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カーテンはぴたりと閉じられている。

ホテルの一室のように清潔且つ、余計な装飾は一切ない無機質で色味のないこの部屋
はしかし、間接照明の淡いオレンジ色の反射光がつくる立体的な陰影によって柔らかな
印象を与えられていた。

人の体温や生活感を排除したようなモデルルームのような空間はこの部屋の主の
光一にとっては心地よい場所であった。

夜の深い時間に仕事を終えここに戻り、シャワーを浴び好きな飲み物を用意し、
綺麗に片付けられた(片付けるほどの物が極端に少ないということもあるが)
部屋のソファでくつろぐのが光一にとっては至福のときだった。


この何もしないという、ただぼうっと時を過ごすこと自体が光一にとっては
スイッチをオンからオフに切り替える方法だった。

こうしてテレビも音楽もつけない無音状態の室内に一人いるとふっと意識が
飛びそうになるときがある。

それは自分が自分でなくなるような・・・いや、反対に自分が自分に戻るような・・・
そんな不思議で不安な感覚だ。

そして「今夜も来る」というあの予感――――















 
 どこからどこまでが現実?

  それとも幻想 否、悪夢?

      何が真実――――


               不条理な二人の
            十六夜                    
             
            



















――――瞬間。

光一は頭痛に見舞われた。

寝不足のときに訪れるそれとは明らかに違う種類の痛み。

光一は思いを巡らせる。

この痛みに襲われるようになってからどのくらい経つだろうかと。
慢性的な頭痛とは無縁でこれまで生きてきたのに。

いつからか一人の夜にこんな風に痛みが突如として彼を至福のときから現実に引きずり
出すようになった。


だけど光一は気づいていた。

オレは気づいてる・・・・

この痛みがどこからくるのか。いつから始まったのか。

光一は目を閉じその痛みに甘んじるように耐えながら思う。

そのとき。きたときと同じように唐突に頭痛は止んだ。

そして。背後で何かの気配がした。

そうだ。
来たのだ。
今夜も来たのだ。

見なくてもわかる。
振り返らなくてもわかる。
それが何なのか。

誰なのかを。


剛。

剛がきてる――――



光一はソファに座ったままで体勢を変えゆっくりと振り返った。

やはりそこにいたのは剛だった。

重く厚いカーテンが無風状態のこの部屋で揺れていた。

剛はその窓辺、床まで届く長いカーテンの前に立っていた。




今日で10日目。

剛がこの部屋に来るようになってから10日目だ。

ただ黙って光一の部屋に空から舞い降りてきたようにふっと現れる。

初めて剛が現れたときはそれこそ腰を抜かさんばかりに驚いた光一も、
夜毎剛が来るのもだから今ではすっかり慣れっこになってしまっていた。

なにせ生涯でただ一人、唯一無二の相方なのだ。
それはずっと変わってないし、今後も変わることなどない。

恐怖心はない。剛が現れること自体には。
ただ、

彼が毎晩ここに来る目的が分からない。

それは恐怖という感情を呼び起こすには十分な理由ではないかと
押し殺した感情の隅で光一は思うのだった。

だけど、もしかしたら、ただ
ただ彼は来るのかもしれない。
目的など持たないで、ただ剛は自分に会いにきているのなら・・・
怖いなんて思わない。

思うはずがない。

でも・・何故だろう。どうしても言葉をかけることができない。
以前のように屈託なくー

彼が生きていたときのようには。




今、目の前にいる剛の瞳。

漆黒の闇よりもっと深い黒を湛えたその目に何の感情も読み取れない。


どうしておまえいつもここに来るんや?



