58年丸三証券社長。   


● 木本一馬  
『私は柳川組の幹部でもなければ顧問でもない。 一切かかわりはない。     
   むかし金融業をやっていた頃、 そういう輩が二、 三いただけです』

  本名を 孫圭鎬 といい韓国籍の実業家で、 その人脈は韓国の政・財界
 から日本の政財  界に至るまで幅広いといわれている兜町きっての有
 力仕手相場師と噂されている。



● 丘永漢
『株に勝つ事は自分との闘いに勝つ事』  『売らずにガマンできるようにな    
   れば一人前』  『借金してでも株を買え』  『昔のことは忘れよ』  『下げた     
        時はいつも買いのチャンス』 

大正13年、台湾台南市生まれ。 東大経済学部卒、 台湾、香港で銀行員と貿
易商を営み昭和29年に日本在住。 30年香港にて第34回直木賞受賞。 作家。
経済評論家。 実業家。 経営コンサルタント。 株と土地で大失敗したりヤ
オハン倒産劇被害を跳ね退ける不倒の武将。
 


● 窪田新一       『努力』

  昭和12年東京神田のお汁粉屋の伜で神田小学校・今川中学校卒業。 昭和
 27年三澤屋証券入社。 一橋高校(夜間部)卒業。 黒板書き。 場立ち。 株
 式部。 第三営業部部長。  53歳で監査役。 平成元年嘱託。 



● 河本国雄
 『天網恢恢疎にして漏らさず』  (てんもうかいかいそにしてもらさず)
  『徳孤ならず必ず隣有り』  (とっこならずかならずりんあり)

  大正10年東京生まれ。 昭和19年東北大学法学部卒後日本勧業銀行に入行。
 27年日本長  期信用銀行設立入行。 41年第一証券の経営危機で長銀のテ
 コ入れで再建社長として派  遣就任。 50年東京証券証取引所副理事長。
 61年平和不動産社長。・・・・



● 小林一郎
 『経営者も社員も此の業(証券会社)に一緒に携わっているのだから運命     
   共同体。 稼いだ利益の三分の一が人件費、三分の一が税金、残り三分の   
     一が会社の蓄積。 汗水ながした結晶を会社に残すだけでなくその利益    
     を配当として少しでも高い株価として社員が受け取るべきで自社株を           
    分ける』 

   大正4年茨城県水戸市生まれ。 昭和10年慶応義塾高等学校卒後父親の
 小林商店入社。  13年取締役。 18年常務。 21年社名を水戸証券として社
 長就任。



● 是川銀三
 『相場師というのはロクに調査研究もせず僥倖をあてにしたイチかバチか          
   の投機的考えで投資する人のことで私は違う 』 『株式投資はわしの唯一         
    の趣味や』  『株は最高の哲学。 あらゆる経済現象が集約されているのが       
   株価や。 わしはその経済現象を細密にわたるまで徹底的に調査・分析を
   して結論を出し、 信念をもって投資しておる。 少々の事ではビクついた
   り弱気になったりはしない。 チャンス到来の時には一気に勝負に出る』          
   『待ったなしの勝負を多数経験する事が大事』   『株式投資で成功しょう        
 -  と思ったら絶えず勉強する事だ。  面倒がる人は株なとやるべきではな        
    い』 『株式投資は現代における最も難しい商売』   『飽くなき挑戦・死闘    
    の闘いを続けそれでも極意が掴めず日夜苦しみ呻吟している 』 『株式投  
    資ほど面白いものはない。 これ程やり甲斐のある商売はない。

