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手描き(upload.6.19/pm2:55)

私の亡くなった親父は絵心があった。おかげで正月には自分で描いた菅原道真の掛け軸の絵が飾ってあった。母はありがたみがまるでない…と不満そうにぶつぶつこぼしていたが、親父は菅原道真に変わりはない…気持ちの問題だと言い張ったのだ。そんな親父を持つ私であるから、絵を描かない訳はない。17才の時に、有り余る時間を使って渾身のペン画を描いた。それは今ではもうなくなってしまった、家の裏の風景だ。でかいアケビの木を中心に据えた、写実的な絵である。今見れば、どうという事はないのだが、その時はまるで写真のようだ…と自分で思ったものである。最後に自分のサインをしようと思ったら、親父は怒りだした。そんな事をしたらいかん…と。何でや!と思ったら、絵の値打ちが下がる…と来たものだ。俺のサインはゴミかぁ〜!今でも実家に飾ってあるその絵を見る度にそんな事を思い出す。

写真のように描く…誰でもそれが格好が良いと考えてしまう。だが、そんな事に私個人の意見としていえば懐疑的である。なぜなら写真を使えば良いからだ。だからエアブラシを使ったスーパーリアリズムが流行った時には、その価値を個人的には認めなかった。何度か描いた事もあるが空しいだけだった。それは多分に私の描き方が悪いからに他ならない。写実的であっても質感が出ていて手描きの良さが滲み出た作品だっていっぱいあるからだ。だけど、自分には出来ないし。描こうとも思わなくなってしまった。

Illsutratorでもそんな傾向が見てとれる。みな写真みたいな絵が格好良い。そういうものを描きたいと思ってしまうのだ。Illsutratorならブレンドを使えば簡単にグラデーションが作れる。しかし重たくなる。うちのライブラリにもMacintoshコーナーで特別に何点か描いたが、あくまでブレンドは使用していない。軽いという事と加工が容易であるという事を念頭にリアルさを損ねてもブレンドを使用しなかった。描こうと思えば出来るのにしなかったのはそのせいである。

Macintoshになる前はマーカーでカンプを描いていた。色数の決まったマーカーを使って塗り絵をするようなもので、凄くラフな絵が多かった。手描きの良さ…温もり。コンピュータの時代になったからこそ、余計に大事なのではないか…と思うのだ。そして、最近ますます絵がうまくなりたいと願うようになった。若い時の上達時期にさぼった事を少し悔やんでもいる。

(ふゆき)