問いたい気持ちは言葉にはならなず、喉に奇妙な異物感として
まとわりつくだけだ。

せめて、自分が怖がってないことを伝えたくて、微笑みかけようにも、
顔がまるで面が張り付いてるかのように強張って、唇の端すら上げられない。
この顔そのものが能面と化してるかのように。


ソファ越しに二人がまるで対峙しているかのような格好のまま、
時間だけがゆっくり溶けていく。

といっても何分か、いや何秒か。


と。


剛は光一に向かって数歩歩み寄ると
黙ったままうつむき加減にそっと手を差し伸べてきた。


え?



昨夜までは、所在なさげにただ立ちすくみ、何分もしないうちにまた
カーテンの向こうに消えていったのに。

10日目の今夜は違った。



光一はじっと目を凝らす。

直接照明をつけていない部屋の中、剛の手の中になにかがあるのはわかったが、
暗がりに紛れてそれが何であるかまで判明はできなかった。

光一は恐る恐る手を差し出していた。

するとその手に剛が触れそっと形あるものが乗せられた。

それに気を奪われた瞬間。

目の前から消えた剛。

光一は小さなそれを握り締めながら、
もう誰もいないその場所で揺れているカーテンを見つめ続けていた。





剛がいなくなってどれくらい経ったのか。

光一は我に返ってふと手の中のそれを光にかざした。

手にあるのは小瓶だった。

茶色い薬瓶でラベルも何も貼られてない、
その中身は何かの液体で満たされている。







11日目。



同じ時間だ。

昨夜と全く同じ時間。

光一は寝室のベッドでうとうとしていた。
ちょうど見たいテレビが終わってそろそろ日課の筋トレでも
軽くしようかと考えていたはずが、疲れからか
睡魔に負けてしまったらしい。

