ここはどこ 異世界?
                パラレル――――


                    十六夜(後編)







半年ほど活動を休止する。

メディアにグループの休止宣言が成されたのは致し方ない策だった。
 
少し休んだら、時間を置いたらまた元に戻れる。という希望的観測。
 
「今まで働きすぎやったし、ゆっくり休んだらええ」
 
光一は剛の顔を覗き込んで優しく言った。
 
今の自分に出来ること、言える事はそれくらいしかなかった。
 
 
毎日、毎日、剛の顔を見に彼の部屋を訪れた。
 
時間だけが過ぎていき、剛の笑わない顔にも見慣れてくると
最初の頃とは違って、不思議と、もう何かを期待することがなくなっていることに光一は気づいた。
 
今の剛は抜け殻のままただ生きている。それだけだった。

一日中 部屋に引きこもり、最低限の生きる営みだけして息をしていた。 
時には1日中何も口にしないこともあった。
 
光一は剛の好きそうなフルーツを買ってきたり、時間があるときは剛のために簡単な料理を
することもあった。
 
剛は黙ってそれらを食べてくれたから、まだ光一は安心できた。
 
 
でもあんなに好きだった音楽ですら、今は彼を癒してはくれないようだった。
 
音のない世界に密やかに生きている剛。

隔絶されたこの小さな世界にひっそりと息づいている剛。

剛と光一の間には薄い透明の膜がかかっていて、いつもぼんやりとしか
互いの実体を感じることができない。

そう、まるで違う世界の住人同士が、時空を超えた捩じれた空間の中で過ごしているような奇妙な違和。


 
もう、永遠にこのまま、こんな静かな世界が続いていくのだと思えるような
生活はゆっくりと光一を蝕んでいった。

 
そしてその日。
 
光一がいつもの深夜の時刻に、剛の部屋を訪れたとき、彼の姿はなかった。


一人で外に出たんか?

一瞬そう思ったが、あんな状態で剛が自らの意思でどこかに行くとは考えられなかった。


剛・・・どこいった?


光一は焦りながら思考を巡らせる。


もうずっと、昼間ですら閉じられているカーテンを開けると、窓の外に大きな月が見えた。





このマンションの屋上に出るのは初めてだった。

エレベーターで最上階まであがり、フロアの端にある、屋上に続く階段を上る。

金属のドアを押し開けると、音もせずそれは難なく開いた。

屋上に吹く夜風が、顔に当たるのが思いのほか心地よく、
光一は大きな月に向かって歩くように一歩ずつ足を進ませた。


小さな背中。


屋上のほぼ中央付近に目指す姿があった。

光一は、ほっとしながらも、妙に緊張しながら
徐々に彼との距離を縮ませるために、さらに歩みを進める。

手を伸ばせばその肩に触れるほどの近さになったところで
振り返りもせず剛が言った。


 
「もうええよな」


そう聞こえた。

 
「もう、いいって?」
 
初めての剛の問いかけに嬉しさを感じることはなく
その言葉の真の意味が、それとはまだ知らぬ光一に、そこはかとない恐怖を与える。

 
「なんやの?もうええことあるか!」

光一は精一杯おどけて言った。


「もう、ええよな?・・・・光一」


剛が振り向いた。

「光一」と、確かに目の前にいる光一の名前を発した剛だったが、
彼の瞳には光一は映し出されていない。

感情の灯火すら見えない瞳は、ゆらゆらと彷徨い、その視線は足元へと向けられた。

見るとそこにはグラスがあった。
 

グラスは二つあった。

長細い小さな透明な薄いグラスだ。よく目を凝らしてみると、その中は透明な液体で満たされていた。
水のように見える。
 
 
「何?」

ぞわりと背中から悪寒がやってきて光一の体中を駆け巡った。
それと同時に光一は悟った。

今、剛がしようとしていることを。


剛には、



――――剛にはまだオレが見えてない――――



剛は、見えないオレに問いかけているだけだ――――



「もう、光一のいない世界に生きててもしゃあないし、オレは十分生き過ぎた」


「つ、よし・・・?」
 

グラスに目を止めたままの剛の口元が動いた。「毒・・・」


「オレはここにいるやん、剛」


そう叫び出そうとしたのに、声が出なかった。

光一は分かっていた。


静かに剛へと手を伸ばし、恐る恐るその肩に触れてみる。


剛



――――剛は何も感じてへん。





剛には、オレが、オレの存在が見えてへん・・・・

剛はオレを感じることすらできへんようになっとる。


そんなはずはないのだと、ずっと言い聞かせていた。
いつかまた、そう近いうちに二人で歌をうたうことができるのだと信じていた。


だけど今、それはもう叶わないことなのだとわかってしまった。

もう彼は違ってしまったのだと。
決して戻れない世界に行ってしまったのだと。




光一は、あきらめたように手を引っ込めた。

力を抜いた手がだらりと下がる。



ずっと側にいるつもりだったのに、剛はきっと、ずっとひとりだった。

オレのせいや。

オレが剛を、ひとり暗闇に突き落としてしまった。


オレには剛を救えへん。

 
 
