華厳学派の教判論 1

−五教・十宗判 と 同別二教判−

 
   【教判とは】
 教判とは、「教相判釈」の略(中国では判教という)。あらゆる経論を説時や教義内容に即して分類し、その順序次第を解釈して、これを整理統合し、価値的に配列し組み立ててることで、仏教経典の根本真理や佛道修行の究極目標を確立するもの。
 華厳の教判として、よく知られているのは五教十宗判であるが、このほかにも権実二教判・三一教判・四宗判・五教判・十宗判・同別二教判などがある。しかし、中でも特に重要なのは五教判と同別二教判である。
 
 
 

 一.五教判


 
 1.五教総論

 五教とは、@小乗教・A始教・B終教・C頓教・D円教の五つの教をいう。古来、天台大師智が立てた化儀四教(漸教・頓教・秘密教・不定教)と化法四教(蔵教・通教・別教・円教)に発想を得、これを合糅して立てたと言われることがある。しかし、それは天台学派からの一方的な判断にすぎず、適切ではなかろう。慥かに肯首できる部分もあるが、具体的にその内容を見ていくと異なっている。
 実際には、摂論教学の祖である真諦三蔵が訳した『摂大乗論』や『摂大乗論世親釈』に説かれていたという小乗教・大乗教・一乗教の三教判と、地論教学の祖である光統律師慧光によるとされる漸教・頓教・円教の三教判を巧みに重ね合わせていると見るべきである。なお、『起信論』で説明すれば、離言真如が頓教、依言真如が漸教、依言真如の中の如実空が始教、同じく如実不空が終教に当たる。
 華厳の教判では、教説の意味内容によって分類統一する。したがって、厳密に言えば以下の「五教各論」で示す如く各教に個別の経論を配当したり、学派を配当したりすることは厳密に言えば不適当であると言わねばならない。つまり、あらゆる経論における教法を抽象し、比較・分類・統摂して五教とし、体系的組織をなしたもが華厳の五教判なのである。
 また、釋迦一代の教説を五教に分類してはいるが、各々が孤立するものではなく、五教相互に連絡を保ち、合すれば唯一大善巧法となり、開けば本末の二教・小三一の三教・小漸頓円の四教・小始終頓円の五教となる。

地論三教判 華厳五教判 摂論三教判
   (1)小 乗 教  愚 法 小乗教
廻 心
漸 教  (2)大乗始教  空始教 大乗教
(三乗教
相始教
 (3)大乗終教
頓 教  (4)大乗頓教
円 教  (5)一乗円教 一乗教



 2.五教各論

 法蔵の著した『華厳五教章』は、華厳教学の綱要書のような存在であるが、この書は華厳の特徴的教理を明らかにすると共に、五教判を示すところに著述の目的がある。ここでは、ひとまず『五教章』に沿って華厳五教判を概観することにする。

(1) 小乗教(愚法二乗)
  <経 論>『阿含経』や『倶舎論』『大毘婆沙論』など阿毘達磨論書に説かれる教説。主には三世実有法体恒有を説く有部の教説を指す。
  <教 義>四諦・十二因縁を説く教え。概ね有部の教義がその対象となる。
  <成仏論>佛種性・独覚性・声聞性の三種を立てる。そのなか、佛種性は釈尊一人に限るとする。成仏には三阿僧祇劫を要し、一般には阿羅漢果を得るを究竟とするのみ。
 
 ※自利のみで利他が無い。人空を証するが法空に愚である。法相の分類が主であって煩悩即菩提などの高度な教理大系がない。六識のみを説いて八識を説かない。
 ※小乗教を摂受する機根は声聞と縁覚であり、菩薩は含まれない。このなかに愚法と廻心の二種の機根がある。愚法は小乗教に固執して留まる定性であるが、廻心は大乗の教えに触れて大乗始教へと進む不定性。
 
(2) 始教(初教/生教/分教/権教)
 @空始教
  <経 論>『般若経』系経典、『中論』『百論』『十二門論』など中観系の教説。
  <教 義>龍樹に代表される空観仏教。中国では吉蔵の三論教学。諸法皆空を説く。
 