ふとあの気配に目を覚ますと、テレビの電源が消え、そして
風もないのに窓辺でカーテンが揺れた。

目の前に


剛。


つよし・・・

夢の中か、寝ぼけているのか思考がはっきりしなかった。

だけどそう。その感触にはっきりと覚醒した。

手の中に冷たい小瓶。


それに気づき小瓶に目を落とすと、剛はもう消えていた。

昨夜と同じ茶色い小瓶。その中身は何かの液体で満たされている。



12日目。



その夜電話で長瀬と話していた。
久しぶりの親友との会話だった。
互いに忙しくて最近ずっと会ってなかったし連絡も取り合ってなかった。

電話は長瀬からだった。

「元気してる?」
なんて、改まった話ではない、たわいのない会話。

特にどうということもなく互いの近況や友達の話や仕事の話をしていた。

ふっと会話が途切れたそのとき。

「あんな実はな・・・」
光一は言っていた。

「なに?」
長瀬ののんびりした声。

「剛が」

言いかけた言葉に長瀬が発した

「え?」

と、問い返す声が聞こえたそのとき。

不快なノイズが二人の会話を遮った。

「あ・・れ?電波おかしくない?」

そう問う長瀬の声は光一には届いてない。

耳障りなザワザワしたノイズ音が耳に飛び込んできて、
電話を持ったまま移動してみたがその音はますますひどくなるばかりだった。

「長瀬?」

呼びかけてみたが、もはや聞こえるのはノイズ音のみ。
そして唐突に電話が切れた。


あ。

部屋の空気の流れが変わった。

光一はすでにわかっていた。


剛。


もう来ていた。

光一の寝室の窓辺にもたれるように剛がいた。

じっと光一を見て。

そして何も言わず消えた。

光一の手の中には小瓶。茶色の薬瓶で中身は何かの液体で満たされている。





13日目。



光一は疲れていた。

仕事が終わっても自分の部屋に帰る気がしなかった。
どうしても足が向かない。

今夜も剛は部屋に来るだろう。

あの得体の知れない小瓶とともに。そして自分はそれを受け取る。

あの瓶を開封してみる気はなかった。かといって捨てることもはばかられた。

だから今部屋にはあの瓶が3つある。

並べてサイドボードの上に置いてある。
毎日一つずつ小瓶が増えていく。それは奇妙な光景だった。

アロマテラピーの趣味でもあるかと、人が見たら思うかもしれない。
アロマオイルが入ってそうにも見える、そんな遮光瓶。
しかし決して中身はそうではあるまい。

光一はホテルへと向かった。
仕事でも利用することのあるホテルへと。
今夜はそこで過ごすつもりで。

だけど。

やはり。


剛はホテルの部屋の窓辺に現われた。

カーテンの前に立って。いつものように。

同じ時間に。

頭痛がしてやがて治まると、それが合図のように剛は目の前にいたのだ。

光一はさして驚かなかった。

自分がどこにいようと、たとえ誰かと外で過ごしていようと
剛は来るだろうというあきらめのような予感が彼の心にあったから。

やっぱきたんや。

そう言いたかった。

だけど声はでなかった。

剛の顔は何故だろう。少しだけ悲しげに見えた。

あの漆黒の瞳に翳りを感じた。

光一は自分から手を差し出した。

その手に触れもせず剛は、光一の手に茶色の小瓶を握らせた。

中身は何かの液体で満たされている。




14日目。



光一は、リビングで並んでいる茶色の小瓶を眺めていた。

もう4つ集まった。

全部同じ大きさで何かの液体が口まで入っているそれをいくら眺めても
何かはわからなかった。

一体何が入ってるんだ?

開けちゃだめだ。

開封したい誘惑を、理性で押し止める。

何故そう思うのかわからない。
だけど開けてはいけないと光一は本能で予知する。

どうして剛はこんなものを毎晩手渡すのだろう。

そこに意味は

あるのだ。きっと。


わからない。

光一は首を捻る。


そして昨夜見せた剛の悲しげな瞳。

あれは・・・?


それでも、もうすぐそれがわかるときがくるということも
何故か光一は予感していた。



もうすぐ剛が来るだろう。
そして自分はあの小瓶を手にする。5つ目のそれを。

そのとき

背後でカーテンが揺れたのがわかった。





15日目。



剛は来なかった。

いや来ていたのに気づいてなかったのかもしれない。

そんなはずはないのだけれど。



だって、ここにある。

ほら。
あの見慣れた茶色の小瓶が。
中は何かの液体で満たされているあの小瓶が。

並んでいる6つの小瓶を光一は凝視していた。






16日目。



頭痛はしなかった。

確かにしなかった。

なのに、いた。

剛がいた。

窓辺のカーテンにもうずっと前からそうして立っていたかのように。

剛がいた。昨夜までと違う不穏な空気を体中から立ち昇らせて。


光一は黙って彼を見つめる。
いつものように。



「今日で最後やから」

唐突に呟いた剛の声が、何故か胸の真ん中にダイレクトに伝わってくる。

「最後」

光一は言葉をなぞらえる。何故と問いかける前に、
その意味することを理解する。

思わずため息のようなものが漏れた。

薄く剛が笑った。
はっとする。

「ほっとした?」

そんなことはない・・・

でも言葉には出せなかった。

たぶん剛の言うとおりだから。



剛が笑った。今度は心の底からおかしいというように。



そしていつの間にか剛はすぐ側に来ていた。

手を伸ばせば触れられる距離に剛。


「なあ、おまえほんまは死にたいと思ってるんやろ?」

さらに近づいてくる剛。


光一の喉はからからだ。

怖い。

今ある感情は恐怖一色だった。

昨日までは、もうこの世のものではない剛でもこんなに怖いと
思ったことはなかった。

剛だから、怖くなかった。

あるいはそう思い込もうとしていて、それは成功していた。

だけど今、目の前の剛が怖かった。

それなのに、剛のいる世界に
このまま連れ去られてしまいたいという甘美な誘惑に包まれる。


この感情すら剛がしかけた罠なのか。 


「その小瓶の中の一つには毒が入ってる。
開封して蒸気を吸い込んだだけで死に至る揮発性の毒薬や」

うっとりしたように剛は言う。

「確立は1/7」


サイドボードの上には6つの小瓶が並んでいる。

そして、今光一の手には7つ目の小瓶があった。

何がしたい?