  上手くやりさえすればこれ程儲かる仕事は他に無い』  『株は魔性であり、
   魔物である』 『江戸の町奴(やっこ)と旗本の喧嘩で旗本が皆斬(き)られてしま
  つた。 旗本は竹刀の道場稽古で対する町奴は生命を賭けた真剣勝負の経
  験を積 んでいた。 此れと同じで大学卒の肩書で経済株式等の評論家や経
  済学者が大儲けした話を聞いた事が無い。 小学校しか出ない私が大儲け
  してい る。 何故か。 竹刀剣術と真剣勝負の違いや』『確実に儲けよう
  と思ったら欲張りすぎない事。 残りは他人に差し上げる 』 『 株式投
  資の極意は長期・潮流・分岐点の三つに尽きる』 『株式投資は兎と亀じゃ』
 『投資で守ってくれるのは自分自身で証券会社は守ってくれない』 『良き
 セールスマンを選び、分散投資を心掛ける』 『儲ける事より損を少なくせ
 よ』 『金は使って初めて価値が出る。 決して貯め込む者ではない』 『私は
 死ぬまで株から離れられない株を止めた途端にやる事がなくなりあの世
 行き』明治30年兵庫県赤穂の漁師の七人兄弟の末っ子。 尋常小学校卒業
 と同時に神戸の貿易商に丁稚奉公の傍ら夜間学校に通いソロバン・簿記・会
 計学を学び、昭和六年三四歳から株式売買を始め、 其の天性は “ 天下の
 売り将軍” とまで云われ、 兜町に数々の話題を投げかけ、 平成元年八月
 是川総合研究所を設立し帝国ホテルで盛大なパーテイを開催し最後の
 相場師と云われる。



● 児玉富士夫
 『相場師と云うのは一言でいえば、理論的でなくヤマ勘で勝負する株屋
   の事。 足掛け四十年の株式生活で、相場師と考えた事は一度も無い』

北浜の常勝将軍と云われ和光証券社長就任時には相場師の社長誕生と騒
がれから相場師と云うのは一言で云えば理論的ではなくヤマ勘で勝負す
る株屋の事で相場師たらんと考えたことは一度も無いといっていた。
和光経済研究所会長。



● 小島常一  『上司に恵まれた事に感謝』  

大正11年愛知県生まれ。昭和11年(14歳)兜町商業学校卒業。安藤俊三商
店に入社(名古屋)。12年東京の安藤康次商店本店に移動。 昭和18年徴用
令動員で三鷹軍事航空工業で強制労働で八王子の地下工場に移っされ、
飛行機の組立て中敗戦の報に接す。 昭和20年安藤証券勤務。 21年新円切
替の混乱期に人員整理で解雇。 23年一光証券入社。 27年極東証券の誘い
で転社。 極東証券株式部長。 常務。 退職し再び極東証券に呼ばれ監査役。
東洋証券(旧高井証券)の長谷部忠孝。  大和証券の河原塚啓二。 偕成証券
の石井山伍。玉塚証券の橋本修三郎各氏の武将達とも兜町商業学校の同
級生だった。



● 小島専一
 『兜町に生き兜町に死ぬ』『相場は人生・相場からは死ぬまで離れ
   られない』

大正七年埼玉県杉戸市生まれ。堀川忠三郎商店(五一)に入社。兜町商
業卒業。昭和13年習志野騎兵15連隊甲種合格。 中国・北シ・天津出兵。
昭和17年一時帰国。 再び志願徴用兵として血判を差し出し復軍。 浦賀造
船所寮長。 昭和18年招集令状航空設営隊として豊橋・信州伊奈・台湾・フィリ
ッピン・リアン・インドネシア・南方で戦闘は百回を越す。 昭和20年無条件降伏
で二年間足止めされ青空楽団を結成。昭和22年和歌山港に復員兵として帰国。
既に五一は廃業の為に偕成証券に入社。 市場部長。 新橋支店長。 その後、
外務員として五つの証券会社をかえながら平成八年ナショナル証券を最
後に引退。 昭和九年から始めた柔道は講道館柔道五段の腕前。 兜町協和
会柔道部長とまさしく兜町一本に生き兜町の武将である。
 


● 近藤信男 
 『俺は相場師だ相場に生き、 相場に死ぬ、 相場以外の事に手を出す
   のはすべて邪道だ』 『幽霊と相場は世間に知られたら妙味がない』
 『幾ら金があっても米が無くては生きていけん。常に不備に備える
   心構えが大切な事だ』 『チャンスは誰にでも有る』

“天下の売り将軍”と云われながらも孤独の相場師は、最後まで誰に
も正体は覗かせず極端な人間嫌いで一生を過ごした男。“怪物相場師
・無頼の横紙破り”“乱世の雄・人間嫌いのウルトラマン”の異名男。 
昭和四四年ソニー・大和ハウス・リコーの空売りの損失は九十億円と
云われ、先物取引でも三十億円の損を出し、四七年には北浜のボロ株、
中山鋼の仕手戦で四十億円の損とさぞかし懐は火の車と見られていた
が四十八年に六十九歳の生涯を閉じ、 遺産二千億円 の新聞報道記事
を見て改めてその怪物ぶりには驚かされた。明治36年生まれで父親の
負債を抱えた綿紡績会社を継ぎ経営者と相場師の戦いは多くの歴史を
刻んで来た慶応ボーイ。 



