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阿弥陀寺 (結城市大切町263)
時宗光明山無量阿弥陀寺と号し、本寺は藤沢清浄光寺です。
鎌倉時代末期の永仁5年(1297年)頃他阿元禺を開祖とした寺院です。
市内にある時宗のお寺3ヶ寺の中では一番古く、結城秀康から寺領5石を寄進されたといわれています。
貞治元年(1362年)結城直光は畠山氏を藤沢遊行寺に送って助けた話により、時宗の寺が「駆け込み寺」とされていたことが伝えられています。
本堂は、何度かの災害に見舞われ、その度ごとに再建されましたが、現在の本堂は昭和60年に再建されたものです。 |
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安穏寺 (結城市鍛治町1725)
曹洞宗結城山大寂院と号し、本寺は孝顕寺です。
天平宝字年間(757〜765年)唐僧鑑真の高弟詐連律師が律院として創建した。
応安2年(1369年)結城8代直光公が源翁和尚を招き禅宗(曹洞宗)とする。
長禄元年(1457年)と翌年結城13代成朝公から寺領を寄進されその後結城氏の菩提所とされた。
至徳2年(1385年)に建てられたといわれる朱塗りの山門がある。 |
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覺照寺 (結城市白銀町7204)
寿樹山覺照寺と号し、新義真言宗大谷派の寺院で、本寺は京都東本願寺です。
覺照寺は、越中より結城に移住してきた現門徒の祖先たちが、この地にお東の寺院がないことから、本山寺院設立を懇願し、明治14年(1881年)に説教場として創建され、昭和22年(1947年)に寺格をもって開山となった。
本堂には、衆生救済の教えを説く阿弥陀如来立像がご本尊として安置されている。 |
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金光寺 (結城市小田林2045)
真言宗豊山派慶壽山金光寺と号し、本山は奈良の長谷寺です。
開山は正治2年(1200年)三月庚申、結城初代朝光公が当地に観音堂を建立し「聖観世音菩薩」を祀り、同公の「守り本尊」とした。
因みに寺伝に寄れば同尊像は、空海上人(弘法大師)が下野日光山へ遊行の折り、当地で護摩修法がなされた時の「玉作」と伝わっている。
天正10年(1582年)壬午結城17代晴朝公より黒印拝領、慶長6年(1601年)3月丑結城宰相(秀康公)様より三部経箱入及び葵紋入り水引を拝領した。
平成12年(2000年)1月、開山八百年記念として観音堂の傍らに鐘楼堂を建立した。 |
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弘経寺 (結城市西町1591)
浄土宗寿亀山弘経寺と号し、本寺は京都知恩院です。
文禄4年(1595年)結城18代秀康公(徳川家康の次男)がその息女松姫の追善供養のため飯沼(水海道市)の弘経寺の住職壇誉上人を招いて建立したと伝えられる。
後、江戸時代に浄土宗の学問所関東十八壇林の一つに数えられた。
重厚な山門、本堂、無村の句碑、砂岡雁宕の墓、ばけ地蔵、開祖法然聖人の幼少期の銅像(勢至丸さま)がある。 |
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華蔵寺 (結城市塔ノ下670)
臨済宗妙心寺派の覚城山華蔵寺と号し、本寺は妙心寺です。
建武2年(1335年)の頃入唐僧の復庵宗己和尚の開山と伝えられている。
結城8代直光公が若くして家督を弟の基光公に譲った後に、大殿を建立し落慶法要を行なった事から、寺院として全てが整ったのは1367年頃と推定される。
江戸期には、聯芳庵や嬾桂庵は末寺としてあったが、現在は華蔵寺に合併されている。
近世、観音町にある御影堂も末寺となっている。
平成15年(2003年)本堂が再建された。
復庵禅師の画像、山門、正安4年(1302年)造立の板碑がある。 |
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孝顕寺 (結城市立町461)
天女山永正禅林泰陽院孝顕寺と号し、曹洞宗に属する。
本寺は、下野国大中寺です。
創建は、永正12年(1515年)結城15代政朝公が独方曇聚和尚を開山に、城の西方の玉岡の里に建立し永正寺と称した。
結城16代政勝公の代に釣城山孝顕寺と改めた。
結城15代政朝公と17代晴朝公の菩提所を兼ねるものであった。
