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若いPUREなFRUITSに似たUITSの誕生なのだ
どうして竹中直人が中山美穂と、ウーンこれはまだ荒木経惟夫妻というモデルがあるから仕方がないとして、何故、森高千里が細野晴臣を、原田知世が財津和夫なんて中年の極致を旦那にしなければいけないのか!不可解だなぁ。が、ここにポップスの現実を見てしまう自分が怖い。戦後のいわゆる団塊世代は60年代、70年代をもろに青春体験しており、フラワーだラブだピースだロックだ、果てにはバンド・イン・バンドでそれフレンチ・デモなんてのも知っている。
「ざせつ?挫折ネエ・・・」なあんて田村正和風に遠くを見て呟いては、若い娘に「ス・テ・キ・守ってあげたいわ」なあんて言わせた30代を過ごし、決定的なデブハゲのおじさんになっても、一部有志はサブカル人間としてなおも君臨。これこそ20世紀後半のスタンダードなのだ。
近過去80年代が、昨今見直され、いつの間にか我が国の音楽界でもRE80'Sというような流れが様々に登場して来ている。少年期に体験した憧れを再生産する模倣するというのはいつの世にもあること。しかもそれは見事に過剰にかつ刺激的に、ついでにバブリーでもある。ではその行く末はスパイラル・デフレなのだろうか?そこでもかのおじさん達は「何もなかった80年代」と一言で片づける。だって音楽が巡り巡るものだと知っているから。
例えばビートルズ・ジェネレーションと嬉しそうに自ら名乗る人たちがいる。一番年寄りでビートルズと同世代だったグループ。次はティーンエイジで彼らと彼らの音楽に出会ったグループ。このあたりまでが既に40歳を越えている。それから何度かあったビートルズ・ブームに居合わせた様々な世代の存在。そしてそのビートルズを産み出したり、ビジネスに関わった世代はもう70歳過ぎていて、先日のジョージ・マーティンの引退に時の流れを感じた方も多くいたことと思う。別にビートルズの話を長々としようとしているわけではない。
例えばビートルズという一つの現象に、これほど多くの世代や人々やファンが存在できることは素晴らしいことだが、同時にいくつかのことを示唆している気がする。
「何故、良いのだろうか?」という質問に率直に乱暴に答えれば「良いものは良い」としか言い様がない。そしてそれは当然「繰り返される」のであり「不滅」なのだ。あたかもまるで親が子に伝えるようなもの。振り返るとそこに娘がいた。というのが中島ちあきなのだ。
UITSというレーベルがWITSそしてWITZを新たに引き継いでいくであろうと推測するのであれば、キーワードは無論「リスペクト」に違いない。
若いPIREなFRUITSに似たUITSの誕生なのだ。
海野祥年

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