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Vol.18●お墓参り

暑い。お盆だ。今日から帰省ラッシュが始まったとの事。私も墓参りがてら田舎に帰る事にした。田舎は自分が生まれて育った場所である。山も木も何かしら当時の雰囲気を湛えて、何かを思い出させてくれる。一番都会と違うのは時間の流れだが、それは人間が追われていくように過ごす観念的な時間も違うのだが、山が削られり、無くなったり、建造物が出来たりと、変化していく風景もゆっくりと流れる。

田舎では田畑一枚にも全て名前がついていた。橋にも、土手にも名前がついている。それは長い年月かけて出来た人間の歴史そのものである。送り橋という地名があった。送り橋は山のふもとに入口につけられていた。オヤジに聞いた事がある。何で川もないのに橋やねんって…。オヤジは昔村八分になった人を橋のところまで来て見送ったから送り橋っていうのだと答えてくれた。オヤジも勿論生まれた時に既に橋はなかったろうし、川もなかった。きっと代々伝え聞いてきた事だったろう。そんな田舎も色々な名前が今では絶滅の危機に瀕し、激しい時代の流れと共に変化に加速度がついている。それでもまだゆったりとしたものである。

100年も経過すれば、一体どこがどこだか分からなくなる都市と違って、田舎は100年前でも200年前からでも連綿として続いている変わらない風景がいくらでもある。いや景色だけではない。風習だって、価値観だって、簡単には変わらないものだ。人間は遺伝子で左右されるのではなく環境に左右されるのだと思う所以である。

都会生まれの都会育ちの人はともかく、日本人の大半は田舎者である。故郷へ故郷へと民族大移動が起きるのがその証拠だ。だけどみんなが祖先を大事にしているとは言い難い。私だってその口だ。でも祖先はともかく自分の親は大事にしたい。なくなったオヤジも自分が覚えている限り自分の中で生きているのである。

その先祖が眠っているお墓は、少年時代は恐怖の代名詞だった。肝試しというと必ず墓地になるのは今も昔も変わらない。そんな墓地に幽霊が出ると言われるのは、みんなどこかやましいのではないだろうか。祖先が出てくれるのなら喜ぶ筈である。なのに何故恐れるのだろう。やましくない人間など存在しない。誰もスネに傷を持ち、悪魔の心を潜ませているに違いないからだ。祖先は敬うものだけれど、畏れの対象でもある。お父ちゃん、お母ちゃんごめんなさい。お爺ちゃん、お婆ちゃんごめんなさい…と自らの恥を悔いるのである。恥などないという恥知らずはこの世の中にいない筈である。

墓地に現れる幽霊はやましい人の心の中に存在するのだろう。ヨーロッパでも特にスイス人はよほどやましい心を持っていたのだろうか。アルプス地方でも幽霊は良く出たらしく、それが民謡にも残っていて現代に語り継がれている。聞いた事がある人が多いに違いない。

ユーレイユーレイユーレイティ〜 ユーレイユーレイティ〜
アルプスでは実に幽霊がヨーデルのだ。(うそつけ!)

お盆ぐらいは、普段の不義理、不摂生、不養生を、そして不道徳を恥じて、亡き祖先に手を合わせましょう。

ほれ、これを見ているあなたの事ですよ。あなた。

2004.8.12(ふゆき)

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