結城18代秀康公(徳川家康の次男)により、 慶長4年(1599年)現在地に移築され、改称された。
近世は、結城藩主となった結城水野家の藩主菩提寺となった。
結城氏の墓所があり、五基の宝篋印塔が並んでいる。
朱門三門、御朱印堀、木場兵馬自刃の場所がある。 |
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光福寺 (結城市西ノ宮1394)
真言宗豊山派日高山円蔵院光福寺と号し、本寺は、京都東寺・宝菩提院です。
創建の年は記録に残っていないが、開山は呼明南坊上人と伝えられている。
文明3年(1471年)以降の古文書を有している。
山号の日高山は、下総の国の境を流れる日高川の名に由来すると伝えられている。
境内墓地には、この地方の維新期を彩った人物結城家家老水野甚四郎や官軍の植田楠次などの墓がある。
末寺に真言宗の多聞寺(毘沙門堂)(木町)がある。
また、西ノ宮の薬師堂などの境外仏堂があります。 |
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光明寺 (結城市田間上1504)
真言宗豊山派の寺院です。
本寺は、常陸国真壁郡八町新長谷寺です。 |
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金福寺 (結城市西ノ宮1348)
証誠大師一遍上人を宗祖とする時宗の金福寺は本寺が藤沢清浄光寺です。
正応2年(1289年)他阿呑海の開基による寺院です。
建立時は、川木谷にあったものが現在の西ノ宮に移建された。
結城町明細帳之控(宝永5年・1708年)には、西ノ宮の金福寺に鐘があり、時を告げる鐘の寺と伝えられている。 |
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慈眼寺 (結城市上山川784)
真言宗豊山派金登山観音院慈眼寺と号し、結城寺を本寺とし、本山は奈良長谷寺です。
創立は、延長年間(923年頃)橘氏政が當国に下降し結城と号した。この時始めて寺塔を建立したと伝えられている。その後、天慶3年(941年)ころ藤原秀郷が宏荘なる堂殿を新規建立寄附したと伝えられている。治承4年(1181年)、結城家初代朝光公の三男が山川に移住し山川朝重となり、その祈願寺となった。その時古儀真言宗だったものが後に新義真言宗となった。その後嘉吉元年(1441年)の結城合戦の折り兵火にかかり焼失した。慈眼寺を本寺とする末寺として、薬王院、青蓮寺、長壽院、福性院があったが明治維新の際に廃寺となった。
結城17代晴朝公の長男源七郎晴信の後女といわれる墓、及び聖観音がある。 |
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釈迦堂 (結城市永横町312)
新義真言宗豊山派結城院慶福山満福寺釈迦堂と号し、本寺は、(寛)京都仁和寺→(彰)京都醍醐報知院です。
永享年間(1430年頃)に元宥僧都を開基として、市内久保田字慶福に成立し、嘉吉年間(1441〜43年)に結城城西館に移り更に慶長年間(1600年頃)になって、現在の地に移築されたと伝えられている。
結城16代政勝公の念持仏がある。 |
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松月院 (結城市小塙2716)
曹洞宗富田山松月院と号し、本寺は、乗国寺です。
享禄2年(1529年)に、乗国寺四世の信及前豚が開創したといわれている。開基壇越は結城17代晴朝公夫人(松月妙大姉)です。
本尊は観音菩薩であると記録にありますが、現在は釈迦如来坐像と文殊菩薩像・普賢菩薩の三尊仏となっている。 |
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常光寺 (結城市白銀町400)
時宗金明山天照院常光寺と号し、本寺は藤沢清浄光寺です。
一遍上人が宗祖です。
遊行ニ祖他阿真教上人が諸国遊行で結城を訪れた鎌倉時代の末期永仁5年(1297年)に開山され、弟子の師阿弥陀仏直道を住持とした。
金仏様と親しまれている佐野の天命鋳物の傑作である阿弥陀如来の坐像があります。また、永正8年(1511年)推定造立の六地蔵の石幢(六角幢)がある。 |
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乗国寺 (結城市上小塙3073)
曹洞宗見竜山覚心院乗国寺と号し、本寺は、下総国総寧寺です。