● 坂口忠一   『 証券市場は国民共有の重要な財産 』

 昭和10年大阪生まれ。 33年関西学院大学卒。 松下電器入社。 39年
 父・保雄の他界で急遽ナショナル証券に入社。 43年メリル・リンチ社
 に留学し証券業務を学ぶ。 51年ナショナル証券社長に就任。
 昭和58年資本金6億を平成2年185億に成長させ昭和63年に会長に退く。
 証券業協会の理事として活躍し64歳で此の世を逝き深く惜しまれた直
 後、三洋証券の土屋陽三郎の逝去も業界にショックを与えた。



● 酒井洋三    『 愛情と誠意 』   『 相場は肌で感じる 』

  昭和八年東京都生まれ。主計商業。23年高井証券入社。黒板書き。
 場立ち。株式次長。 営業部長。 蔵前営業所長。 阿佐ケ谷支店長。
 船橋支店長。 丸荘証券歩合外務員。 外務員協会理事。 協和会小唄部
 部長。 協和会ダンス部発起人委員。 山岳部・写真部・水泳部・釣り
 部等々の役員歴任。



● 島地 保  『人と人との絆を大事にする』『四海兄弟』

大正十四年兵庫県に生まれ東京に移転。昭和12年大東第二商店入社。
昭和16年兜町商業卒業。 昭和17年予科練航空隊に入隊。 郡山・大村・
名古屋で戦闘機三百五十四回、百八十二時間飛行経験。終戦と同時に
昭和電工の子会社勤務。昭和24年取引所の再開で大東証券に呼び出さ
れ場立ち・株式部。投資顧問部長。 取締役五期10年。 嘱託引退。



● ジヨージ・ソロス  
 『金融市場を支配するのは数学ではなく人間の群衆心理』

1930年(昭和5年)生まれ。 世界経済を動かす謎の投機家。 ブタベスト
で生まれたユダヤ人。ロシアで捕虜となり脱走したナチスの生き残り
で無一文から出発した金銭欲には人一倍貪欲な優れた型破りの理論家。
マスコミ嫌いで詳しい経歴は不明。 世界一の慈善家として東欧・ロシ
アに巨額の寄付をし脚光を浴びた。経済の激変の陰には必ず暗躍する
人物。年間個人所得は十一億ドル(平成十年)東南アジア通貨下落の
張本人。個人資産は世界四十二ケ国の(GDP)国内総生産を上回る
財産は総て株の利益と云われる。



● 孫 子
 『可なるを見て進み難なるを知って退く』 『戦い勝ちて天下善と云うは善の   
   善なるものに非ず』『兵は益々多きを貴ぶに非ず』『天下は人に非ず即ち    
  天下の天下なり』 『勝は易く守りて勝は難し』 『財逃げ天下を失う』 『文武     
      を総ぶるは軍の将なり』

中国最古の戦略家といわれている軍師。孫子の兵法の根底にはに人間の深い
洞察力と勝負に賭ける執念が伺える。努力と忍耐力は人並み秀れ両足の不具
にも拘らず百戦百勝の勝負師。不安や中途半端の出陣を諌め、冷静沈着な判
断と動きを知り、欲深く独り占めの心生ずるとき財逃げ天下を失うと戒めて
ている。



● 城之内利雄 『狭い日本そんなに急いで何処え行く』 『温故知新』 

昭和九年山梨県生まれ。 山梨都留高校卒業直ちに地元第一証券山梨支店入社。
東京の本店に配属。  市場部(場立ち)・名古屋支店・再び本店市場部・証券貯蓄
部・監査部・第二営業部・関連子会社取締役。 定年退職。



● 関口陽一   『勤勉』

昭和五年東京中野区で生まれ桃園第二小学校。 中野中学校卒業。 昭和23年
大阪商事株式東京支店入社。場立ち。大商証券に社名変更。昭和42年新日本
証券に社名変更。昭和49年大商証券大阪支店株式部部長。昭和52年本店資
産運用部参事役。松井証券外務員。定年退職。