何をさせたい?剛・・・


声が出ない・・・



「なあ光一?オレが死んで、おまえ前よりもっと飯食うてないし、
あんなに好きやった仕事も熱が入らんようなってる。
おまえほんまは死にたいと思ってんやろ」

光一はぶるぶると首を振った。

違う。俺は・・

「オレがこっちに来てもうて、おまえだけがまだそこにおる・・・
おかしいと思わへん?」

「・・・・」

剛の黒い瞳から光一は目を離せない。

黒い、真っ黒の闇に体ごと吸い込まれていくような
奇妙な感覚から逃れられない。

「大体がおまえ、オレとほんまに死にたかったんか?あんとき」

耳元で剛が囁く。

フラッシュバック。

あのとき。
俺たちは。
オレは。












* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *











「もう、ええよな」


下を覗きこまなくても都会の下界はまばゆい宝石箱と化しているのがわかる。

夜の屋上は風が強かった。そして今夜は月が大きかった。


剛は、しかしそんな風景など自分には関係ないといわんばかりに目をそむけ
光一の顔すら見ないで、ただ空に視線を彷徨わせてそんな台詞を吐いた。

そういえば、もう随分剛の笑った顔を見てないなあと
光一は煙草を吸いながらぼんやりと思っていた。





あれは事故だった。

撮影中の事故。

高い位置からの撮影に使われていたクレーンカメラがバランスを崩し
こちらに向かって倒れてきた。

「危な!」

咄嗟に体が動いていた。

クレーンが倒れる方向には、剛がいた。

守ろうなんて意識していたわけではない。

ただ、体が勝手に動いていた。

クレーンカメラが剛の頭上に落ちてくる・・・

オレは剛に駆け寄った。

そして――




光一には、その次の瞬間からの記憶がない。


覚醒したのはそれから16日も後のことだった。


目覚めた光一の目に入ってきた景色は白い天井。

自分の部屋ではない、見知らぬ場所でベッドに寝かされていた。

首を横に倒すと、ベッドのそばにある、モニタがついている機械から
いろいろなコードが延びてその先が自分の体につけられていることから
ここが病室だということが分かった。

