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一ヶ月ぶりの登場である。すっかり忘れられているかもしれない。
植草さんが逮捕されてしまった。とっても残念だ。何が残念かって、何で見つかるねん、のぞきは見つかったらあかんやろ、もっとうまくやれ…って事ではない。事件そのものが残念だって事だ。前歴もあるという。病気というか、クセというか、習性とでも言うのだろうか。もっとワルはいくらでもいるに違いないが、他の事で発散でけへんかったのか…と思うとあたら有能な才能をそれで棒に振るって事が実に勿体ない。この点で似たような事件の田代まさしとは大きな違いがある。
習性といえば質は全く違うけど、医者が託児所に子どもを預け忘れてそのまま病院に行ってしまって、駐車場で子どもを熱中症で死なせてしまう事件が一昨日あった。これなどはとっても気の毒な気がする。世の母親から見たら、自分の子を忘れる?そんな父親がどこにおる!と、きっと怒り心頭に違いない。そう思うのが普通だ。しかし、人間の習性というのは恐ろしいものだ。いつもの行動を無意識に取ってしまう。
父である医者はきっと子どもを預けに行くことが殆どなかったのだろう。だから最初託児所に、向かっている筈がいつの間にかいつもの通勤と意識がすり変わってしまう。いつもの事だと思いつつ車を降りてそのまま仕事に行ってしまったに違いない。それは自分にも経験があるからよく分かる。子どもを保育園に預けるべく家を出たのに、全く正反対の方向にいつしか車を走らせていた。渋滞の中、半分ほど来たときにヨコを見たらチャイルドシートに座ったまままんじりともせずに前を向いてる子供を見つけて、あれ、何で俺はここを走ってるんだ…と気がついた事は一度や二度ではない。
ぼーっとしてるからや…という意見もある。そうかもしれない。いやつい集中してしまうからだという考え方もある。
一昨年のある冬の寒〜い夜のこと、仕事帰りに駅で改札口を通って構内に入った瞬間、電車が見えた事があった。夜の12時前の事だ。根性出してホームまで走り抜いたら間に合わない事はない。それは最終電車のひとつ前の電車だった。次の最終電車は30分後しか来ない。つまりは30分待つか、根性出すかの選択を迫られたのだ。その時の私は迷わず血管切れよとばかりに走る方を選んだ。階段を3段飛びで駆け降り、発射します〜〜と笛を吹き、精子を振りきりってって…ちゃうやん、発車しますという駅員の笛を聞きつつ、駅員の制止を振り切って閉まる直前のドアに滑り込んだのだ。
息も絶え絶えになりがら、間に合った。30分待つ苦痛に比べたら少々息が上がる事などものの数ではない。そして途中の駅で乗り換えて家路に着く。いつもの事だ。そして同じくいつもの如く新聞を読みながら乗り換え駅へと向かうのだ。電車はいつもの如く仕事や遊びで疲れた人々を乗せ、駅に着くとドアを開け、閉めると次の駅をアナウンスする。いつもの事だ。
次はもずはちまん〜〜次はもずはちまん〜〜とかったるい声で乗務員はアナウンスする。このかったるい力のない声もいつもの事である。ドアが開くたび新聞を読みながら横目でチラッと確認する。だが、しばらくしてドアが閉まる直前、景色の異変に気がついた。いつもと違うとすぐ分かる。その時はドアに挟まれながらも慌てて飛び降りた。ひとつ駅を乗り過ごしていたのだ。もう少しでさらに次の駅に行くところだった。しかし、こういうのも自慢じゃないがいつもの事だ。一ヶ月に何度かある。なれたものだ。また元に戻れば良い。身に付いた習性は反射的に駅の階段を上って反対側に降りていた。
しかし、いつもと違う事態がその時は起きていた。ない、ない、ない。反対側の電車は最終が出て、既に電車がなかったのだ。乗り過ごした駅は近からずと言えども遠からじ。意を決して取り敢えず歩く事にした。まったくいつもと違う事態にとりあえず落ち着くべく暖かい缶コーヒーを買い、線路沿いの道をテクテクと歩きだした。暗い夜道なので新聞読みながら歩く訳にも行かない。実に実に退屈な時間だ。携帯で電話をかけつつ、あほちゃうか…と言われつつも、いやあ乗り過ごしてしまって歩いてるわ…と話しつつ歩かないと間が持たない。煌々と灯りに照らされた乗り換え駅は視界にある。見えると気が楽になる。しかし、こういうときって見えるのだがなかなか近づかない事がある。歩いても歩いても何だか遠い気がする。普段歩いた事のない道はどの程度時間が掛かるのかも予測が付かない。段々時間が気になっていた。最終電車は30分遅れてやってくる。自分が乗り過ごし、缶コーヒー買ってちんたらした時間、さらに携帯かけつつトロトロ歩いた時間を全部足すと何分経っているんだ…と思うとさすがに焦ってくる。歩く速度もどんどん加速がついて速くなっていく。
それは駅の踏切が見えて駅の入口が見えた時の事だった。ホームには最終電車に乗ろうと待っている人があふれんばかりにいた。そしてそこに駅のアナウンスが響いたのだ。そして最終電車の走ってくるのが見えたのだ。どう考えても間に合わない。もう動脈破裂を覚悟で走るしかなかった。お、俺をこんな不毛な場所においていかないでくれ〜〜という心の悲痛な叫びをあげつつ、走って走って走り抜いた。階段を飛び石で駆け上がり、さらにこけたら骨折も覚悟の階段降りでホームに辿り付いた時はドアが閉まろうとする瞬間だった。
辛うじて飛び乗った。よくよく考えたら30分前にあれだけ走って電車に乗ったのは、今走って飛び乗るだけの為だった…と思ったらやりきれなくて涙が出てきた。
いつもの習性とは常に良いことばかりとは限らない。それを身をもって思い知った瞬間だった。以来電車の乗り過ごしには異様に気をつけている。でも月に二度か三度はやってしまう。要は全然懲りてないって事だ。
植草さんもやっぱり懲りてなかったのだろうか…。

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