宝徳元年(1449年)結城13代成朝公が結城合戦で戦死した12代持朝公の菩提をとむらうために松庵宗栄を招いて三国山福厳寺として建立したと伝えられている。
創建当時は、鬼怒川と田川に挟まれた常陸、下野、下総の三国にまたがり立てられていたことから三国山の号を有していた。
文明11年(1479年)に大洪水で寺地が流出し、結城14代氏広公が現在の地に移建し改称された。
貞享年間(1680年代)に当山は焼失し、元禄2年(1689年)に再建された。現在の本堂は、文久元年(1860年)建立されたと伝えられている。結城氏の墓所といわれる一角に四基の宝篋印塔がある。
正徳3年(1713年)完成、大正13年(1924年)改築の山門、延宝7年(1679年)創建の四脚門がある。
また、近くにある八尺堂観音(慈眼院)を管理している。 |
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称名寺 (結城市浦町152)
浄土真宗本願寺派新居山高田院称名寺と号し、本寺は、京都西本願寺です。
1216年に親鸞に帰依した初代結城藩主結城朝光公が聖人の高弟真仏を開基として下野国薬師寺新居郷に建立した。
嘉禄元年(1225年)結城西ノ宮に移建して称名寺となり、現在の称名寺は、元禄年間(1688〜1704年)に西ノ宮から移建された。
結城初代朝光公の墓(2代朝広公、3代広綱公、4代時広公も葬納されているという)、結城家御廟の門としての御霊屋門、寛永3年(1627年)京都の二条家より譲り受けた二条門、親鸞聖人の立像、大将塚がある。
本堂の屋根の大修理が平成18年(2006年)に行われた。 |
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大栄寺 (結城市上山川311-1)
真言宗豊山派明王山不動院大栄寺と号し、本寺は結城摂持院です。
この寺の不動尊は弘法大師の作といわれる。平将門が守り本尊として関東に持ち帰ったものと伝えられている。天慶の乱(940年)のおり山川沼に身を投じた将門の家臣とともに失われてしまったが、その後漁師の網にかかり上山川の不動宿に安置された。大恵上人によって大栄寺に祀られたのは、慶長6年(1601年)とのことです。
立派な朱塗りの山門と不動堂がある。 |
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大勝寺 (結城市大谷瀬2862)
曹洞宗の大勝寺は、もとは臨済宗であったが、衰微してしまっていたのを曹洞宗に改めた。
本寺は、乗国寺です。
16世紀中期の天文15年(1546年)に乗国寺の三世中雄宗孚の開山となっている。
開基檀越は王隣珎大姉すなわち結城15代政朝夫人となっている。(但し、現在の寺伝では開基檀越を結城17代晴朝公としている)
中雄の没年が天文5年(1546年)政朝夫人の没年が天文17年(1548年)であるので成立はそれ以前と考えられる。 |
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大輪寺 (結城市戸野町1139)
新義真言宗豊山派如意山観音院大輪寺と号し、本寺は、京都醍醐地蔵院から京都醍醐光台院となった。
創建時は、常陸国河内郡田河原に在って大輪坊と称した。
安真元年3月(1227年)元観が開祖となり、現在地に移転して大輪寺と改称したと伝えられている。
末寺二十二ヶ寺の本寺でした。現在でも宝珠院、金光寺の本寺であり、観音町の人手観音堂(ここの観世音菩薩像は結城8代直光公の発願により制作されたもので延文元年(1356年)8月人手の観音寺に安置されたもの)や万蔵院などを監理している。 |
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長徳院 (結城市今宿45)
曹洞宗雲龍山長徳院と号し、本寺は乗国寺です。
長徳年間(995年〜998年)に山川水海道に創建され、当初は、法相宗であった。明応8年(1499年)に山川11代朝貞公が初代重光公と父君影貞公追福のため綾戸城の東陵に当院を移し、日州幸永大和尚を拝訪して禅宗に改められた。
末寺に東光寺、東持寺がある。
幕末には、天下の名僧といわれた原担山大和尚が住職された。
当院は、明治41年火災により焼失し仮本堂のままであったが、昭和53年(1978年)に再建された。
山川家歴代の霊廟(初代から16代まで祀ってある)がある。山川家は結城家初代朝光公の第四子重光公が結城家より分家して興した。また、山門、福寿観音(石仏)、六地蔵がある。 |