だけど何故こんなことになっているのかはさっぱり思い出せなかった。

体にはいろいろな器具が取り付けられていたが、
どこにも痛みは感じられないし、意識もはっきりしていた。

試しに声を出してみた。

「あ〜」

光一の声が誰もいない白い病室に響く。

そのとき初めて気づいたが、口の中にまで管が通っていて驚いた。
邪魔なので引き抜こうとしたけど、出来なかった。

仕方ないのでそのままゆっくりとベッドの上で上体を起こしてみた。

ちゃんと起きられた。

恐る恐るコードがつけらたままの手足を動かしてみる。

動く。
痛みは全くない。
両腕をゆっくり回してみる。
足をバタつかせてみる。
思ったように自由に動かせる。

布団をはいでみる。外傷は見当たらない。

一体どうなってるんやオレの体・・・

とにかくここが病院なら誰かを呼ぶべきだ。

そう判断して光一はベッドヘッドの辺りにあるナースコールを
見つけてそれを押した。

看護士と共に医師がすぐに現われた。

程なく、神妙な顔をしている社長と副社長、
今にも泣きそうな顔をしたマネージャーも現われた。



光一がいた病室はICUで、
24時間照明が点けられて明るかったので気づかなかったが、
時刻は深夜の2時を過ぎていたのだ。

いつもは24時間体制で、誰かしらが、隣室で付き添いをしていたらしいが、
ちょうど光一が意識を取り戻したときは交替の時間の切れ目で、
たまたま誰もいなかったのだ。



一通り光一のバイタルチェックが終わった。

モニタには光一の体が正常な状態だと示す数値が出ていたようだ。


医師はほっとしたように、にこやかな笑顔で

「意識が戻りましたのでもう大丈夫でしょう。念のため早朝に検査をし、
異常がなければ2,3日の間に退院となります」

と言った。

その言葉を聞き、社長らが「ありがとうございます」
と医師に頭を下げ、光一も頭を下げた。

それから事故が起こったときの状況を説明された。


倒れるクレーンから剛をかばおうとして、
前に進み出た光一の体の右側に、触れるか触れないか
ギリギリのところでクレーンは倒れたということだ。

つまり光一は間一髪、かろうじてクレーンの転倒による
負傷を免れたということになる。

「え?ちょっと待って。じゃあなんでオレ・・・」

それが事実だとすると、
こんな風にベッドに縛り付けられている理由が見当たらない・・・

光一が疑念の声を出すと、そうだろう。という顔でマネージャーが答える。

「あの時、自分も見てました。現場にいましたから。
クレーンは光一さんには当たってません。でも・・・」

そこで言葉は途切れた。

光一は、無言で彼の顔を凝視し、話の続きを促す。

「でも、光一さんは倒れたんです。その後、どんなに呼びかけても返事がなくて」

「それってどういうこと・・・?」

「分からないんです。すぐに救急車が来て、この病院に搬送されたんです。
それでいろいろ検査をしたんだけど悪いところはどこもなくて、なのに光一さん
意識戻らなくて今日で16日目だったんです・・・
このまま目が覚めなかったらどうしようと思って・・」

そこまで話すとマネージャーは涙ぐんで話せなくなってしまった。

オレは無傷だったにも関わらず、16日間も眠ったままだったんか・・・

医者も原因がわからないと首を捻るほどの不思議ともいえる事実に
光一は驚きつつも、自身の身体のどこにも損傷がないことを喜んだ。




そのとき光一は大事なことを思い出した。

そうだ、大事なこと。

「剛は?」


剛。

剛がいない。

そう、思い出した。オレは剛を助けようとして・・・それで


「剛は大丈夫だから」

社長の言葉に光一は念を押す。

「ほんまに?」


「光一は心配しなくていい。とにかく自分の体を治すことが先だ」


剛が大丈夫だと聞いたことによって、安心したのか
光一は急に強い眠気に襲われた。

さっきまで2週間以上も意識を失って、眠っていたようなものなのに、
まだ眠くなるのかと呆れながらも、光一はその誘惑にそのまま体と意識を預け、
また長い眠りについた。


そうして、光一が本当のことを知ったのは退院した後のことだった。


意識を取り戻してから退院するまでの期間に
親や先輩、後輩、番組のプロデューサーや関係者などが、
光一の様子を見に病室まで訪れてきてくれたが、剛は姿を見せなかった。