 A相始教
  <経 論>『解深密経』『瑜伽師地論』『顕揚論』『雑集論』『成唯識論』など瑜伽系の教説。
  <教 義>無着・世親に代表される唯識仏教。中国では玄奘の法相教学。万法唯識を説く。
  <成仏論>二乗(声聞・縁覚)として資質の定まったものは成仏できない(五性各別)と説く。
 
 ※大乗の入門的立場。大乗仏教の根本原理を表わすものではあるが、未だ絶対と相対、現象と眞理との相関を説くには至っていない。
 
(3) 終教(熟教/実教)
  <経 論>『勝鬘経』『楞伽経』『法華経』『密厳経』『如来蔵経』『起信論』『究竟一乗宝性論』『法界無差別論』などの教説。
  <教 義>真諦三蔵により伝えられ地論学派の浄影寺慧遠らにより深められた如来蔵仏教。自性清浄なる如来蔵を説く。
  <成仏論>一切衆生悉有仏性の思想を根底とし、二乗として資質の定まったものも廻心し、仏性がないとされる一闡提も発心して、すべて成仏すると説く(一切皆成佛)。
 
 ※大乗終極の教え。天台が「一色一香無非中道」と説く如く、浄穢不二・生死即涅槃・煩悩即菩提を説き、現象(事)と真理(理)の相即を説く。また、縁起について、本より末へと流れること(従本垂末)や、末より本へと帰入すること(摂末帰本)を説明し、あるいは縁起現前の当相について論じる。しかし、それは未だ相対的であり、体用論・本末論に偏る。
 
(4) 頓教
  <経 論>敢えて言えば『維摩経』などの教説に大表される。
  <教 義>頓悟成仏と離言絶相を説く。教としては言説頓亡、理としては理性頓顕、行としては解行頓成・位次不立、果は一念不生即佛。教理行果ともに頓速であるから頓教という。
  <成仏論>一念不生の境位をそのまま佛とみる。
 
 ※無相を説く。『維摩経』に説かれる「無言の黙理」がこれに当たり、『楞伽経』に「鏡中頓現、初地即八地、無所有」と説かれ、『円覚経』に「衆生本来成仏、生死涅槃猶如昨夢」と説かれる頓教の理を顕わしている。
  なお、法蔵が頓教を円教の下に位置づけたのは当時終南山で活躍していた東山法門を意識していると思われるが、明言はされていない。後の澄観は明確に禅宗を頓教に位置づけ、条件付だが終教とともに一乗に所属させる。
 
(5) 円教
  <経 論>『華厳経』『十地経論』
  <教 義>個物がそれぞれ独立していながら、しかも互いに融和し、調和しているという重重無盡・一多融即・主伴具足・六相円融を説く。現象と真理はもとより、各現象相互の融即を説くと共に、両者を絶対的に捉える。
  <成仏論>一位と一切位との相即、十信位を満たした境位におけるさとりの完成(信満成仏)を説く。融三世間・十身具足の毘盧舎那法界身雲の教主論を有する限り、有情非情を問わず仏性を具して成仏するのは勿論であるが、その種性論は終教のそれのように一相の性と習(一相孤門)ではなく、主伴具足・重重無盡の種性を説く。
 
 ※円教には同教と別教との二教がある。別教とは海印三昧所現の教で、三乗を超え離れた教の内容を指す。同教とはあらゆる教説を含むものであるが、実際にはその含まれる対象(三乗教)を円教との繋がりにおいて言う場合に同教と称することが多い。これは海印三昧から起ち後得智によって説かれた内容とされる。


 3.円教と頓教の違い
 
     終教・頓教 ………… 一相孤門
     円教    ………… 主伴具足・重重無盡・圓融無礙・一多相即
 
 
 
