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Vol.10●ライバルの行方

年金問題で国会が揺れている。かくいう私も誰に咎められる事もないが国民年金を昭和50年の終わりから60年の初めにかけて、3年か4年ほど払ってない時期がある。自民党のライバルである民主党党首である管直人はどうも引きずりおろされそうな感じだが、どこかに颯爽と活躍するとこを妬ましく思う人間もいるのだろうか。

男にしろ女にしろ或いは企業や団体であっても嫉妬というのは私は大嫌いである。嫉妬とは相手が失敗するのを願う負の感情だからだ。じゃあ、お前には嫉妬するような感情はないのか…と問われたら、それは人間だからあるに決まっている。だが、人を妬む自分を発見すると、とてつもなく自己嫌悪に陥る。そうなりたくないから余計に人を妬みたくない。相手が失敗したり相手を引きずり降ろしたりして、それを喜ぶ自分にだけは決してなりたくない。だから私は心の狭い人間が大嫌いだ。心は大きくありたい。狭い人間を受け入れられないお前もまた心が狭いぞと言われそうだが、常に広い人間である事を願い続けたいのである。

その点、ライバルに対する感情は、相手の失敗を願わず、切磋琢磨が似合う点で似て非なるものだ。君もガンバレ、その代わり俺はもっと頑張るよというプラス思考のエネルギーだ。ライバルの善し悪しは人の人生を左右するほど大きな存在だ。自身の廻りにそういうライバルが居る人はとっても幸せな人だろう。

そう言えば自分にはライバルと呼べる人がいないのが不幸だ。ライバルは同じレベル、もしくは少し上で、頑張れば手が届くと思えなければ意味がない。言うだけなら楽天の三木谷浩は俺のライバルさ…と言ってみたいが、誰も本気にしないどころか、あほちゃうか…と言われるのがオチだ。互いにしのぎを削るから好敵手と言えるのだろう。

かつてライバルと呼べる相手が私には確かにいた。それは共に漫画家を目指していた向井君だ。1才年上の彼は11才の時に文通で知り合った端倪すべからざる存在だった。以後20余年にわたって影響を受け続けた。ずっと彼に追いつきたいと願い続け努力した。でも絶対に追い抜けないかもしれないとも感じた。絵を語る彼は常に真剣で、その情熱に圧倒され続け、到底叶わないと思っていたからだ。それでも何とか近づきたいと思った。

便せんに綴る文字のつき合いから大阪に来て一緒に酒を飲んだり話したりするようになり、さらにライバル心を煽られた。ある種の劣等感が少しでも近づきたいと思わせたのだ。一緒に同人誌を自費出版し、出版社へ送ったりもした。だけど、彼に近づきたいとは思ったが追い越したいとは思っていなかったかもしれない。絵に賭ける執念や情熱があまりに凄まじく、何とか結果を出して欲しい、いつしか彼が夢を叶えるのが自分の喜びになっていたのかもしれない。

20代も後半のある日、一緒に本を送った出版社から手紙が来た。二人の情熱がとても良いと書かれてあった。コピーで良いからもっと作品を送ってくれというものだった。飛び上がるほど嬉しくて、お礼の手紙を書こうと、互いに別々に返事を書いて一緒の封筒に入れて送った。両方が書いた手紙を見せあったら、互いに引き写したんじゃないかって思えるほど似ていたのを覚えている。同じ事書いてるやん…って思った。ならどっちか一通送れば良いんじゃないか…とも思ったが、結局一緒に入れて送った。

しばらく経ったある日のこと、一通の手紙が私の元に届けられた。それは絵から伝わるある種の情熱にとても感動した。コピーの原稿を雑誌に掲載させてもらったので些少ながら原稿料を送るという出版社の編集長からの手紙だった。これからも出来たらどんどん作品を送って欲しいと書かれてあった。だが、少しも嬉しくなかった。何故だか悲しくて仕方なかったのを昨日の事のように覚えている。どうしてオレの原稿なんだ。どうして、向井君の原稿を取り上げてくれないんだ…と思った。彼になんて言えばいいんだ。どんどん憂鬱になっていった。その後すぐに彼と一緒に飲んで話し合う機会があったのだが、その時、私にはどうしても、雑誌社から原稿料を送ってきたよ…と彼に言う事が出来なかった。当時の私にはどう考えても彼の方が技量も情熱も自分より数段上としか思えなかったからだ。どうせ載せるなら彼の原稿を載せて欲しかった。そうしたらこんなに悩まずに素直にやったな〜と一緒に喜んで美味しい酒が飲めて、一緒に楽しい夢を語る事が出来たのに…と思ったからだ。

何度も言おうとして喉まで出かかって言えなかった。一緒に色々な事を語らいながら心の奥底でどん底に落ちていく自分を感じていた。なんて情けない奴なんだ…と自己嫌悪に陥った。

その後彼から電話があった。嬉しそうに、あの編集長から掲載した作品の原稿料を送ってきた…と彼は言った。そういう事だったのか…。だったら最初から分かっていたらどんなに気が楽だったろうか。でも、最初に言いそびれたので、ここでも良かったなあ…と言いつつも、今さら自分の事が言えなくなっていた。もんどりうって苦しんだ夜、今風に言うならば、便せんを使って彼にコクった。

互いに会うようになってからでも便せんを使った文字という媒体は二人にとっては貴重なもので、結局1000通近くやりとりしたのだが、言えなかった自分を呪う文章を書くのは決して楽しいものではなかった。まずは自分ではなく向井君に取り敢えず輝いてもらいたいし、そうなってもらわなければ自分も張り合いがなかったのだ。だから少しも自分の事が嬉しくなかったことも告げた。

ほどなく彼から長い長い手紙が届いた。自分はもちろんのこと、君が輝いてもオレは自分の事のように嬉しい。もし田中冬木が輝いたら、オレは喜んでアシスタントでも何でもするつもりだ。決して人を妬むようなオレじゃないから、それだけは信じて、今度からは何でも言ってくれ…と書かれてあった。そして人の苦悩を読みとれない自分も情けないと付け加えられていた。絵で負けて、情熱で負けて、さらに人間の器の大きさでも勝てない。言いようのない敗北感だった。

その数年後、絵とかライバルとか全く関係のないところで向井君は自らの手で命を絶った。一生勝てないままライバルは忽然と消えてしまったのだ。

あれから十数年が過ぎた。未だに燃えくすぶった闘志が、行くあてもなくさまよっているかのような自分だ。

2004.5.10(ふゆき)
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