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東光寺 (結城市大木385)
曹洞宗の東光寺は、本寺が長徳院です。
文亀3年(1503年)松庵宗榮の弟子日州幸永の法孫天佑舜貞が古屋敷に建立開創した。
天文4年(1535年)古屋敷より大木(現在地)に移建した。
天文13年(1544年)4月に建立された薬師堂と観音堂がある。
本堂は、平成16年(2004年)から再建される予定。 |
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東持寺 (結城市上山川3226)
曹洞宗諏訪山東持寺と号し、本寺は長徳院です。別名うめ寺とも言われている。
文亀3年(1503年)原の諏訪社の側に建立された。寛永3年(1626年)当地上山川の字馬場の地に移建された。開基は山川朝貞、中興開山は長徳7世寄山呑最大和尚です。
寛元元年(1243年)鎌倉時代に結城初代朝光公の第三子重光公が山川庄の地頭に任ぜられ、ここに屋敷を構えたところといわれている。14代氏重公が綾戸城に移ってからここに代官を駐在させた。又16代朝重が主家結城18代秀康公(徳川家康の次男)に従って越前に移ってから幕府の直轄となり代官がここに住んだ。このことから代官屋敷とも言われている。
山川氏の持仏堂といわれ、宝暦3年(1753年)西隣りから移された薬師堂や成和6年(1317年)と刻まれた板碑がある。 |
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宝珠院 (結城市山王376)
真言宗豊山派宝珠院の本寺は、大輪寺です。
当初は、戸野町にあったが現在は山川山王にある。 |
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妙国寺 (結城市穀町1570)
日蓮宗法頂山妙国寺と号し、本寺は市川市弘法寺です。
貞和元年(1345年)妙国院日宣の開基による寺院です。
郷土の俳人砂岡雁宕の伯父早見晋我の墓がある。また、与謝野蕪村が師匠として慕った晋我の死を悼み詠んだ「北寿老仙をいたむ」の碑がある。 |
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結城寺 (結城市山川新宿94)
新義真言宗清浄蓮華山蜜厳華蔵院大金剛宝寺と号す。
本寺は、京都醍醐無量寿院です。
白鳳9年(800年)祚蓮律師による開山と伝えられている。あるいは、新快法印が建立し結城初代朝光公が修理、永享(1440年)年中の結城合戦により嘉吉元年(1441年)に兵火かかり、のち山川氏重公が城下に移建再興したといわれている。
上山川(旧結城寺跡)より永禄9年(1566年)(一説には永禄8年)に現在地に移建されている。 |
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頼福寺 (結城市小田林1374)
新義真言宗中央山地蔵院と号し、本寺は光福寺です。
天文年中(1540年前後)亮円法師が中興した。
三世良喜の没年は、寛永9年(1633年)1月5日です。 |
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聯芳庵 (結城市観音町658)
臨済宗妙心寺派(禅宗)聯芳庵と号し、本寺は華蔵寺です。
復庵宗己の開基の寺院で墓所でもある。
応永33年(1426年)結城9代基光公からの寄進状の内容より結城8代直光公の菩提所的な性格を持っていたものと考えられる。
江戸期には、華蔵時の末寺として存続し、江戸末期には、無住であったので華蔵寺が維持していたが、現在では華蔵寺に合併されている。 |
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西勝寺 (結城市大戦防813)
明治13年(1880年)頃、旅僧松山明道師(りょううまつやまみょうどうし)により開山され、同時に下妻市の光明寺から浄土真宗西勝寺の号と、阿弥陀如来像を譲り受けたと伝えられています。
初代名道師は、近在の信仰者から信頼が厚く、西勝寺は益々栄えました。
明治44年(1911年)頃、第2代住職松山貫道師(まつやまかんどうし)により、墓地の西側に本道が改築されましたが、老朽化が進み、平成16年(2004年)4月に現在の場所に改築され、本堂には阿弥陀如来像が祀られています。(広報結城より) |