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昨日は子どもを阪田三吉杯という将棋大会につれていった。阪田三吉といえば王将。王将といえば阪田三吉。ドラマや舞台にもなって有名な話である。阪田三吉は堺に生まれたということで、堺市がこの大会をやっている。阪田三吉といえば勝負師というイメージだ。真の勝負師は、闘いの瞬間にきらめきを見せる。いつもギラギラしてる訳ではない。能あるタカほど爪を隠し、その裏で爪を研いでいるものである。そしてここ一番の大勝負になると輝くのだ。
勝負師とは言わないまでも決戦の時になるととことん燃えるタイプがある。そう、私は実はそのタイプである。勝負になると燃えるのだ。難関を突破して勝つことに意義を見いだす。それは大学受験生だってそうだろうし、就職だって一流企業に入るために過激な競走をするのも似たようなものかもしれない。ただ、エリートはその後の見返りを求めるのだが、私はそんなもんはどうでもいい。要は勝つことが目的化していくパターンだ。
何年前の話になるだろうか…。デザインコンペになった事がある。レンタルビデオのパッケージデザインを5社でプレゼンテーションして、勝った所がその後のデザインをずっと引き受けるのだ。東京営業所と大阪本社で投票して決めるんだという。その時は成り行きでプレゼンに参加する事になった。
こうなると燃えてしまうのが私の特徴だ。勝負事は絶対に勝たなければいけない。よし闘いに勝つぞ…という闘志がメラメラと燃え立つのが自分でも分かった。納期はたった2日しかなかった。与えられた材料は全員同じ写真が7点。考える事半日。普段ちんたらする私が気合入れて根性で考えた。そして作業する事夜中の合計丸々1日で4点仕上げた。
こういう場合、料理でもそうだが、どんなに美味しい料理でも汚れて欠けた茶碗に盛られて、トイレの前で手づかみで食うのと、ビルの最上階の洒落たレストランで美人に囲まれて食べるのでは同じ味でも違う味がする筈である。どんな器に盛るかは重要だ。厚い黒の紙を用意して台紙にはって、上から二重にも三重にも化粧を施して持っていった。
他のデザイン会社はどういうものを提出したのかは知らないが、後で東京大阪とも全員一致であなたに決まりましたと言われた時は、よっしゃー!と天に向かってガッツポーズを繰り返した。至福の瞬間である。この一瞬で徹夜の疲れも何もかもが全部吹き飛ぶ。徹夜も労苦もこの一瞬のためにあったのだと実感する瞬間なのだ。
ところが、その後仕事が舞い込む度に憂鬱になる。作業しないといけない意義が自分の中でみつからないのだ。燃えるだけ燃えて奪取すると気合が失せる。こういう人は多いに違いない。どっかで聞いたような話だ。女性をモノにするまでとことん根性出してモノにした瞬間、興味が薄れる男の話だ。燃える興味の対象が違うだけで案外似たような心理状態なのかもしれない。同じメカニズムが働いているような気がする。だが、こと女性に関しては私は断じてそういうのはない。ここは自分の名誉のために断固として強調しておきたい。女性に関してはそういう事をするのが私は面倒なんである。面倒な手続きが大嫌いである。とにかく出来る事はてっとり早くやりたい方なのだ。(…って、よけいに名誉が傷ついてるやん)
冗談はともかく、別にプレゼンに限らない。こうやったらこうなる筈だ…と理詰めで計画を立てて、それがツボにはまった時の快感っちゅうのが自分を駆り立てるのだ。インターネットでもこうしたら、物が売れるに違いないと思って実験すると、これが売れた時の快感がなんともいえない。ところが売れた瞬間すぐさま憂鬱が始まるのだ。これ、仕事せなあかんやん…って思っただけで心がブルーになってくるのだ。商売人だときっと売れてそれが対価に変わる瞬間が快感なのだろう。そういう点で私は決して商売人にはなれないのだ。何だか真の勝負師とは実にほど遠い。
こういうのを詰めが甘いと言うのだろう。
最後の最後の仕上げがいつも抜けている。全く自分らしいといえば自分らしいのだが、いつも人の結果を見て、爪を噛む思いをするのだ。
そしてその時は決まってツメは苦いのだった。
能あるタカは爪を隠すと言う。お前には能がないのか…と言われそうだが、ここは自分の名誉のために断固として強調しておきたい。勿論、私も普段は隠しているのだ。
ただ、隠した場所がどこだったか忘れてしまうだけである。

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