 4.智儼・法蔵と澄観・宗密による五教判の対比

【智儼・法蔵の後一一乗説】
 (1)小 乗 教  小 乗
 (2)大乗始教 三 乗
 (3)大乗終教
 (4)大乗頓教
 (5)大乗円教 一 乗
【澄観・宗密の後三一乗説】
 (1)小 乗 教 小 乗
 (2)大乗始教 三 乗
 (3)大乗終教 一 乗
 (4)大乗頓教
 (5)大乗円教

 
 南宋代の可堂師会(1102-1166)は、諸祖の教学を一統しようという意図から、二説の相違を次の如く開合の違いに過ぎないと解釈する。
 終頓二教は一性一相を説いて二乗を泯じる(泯二乗)から一乗であるという視点から見れば、終頓二教は合して同教一乗となる。一乗ではあっても別教一乗ではない(後三一乗)。かたや、泯二という視点から離れて終教と頓教とを切り離して見れば、二教は三乗であり、後一円教のみに同教と別教が具わっていることになる(後一一乗)。故に、二説が分かれるのは五教に対する開合の仕方の相違に基づく。
 後一一乗の立場では、まず一乗円教のうちから不共一乗(別教一乗)を揀び取り、残ったその他の共教を大乗(始教・終教・頓教)と小乗教とに分け、このうちの大乗をさらに権教(始教)と実教(終教・頓教)とに分ける。
 後三一乗の立場では、まず一乗円教のうちから小乗教を揀び除き、残った大乗を権教(始教)と実教(終教・頓教・円教)とに分け、このうちの実教をさらに同教(終教・頓教)と別教(円教)とに分ける。後一のみが円教で、終頓二教は三乗教であるとする後一一乗説と、後三教は総じて一乗であるとする後三一乗説との違いは、このような開合の差異による。
 師会が説明する二説の開合の相違を図示すると、次の如くである。

【後一一乗説】
一乗円教   共教一乗  小乗 小乗教
 大乗 権教 始  教
実教 終  教
頓  教
 不共一乗 円  教


【後三一乗説】
一乗円教 小乗   小乗教
大乗  権教 始  教
 実教 同教 終  教
頓  教
別教 円  教




 二.同別二教判


 1.大略的概念
 
同別二教は、ともに華厳円教一乗の二つの側面。
   別教:方便をまじえない三乗とは別せらるべき真実の教え。華厳の教えを指す。
   同教:あらゆる教説は本来的に斉同であり、それらを包摂し、引摂し寄同する円教の用き。
 
 2.同別二教の名目
 
 <別教の名目>:三乗に別異するの意。一相孤門の三乗に対して、重重無盡を顕す教義。
 
 <同教の名目>:同の義には共同と不異の二意がある。
          @共同(約相)a.「通目同」三乗と一乗とを通じて目くの義。
                 b.「和合共同」 教義和合の義。
          A不異(約体)a.一三融摂の義
                 b.同一法界の同一の義
 
 3.同別二教の義相
 
 <別教の義相>
   @相対的見方(分相門/全揀門): @時異 A処異 B主異 C衆異 D所依異
                    E説異 F位異 G行異 H法門異 I事異
    A絶対的見方(該攝門/全収門): 一乗三乗等の法は悉く一乗法。一乗法の外に別体なし。
                   一切の三乗法は唯だ是れ一乗所目とみる。→ 絶対融会
 
 <同教の義相>
  ・同教一乗は相対的見地に立って三乗と別教一乗との関係を論じるもの。
  ・三乗と別教との外に別して同教という教の体があるわけではなく、別教に三乗を同ずるとの意。
  ・あらゆる教法を分類すれば一乗・二乗・三乗・四乗・五乗・無量乗であり、これを要約すれば三乗と別教となる(分諸乗)。
 
  @別教実法から権法が流出(所流)。攬実成権(実を取って権を成立する)。於一仏乗分別説三。
  A三乗は権法であると知り、別教の実法に帰す。泯権帰実。摂方便。会三帰一。
  B三乗の当体当相について、三一和合・亦一亦三・教三義一・所目。
  C体に約し、一三融摂・会融無二・同一法界。(融本末) → 相対融会
 