● 勢メ新寿  『相場に生きる』 『老いたる馬は道を忘れず』

大正五年“恐れ入谷の鬼子母神”東京入谷生まれ大正小学校卒業。昭和六
年二葉屋株式店入社。満州関東軍。終戦帰国。山中証券。外務員。引退。 



● 巽悟朗    
 『僕の戦略はまず少数の人材で会社としての道具立てを作ってしまい、            
    それが出来ると今度はそれを充実させて行く。 この繰り返しです』

昭和10年大阪船場生まれ。 33年同志社大学卒後北浜の地場証券に入社。
36年光世証券を設立(25歳)。 「北浜の風雲児」 「北浜の今太閤「北浜のド
ン」 と呼ばれる。 大阪証券取引所社長とし活躍中。



● 田中将介 
 『根性と云う言葉には竹ヤリで敵に向かうような気分が感じられて嫌              
   いだ。 今日のような国際化時代には綿密な計画を立てて実行しない
   と・・・ 腹芸と云う言葉にもいかにも日本的な言葉だが日本人という
   感覚だけでは駄目で国際人の一人として考えなければいけない』

昭和6年三重県生まれ。 29年大阪外語大学卒後岡三証券に入社。  46年
調査部長。47年投資顧問室長。53年日本投信の運用部長。55年常務運
用本部長。57年岡三経済研究所取締役産業調査部長。 58年岡三証券株
式情報室長。 60年岡三投資顧問常務。



● 田口吉三郎  
  『株式投資の成功法はベテランセールスの良き情報とタイミング』
   『柔道一直線』  

昭和2年群馬県生まれ。 10年旧制中学時代から柔道を始める。
27年日本大学経済学部卒後明和証券入社。 営業次長から取締役。
58年専務取締役。退職後は柔道一筋。 東証士道館師範。
中央区柔道会相談役。 東京高体連定時制柔道顧問。
道友会常任理事研究部長。
平成13年講道館柔道七段に昇段。 丸の内ライオンズクラブ会員。



● 田実   勝   『見切り千両、損切り万両』『常にチャンスは到来』

  昭和26年鹿児島県生まれ。 50年立教大学経済学部卒業。 50年大福証
  券目白支店入社。 昭和60年山一投信・小柳証券・大福証券三社合併で
  太平洋証券。 60年大宮支店勤務。 課長代理から特進で八王子支店長
  に抜擢され常に全店のトップ街道を驀進。 平成三年新宿支店長とし
  て武将の本性を現し社長賞五回獲得。六年商品本部のプロジェクト
  チームに参加し株式次長。平成八年太平洋証券退社し丸三証券投資
  営業部転社。



● 椿  明     『人の行く裏に道あり花の山』

  昭和二年東京都浅草生まれ。 昭和23年早稲田実業卒後丸ヤ証券入社。
 37年取締役就任。 明光証券取締役。 監査役。 明光投資顧問監査役。
 明光興産監査役。 定年退職。



● 鶴岡康雄  『世間に感謝』

昭和12年東京中野区生まれ。 昭和30年江口証券入社。 市場部員(場立ち)。
昭和46年江口・日東合併)三洋証券となる。 株式部。投資情報室でチャー
トの研究に励む一方、昭和53年日本テクニカルアナリスト協会設立と同時に入会する。
三洋証券情報室。調査部チャート室長。 企業部。投資情報部。三洋証券
早期退職(59歳)。 協和会ダンス部部長。文化部長。日本テクニカルアナリスト協会会
長。常勤顧問として現在も活躍中。



● 橋本修三郎  『正直以外に求めるものなし』『勝負の勘と閃き』 

大正10年東京都生まれ。 昭和11年浅野六蔵商店に入る。 生まれながらの
勘と度胸は先輩から一目置かれ頭角をめきめき現していた。 昭和14年兜
町商業学校卒業。 玉塚証券に転職。 学徒招集で軍隊生活は中国上海中シ
で終戦をむかえた。 帰国し玉塚証券に復帰。 市場部。 市場部長。 株式部
長。 投資信託運用部長。 兜町の武将として一躍マスコミで褒めたたえら
れた超有名人。 丸益証券に外務員として転職。引退。 悠々自適の境涯。
 


