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| 郷里の災害を通して思うこと |
新年明けましておめでとうございます。昨年は何かとご支援を賜りまして、本当に有難うございました。本年も変わらぬご支援のほど何卒よろしくお願いいたします。 昨年は本当に災害の多い年となりました。立て続けに大型台風がわが国に上陸しましたし、新潟県では阪神・淡路大震災並みの大地震が起こったりもしました。被災されました皆様には心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。 私の郷里の兵庫県豊岡市も例のない大雨と円山川(まるやまがわ)の堤防の決壊ですっかり水没し、大変な被害を蒙ってしまいました。私の身内もかなりの被害を受け、一番大きな被害を受けた者は1階天井近くまで濁流が入り、すっかり泥に埋もれましたが、幸い多くのボランティアの方々に助けられ、お蔭で元気に過ごしています。お世話になりました皆様には心から感謝申し上げます。 豊岡市の水害を目の当たりにしまして、あらためて先人が水害の多い故郷でどのような暮らしを工夫してきたかを思い知らされました。昔の円山川の堤防は現在のものに比べて半分の高さくらいしかありませんでした。したがって、大雨が降れば氾濫は避けられず、そのため多くの村々は山の麓に形作られ、それでも水が迫るところでは石垣を組んで屋敷を高くし、大事な物を入れる蔵は屋敷の中にもう一段石垣で高くしたところに建物を建てたのでした。また、溢れる濁流をうまく逃がすため、家の前に広がる田んぼが遊水地となり、村道が冠水すれば船でしばらくは行き来することもあったのでした。 私が育った村には円山川に注ぐ支流があり、そこは子どもたちの格好の魚釣り場でしたが、大雨時に本流の水位が高くなると支流に濁流が逆流しますので、堤防に設置されている水門が閉められ、出口を失った支流の水は周囲に広がる桑畑に流れ込むようになっていました。養蚕と結びついた河川敷の桑畑はそのまま台風時の遊水地になっていたのです。 今は円山川の堤防はずいぶん高くなり、大雨時に水門が閉められ、出口を失った各支流の水は巨大ポンプで排水するように排水機場があちこちに設置されています。そして、これで安心とばかり、私が子どもの頃に田んぼであった堤防近くにまで住宅が立ち並び、また、養蚕も姿を消せば用途を失った桑畑には工場が建つ時代になっています。 しかし、自然の力は人智を超えるものでした。この度の水害も昔から山の麓に立つ農家にはそれほどの被害はありませんでした。いまさら簡単には転居が出来ない難しさがありますが、あらためて、自然の猛威にどのように対処すべきかについて、しっかりと先人の知恵に学ぶ必要があることを強く感じたことでした。この度の水害でもう一つ無視できない事実が山の荒廃です。永年放置された人工林があちこちで崩壊し、それが水害を増幅したことは間違いありません。このことについてはまたの機会に触れたいと思います。 新年を迎え、今年は災害の少ない年となりますように、心からお祈り申し上げます。 (2005年正月記) |
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