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Vol.17●ガラスの恐怖

何年か前の事、天王寺にある妙な喫茶店に何人かで行った時、そここの棚に猫の置物があった。それは猫をハクセイにして棚の上に置いたような毛の一本一本まで本物のリアリテイのある猫だった。ほ、ほんまの猫みたいな置物やなあ…と呟きながら、じっとみつめた。見れば見るほど凄い臨場感がある。じっと壁を見つめる猫の置物は、見てる私達がゴクっと唾を飲みこむような得も言われぬような迫力があった。ただただ見とれた。その時だった。驚くべき光景が次の瞬間、目の前に展開したのだ。

猫が動いたのだった。猫は居る位置を素早く変えるとまたじっと止まったまま壁を見続けた。まったく動かない。ただただ驚くしかなかった。そして誰からともなくつぶやきがもれた。

ほ、ほんまの置物みたいな猫やなあ。

そうである。猫みたいな置物は、実は置物みたいな猫だったのである。

ものの見方は見る方向によって解釈が変わる。ある方向から見ると正しい事でも反対側から見れば悪い事だってあるのだ。人を殺す事は悪なのに、それが戦争中だと正義に変わるのに似ている。フィルターが変わると色も違って見える。それが人と人との摩擦を生み、誤解を生む事だってあるのが世の常だ。フィルターと言えば、モザイクがあるが、あのモザイクは猥褻物を隠すために存在してるのに、モザイク自体が猥褻に感じてしまう事だってあるのも同様である。

それは、私がまだ25才の頃。生ぬるい生活に、このままではいけないと独身寮を飛び出て、アパート住まいを始めた頃の事。(タイガー参照)狭く暗く汚いアパートは柏木マンションと名前のついた、内容詐称の建物だった。暗い場所は好きじゃない。部屋だって常に全ての灯りをつけっぱなしにするクセがあった私は、少しでも光がある場所をと、道路側に面した部屋を借りた。そこで生まれて初めて独り暮らしの生活を始めた。道路側には窓があったが、不透明のすりガラスで部屋の中は遮断され全く見えない。隣には私より少し年が上と思われる愛想の良い奥さんが居た。時折顔を合わせるとにこにこと挨拶をしてくれた。

ちょっとクスっと含み笑いをする事もある事に気がついていた。そう言えば薄い壁だけで仕切ったようなボロアパートだ。当時寂しさを紛らわす為によくギターを弾いた。ついつい大声になったりして、聞こえていたのかもしれない…と思うと恥ずかしかった。ギターを弾くときは出来るだけ気をつけようと思ったものだった。

夜中になって、あるとき喉が乾いて自動販売機に缶ジュースを買いに行った時の事。戻ってきて自分の部屋の窓を見て私は恐怖におのかずにはいられなかった。窓のそばには天井から吊り下げられた裸電球があって、煌々とつけたまま出て来たのだが、外が暗くて中に電球がついていると、不透明で遮断されていた筈のすりガラスは、殆ど透明と成り果てていたのだ。そばにあった本の背表紙が読めるではないか。窓の周辺は殆ど透明と言っても良かった。いや、それどころか遠く離れたベッドも布団も、部屋の中にある調度品もみな、ぼやけながらもその形や色がはっきりと確認出来るのだ。うぎゃ〜〜〜〜!な、な、なんなんだこれは〜〜〜!。

窓に背を向けるように鏡を置いていた。いつもそこで風呂あがりに裸で髪の毛を乾かしていた。独り住まいの気楽さ故、裸で部屋の中をウロウロとすることだって多かった。見られてはいけないあ〜〜んな事もこ〜〜んな事もみーんな丸々見えていたのだ…。隣の奥さんの含み笑いの意味が分かった気がした。すりガラスは中を見えないようにするためにあったのではなく、見えないと思わせながら、油断させて全て見せる事にあったのだと生まれて初めて知った。

次の日慌ててカーテンを買いに走った。

思えばスケスケのセクシーな下着は隠す為にあるのではなく、きっと見せる為にあるのだろう。隠す筈の男の下心も夜の電球の前では透けて見えてしまうに違いないのだ。だけど、見せなくて良いものも世の中にはある。男も女も全ての本性をさらけ出す必要は決してないのである。

インターネットは何でもかんでもお気軽にしている。国境を越え人と人を繋いだ情報産業革命である。だけど、ふと思うのだ。便利な反面、人の本性をさらけ出す罪も


また深い…。

2004.8.10(ふゆき)

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