剛・・・・


その時ふっと、その気持ちがわき上がってきた。

それは暗闇の中に、突如浮かび上がったぼうっと光る青い小さな灯火。

絶望の淵から音もなくやってきた不可思議な感情は、じわじわと光一の脳内を侵食していく。




 
 
ああ、もういいんだ。オレたち。

 
もう、全部ええ・・・・

 


 
肩の力が抜けて、もう何も頑張らなくてもいいという赦されたような気持ち。

その感情は、ずるずると甘い誘惑に負けていくときに生ずる、あの快感を呼び起こす。



だって、グラスは二人分ある。

ちゃんとオレの分を剛は用意してくれた・・・



光一はポケットから煙草を取り出し一本抜き取ると、まだ半分以上入っているそれをその場に捨てた。

取り出した煙草に火をつける。


これを吸い終わったら二人で乾杯や。





最後の煙草を吸い終わると、光一はすべての儀式が終わったような神妙な気分になった。

最後におまえのわらてる顔見たかったけどな・・・

それが叶わないことも光一は知っていた。




やることは一つしかない。
 

光一は右のグラスを選んだ。

剛は左のグラスを持ち上げた。
 
光一は剛の持っているグラスに、自分のグラスを合わせた。

確かにグラス同士が軽くぶつかり、カチンと音がし、
中の液体が揺れると細かな飛沫が弾け飛んだ。


それすら剛には見えてない。ということも分かっていたが光一は微笑んだ。



それからお互い、ほぼ同時に液体を喉に流し込んだ。















オレはあのとき本当に剛と二人で死んでもいいと思っていた。

いや、むしろ心の底からそれを願っていた。

死の誘惑はそれほど甘く優しく、オレを惹きつけて離さなかった。あのグラスを持った瞬間。


 

ああ、なんで、こんな残酷な罰ゲームを剛は思いついたんや。

 

どうして毒は一人分だったんや。

 二人一緒に死ぬことを許してくれなかったんや?

 

 

生き残ったほうが永遠に苦しむことを知っていたはずやのに。

 

 

いや、それが目的やったんや。最初から。

 

 

 

 

生き残ったのは、オレ。

 

オレやった。


いや、最初からオレが死ぬことはなかった。


だけどもしかして死ねるかと思ったんや。

もう二度と目が覚めなければいいと心から願っていた。

それなのに


 

気がつくと、屋上の冷たいアスファルトの上に倒れていたのは剛。

 

唯一無二の相方にオレはそっと手を伸ばした。

 

静かな白い顔、閉じた瞳は永遠に開かない。

見上げるとまるい月がオレ達を照らしていた。




オレは月をじっと見上げ、祈るように思った。



オレはいつまでこの世界で彷徨い続ければいいのだろう。と。


触れても感じることができなかったのは剛ではなくて、このオレ――――













 

 ******************************************************







いつの間にか、時間だけが経っていた。

 

剛が死んでから、全ての感情を封印したかのように、
何にも心を動かされることがなくなっていたことに光一は気づいてはいなかった。

そう、かつての剛のように。

 

いつの間にか見える世界が変わっていたが、それにもすぐに慣れた。

いや、もしかして、あの事故の後、病院で覚醒したときからずっとこうだったのかもしれない。

 

光一の瞳に映る景色全てが白黒のモノトーンの色彩で彩られていた。

色のない世界で息づいていることは、不思議でもなんでもなかった。

 
剛がいなくなった世界なのだから、当たり前なのだと自然に受け入れていた。

こっちの方がふさわしいとすら思える。

剛がいなくなったのに、同じ世界が続いていくほうが信じられない。
 

青い空が見えないことを光一は喜んだ。

このモノトーンの世界の中でオレはひっそり生き続ける。



それが剛がくれたオレへの罰――――




  

だけど、剛が現われるようになって。

今日で16日が経った。

 

 

彼はもう一度試そうとしている。

 

今。

 

光一がすっかり馴染んだ、彼のいない世界に生き続けることが、彼には許せないのか、

それとも・・・

 

 

目の前にある小さな瓶たちを光一は眺める。

 

 

これは最後のチャンスなのかもしれないと思う。

 

チャンス?一体何の?

