オヤジギャグというのがある。いわゆる駄洒落だ。しかし、何故オヤジはかくも駄洒落が好きなのだろう。駄洒落と一口にいうが韻を踏まなければいけない。その昔の漢詩はもとより、和歌だって韻を踏んでいる。中国では語尾に韻を踏む為の特殊な辞典があるとさえ聞く。実はとても高等なもので、それは学の証みたいなものだった。インが踏めなければアウトだ…とこのように直接的に使うのがオヤジギャグというらしい。
巷ではどうしようもない笑えぬギャグの事を言うらしいが、実はそれだけボキャブラリーが豊富でないと出来ない。だけど、何故オヤジだけが得意としているのだろう…という疑問が生じる。物覚えはひどく悪いが、確かに長く生きている分だけボキャブラリーは豊富である。だが、脳をフルに使って記憶しているだけならば、成長期の若者の方が覚えている事が余程多いに違いない。
そこで私はひとつの仮説を立ててみた。それは、脳味噌の機能が若いときと成熟してからでは違うのではないか…という仮説である。題して「人間における成熟期の脳の機能とその明日。」略して、昨日と明日がない。OH!脳!(オヤジギャグの為に無理して書いている、その苦悩の気持ちを分かって欲しい)
成長期はどん欲に物事を吸収するので脳が記憶能力をフルに発揮できるような体制になっている。しかし、有る程度蓄積されると、今度は記憶する事よりもその貯えた情報をフルに活用する為に有効に使われる。すなわち、参照に使用されるのではないか…という説である。
オヤジになると覚える事や覚えている事が特権ではない。蓄積された経験から物事を分析し、判断する事が長く生きたる者のアドバンテージであるからだ。それは脳が過去の事例を元に一瞬に検索と参照を繰り返し、導き出す答えではないか。だから言葉も知っている似たような言葉を探し出してくるのに長けている。ただ、出した答えをそのまま片づけるのが勿体なくて、ひねりもせずにそのまんま使ってしまう。これがオヤジギャグの正体ではないか…と考えられるのだ。
せっかく出したものを使用もしないで終わるが辛いと考えるのはオヤジの哀しい鹿児島だ。いや、さがだ。若い頃に比べて頭はひどく四国が悪くなっている。いや吸収が悪くなっている。ここで使わなかったら今度いつ使うねんと考える。実を取るより熊本だと考える。いや、名がさきだ。だけど結果はいつも軽蔑されて心がとっても大分県…って俺はWヤングか〜(オヤジギャグの立証の為に無理して書いている)
さて、ここからがオヤジギャグだ〜といつも周囲に言われて蔑まれている人への提言だ。上の仮説が正しいとすれば、問題はひねりのない事にある。ぱっと答えだ出てきても、決して生のまま口にしてはいけない。じゃあコンドームをつけてフェラチオするのか…と並のオヤジなら言うだろう。(オヤジギャグの立証の為に書いてるが殆ど快感になりつつある)だが、必ず火を加えるのである。急いては事をし損じるからである。え、なんだ、直感的には浮かぶが、その後が続かないってか…。う〜〜む。
ではこうしよう。ぱっと浮かんだらぱっと口にしよう。さっきと言う事が違うってか。蔑まれたらどうするってか。うるせ〜〜!その時は瞬間即応的な反応に殉じろ〜〜!。いちいち先の事ばかり考えるなど、オヤジの川上シュンローにもおけない、いや風上にもおけないではないか。玉砕あるのみだ。それがオヤジの生きる道。明日などどうでも良い。今日、今この時、この瞬間を生きるのだ〜〜!。
こうして、俺明日は明日がない明日がないと言いつつ、ずっと続くのである。
(ふゆき)
