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意味もなく何故か口について出る調べというのが私にはある。とりわけ多いのが、てっちゃん、てっちゃん、かねてっちゃぁ〜ん、ちくわとかまぼこ〜ちょうだいなぁ〜〜ってフレーズだ。ふと気がつくとどういう訳か口にしている。これを聞いたら必ず、へ〜〜い、へ〜〜いま・い・どぉ〜〜、ありが〜とサン…と答えなければいけない事になっている。関西の人しか分からないかもしれないが、一日に何度か関西人は必ずこの調べを口ずさむ。どこの電車の中でも最後はいつも乗客の大合唱になるのが相場である(そんなことあるかい)
ちくわとかまぼこが食べたいと言う訳じゃないが、夕方になるとめちゃめちゃ腹が減る。じっと耐えるか何かを買いに行くかの選択を迫られるが、コンビニは信号待ちを入れると歩いて数分なので、微妙な距離だ。そこに最近すぐ近くにたこ焼き屋が出来た。昔ながらのたこ焼き屋だ。殆ど悩まなくて良い距離である。これにはまった。時間が来ると我慢が出来なくなる。胃袋がたこ焼きを催促する。無ければ我慢も何もないのだが、あるのに我慢するのは実に忍耐と勇気がいる。私はすぐに勇気を捨てた。
8個で200円のタコ焼きは、空きっ腹にまるで溶けるように流れていく。ソースとマヨネーズのハーモニーが絶妙である。そして胃袋の中でソースとタコとマヨネーズが輪唱を奏でるのだ。わずかな〜ご飯のノリの陰から〜もう来ちゃ如何とタコが泣くぅ〜、タコ〜、タコ〜、タコ・タコ・タコ〜。
毎日買いに行くと段々顔を覚えられるのは何処にでもある話だ。いちいちマヨネーズかけますか?と尋ねても来ない。やがて8個のタコ焼きが同じ値段で9個になっていった。今風に言えば、お得意さま特典って奴だ。この特典が優越感をくすぐり、更に我慢の勇気を忘れさせてくれる。コンビニでは絶対にあり得ない特典だ。かくして、私は夕方になるとたこ焼きのソナタが奏でられ、誘われるようにフラフラとたこ焼きを求めて胃袋が踊るのだ。
このたこ焼き屋には今時珍しく若い女性が焼いてくれている。どうもそこの若奥さんらしい。ついこの間までお腹がでかかった。会話した事はないが、明るい健康そうな女性である。これで独身なら古き良き時代を思い起こさせる看板娘ってとこだろう。看板娘は今や死語となりつつある。どこへ言っても最近はこの手の店は岩のようなおばさんがこずかい稼ぎにやってる所が多い。強いて言うならば岩盤娘ってとこだ。タバコ屋然り、駄菓子や然り、若い看板娘は見た事がない。
よくよく考えて見るとカンバン娘って表現が実に面白い。文字通りカンバンを背負っている訳だ。下手なカンバンよりよほど広告塔になる。カンバン娘を目当てに男が集まってくる。カンバン娘はフェロモンまき散らして、集客すれば良かったのだ。いつもニコニコ笑顔でみんなに気があると思わせてお金を使わすのがカンバン娘の役目だった。ああいう嫁がいたら良いのに…と、いつか自分のものになるかもしれないと身近な夢を与えるのだ。銀座のホステスみたいなものだった。しかし、決して客に落とされてカンバンの「カ」の字が「ホ」になってはいけない。大勢の客の口説かれて落ちてカンバンの「バ」の字が「タ」になるなんて以てのほかである。
そのカンバン娘が絶滅したのはいつの頃だろうか。カンバン娘は家族でやっている必要がある。タバコ屋なんてたいてい道の角にあったのに、今は皆今風の店にとって代わられた。効率一辺倒の大店舗。安さが取り柄のディスカウントショップの台頭で、小さな店がどんどん消えていった。コンビニには若い女性がいるが、どんなに美人でも看板娘とは言えない。どう転んでもアルバイトはアルバイトでしかないのだ。しかもとっくに傷物になっている匂いをまき散らしている。
…かといって、カンバン息子ってのはあまり聞いた事もない。そもそも男は種はまき散らしてもフェロモンまき散らす能力に欠けているのだろう。今流行のヨン様は、中年の女性のハートを掴んではいるけれど、いつかヨン様と結ばれる夢を与えているというより、単に置き忘れた恋愛を思い起こさせてくれる、妄想に近い夢しか与えない。つまりはヨンじゃなくて、常にどこか遠い世界のよそ様なのである。
…と拙者は思うのでござるが
ソナタはどう思う?

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