 

自問しながら首を振る。

 

 

光一は7つある瓶の中にひとつに手を伸ばした。



 









 

 

「光一!光一!」

 

声が・・・聞こえる。

 

オレは目を開けない。

 

これでええ・・・そう思う。

 

やっとこれで剛と同じ世界にいけるから。

 
 

だって、オレもあのとき剛と一緒に死んでいたんはずなんや。


 

 

でも、なんでやろ?

オレを呼ぶ声。

聞き覚えのある、あの懐かしい声に聞こえてしょうがない。

目を開けたくなるのは、それが剛にとてもよく似た声だから・・・

 

それでもオレは、真っ暗な、夜の闇より真っ暗な世界に堕ちていく心地よさを選んだ。

 





************************************************************
 

 



「光一・・・」

 

医師が首を振り、静かに彼が息を引き取った時刻を告げた。

 

剛はそれを認め、光一のまだ、あたたかい体にすがりついた。

 


 

 

 

あのとき、クレーンが倒れたとき、光一がオレを助けようとして前に出なければ。

 

剛の脳内であのシーンが何度も何度もリプレイされる。

 

クレーンは、剛の目の前で光一の背を直撃した。

 
すぐに救急車で病院に運ばれたが、光一は意識不明のまま、今日までついに目覚めることなく

息を引きとった。

 
 

16日目の今日まで・・・

16日間、目覚めることのなかった彼はどんな夢を見たのだろうか?

それは彼にとって優しい夢だったろうか?

それとも耐えがたくつらい悪夢だったろうか?

その問いに答えられるものはいない。

剛は、まるで自ら望んで死を迎えたかのような穏やかな光一の表情を見、その手をそっと握り締めた。









  

************************************************************





「本番行きマース」

スタッフの声に剛は、目を通していた台本を閉じて立ち上がった。
腰掛けていた椅子に台本を置き、背筋を伸ばす。

深夜2時。

次のカットで今日の撮影は終了する。

マンションの屋上は風が冷たかった。

台本に書かれているとおりの、金色に輝く月を見上げる。


剛の立位置は、屋上のほぼ中央。下界が見えない地点なので内心ほっとしていた。
高いところは苦手である。


剛はスタッフに伴われて、中に液体の入ったグラスが二つ置かれているその場所へと歩く。

グラスの位置と、剛の立ち位置を再度確認し、監督がOKを出す。

剛は、屋上の入り口に背を向けて立つ。

カメラが回りだす。


光一がゆっくり歩いてやってくる。 

剛は光一がこちらに近づいてくる間合いを背中で計る。

10,9,8,7・・・・ゆっくり数えて、0になったところで、
光一はすぐ背後まで近寄っている段取りになっている。


心の中でカウントし、0になってから、間をとって言う。

「もうええよな」



最初の台詞を言った直後、

「危な!」かなり逼迫した光一の声がすぐ横で聞こえた。


そんな台詞あったかな・・・

そう思って振り向いた剛の目に写ったのは、
撮影に使っていたクレーンカメラのクレーンがこちらに向かって倒れてくる映像だった。

え・・・・

クレーンはスローモーションのように随分とゆっくり倒れてくるのに
自分の体はそれに全く反応できず、まるで金縛りにあったように動かない。


と、突然胸の辺りを押され、剛は後ろへと跳ね飛ばされた。

倒れる瞬間、剛は自分を押したその手の持ち主の顔を見た。


――――光一・・・



クレーンが――――



剛は声にならない悲鳴を上げる。



落ちて――――くる。

光一の背に落ちてくる・・・・



落ちて――――

光一・・・



その瞬間、世界は闇に包まれた。


そして、

それが永遠に繰り返される終わらない悪夢のはじまりだった。









************************************************************








今宵は十六夜。



誰もいないマンションの屋上、倒れた二人の側には割れたグラスが二つ転がっていた。
 
わずかに欠けた飴色のまるい月が、ほの白い光をそっと二人に投げかけている。




二度と目の覚めることのない、誰も知りえない二人の真実を、月だけは知っているのだろうか。






end













back  Novel Menu