警察の事情聴取もあったが、その当初、事故前の記憶は、
ほとんど思い出せない状況だったので光一は「覚えてない」と言うしかなかった。


その後、全ての検査が終わりどこも悪くないという結果が出て退院となった。



「仕事穴あけちゃったけど・・・」

「それは大丈夫だから。とりあえずあさって会見開くから、明日はゆっくり休んで」

そうマネージャーに言われ、光一は彼の運転する車で自宅へと送られた。

「あ、剛・・・あいつ元気にしてるかな?」


後部座席から運転しているマネージャーに問うと、
彼の右肩が跳ね上がるように反応した。

「剛さんは・・・精神的ショックが大きいみたいで」

「精神的ショック!?」

初めて聞くそのフレーズに光一の胸が泡立つ。

「剛さんは、その・・・」

はっきりしない口調に光一の苛立ちが募る。

「何を隠しとんねん!」

一度も病室を訪れず、連絡もくれなかった剛。

やはりそれ相当の事情があったのだと
光一は今の言葉を聞いてようやく腑に落ちた。

やっぱり剛も大怪我したのでは?いや、もしかしてそれ以上の何かが・・・

最悪のことを予想して唇が白くなるほど噛んでいた光一の耳に
マネージャーの声が飛び込んできた。

「すみません、剛さん、軽症だって言いましたよね・・・・」

前を見たままでそう言う彼の表情は見えない。

「うん。かすりキズ程度だったって。
手当てする必要ないくらいくらい軽い怪我やったって・・。
ほんまは違う・・・のか?」

あの事故では誰も怪我はしてないと、だから事故といっても、
負傷者はなしで警察でも事故扱いはしないということになったということは
退院する前に聞いたのだ。

でもそれはやっぱり嘘だった?剛は・・・



「そうなんです。怪我のほうは本当に大したことなかったんです。
でも剛さん、様子がおかしくて・・・」

「どういう・・・こと?」



交差点前、窓の向こう、信号が青から黄色に変わる。
マネージャーはゆるやかに減速して車を停止させた。





光一は一人剛の部屋を訪れていた。


「剛」

丸い瞳。

光一を見上げる。
久しぶりに見る剛は、何故だろう子供みたいに幼く見えた。

懐かしさだけではない、そのときの光一の中に込み上げていた感情は、
いいようのない・・・恐怖に似たような気持ちだった。

その気持ちを押し殺し
「やっぱり剛、怪我なかったんや」
光一は明るく言い、剛の全身に視線を走らせた。


光一を見た剛は、腰かけていたベッドから立ち上がって頷いた後
口を開きかけたものの、結局言葉を発しないまま口をつぐみ、
俯くとベッドに腰を下ろした。

「なんだよつよしさん〜」

光一は、何も気づかないフリで、剛の横に腰掛けてそのまま後ろに寝転んだ。
 
まるで光一が見えていないかのように剛は彼の存在を無視して黙したままだ。
 
照れ隠しのためわざとふざけてそうしているのか?
 
最初はそう思った。

そう思おうとした。
 
けれど、剛の顔の前で手を振ったり、剛の頭を撫でたり、こづいたり、揚句、
彼の体をベッドに押し倒したのに剛は何の反応も見せなかった。
 
光一に押し倒された格好そのままでベッドに黙って横たわっているだけだ。
人形みたいに。

 
「おまえ、ええ加減にせえよ・・・」

笑いながら言ったはずの言葉尻は小さく震えていた。
 
明らかに尋常ではない彼の様子からそうではないことは明白だった。
 
剛にはオレが見えていない・・・
 
 
「剛さんは光一さんが自分の犠牲になったと思ったようで」

マネージャーが意を決して告げた昨日のやり取りを思い出す。
 
「犠牲?」
 
犠牲って、オレぴんぴんしてるのに。

その時点では光一は、そこまで剛が深刻なことになってるとは思ってはいなかった。

  
「丸16日間光一さんは意識を失ってました。その間剛さんは、
ずっと自分のせいだって自分を責め続けたんだと思います。
光一さんがこんな風になったのは自分の身代わりになったからだって。
それで精神的に、その重みに耐えられなくなってしまったようで・・・」

 
嘘だろ・・
 
「でも大丈夫ですよ。だって光一さん蘇ったんだし。光一さんの元気な姿見たら
剛さんもまた元気になりますよ」
 
「蘇ったって・・・まるでオレ一度死んだみたいやなあ・・・」

 

頬を引きつらせながら光一は、なんとかそんな冗談めいたことを言ったのだった。

 
  
光一が意識を取り戻して、マネージャーはすぐに剛に電話でその旨を伝えたが、
剛の反応は、それを果たして理解したのかどうか、つかめないほど
曖昧なものだったらしい。

 
それでも、実際こうして自分が元どおりの無傷のままの姿を見せることで
剛は正気を取り戻してくれるはずだと思っていた確信、少なくとも期待があった。
 
でも、剛は・・・

オレを認めなかった。
空ろな瞳。
その瞳にオレの姿を映してはいない。
 



 




















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