|
小口には俗に観音谷といわれる地名がある(今の松ヶ岡団地内)。観音寺は法満寺の五別院の一として、仁寿三年(853)に開創された。建立は此の地なり。
後、元禄五年(1692)、奥東江先生の奥家に遺されし「遺誡の条条」に依れば、同年より四十六年前、同家の践祚の所有山林より観音寺に寄付されしことを明記しあり。即ち今より350年前のことなり(正保三年(1646)に当たる)。山號の牟禮山は、法満寺からの山号で、観音寺には別に臨川山の山号がある(祖父川に臨むという意味かも知れぬ)。東江先生の塋域も臨川山の奥に葬ると記されている。
京都花園妙心寺の末寺にして、僧西鮮を中興とす。
十一面觀音菩薩で、聖徳太子廿八歳の御時、一刀三礼の御作と伝う。六十年に一度開帳、三十年に中開帳を務めるを例とする。近くは明治四十年(1907)・昭和十一年(1936)・昭和四十二年(1967)・平成十一年(1999)に当たる。開帳毎に縁起説きを行う。其の文下の如し。
抑モ、當寺本尊十一面觀世音菩薩ハ、恭クモ聖コ太子二十八歳ノ御時、一刀三禮ノ御作ナリ。是ヨリ西方牟禮山千坊御建立アリシ御本地佛ナリシガ、鳴呼時ナル哉、天正年中兵火ノ爲数多佛像皆灰塵ニ帰スト雖モ此ノ尊像ハ厳然トシテ残サセ給フ。或夜開山列岑和尚夢ノ告ゲニ隨ヒ此ノ山ニ迎ヘ奉リ、一村末代ノ氏佛ト崇メ、即チ寺ヲ牟禮山觀音寺ト號ス。所謂十一面トハ阿彌陀如來ヲ頂上ニ戴キ、寶冠ノ内ニ九体ノ菩薩ヲ勧請シ、末世諸人ノ機縁ニ應ジ、一度拝禮ノ輩、慈悲廣大ノ手ニ攝取セシメントノ御本願ナリ。
各謹ミテ拝禮ヲ遂ゲラルベシ。
|