※三乗教をあくまでも真実であると固執するなら、それは単なる三乗教となる。
華天二教による一乗義の相違
   天台 = 遮三の一乗
   華厳 = 絶対の一乘
       同別一乗の教義は海印定中一時炳現の法。他に二乗三乗の法はない。
 
澄観・宗密の同教解釈
   終頓二教の同教一乗
 
直顕門と寄顕門
   定内の法は皆な是れ「同別無礙の一円教」なり。(法蔵『探玄記』巻六)
   中に於て、直ちに無盡の義を顕わす直顕のものは別教一乗 ────── 直顕門
        無盡の義を三乗に寄同し一相一寂として顕わすは同教一乗 ─ 寄顕門
 ※直顕・寄顕の二門は、華厳経一部全体における表現方法。
殊に寄顕求法は本経の特徴。宗密『行願品疏鈔』では、直顕を広大説、寄顕を微妙説と名づける。



 三.十宗判

 

 法蔵の著した『五教章』には、十宗判が示されている。以下、その内容を概観する。

法蔵『五教章』に示された十宗判
 
 ( 1 ) 法我倶有宗……犢子部など。法と自我の実在を説く。
 ( 2 ) 法有我無宗……説一切有部など。法の実在と無我を説く。
 ( 3 ) 法無去来宗……大衆部など。現在のみの法の実在を主張。
 ( 4 ) 現通仮実宗……説化部など。現在の法のなかで五蘊の実在と十二處十八界の非実在を区別。
 ( 5 ) 俗妄真実宗……説出世部など。世俗の法の虚妄性と出世間の真実性を論じる。
 ( 6 ) 諸法但名宗……一説部など。すべての存在は仮名のみで、すべて無体であると説く。
 ( 7 ) 一切皆空宗……大乗初教(始教)。一切の法の空・不可得を説く。
 ( 8 ) 真徳不空宗……大乗終教。一切の法は根本的真理(真如如来蔵)のはたらきに摂まるとする。
 ( 9 ) 相思倶絶宗……大乗頓教。ことばを離れた真理そのものを提示する。
 (10) 円明具徳宗……別教一乗。究極の無礙自在の法門。
 
 十宗判といっても、後に示す五教(小乗教・始教・終教・頓教・円教)を出るものではなく、ただ小乗教を6つに細分したのみであることがわかる。後の澄観は、これを承けて、同じく十宗判を示すのであるが、その順番が変わっている。それは澄観独自の四法界(事法界・理法界・事理無礙法界・事事無礙法界)の思想が渠の思想を一貫するものであることを物語る。

澄観『華厳経疏』玄談「第六所詮宗趣」で説かれる新しい十宗判
 
 (1) 我法倶有宗……………………………小乗
 (2) 法有我無宗……………………………小乗
 (3) 法無去来宗……………………………小乗
 (4) 現通仮実宗……………………………小乗
 (5) 俗妄真実宗……………………………通大小乗
 (6) 諸法但名宗……………………………通大小乗
 (7) 三性空有宗……始教……法相宗……大乗
 (8) 真空絶相宗……頓教……無相宗……大乗
 (9) 空有無礙宗……終教……法性宗……大乗
 (10) 円融具徳宗……円教……法性宗……大乗
 
 法蔵の五教判は、@小乗教、A始教、B終教、C頓教、D円教という順番で列べられる。これは十宗判を示すときも同様であった。これに比して、澄観の場合、終教と頓教が逆転しているのがわかる。これは澄観が主張する四法界説に看取される特徴である。すなわち、四法界のうち理法界は空始教および頓教、理事無礙法界は終教の領域であるが、そうすると頓教は終教の前に来ることとなる。澄観も五教判として五つの教を示す際には、法蔵の五教判の順番で説くが、それはあくまでも法蔵の五教判を尊重しているために過ぎない。渠自身にとっては、五教よりも四法界説のほうが重要であり、そのため、十宗判を示す際にもこのような移動が行われたのだと考えられる。四法界説が澄観の思想において如何ほど重要であったかが、ここでも窺えよう。