● 橋本康一  『努力は人の為ならず』『人に優しく』

大正10年東京根岸の生まれ。 組み紐職人として京都の西陣織を凌ぐ技法
は一世を風靡した父親の弛まぬ努力を見て育ち “努力・優しさ" は染み
付いていた。 金杉高等小学校卒業。 昭和12年16歳で関秀次郎商店に入る。
兜町商業入学。 日本橋野球大会代表として出場。 軍隊は台湾・中国・中シ
・南昌・武漢に歩兵隊として参加。 中国で迫撃砲を受け部隊は全滅状態で
九死に一生を得た。 終戦と共に捕虜生活一年余で帰国。 マラリヤ病に犯
され隔離入院。 戦火で家は失われ兄は戦死し兄嫁の家で同居させてもら
っていた時友人の誘いで当時非会員だった十字屋証券に入社。 取引所は
進駐軍に接収されMPの立つ取引所玄関は異常な雰囲気だった。
取引所再開され場立ち。 株式部長。取締役。スパーク投資顧問取締役社
長。75歳で後任に譲り引退。



● 林正久 
 『世の中低成長になってきたと云うことは、 それだけ企業もチャンスが
   少なく我々も投資家もチャンスが少ない。 それだけに一生懸命チャン
   スを掴む』

昭和2年東京都中央区生まれ。 25年慶応大学卒後アメリカのミシガン大学
・ワシントン大学に留学。 帰国後二つの会社で修行し、 29年父親林莊治の
丸莊証券に入社。 二代目社長に就任。 日本証券業協会副会長・総務委員長
を務めた厳しき荒波を知らない呑気屋の武将。



● 土方邦彦 『天の時・地の利・人の和』 

   昭和四年神奈川県生まれ。横浜商業高校卒。藍澤証券入社。市場部員
 (場立ち)。 常務。専務。投資信託運用会社社長(子会社)。



● 人見清一 『家内安全・一陽来福』『親友喜再開』

昭和七年茨城県岩井市生まれ。飯島国民学校卒。昭和24年山丸証券入社。
金十証券に転社し内紛劇を嫌い八千代証券に移動し本店株式部。 大阪支
店株式部。 本店市場部。 本店株式部。 本店市場部。 昭和56年八千代・光亜
・野村投信販売と合併し国際証券市場部長。 平成四年取引管理部部長。
平成五年定年退職。
  


● 古本右一郎  『 一に前進 二に前進 』

大正13年1月11日群馬県生まれ。 昭和13年山一証券に使走りの小僧として
入社。 株式部に配属。 昭和13年兜町商業入学卒業。 日大第一商卒業。
此の頃の場立ちは立会中に丁半博打・相撲 の勝負博打・オイチョ株博打
と皆博打好きが揃って居て新場橋(日本橋)警察署に拘留され留置場は
万杯になり分散拘留された事件があった。昭和18年秋兵役で高射砲隊に
配属。 終戦と同時に山一証券に復帰。市場部。北九州小倉支店次席副長。
本店に復帰。営業部から事務管理部。歩合外務員。定年退職。人柄は最
高に良き人。大東証券の島地保(場立ち・取締役・定年退職)氏とは兜
商の同級生。



● 古市惣一郎
 『騰げ相場は誰でも乗れる、 問題は下げ相場にどう対処するか・・・
   下げ相場の時はじっと持ったままスルズル引かされニッチもさっち               
  も行かなくなるケースが多い。 どこで銘柄の切り替えをするかどこ               
  で見切るかが大切なポイント』

    昭和8年福井県生まれ。 30年同志社大学卒後、 大和証券入社。
  債権金融法人を経て52年取締役株式部長。 56年常務。 60年大和シ
  ステムサービス顧問。 61年大和投資顧問副社長。 62年丸三投資顧
  問の設立と同時に初代社長就任。・・・・・・



● マイケル・マーカス
 『流れを掴む上で大切な事は需給関係のバランスを読む事』                      
  チャートでファンダメンタルに基づいた方向へ相場が向
    っているかを確認する』

