平成8年9月17日(火)連休明けの朝、いつものように8時20分ころ外来診察室に降りて行くと
婦長が顔色を変えて「先生大変です。K小学校の子供さん達が発熱、下痢、腹痛で沢山きてい
ます」と言ってきた。待合室をのぞいて驚いた。普段みなれた顔の子達が高熱と腹痛で顔を歪
めて苦しんでいるではないか。その数ざっと20人前後、座っていることもできなくて、待合室
や処置室のベッドで寝ている子もいる。母親達の訴えるような視線が痛い。何事が起こったんだ?
膝が震え、声もかすれていたと思う。
先週末、岐阜市内のG小学校で食中毒らしい子供が大勢出ている事はK小児科の先生から聞い
てはいたが、今度はK小学校か、これはまた大変な事になるぞと思いつつ3ヶ月前の0157騒動
がちらっと頭をかすめた。看護婦に問診を取らせ、重症そうな子供から診て行くと、症状はおもに
9月15日から16日にかけて発現しており、強い下痢と腹痛のため脱水症状の見られる子供が
多かった。
特に重症と思われる子供は県立岐阜病院へ紹介することとし、まず6名をピックアップ、この旨
を県立岐阜病院のY小児科部長に電話し、更に食中毒と直感したので岐阜市医師会のK理事に第一
報を入れた。最初の1名はマイカーで県立へ向かったが、非常事態と判断したので119へ電話し
救急車を要請した。
とりあえず2台の救急車に5人の子供と保護者を分乗させ、それぞれに1人づつ看護婦を同乗させ
県立病院へ送り出した。残りの子供たちは診察をして必要のある子供には点滴を行った。
しかしベッドに限りもあり子供以外のお年寄りたちも休み明けで多かったで診療は思うように進ま
なかった。
救急隊の人が気を利かせてもう1台救急車を回してくれて当院の玄関先に待機していた。
「今は患者さんの選り分けをしている段階なので・・・」と職員が言うと、「本部からの命令です。
当院の前で待機しております」と言うではないか。さらに「待合室の子供さんは全員ピストン輸送
で病院へ運びますが」と申し出られたのにはあわてた。
「とにかく診察して、紹介状を書いてからでなくては送れませんので」とお断りをしていったんは
お引き取り頂いた。その後さらに2人を県立病院及び羽島市民病院へ紹介入院させてもらった。
とにかくこの日はK小学校の子供たちだけで61名を診察し治療を行った。
ほとんどの子供は15日から16日に発症しており、多くの子供が高熱と下痢、腹痛を訴えて
いたが、嘔吐は比較的少なく肉眼的に血便はみられなかった。落ち着いて診察すると、先回の0
157とは様子が少し違うようだなと感じられた。午前10時ころこちらからK小学校に問い合わ
せたところ、学校では検便は始めているが休校にはしない方針であるといわれた。
こうして夜8時近くまでかかって診療を終えその日の状況を医師会のK理事に報告しておいた。
9月18日(水)は午後休診のため午前中しか診察できなかったが、昨夜から今日にかけて新たに
症状が出現した子が13名おり、昨日から引き続いてきている子供とあわせて53名を診察した。
依然発熱、下痢、腹痛の続いている子が多く、半数以上の子に点滴を行った。
本日は紹介を要するような重症者は見られなかった。
9月19日(木)この日もK小学校の子供は相変わらず多く、合計52名を診察した。
昨夜から、本日にかけて新たに発症した子供が11名あり、そのほとんどが昨日まで登校していた
という。全体としては快方に向かっている子供が多かったが、本日の新患と今まで診ていて症状の
重くなった子供3名を新たに県立病院へ紹介した。
9月20日(金)になり大部分の子供は自他覚所見の改善がみられたが、なお本日7名の新患が
あり、昨日までは軽度の腹痛、微熱くらいしかなく登校していたという子が多かった。遅くなって
発病している子供でも案外重症者が多く、本日初診の子供7名中4名を、また引き続いてかかって
