華厳教海INDEX

 

華厳思想をめぐる呼称について

 

・華厳学

・華厳思想

・華厳宗

・華厳経の思想

・華厳経学

・華厳教学

・華厳哲学

・華厳信仰

・華厳

・「華厳経の思想」と「華厳思想」の分類



 華厳の思想を示す呼称はさまざまで、「華厳学」・「華厳教学」・「華厳思想」、あるいは単に「華厳」など、研究者により一定していない部分もある。そこで、私の使用する呼称の定義を呈示しておく必要が有ると思う。この定義は、大凡の人に共通すると思われるが、必ずしも普遍的なものとして定着しているわけではないので、注意が必要である。


華厳学

 華厳思想と共に最も広く用いられる呼称で、華厳に関わる学問全てを指すと言ってよい。狭義においては、華厳に対して学問的意味合いを持たせる場合や、華厳思想に関わる現代における学問・研究に対して用いる。

華厳思想
 『華厳経』に顕れた思想に基づいて中国で成立し、種々の学派において展開した思想。ただし、「華厳教学」と言う呼称が、ある意味で専門家による教理の追求の成果、乃至その過程という語気が含まれ、セクト的イメージがつきまとうことを否めないのに対し、「華厳思想」は、それに基づきつつも、他の学派によっても吸収された華厳的なものを含み、士太夫や詩人など一般の思想家たちが受容、または表明した思想をも包含することができる。したがって、「華厳教学」よりも広い意味で用いられる。より具体的には、次の4つに分類できよう。

 1.華厳経そのものに説示されている思想=「華厳経の思想」

   @現行の三訳『華厳経』(大経)に説かれる思想

   A大経の素材となった個々の単独経典の思想。

 2.華厳経の思想に基づき中国で成立して種々の学派において展開した思想。

 3.そうした華厳思想の一形態として華厳学派の中で体系付けられてきた華厳思想=「華厳教学」。智儼・法蔵・澄観など、後世に「華厳宗」とか「華厳学派」と謂われた系統に属する祖師たちによって体系的に構成された哲学的思考、とりわけ学派的志向を意識した教理内容。

 4.華厳教学が後世の思想に及ぼした影響。華厳教学を依馮したり自己の思想の中に接取した他の学派に属する教学者や禅僧、思想家、一般知識人たちによる思想、


華厳宗

 要語としては、中国華厳第四祖の澄観により「華厳思想の根本」という意味で使われたのが初見。セクト意識が表面化し始めたのは、禅宗の最盛期と言える8世紀末で、宗密が祖統説を立てたことは注目すべき。11世紀の北宋代に浄源が教団を確立して賢首教と称したことにより宗派意識・教団意識が具体化するが、それでも日本の宗派意識とはかなり趣を異にする。また、狭義においては、現在の日本において東大寺を大本山とする宗教法人を指す。

華厳経の思想
 現行の三訳『華厳経』(大経)、および大経の素材となった個々の単独経典に説かれている思想。これに対して「華厳教学」は中国で成立し発展した学問ないし思想・哲学。

華厳経学

 『華厳経』そのものに対する研究。経典成立史や音韻学などを含む。中国の学者が「華厳経に関わる学問」という意味で時々用いているのを見かけるが、日本の学者はあまり用いない。


華厳教学

 『華厳経』を所依の経典とし、これに基づきつつ中国で成立・発展し、さらに周辺諸国でも研鑽された教理内容をいう。とくに所謂「華厳宗」の祖師たちによって体系的に構成された教理・思考、とりわけ学派的志向を意識した教理内容を指すことが多い。ただし、この場合、セクト的イメージを内包することは否めない。歴史的には「華厳教」「賢首教」などと称される。

 なお、この呼称は日本で主に用いられるもので、中国やその他の国ではあまり用いられない。なぜなら、「教学」という言葉が、日本語としては主に教理や教理をめぐる学問を指すのに対し、中国語としては教育とか教導といった意味で専ら用いられるためである(教学に相当する語は、中国語では「義学」という)。したがって、がんらい国際的普遍性をもたないが、最近では日本の仏教学に影響されてか、中国や韓国の論文でも、日本語と同じ意味で「華厳教学」という語が使われている例を見受けることが有る。中国語で表記する場合、狭い意味での「華厳教学」の意味合いを出す為には、「華厳宗教理」あるいは「華厳宗的教理」というのが無難であろうと思うが如何だろうか。

 個人的には、「浄土教」という言葉が定着しているぐらいであるから、「華厳教」という呼称が最も相応しいように思う。実際に、「華厳教」という言葉は、歴史的にも今日にいう「華厳教学」または「華厳宗教理」という意味で、ある程度広く用いられてきた(たとえば、永明延寿など)。宋代に華厳の学統を復興した浄源によって賢首教・賢首宗教と名づけられ、それ以降は賢首教という呼称が用いられることが多いが、継続して華厳教という呼称も用いられていた例が有る。ちなみに、南宋頃には華厳教観沙門と自称する僧人もいた。現在でも、日本語圏以外では「華厳教学」という呼称に違和感が感じられることから、中国や韓国の学者が論文で「華厳教」という語が用いられることもある。しかし、日本語の発音では「華厳経」と混同されやすいため定着しない(もっとも、華厳学の専門家なら『華厳経』は「けごんぎょう」と発音するが……)。


華厳哲学
 「華厳経の思想」や「華厳教学」を一種の哲学として見た場合の呼称。したがって、「華厳経の思想」「華厳教学」「華厳思想」とも重なって用いられる。ただし、哲学というと、どうしても宗教として、信仰として、実践形態としての意味合いが強調されず、佛教の一形態としての意味合いが希薄な印象を与え、さらに言えば、思想の歴史的展開も無視するかのような印象さえ与えるであろう。この点で、むしろ意味が限定されてしまうことは否めない。華厳の影響が強い韓国などの研究者の間では、「華厳教学」という呼称に代わってこの呼称が用いられることも少なくない。


華厳信仰
 華厳経や華厳経に説かれる諸仏諸菩薩および浄土そして華厳宗の祖師などに対する信仰。

華厳
 上記すべての総称。華厳思想とか華厳信仰と称されるような、華厳教学に依馮したり自己の思想の中に接取した他の学派に属する教学者や禅僧たちの思想、および『華厳経』に対する信仰なども、すべて包括する総称として、単に「華厳」と呼称する。

■「華厳経の思想」と「華厳思想」の分類
 華厳ないし華厳教学を研究する場合、『華厳経』そのものに説かれるいわゆる「華厳経の思想」と、それに基づきつつも中国で独自に発展した「華厳思想」とは区別する必要がある。前者(華厳経の思想)はさらに、現行の三訳『華厳経』に説かれる思想と、その素材となった個々の単独経典の思想とを区別し、後者(華厳思想)についても、中国で成立して種々の学派において展開した華厳思想、そうした華厳思想の一形態として華厳学派の中で体系付けられてきたいわゆる「華厳教学」、これらに影響を受けた一般知識人たちの思想(広義での華厳思想)といった区分を明確にする必要がある。
 華厳学を研究する場合、こういった区分を明確にした上で、個人の思想、華厳教学の展開と変容、華厳教学以外の華厳思想と華厳教学との関係を見ていくことが必要となる。



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