3代始祖
現在、世界中にいるサラブレッドの全ての祖先をさかのぼると必ず3頭にたどり着きます。その3頭のことを「3代始祖(3代祖先)」といいます。その3頭について紹介しておきましょう。
(以下の写真は全てDel Mar Pedigree Queryから取りました。)
ダーレーアラビアン/Darley Arabian |
ダーレーアラビアンは1702年シリア生まれ。彼は1704年、シリアのアレッポでトーマス・ダーレー氏によってイギリス、ヨーク近くのアルドバイパークにいる弟リチャードのため買われた。その後、ジョン・ブルースター・ダーレー氏が受け持ち、ダーレーアラビアンは1730年までアルドバイに残った。
ダーレーアラビアンはレースでこそ目立たなかったが種馬となっては現役時代とはうって変わって素晴らしかった。彼は個人的に飼育されていたのでそんなに多くの繁殖牝馬を得ることはなかった。ゼネラル・スタッド・ブックによると彼はおそらくターク種かシリアンホースだろうと言われているが、有名な権威者のセオドア・クック卿が言うには血統書によれば唯一本当の純粋なアナザー・アラブ種だということだ。
彼はアメリカに初めてサラブレッドとして渡ったBulle Rock(1718)の父となった。また、Almanzor(1713)、Aleppo(1711)の全兄弟やFlying Childers(1714)、Bartlet's Childers(1716)の全兄弟を送り出し、1722年にはリーディングサイアーとなった。そして5代目に出た最強馬エクリプスによってさらに繁栄し、セントサイモンの子孫は繁栄しすぎて逆に滅んでしまったがそれでも現在彼の系統は世界中のサラブレッドのおよそ9割を占めるほどの大繁栄ぶりをみせている。
ハイペリオン、ナスルーラ、ミルリーフ、リボーなど。現在ではサドラーズウェルズ、ダンジグ、ノーザンテーストなどのノーザンダンサー系、ミスタープロスペクター、アリシーバ、エルコンドルパサーなどのレイズアネイティヴ系、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムのヘイルトゥリーズン系、トニービン、タマモクロスなどのフォルティノ系など大多数。 |
ゴドルフィンアラビアン/Godolphin Arabian |
ゴドルフィンアラビアンは1724年イエメン生まれ。彼はモロッコの皇帝からフランス国王への贈り物として送られ1730年コーク氏が輸入した。その後、ロード・ゴドルフィン氏が受け持ち、彼はニューマーケット近くのスタッドにゴドルフィンアラビアンを入れた。
彼の種目の判定には数々の議論があるが、ゼネラル・スタッド・ブックは彼の肖像画から彼をバルブ種と判断した。青鹿毛の彼の種牡馬としての他を圧倒する成功は「幾年も過去の話であれ近年の話であれ、彼がいなければ今ほど優れた馬は産まれなかったことは注目すべきことである。」と、ゼネラル・スタッド・ブックにも記載されている。
彼に会ったことがあるウィリアム・オスマーは「彼を目にした誰もが彼の肩が深く、今まで見たどんな馬よりも遠く背中に位置しており、次元の違う非常に強く、パワフルな腰の筋肉が異常なほど高く吊り上がり、広がっていることを必ず記憶にとどめるだろう。彼の姿の優秀さがすぐにははっきりしないのは不思議でないが、顔や耳の素朴さや前脚の位置、彼の評判のすごさや彼が子を産んだ国ではエサの要求が引き起こされることには深く考えさせられる。」と彼を評している。
Flying Childers以来の最強馬といわれるLath(1732)をRoxanaという繁殖牝馬との間で生み出し、Grey Robinson(1732)との間の仔Regulus(1739)はエクリプスの母父になった。8代目には世界史上初の三冠馬ウエストオーストラリアンが出た。しかし、彼の最も重要な功績はLathの全兄弟Cadeを生み出したことで、Cadeが産んだMatchemは繁栄後一大マッチェム系を築き上げるまでに至った。
ゴドルフィンアラビアンは1738年、45年、47年にリーディングサイアーとなり、彼の仔のBlank(1740)や先ほどにも出てきたCade,Regulusも次々とリーディングサイアーとなった。
Matchless(1754)やSelima(1745)も世に送り出した彼はおよそ20年の種牡馬生活の末、カンブリッジ州のゴグマゴッグで29年間の生涯に幕を閉じた。ゼネラル・スタッド・ブックによると彼は馬小屋に通じる覆い被された路にある平らな石の下にいっさいの碑文なしで埋められたという。
マンノウォー、マークオブディスティンクション、パーフライトなど |
バイアリーターク/Byerly Turk |
1680年頃のトルコで生まれたバイアリータークはブダベストとの戦いで捕まり、アイルランドの戦争でバイアリー大佐が乗っていたと言われる。
バイアリータークが初めてイギリスに来たのは1688年のことで燃えるようなアラブ種牡馬、優雅な馬、度胸、スピードがあると言われながら北ヨークシャーのネアーズボロー近くのゴールズボローホールにあるスタッドに行くことになり、その後全サラブレッドの祖先となった3代始祖の最初の1頭となった。
ゼネラル・スタッド・ブックが「Byely Turk」と登録したが、正しいスペルは彼の馬主の名前からしておそらく「Byerley Turk」であろう。
彼は決して良血の繁殖牝馬と交配したわけではないが種牡馬成績は素晴らしかった。Basto(1703), Jigg(1701), Black Heartyを産み、ファミリーナンバー39の初代牝馬となったBonny Black(1715)、ファミリーナンバー3と17の初代牝馬を送り出した。
ドクターデヴィアス、ダイタクヘリオスなどのトウルビヨン系、メジロマックーン、シンボリルドルフ、トウカイテイオーなどのパーソロン系など。 |
先ほどサラブレッドの祖先をたどっていけば3頭にたどり着くといいましたが、彼ら以外にも種牡馬はいました。が、彼ら3頭以外は全て繁栄しなかったわけです。
それと、ここからは少しビックリすることかもしれませんが、実は上記の3頭の名前はあとから付けられたのです。といのも彼らが生まれた当初は馬に名前を付ける義務がなかったのできちっとした記録にも残ってないのです。彼らにももしかしたら名前が付けられていたのかもしれませんが、記録に残ってもいなく分からないので「馬主名+馬の種類」で呼ばれることとなったようです。ダーレーアラビアンはダーレー氏のアラブ種、ということになります。 |