「時計が時を刻むように二週間ごとに君のお金を倍にしてやる」と学
校の先輩ジョンの魅力的な甘い言葉に引かれ、父親の遺産で相場を張
り五回の売買で大損してから自分で勉強し直感半分、情報半分で昭和
四五年(二十歳)に3万ドルを手中にした。過信したマーカスは母親
から2万ドルを引っ張り出し合計5万ドルを突っ込みスッテンテンに
なってしまった。此の挫折と敗北感はしばし動転したが、証券会社の
調査部に就職し上司のトレーダーに “利食いを伸ばす・損切りは早く
・辛抱する”を教わり六万四千ドルを儲けた(昭和48年二十三歳)。
何度か無一文になったが現在、南カルホニアのプライベートビーチが見
下ろせる丘の上に機甲師団の攻撃にも耐える驚異の門の中に超豪邸に
住み、相場で儲けた数億万ドルを枕に、明日の相場の勝利に向かって
今もなおその資産を増やそうと活躍しているがその後の収支は不明。



● 三上晴久  
 『仕事に限らず商売というのはすべからく “笑う門には福来る" じゃ             
    ないけれど陽性じゃないと行けない、性格も発想も、兜町ではいつも            
     愚痴ばかりいっている人がいるけれどあれはアホだと僕は云ってい             
    る』

    昭和4年上海生まれ。 16歳で帰国、 29歳一橋大学卒後山一証券入社。
  企業調査畑を12年勤め上げ53年山一経済研究所専務取締役。
  陽気な楽天家で企業調査のオーソリティ。



● 水野善四郎  
 『 相場の基本はファンダメンタルズと株価の位置。それに全体の
    マーケットが何を求めているかと云うニーズ。此れを見極めて
    今の相場がどちらの方向にむいているか、どんな銘柄が中心な
   のかという方向づけをするのが最大の使命』

    昭和17年群馬県高崎市生まれ。 36年高崎商業卒後、 ミツウロコ
  (練炭製造販売)入社。   39年丸三証券に入社。 51年丸三証券常務。
  ・・・・・当時シンデレラボーイト騒がれる。



● 村井幸也
 『投資とはなんぞや、投機とはなんぞやという定義は難しいが日本の
   場合はただじっと株を持っている時代じゃない。  そういう面では
   全部投機だ』

  昭和2年広島県尾道生まれ。 尾道中学校旧制福岡高校。 東京大学経
 済学部卒後日本勧業証券入社。 38年朝日投信運用部長。 55年勧業角
 丸投資顧問社長。 56年勧業角丸経済  研究所副所長。 59年社長就任・・・・・。 




● 森村市左衛門翁 
    『勝つ事ばかり知って負けることを知らぬは害その身に至る』

明治の相場師で好景気に浮かれ一獲千金の夢が充満してる時、 戦も囲碁
も将棋も商売も勝とう儲けよう焦る者よりも負けまい損しまいと用心あ
る者のほうが遥かに勝利し人様にも迷惑をかけず正当な利益を得る。
恐るべし慎むべきは強欲なりと説く。
   


● 山田元明   『凡人故に努力あるのみ』『お客様第一』

昭和二年群馬県生まれ。東京都出身。専修大学で証券取引論の大家
「服部文四郎先生」の勧めで昭和24年兜町の大阪商事(後の大商証券)に
入社。市場部員(場立ち)代理。 昭和32年小倉支店長の命を受け東京駅に
場立ち百名が見送る中命懸けの決意を固め小倉支店の地盤を固めた。
昭和35年新日本証券市場部総監督。 昭和37年北陸財務局から坂東証券社
長死去に伴い立直し命令で社長代行の副支店長。 新日本証券静岡支店長。
本店株式営業部長として全店の指揮をとる一方アメリカ・ヨーロッパで
勉学。不振にあえいでいた福井県の三津井証券から再建要請で社長に就任。
福井経済同友会代表幹事。ロータリークラブ会長。北陸経済連合会常任理事
等々。 福井県の18年間は充実の日々。 人生の使命を果たし東京に戻り目
下ロータリークラブで活躍中。 兜町一世を風靡した話題の人物。 



● 山本章雄 
 『上げ相場から下げ相場、あるいはその逆の転換とかこの変化をとらえ            
    るというのが一番の勝負どころ』 『金融相場か業績相場か相場の本質           
     を読まないと大きな相場は張れない』 『短期的には需給関係で株価は          
      動くが、長期的に見るとそれなりのきっちりしたベースがないと株価          
      のトレンドは継続しない。株価は以外と理論的なものです』

昭和11年兵庫県神戸市生まれ。 34年神戸大学経済学部卒後野村証券入社。
大阪の株式部配属。 47年総括部で自己資金運用担当。 57年総括部長。
58年野村投信委託運用部付部長。