大英帝国の光と影


135判カメラが普通のカメラとなった今となっては、英国のカメラと聞かれてもあまり馴染みがない世界なのかもしれません。しかし写真黎明期から第一次大戦以前を振り返ってみると、写真を発明したフランス、そして黎明期の写真に貢献したイギリスのカメラたちこそが、輝かしい花道を歩いてきたカメラたちなのです。

ここでは、数少ないですが手持ちのホートン社たちのカメラを通してイギリスのカメラたちを振り返ってみようと思います。

この写真は1910年代中頃に、ホートン社の関係から出版されていたエンサイン・ハンドブックの表紙絵です。ハンドブックの中身は写真の撮り方、現像、引伸ばしなどの技術的なハウツウ記事と当時のホートン社の写真機、引伸機、感剤、各種写真用品などのカタログが載っています。ライカ中心で解説される現在の出版物だとあたかもライカが生まれてから、引伸しが一般化したかのような錯覚に陥りますが、実際には1910年代には庶民向けの引伸機が出回っていたのですね。ちなみに後でこのページにでてくる世界初の大衆向け折りたたみコンパクト金属カメラの「エンシネッテ」用の引伸機は、太陽光を光源として47mm×73mmのネガサイズからポストカード大に伸ばす専用機でした。


19世紀末

いわゆる初期の暗箱でサイズは8切りサイズのものです。8切りとか四切りとか書くといかにも日本的な独自のサイズのように感じますが、これらは欧州サイズのフィルムの流れからきています。第二次大戦後、アメリカの圧力からか、日本もヨーロッパもすべてアメリカ独自のフィルムサイズになってしまったのが、なんとも悔やまれてしまいます。フロントはなにもアオリのできないタイプでおそらく19世紀末にイギリスで作られた暗箱だと思います。

レンズは、イギリスの名門ロス社のラピッド・シンメトリカルです。名前から想像がつくように1860年にイギリスのドールメイヤー社そしてほぼ同時にドイツのシュタンハイル社で開発されたラピッド・レクチリニアーと同様なレンズ構成になっています。 このレンズは暗箱本体よりも古い1870〜1890年位のものではないかと想像しています。 このレンズにかぎらず、昔の金ニス仕上げというのは切なく美しくて大好きです。

レンズの上に持っている黒い板は、絞り用の板です。このようにレンズ上部の穴から撮影にあった絞りの穴のあいている板を差し込んで露出を調整する方式を「差込絞り」といいます。この後丸い板にいくつもの大きさの違った穴を開けて、回転させて絞りを選択する「水車絞り」が主流になり、そしてその後今も使われている「アイリス絞り」へと移り変わってゆきました。

右下の黒いレンズは、ドールメイヤー社の引伸用レンズです。これは60〜70年ほど前と比較的新しいものですが、コロールをはじめとするこのHPのモノクロでのカメラ姿写真をこの暗箱で撮影するとに使っているものです。4インチと短い焦点距離なので8切りでの一般撮影は、無理ですが接写には十分使えます。


1910年代=一眼レフの黄金時代

今となっては、一眼レフといえば、日本製。カメラを良く知っている人ならエギザクタやスポルトなんて名前がでてきそうですが、19世紀末から一眼レフは存在し、1910年代にはこのような木製一眼レフの黄金時代を迎えていました。

この写真のものは、ソルントンピッカード社のスペシャル・ルビー・レフレックスです。 ただ良く見かけるスペシャルルビーと異なり、フロント部が丸く仕上げられているのが珍しいと思います。またレンズボードが5mm厚ほどのローズウッド系の板の単板無塗装磨き上げで今の目からみるとなんともゴージャスです。だけどレンズは「ドッペル・アナスティグマット」と当時としてあまり高級なものではないのも不思議な感じです。このカメラを注文した方は、ドッペルだと1本のレンズで2本分の焦点距離が使えるから便利と考えたのでしょうか。それとも私みたいな変人だったのか(笑)。