いた子のうち症状の改善が見られない子供2名の合計6名を県立及び岐阜市民病院へ紹介した。
明日から当院は休診が続くため有症の子はなるべく本日中に診察に来るように指導した。
本日の受診者は初診7名、再診43名の合計50名であった。週末の休診中、症状の重い10人前後
の子供には毎晩こちらから電話をいれ容態の把握に勤めた。医師会のFAX通信によって本件は
Salmonella Enteritidisによる食中毒である事が分かった。
9月23日(月)この日も祝日のため休診、症状の重い子供や紹介をした子供の家庭に電話を
して容態を尋ねてみた。入院中の子供はほとんどが外泊許可をもらって帰宅していた。本日も県
立病院では点滴をしてもらっている子供が数名いた。夕方になり県立病院小児科のY先生よりFAX
をいただいた。K小学校でおこなわれた検便結果の一覧表であった。明日の当院での診療に役立つ
ようにとのご配慮であった。問題は18日以降になっても無症である児童からサルモネラ陽性者が
50名ほど出ていることであった。この子達に対する投薬はどうするかということと、推定曝露日
から1週間も経ってなお新しい発症者がいるということをどう考えるかについてY先生と電話で検討
した。従来の潜伏期間に関する定説が誤っているのか、二次感染はないという定説が誤っているのか
どちらかであろうということになった。そのどちらかでないと1週間もしてなお新たに発病する児童が
いる事の説明がつかないと考えられた。
9月24日(火)以降は新患はなく受診者数も減り、週末までには当院も普段の診療ペースに
もどっていった。最終的には今回の食中毒に関連して当院を受診した児童は、無症の2名を含め99名
であり入院を要したものは7名であった。
以下、当院へ受診した児童に関する集計結果を簡単にまとめ付記する。詳細については日本医事新報
第3806号を参照いただきたい。
(付記)当クリニックにおけるK小学校関連のサルモネラ腸炎診療デ−タ
1.受診者数
当院の受診者総数は99名(うち無症2名)で学年(年令)による片よりは見られなかった。
2.便培養の結果
便培養ではサルモネラ陽性であったものは56例(56.6%)、陰性が37例(37.4%)、
未検は3例(3%)、集落なしが3例(3%)であった。
3.有症者97例の症状
サルモネラ陽性で無症であった2例を除いた97例の症状の集計では、やはり下痢、腹痛が高頻度
にみられた。38.5℃以上の高熱は約60%にみられ、頭痛、嘔吐のほか咽頭痛など上気道炎様の
症状もみられた。
4.発症日について
有症者97例の発症日については推定曝露日(9月13日)から2ないし3日後にピークがみられ、
78例(78.8%)が9月17日までに発病していた。しかし曝露日から5日後以降も発症した例が
19例あり、潜伏期間の長い例がある事も考えられた。なお当院の集計では潜伏期間は
平均3.38±1.48日であった。
5.菌陽性者と陰性者の発症日の比較
菌陽性者56名のうち9月17日までに発症した症例は45例(80.4%)であり、菌陰性者では37例
(73.0%)であった。菌陽性者ではやや症状の発現が早い傾向がみられた。
6.菌陽性者と陰性者の症状の比較
腹痛、下痢については両者に有意差はみられないが、高熱については菌陽性者にやや高い傾向
がみられた。
7.血液検査結果について
当院初診時または初回再診時に採血し得た42例につき、検査結果を検討したが白血球数9,000
以上の例は4例(9.5%)しかなくほとんどが正常範囲であった。赤血球数、ヘモグロビンについて
も低下の見られた例はなかった。CRPは定性で(−)が13例(30.9%)、(1+)〜(4+)を
示したものが29例(69.1%)であった。GOT,GPT,BIL,総蛋白、A/G、尿素窒素、
クレアチニンは全例正常であった。また肉眼的に血便を認めた例はなかったが、潜血反応を調べた
7例中4例が陽性であった。