この当時、イギリスではソルントンピッカード社以外にも、マリオンのソホフレックスやホートン社のエンサイン・レフレックスなどなど、数多く木製一眼レフが使われていました。木製一眼レフの寿命は長く第二次世界大戦中も使われていたようです。 またトップのハンドブックによると折りたたみ式木製一眼レフなるものも存在しています。折りたたみ一眼レフは、世界中の興味をそそったようでイギリス以外にもドイツやイタリアにも存在していたようです。

木製一眼レフといえば、アメリカにもグラフレックスを筆頭とする木製一眼レフの一大勢力が存在しましたが、グラフレックス社のシャッターが1970年代までふんどしのような長いシャッター幕に複数のスリットをあけた1枚式であったのに対して、イギリスのカメラたちは現行の2枚シャッター幕と同様に先幕と後幕によるスリット走行式になっていました。


1910年代=世界で最初の大衆向け金属コンパクトカメラ

ホートン社が世界的に大成功をおさめたカメラがこのエンシネッテです。フィルムサイズの違いで、NO.1、NO.2の二系統がありました。 基本的には、この写真のエンシネッテNO.2のように単玉レンズがついていたのですが、世界的販売の成功のためにデラックスタイプとして、当時の世界中の有名なレンズはほとんどこのカメラにつけられました。

フィルムサイズは当初、エンサイン独自の規格だったのですが、世界中に売れたこともあって、当時の米コダック社は、自社にそのフィルムサイズを使うカメラがないにもかかわらず、このエンシネッテNO.2用の129サイズを販売するほどでした。日本にも上田(植田かもしれません)写真機店を通じて正規販売され、のちには同写真店がホートンと契約して日本名の名前をつけて売り出されたそうです。

このエンシネッテの流行が、のちにコダックのベス単へつながり、庶民へのカメラの爆発的普及へとつながってゆきました。


1920年代=ボックスカメラの黄金期

左が1930年代始めのボックスフォーム2・1/2B、右が1920年代後半のエンサインE-29ブルーモデルです。E-29は、前出のエンシネッテNO.2とおなじフィルム、そして2・1/2Bは、現行の120フィルムと同じ規格のものでした。どちらもホートン・バッチャー社時代のものです。

日本ではカメラの大衆化が遅かったために、このような大衆向けボックスカメラの時代というものが無かったのもあって、なにか玩具的に見られることが多いのですが、実際に撮影してみればわかりますが、玩具ではなく立派な家族の記録のカメラとして実用に耐えるものばかりです。安価に量産するとために木製やボール紙などで作られていることが多いのも、玩具的に見られるのかもしれませんね。


1930年代・・・初代フル・ヴュー

エンサインの第二次大戦後の大ヒットした「流線形・フル。ヴュー」のご先祖さまにあたる「初代フル・ビュー」で1930年代半ば頃のものです。このモデルから紅茶の缶のようなブリキ製のボックスになり、大型のビューファインダーを備えています。流線形・フル・ビューが簡単な撮影距離調整できるのに対してこの初代機は、残念ながら固定焦点でした。


1950年代=ロスの資本参入

社名からホートンが消え、ロス・エンサイン社時代。ホートンの長らくの看板カメラであったエンサイン・セルフィックス・シリーズもずいぶんと立派なカメラになりました。その一方でホートンらしい庶民への親しみ易い雰囲気が消えてしまったのは、なんとも悲しい限りです。

左から1620(エンサー75mmF4.5付)・1620タイプ2(エクスプレス75mmF3.5付)・820(エクスプレス 105mmF3.8付)


1950年末=そして終焉

50年代のセルフィックスシリーズでなにか一台というのならば、わたしはこの写真のセルフィックス820をお勧めいたします。105mmという焦点距離のながさに加えて、被写界深度が浅めのエクスプレスレンズを目測で使いこなすのは、相当難しいものがありますが、それを楽しむのもこのカメラの良いところではないかと思います。

このセルフィックス820の兄弟の最後の華として、連動距離計付の820オートレンジを出したところで、ついにロス・エンサイン社は力尽き、名門ホートン社の脈々とつづいたカメラはついに絶滅してしまいました。一説には35mm判のカメラの開発を行わなかったとからだという話もありますが、わたしには写真の輝きがまだ残っていた時代に幕をひいたのは、結果として良かったのではなかろうかと思ってしまったりします。




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